騎士団長


「ようリューシ! どうだったよ」


 手を振るシャンは、既に顔が赤かった。逆の手で大ジョッキを握っている。


「いや、なんと言うか……ダメだった」


 ダメダメだった。この先の展望がまるで望めないほどに。


「そうか。まぁそんな日もあるさ! こっちこいよ、飲もうぜ!」


 ご機嫌のシャンの隣、カウンター席に座る。


「ギルマス! こいつにエールを!」


「いや、オレ酒は……金もないし」


 何よりまだ未成年だ。


「気にすんな。今日はオレの奢りだ!」


 しかし、こんなにも気持ち良く話してくれるシャンの誘いを断るのは、酷く失礼だと思えた。


「じゃあ、一杯だけ」


 なお、未成年の飲酒はご法度である。


「はい、お待ちどぉさま」


 ギルマスがオレの前にエールを置く。ジョッキから泡をこぼす黄色い炭酸水は、とても旨そうに見えた。


「じゃ、いただきます!」


「おう、行け行け!」


 一気にあおる。喉を少し焼くような味と芳醇な香りは、とても心地よかった。


「いい飲みっぷりじゃあねぇか。どんどん行こうぜ!」


「はい、おつまみよぉ」


 炒った豆の皿が置かれる。少し塩味のきいた豆は、よりエールの味を引き立てる。


「オレも飲むぞぉ! ギルマス、ぶどう酒開けちゃおっかなぁ!」


「あら、ならいいのが入ってるわよ?」


 ギルマスが側に立つボーイにウィンクする。その子がすっと奥に入っていった。


「おうリューシ、お前もいくだろ!?」


「当たり前だこのヤロー!!」


 叫ばずにはいられなかった。


「ヤッホウ! そうこなくちゃな!」


「ほどほどにね」


 ギルマスが笑う。ジョッキを丁寧に拭くその姿には、言い知れぬ貫禄があった。


「ちくしょう! どいつもこいつも好き勝手言いやがって!」


「おう言え言え、全部吐き出しちまえ!」


「くそ! オレだって……オレだって!」


 まだ陽も落ちてなかったはずだと言うのに、そこから先の記憶がない。






 目を開くと、そこは小さなベッドの上だった。薄いシーツがかけられている。


「あれ、ここ……痛っ!」


 頭がガンガン響く。吐き気もあった。ベッドのすぐ側に木のバケツも置かれているが、いざとなればお世話になるだろう。


「あら、起きたの?」


 ノックの音がして、ギルマスが部屋に入ってきた。水の入ったコップを盆にのせている。


「あなた、飲みはじめてしばらくしたら、倒れちゃったのよ。気分はどう?」


「最悪です。あとすみません、世話かけちゃって」


「いいわよ別に。ギルマスなんてやってたら、よくあることだわ」


 ギルマスは、朗らかに笑いながら、コップを差し出してくれる。オレはそれを一息で飲み干した。頭はまだ痛む。それと、酷く疲れていた。あの勇者、いや、牧村の言葉が、頭に、心に澱のように残っていた。


「はあ、これからどうすりゃいいんだろ……」


 リュカを嫁にもらってくれと言われた時より、未来が不確かに思えた。


「ふふ。これからなんて、どうにでもなるわ」


 空になったコップを受け取りながら、ギルマスは微笑む。


「あの子はね、とっても賢い子よ」


 きっと牧村のことを言っているのだと、すぐにわかった。


「でも、賢すぎて、世界を理解しすぎて、身動きが取れなくなっちゃってるのよ」


「……オレとあいつの間には、大きな壁がありました。それを、オレは何もわかっていなかった」


「あら、それは良いわね」


 ギルマスの言葉が、初めて意味不明に思えた。顔を上げる。


「壁を、見つけたんでしょ? なら、あとは、壊すか乗り越えるかするだけよ」


「っ!! 壊して、良いんでしょうか」


 そんな事をしていいのだろうか。あいつの作った壁は、頑丈そうで、それでいてどこまでも高そうだった。


「もちろん、それは壊してみないと分からないわ。けどね、私もたくさんの心の壁を壊してきた。この見た目と性格だから。でも、壊した先にあるものは、決して不幸なんかではないわ」


「じゃあ……何ですか?」


「平原よ。何もない平原。だから、そこからどこまでも、どこへでも、どんな風にでも歩いて行ける。そこから先は、あなた次第ね」


 この人は、どこまで自分や牧村のことをわかっているのだろうか。いや、何もわかっていないからこそ、こんなにも力強く背中を押してくれるのかもしれない。


「少し、元気がでました」


「それは良かった」


「もう少し考えて、壁、壊してみせます」


「頑張って。でも、今はゆっくり休みなさいな」


 明日から忙しくなるでしょうし。そう言い残して、ギルマスは部屋から出て行った。なんだあの人。惚れてしまいそうだ。何故かリュカの怒った顔が浮かんできて、慌てて追い払った。








 オレを目覚めさせたのは、外から届く喧騒だった。何人もの人の歓声や、驚きの声が部屋まで響いてくる。


「なんだ? 何かあったのか?」


 もう大分陽は高くなっていた。かなり長い間眠ってしまっていたみたいだ。これからは酒には気をつけないといけない。旨いと思ったからなおさらだ。その時、部屋の扉がノックされた。ギルマスか、シャンだろうか。


「どうぞ。開いてますよ」


「失礼する」


 それは、美しい女性の声だ。毅然とした声の主は、ゆっくりと扉を開けて部屋に入ってくる。


「私は、暁の騎士団団長、ティナ・クリスティアだ。お初にお目にかかる」


 それは、声だけでなく、容姿も美しい女性だった。腰まである長いピンク色の髪。気の強そうな切れ長の瞳は、燃えるように赤い。清廉潔白を絵に描いたような立ち姿すら、綺麗だと思えた。美し過ぎて近寄りがたくすらある。青と白の軍服がよく似合っていて、彼女の誇りと気品が醸し出されている。その肩には、いくつもの勲章が輝いていた。腰の長剣が小さく音を立てる。


「は、はあ。何か御用でしょうか」


 暁の騎士団と言えば、この国の最高戦力だとポンコツが言っていた。その団長も、当然ながら凄みのようなものを放っている。しかし、そんな人がオレを訪ねてくる理由が分からない。


「単刀直入に言う。貴殿を、我が騎士団に迎え入れたい」


 え?


「は、は!? あんたいきなり何言って……」


「どうやら、昨日のことを覚えていないようだな」


「昨日のこと?」


 確かに何も覚えていない。思い出そうとしても、頭が痛むだけだ。


「その右腕だ」


 騎士団長は、はっきりと言う。気がつくと、オレは手袋を外していて、緑色の鱗があらわになっていた。思わず左手で隠すが、もう遅い。


「あ、いや、これは!」


「大丈夫だ。それが邪なる力ではないことはわかっている。安心しろ」


「じゃ、じゃあ何……」


 まだこの人の目的が見えない。だからこそ恐怖に似た感情があった。


「貴殿は、昨日、王都のすぐそばに立つ巨大ゴーレムを破壊したのだ」


「え?」


「正確には、勇者がかけた氷結魔法を溶かし、その上で再び動き出したゴーレムを撃破したのだ。その右腕でな」


「な、な、な……」


 何やってんだよオレェェ!! 酔ってたからか? 酔ってたからなのか!? しかし、全く身に覚えがない。頭をかきむしっても無駄なだけだ。


「その圧倒的な力。すぐにでも我が騎士団に迎えたいと思ったのだが、昨日はブラックさんに止められしまってな。私もあの人には頭が上がらない」


 あの時ギルマスが言ってたのはこの事か! 確かに大変な事になった。


「ちなみに拒否権はない。もし断れば、貴殿を王国にあだなす者として、この場で討伐せねばならない」


「いや、さっき言ってたことと違うぞ!」


 騎士団長は息を吐く。その姿すら美しい。なるほど、これがシャンの言っていた美しき女騎士団長か。


「まだ、我々は貴殿のことをはかりかねているのだ。二人目の勇者か、それとも七体目の魔王か」


 その言葉には、冗談の雰囲気はない。今にも長剣を引き抜き、オレに斬りかからんとしている。そして、オレにはわかる。この人は強い。それこそ、魔王に比肩しうるくらいだ。そうやすやすと戦える相手ではない。


「わ、わかった。騎士団うんぬんは無理だが、オレはこの国に害なす人間じゃない」


「よし。では王城へついてきてもらおう。国王様が貴殿との謁見を望まれている」


 騎士団長の口調は厳しい。ベッドから出るように、その目で促してくる。


「団長、そろそろ」


 扉の外から声がかかった。


「うむ、今終わった。さあ、登城するぞ」


 有無を言わせぬ騎士団長についていく。外には、重そうな鎧を身にまとった長身の騎士と、へらへらと笑う小柄な金髪の騎士がいた。そして、その後ろにはギルマスと、シャンが心配そうに立っている。


「ギルマス……シャン……」


 二人には、大きな迷惑をかけてしまった。いい人達だったのに、本当に申し訳ない。


「リューシ! オレは、お前のこと信じてるからな!」


 しかし、彼は、まだオレの名前を呼んでくれた。その姿に涙が出そうになる。


「それではブラックさん、我々はこれで」


「はぁい。けど、その子、とってもいい子だから、手荒なことはしないであげてね」


「もちろんです」


 騎士団長がオレの前に、二人の騎士が背後に、それぞれ囲むようにして歩く。階下に降りると、そこに大勢の冒険者たちが集まっていた。皆が一様にオレを見つめている。酷く既視感のある光景だった。そのまとわりつくような視線を背中に感じながら、オレは王城への道を進んで行った。

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