勇者
そこは、二階の一番奥の部屋。薄っぺらい木の扉の向こうに、勇者がいる。しかし、その扉を開くことは、非常に困難だと思えた。
「超強力な氷結魔法で目張りされてるんだ」
その扉は、北極の氷河よりも分厚い氷で覆われていた。扉から壁まで強固に氷漬けにされており、二階に上がる前から冷気が漂ってくる。
「宮廷魔術師が五人がかりで三日かかってなんとか解除できる魔法よ」
「でも、飯は食ってるって……」
「その都度かけ直してるんだ。この魔力、疑いようもなく勇者様だぜ」
どうやら、あのポンコツはとんでもないチートを授けたようだ。ありったけと言っていたから、まだまだ知られざる力もあるのだろう。確かにこれなら六大魔王も倒すことが出来るはずだ。
「仕方ないか」
一息つく。もしかしたら噂になるかもしれないが、それくらいのリスクは負うべきだ。
「あんまり、驚かないで下さい」
右手を扉にかざす。凍りつきそうな程強力な冷気がオレを襲う。それを、
「せい!」
気合い一声とともに、
「なっ!?」
「わぉ!」
すると、分厚い氷が手をかざした所から溶けていく。ただ、オレがイメージしていたよりずっとそのスピードは遅い。やはり勇者だ。とんでもない力の持ち主だとわかる。扉の氷が完全に溶けきるまで、約一分。それでも後ろの二人には、驚愕すべき事態だったようだ。
「な、な!? なんだお前! 何をしたんだ!?」
「これは……。可愛いだけの坊やじゃないと思ってたけど、想像の遥か上ね」
ほう。では元S級冒険者というギルマスの力を推し量ってみよう。オレも人が悪い。
「具体的にはどのように?」
「襲われ慣れてる」
一拍すら置くことなく、ギルマスは言った。その重々しい一言は、確かに、オレ過去を見事に捉えていた。この人も、ただのオカマではない。
「マジかよ……! お前……」
比較的落ち着いているギルマスと違い、シャンはまだ驚きから抜け出せないでいた。もう慣れっこなのだが、正直気分の良いものではない。何故なら、ほとんどの人間は、その後必ず怯えるからだ。強過ぎる力は、恐怖の対象にしかならない。しかし、
「お前、すげぇ奴だったんだな!!」
シャンは笑顔でそう言うと、オレの背中を何度も強く叩いた。
「え、こ、怖くないのか?」
「ん、何がだよ? すげぇ奴はすげぇ! それだけじゃねぇか!」
またオレの背中を叩く。シャンの目には、本当に怯えの色など微塵もなく、人の良さそうな笑顔のままだ。
「んふ。うちのギルドには、力を賞賛こそすれ、怯える子達なんていないわ。だから、安心しなさいな」
そのゴツい腕を組みながら、優しく言うギルマスの言葉は、オレの心に水のように染み入った。
「そ、そか。そうなんだ……」
「さて、何かワケありのようだし、私達は退散しようかしら。シャンちゃん、下に戻るわよ」
「ええ!? オレだって勇者様に会ってみてぇよ!」
「だぁめ。エール奢ってあげるから、ついて来なさい」
「マジか! じゃあリューシ、後で来いよな。一緒に飲もうぜ!」
ギルマスに片手で引きずられながら、シャンも階下に下りていった。二人のそれぞれの言葉や反応は、オレにとっては凄く新鮮で、また、とても温かいものだった。
「さて、行くか!」
頬を両手で叩いて、気持ちを切り替える。今からのオレの行動が、この世界の未来を左右するのだ。
「どんな面してるんだろうな」
ポンコツは、女の子だと言っていた。初手でいきなり怯えられないよう、右手の手袋をもう一度引き上げる。小さく蝶番の音がして、扉がゆっくりと開いた。
部屋の中は真っ暗だった。部屋唯一の窓は、雨戸が閉められ、さらにその上から氷で覆われている。ごちゃごちゃと、足の踏み場もないほどゴミやオモチャが散乱していた。
「マジかよ……」
ただ、驚くべきことは、他にいくつもあった。まず、暗い部屋をチカチカと照らす白い光の元は、薄型のテレビ。ブルーレイも搭載されている新しいタイプのものだ。部屋の隅の棚という棚を埋めつくすのはコミック。超有名ゴム人間コミックが全巻揃っていた。さらに、空いたスペースには所狭しとフィギュアが並び立つ。可愛いらしい女の子のフィギュアばかりだが、テレビの光に怪しく照らされて、その張り付いた笑顔もどこかホラーだ。
「マジかよ……」
もう一度呟いてしまう。大して娯楽のない異世界で、どうして二年間も引きこもってられるのか不思議だったのだが、こういうことだったのか。
「どちら様でござる?」
その時、ひどくしゃがれた声が、オレを捉えた。声のした方を振り向いてみると、
「ぶっ!?」
ミノムシがいた。いや、正しくは毒虫か? それは、「マミー型」と呼ばれる頭まですっぽり収まることの出来る寝袋に入った女だった。しかも、その側面や下部から手脚を出しており、本当に巨大な毒虫にしか見えない。
「この部屋に入ってこれる人間はかなり少ないでござる。何用か?」
良く見ると、綺麗な顔をした女、いや、女の子だった。寝袋の隙間から綺麗な黒髪が見える。長さからしてショートカットだろう。子供っぽい大きな瞳が、真っ直ぐにオレを見つめている。しかし、その左目を覆い隠す眼帯が邪魔だった。
「ユニコっていうポンコツ女神を知ってるか?」
「む……」
それだけで、こいつには伝わったようだ。
「なるほど。お主もディメンションブレイカーでござるか。同志ならば邪険にはせぬ。そこに座られよ」
「どこにだよ」
「ホラ、こうしてどけるでござる」
勇者は乱暴に足でゴミを蹴りつけて、スペースを作った。 オレも真似をしてやっと座れる場所を確保する。
「お茶などない。コーラとポテチで我慢されよ」
「いや、十分じゃねぇか」
二リットルのコーラと袋の空いたポテチがオレの前に置かれる。
「さて、また同じ質問に戻るでござる。何用か?」
「更生して欲しい」
簡潔に言う。
「そして、六大魔王を倒して欲しい。お前なら出来るはずだ」
「はぁ……」
しかし、勇者は深く深くため息をついた。首を左右に振る。
「またそれでござるか。まったく、口を開けば魔王、魔王と……。皆失礼にござるよ」
「はぁ? 何がだよ?」
「我が輩は、勇者ではござらん」
いや、意味が分からない。こいつは何を言っている?
「もちろん勇者ではある。しかし、それは属性であり真名ではない。最も重要なアイデンティティを完無視でただただ仕事をしろ、というのはいささか無礼にござらんか?」
「う……」
ポテチを口に含みながら話す勇者の言葉には、説得力があった。確かに、お互い名前も知らずにいきなり重要な話は出来ない。
「そうだな、悪かった。オレの名前は……」
「
唐突に、しかも平然と勇者は言った。
「なに?」
「今、お主、いや、我が輩達のいた世界は大騒ぎでござるよ。世界最強の男の神隠しのような失踪。まあ、話題にならぬ方がおかしい」
勇者はなんと、手元からノートパソコンを取り出して、オレにぐいと見せつける。そこのヤホーのニュース欄は、全てオレに関する記事で埋まっていた。
「お主は有名人でござったし、見た瞬間ピンときたでござる。さしずめあのポンコツがお主の力に目をつけたでござるな?」
「そうだ」
意外と頭が回る娘だ。だが、ござる口調が大変鬱陶しい。
「じゃあ、オレの名前が知れたところで、お前の名前を教えてくれよ」
「薫、
「牧村薫はどこに行ったんだよ」
「全て、我が輩の大切なソウルネームでござる。ちなみに、この名でツブヤイッターでフォロワー三万人を集めて……」
「もういい。わかったから」
今度はスマフォを取り出す牧村にうんざりして話を遮る。ダメだ。こいつに付き合っていると、事態が前に進まない。
「お前だって納得して異世界に来たはずだ。それで仕事をしないって言うのはルール違反じゃないのか?」
しかし、牧村はまたやれやれと首を振る。
「あのような異様な空間にいきなり連れて行かれれば、イエスマン、いや、イエスウーマン、いやいや、キングオブイエスにならざるを得ないでござるよ。それに、我が輩は見ての通りコミュ障のニートでござる」
そうは言うが、初対面のオレにペラペラと淀みなく話すこいつは、到底コミュ障には見えない。
「じゃあ、この部屋の最新機器や、お菓子、オモチャはなんだ?」
突然、家のインターホンのような音が鳴った。せっかくこれから重要な話に入っていくはずだったのに、肩透かしだ。
「え?」
「ああ、ちょっと失礼」
そう言うと、牧村は立ち上がり、木の扉を開けた。すると、
「あー牧村薫さんのお名前でお届け物です。ご本人様ですか?」
「いかにも」
「じゃ、ここにサインかハンコを」
「了解したでござる」
「はい。確かに。ありがとうございました」
「うむ。お仕事お疲れ様でござる」
「おい! ちょっと待て!」
「待つのはお主だ。この限定版フィギュアの完成度を、今すぐ確認したいでござる」
「黙れ!」
怒鳴ってしまった。しかし、牧村はこたえた様子もない。
「何でござるか、うるさいなぁ」
「それはこっちのセリフだ! 何で白猫ヤマトがいるんだよ!」
「我が輩は異世界転移魔法が使えるでござる。はい終わり。さて、丁寧に開封の儀と行こうか……!」
本当にありとあらゆるチートが与えられていた。あまりのことに頭を抱えてしまう。これは最早やりすぎのレベルだ。
「だが、我が輩があのポンコツに頼んだのは、ネット環境と通販のみでござる。他のことは知らん」
ポンコツレイヤー女神に、人を見る目が皆無であることがわかった。だが一つ、こいつの心を表した行動がある。
「じゃあ、何で巨大ゴーレムを倒したんだ?」
おそらく、こいつにとっては何の得にもならない行為のはずだ。
「まあ、この街がなくなっては、流石に困るでござるからな。苦渋の決断であった」
「今、この世界全体がそうなってんだよ」
取り出した美少女フィギュアに目を輝かせる牧村を見ながら話す。
「いや、それはもうない」
「なに?」
「
「う……」
実際、もう一人倒してるしな。
「だが、魔王は勇者が倒さないと意味ないんだよ!」
「それは、この世界と女神の都合でござる」
コーラをラッパ飲みする牧村は、オレを相手にもしない。
「おそらく、勇者を平和の象徴として、人々に安心を授けたいのでござろうが、そんな事、我が輩の知った事ではないでござる」
「お前な……」
イライラしてきた。膝を強く握り締める。
「出来る力があるんだ! 助けてやっても良いだろう!?」
「……やはり、
しかし、牧村は少し残念そうに呟く。
「これを見よ。お主が異世界転移してからの、向こうの世界の犯罪件数でござる」
「だから何だ」
示されたパソコンのグラフは、転移前より転移後の方が微増していた。
「お主は強力な犯罪抑止力だったということでござる」
「いや、そんなの誤差の範疇じゃねぇか」
確かにグラフは増加していたが、その差は微々たるものだった。
「わかっておらぬな。これは、お主がいなくなってから、わずか十日ばかりの数字でござるよ」
牧村はオレに指を突きつける。
「わずか十日でこの増加量、おそらく一年後には、三倍に増えると予想されているでござる」
「な!?」
「ネットの反応も、お主がいなくなってよかった、よりも、それを困る声の方が多い」
その言葉とデータに、不覚にもオレは少し嬉しくなってしまった。しかし、
「しかし、その二つの意見と共に、少しずつ増えているのが、責任を果たさず逃げたお主を責める声でござる」
開示された現実に、オレの心が一瞬で冷えた。
「わかったでござるか?民衆と言うのは常に勝手で横暴。そして、それを一身に受けるお主は、生まれながらのヒーローということでござる」
「だから、何だよ」
「その、誰かも知らない世間を助けてあげたい、などど考えられるヒーロー様と、ただの引きこもりの我が輩を同じ土俵にあげないで欲しい」
それは、酷く悲しい声だった。
「我が輩は、そんなヒーローになる勇気はないでござる」
何も、言えなくなってしまった。オレは、オレの存在と立場、そして、この牧村という娘のことを、まるで理解していなかった。
「帰って欲しい」
その一言で、オレは部屋の外に出た。放心状態の背後で、その扉は、またさっきと同じように、強固な氷の壁となっていく。それは、オレと牧村の間に隔たる壁のようにも思えた。心が凍りついて苦しいのは、きっと冷気のせいではない。
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