別れと王城


 その後も馬車の旅は快調だった。二頭の首なし馬は、文句を言うことなく草原を駆け、勤勉にオレ達を運んでくれる。


「さて、ここからは魔界アイドルレヴィアの領地になる。もしものことに備えておけ。リュカ、君はちゃんと隠れているように」


 御者台に腰掛けるリーリが振り返って言う。なんだかおかしな単語が聞こえてきたが、オレはツッコムまいと固く口を閉じる。


「む。早速だ。気を引き締めろ」


 すると、前方に煙を上げる集団があった。もうもうと立ち込めるそれで、随分と大所帯なことがわかる。少しずつ馬車がそれに近づいていく。


「おや、お主ら、レヴィアたんの領地に何用でござる?」


 そいつらは、見た目完全に人間だった。と言うより、本当に人間のようだった。青いズボンにチェックの縞模様のシャツをインし、黒い大きな袋を背負っている。額に巻かれたハチマキには、「ラブ・レヴィアたん」と赤い文字で書き込まれていた。全員が揃いの格好をしている姿が異様である。


「いや、人間界に用があるだけだ。この領地に何かしら干渉するつもりは一切ない」


 そんな彼らに怯えることなく、リーリが毅然とした態度で対応する。


「そうでござるか。では道中気をつけて。ヤバそうな魔族はあらかた討伐しているでござるが、もしものこともあるでござる」


「了解した。ご忠告感謝する」


 リーリが手綱を引き、そいつらと別れる。特に面倒な事は何も起きなかった。


「おい、あいつら皆人間だろ? なんで魔界にいるんだ?」


 まだ境界までは距離がある。オレにとっては、彼らは極めて不思議な集団だった。


「奴らは、レヴィア親衛隊と呼ばれる超武闘派集団だ」


「親衛隊?」


「レヴィア様のすごい所は」


 リュカも話に入ってくる。


「魔族も人間も、分け隔てなく接することでございます。ファンとも呼称される彼らは、有事の際は一糸乱れぬ統制で動くのです」


「一糸乱れぬ……。だがどう見ても武闘派らしくないぞ」


 秋葉原でたむろしてそうな連中だ。


「まあ、奴らの恐ろしさはレヴィアの独唱会でこそ真価を発揮するからな。ほら、感じないか? 奴らの軍事演習が始まったようだ」


 リーリに言われ、馬車の後ろから通り過ぎた道を振り返る。そこには、


「はい右右左左!! もっと高く腕上げろぉ!! ほらそこ! 振りが崩れてるでござる!!」


『うおおお!! レヴィアたーん!!』


「はいそこで魂込めて声上げろぉ!!」


『ウィー・ラブ・レヴィア!!』


 そこには、サイリウムのような棒を激しく振り回し、完璧な動きで踊り狂う男達の姿があった。まさしく一糸乱れぬ動きで身体を動かしている。奴らの汗と熱気で、上空に雲が出来ている。


「あれがレヴィア親衛隊の恐るべき闘気だ」


「いやあれオタ芸って言うんだぜ!?」


 真面目に言うリーリにツッコんでしまう。魔界、いや、異世界にも腐っている奴らはいるようだ。


「魔界、人間界合わせて十万の軍勢を率いる魔界アイドルレヴィア……。魔王様の大きな障害の一つだな」


 あまりに真剣に話すリーリに、呆れるやら困るやらで、オレはもう何も言うことが出来なかった。







 その後、二日間の野宿を挟んで、とうとう魔界と人間界の境界に到着した。これと言って危険な事もなく、強いて言うならば、リュカがオレのすぐそばで寝ようとしたことくらいだ。リーリがハルバードを召喚する事態にまで発展した。結局、オレが焚き火から一番遠い場所で寝ると言うことで話がついた。


「さあ、着いたぞ。ここからは一人で行け」


「わかってるよ」


 馬車が停まったのは、特に何の変哲も無い平原だった。境界と言っても関門があるわけでも、壁があるわけでもない。少し拍子抜けだ。


「何も、ねぇな。もっと魔王軍と人間軍がバチバチやりあってるのかと思ってたけど」


「軍神ルシアル領地の接する境界はそうだ。常に一触即発の状態で、両軍が昼夜を問わず睨み合っている」


「ですが、ここはレヴィア様の領地ですから。活発ではありませんが、貿易も行われてますよ」


「へぇ、なるほど。まあ、そっちのがありがたいか。じゃあ行ってくるよ」


 手を振って歩き出そうとしたら、リーリに呼び止められた。


「待て。いつ頃帰ってくるのだ。それくらいは伝えておいてもらわないと困る」


 ああそうか。こいつらここに滞在するんだったな。しかし、この辺りにゆっくり出来そうな場所はない。まさか、これからずっと野宿なのか?


「一日馬車を進ませた所に、貿易拠点になっている村があります。わたくし達はそこに泊まりますよ」


「そうか」


 オレの目つきだけで言いたいことを理解してくれた。話が早い。だが、どれくらい時間がかかるかと言われても、正直なところ、わからないとしか答えようがない。


「おい、ここから大きな人間の街まで歩いてどれくらいだ?」


「馬車なら二日、歩きなら四日だ」


 思ったよりかかるな。オレに馬車は使えないし。往復も含めると、


「十日だ。十日後、またここに戻ってくる」


「十日だな」


 それだけ言うと、リーリは馬車の点検をし始めた。もう話すこともないと言うことだろう。


「エドガーさま」


 リュカがオレを見つめながら、まっすぐに言う。


「私は、エドガーさまがきっと帰って来てくださると信じて待ってます。どうか、どうかお気をつけて」


「ああ」


 待たれているなら、帰って来るしかない。もしやこれも魔王の企みか。いや、無粋な勘ぐりは止めよう。これはきっとリュカの意思だ。


「リュカも気をつけて」


 リュカをきちんと正面から見つめて、別れの言葉を口にした。こうして、オレの魔界での暮らしは、一旦終わりを迎えた。







 人間界の道を歩いていく。ひとまず馬車が通った跡があったので、それを辿る。少し驚いたのは、境界を一歩またぐと木々や草花、流れてくる風にいたってまで、違いがあったことだ。魔界の殺伐とした雰囲気はなく、本当に平和そのものだ。もう、リュカ達の姿も見えなくなっていた。そろそろかな。


「おい、女神。ポンコツ女神。人間界に着いたぞ」


 頭の中で女神に呼びかける。以前はこれで女神と交信出来た。


『は、ふぁい! 何でしょうか!』


 そして、すぐに女神の声が響いてきた。ただ、なんか咀嚼音がする。


「何か食ってる?」


『あ、はい。お昼のカップラーメンを……』


「カップラーメンて」


 女神なんだから、もっと瑞々しい果物とか食ってろよ。本当にこいつは。


『な、何ですか! 女神だって金欠の時もありますよ!』


 しかも理由か金欠かよ。女神も給料とかもらってるのかな。いや、そんなことはどうでもいい。もっと大事なことがある。


「人間界に着いた。街の、勇者のいる所まで案内してくれよ」


『わかりました。では空間転移魔法を使いますね』


「待て」


『っ? どうかしましたか?』


 確認しときたいことがいくつかあった。


「勇者ってのはどんな所に住んでるんだ。ちょっと情報が欲しい」


『ああ、そうですね。わかりました。勇者は、現在、王都と呼ばれる人間界で一番大きな街に住んでいます』


「王都ねぇ」


『はい。もちろん王様もいますし、人間側の最高戦力である暁の騎士団や、宮廷魔術師なとがいます」


 なんだそいつら。ちょっとかっこいいな。


『そこの老舗冒険者ギルド、黒猫亭に行って下さい。勇者に会えるはずです』


「黒猫亭だな。わかった」


『あ、それと! こんな事言いたくはありませんが、その龍王の右腕ドラゴン・アームは隠しておいて下さいね。魔族に間違われてしまう可能性があります』


「大丈夫だ。抜かりねぇよ」


 オレは黒の長袖の服の下に、長い黒手袋をしていた。昔からそうしていたため、こっちの方がしっくりくるくらいだ。あと、女神もオレのことを気にかけてくれているようで、少し照れくさい。


『では、転移させますね』


「今度はちゃんとしてくれよ」


『だ、大丈夫、だと思います』


 確信はないのか。一気に不安になるが、四日歩くのは流石にダルい。迷ってしまう可能性だってある。


『行っきますよー!』


 すると、オレの身体が淡い光に包まれ出す。足元には複雑な円陣が現れている。オレは目を瞑る。数秒ののち再度その目を開くと、そこは、深い深い森の中だった。鬱蒼と生い茂る巨大な木々に、不気味な動物の鳴き声。枝葉に陽光が遮られて、昼間だと言うのに周囲は薄暗い。え?ここが王都?


『すみません! 間違えて魔族の森に送っちゃいました!』


「期待を裏切らねぇなお前は!」


『つ、次こそはちゃんと送りますから!』


 全く信用できねぇ。本当にポンコツだなこいつは。そりゃ人間界も危機に陥るわ。再びまぶたを下ろす。すると、静かな風が髪を揺らした。それは爽やかな風。オレの肌を撫でるそれには、人間の温かみや声が混じっている。目を開けると、


「到着、したみたいだな」


 オレが立つのは小さな街道の中央。そこからは小高い丘の上にそびえる王城が見えた。白く美しいそれは、幾重にも張り巡らされた頑丈そうな城壁に守られている。その壁には、幾度の厳しい戦争を戦い抜いてきた迫力さえ感じられる。

 城を中心として円形状に広がるのは、巨大な城下町。立ち並ぶ家々に、市馬、宿泊所、教会。遠目にも町が明るく栄えていることがわかる。城下の中央を流れるおおきな川の周りには、訓練中の騎士団や、川遊びをする子供たちがいる。もちろん、城下町も高く分厚い壁に囲まれていて、その外には行商人風の連中が列をつくり、関門の通行許可を待っていた。


「思ってたよりでかいな。それにずっと栄えてる」


 人々の笑い声がここまで聞こえてくるようだ。この街に勇者が住んでいる。そして引きこもっている。なんとかそれを引きずり出し、魔王を倒してもらわないといけない。ここからが、本当のオレの使命だ。もう一度気持ちを引き締めるため、龍王の右腕ドラゴン・アームを強く握った。

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