人間界へ
朝の食卓は、心なしかピリピリしていた。広い食堂に食器の音だけが静かに響く。昨日の夕食は、非常に豪華で盛大なものだったが、今朝は随分質素だった。コーンスープのような冷たいスープと、少し堅めのブレッドのみ。ただ、それをスープにひたすと程よく柔らかくなって大変美味である。しかし、
「あの、オレの皿、小さすぎませんか……?」
子猫の牛乳皿だってもう一回りでかい。ちびりちびりとブレッドをひたしてきたが、その量があまりに少なすぎて、もうスープは空だ。それなのに、まだ半分ブレッドが余ってしまっている。向かいに座るリュカに、恐る恐るお伺いする。
「そうでしょうか。なにぶん
二色の異なる瞳でオレを睨みつける。童顔な彼女だが、えもいわれぬ迫力があった。
「うむ。リュカも母親に似てきたな」
上座の魔王が一人頷く。セルバスは直立したまま何も言わない。二人とも素知らぬ顔だ。
「はぁ」
しかし、リュカが深いため息をつくと、その剣呑な態度を緩めた。
「そうですね。まだ正式に婚約もしていないのに、私が怒るのは筋違いでございました」
その声は少し悲しそうで、何ともバツが悪くなる。
「セルバス。確かまだキッチンに蒸したお芋があったはずです。エドガーさまにお出しして下さい。それと、スープのお代わりも」
「かしこまりました」
一礼してセルバスがオレの皿にスープをよそってくれる。一仕事を済ませると、奥の扉から静かに退室していった。だが、その後すぐに戻ってきた。その手に載せた大きな盆にいくつものジャガイモが盛り付けられている。温かそうなチーズがかけられており、ただのジャガイモがとても美味しそうに見えた。皆が取りやすいように、食卓の中央に置かれる。
「食べていいの?」
「もちろんでございます」
芋は納豆、いや、名古屋コーチンと同じく、日本の物より一回りでかい。おそらく全ての食材がそうなのだろう。まず一番に魔王が手に取るのを待って、オレも芋に手を伸ばす。ほのかに熱を持ったそれは、チーズの香りと空腹も手伝って、非常に美味だった。。そうして、静かな朝食は、少しだけ穏やかさを取り戻して終了した。
食事の後、オレは魔王を探していた。早いとこ人間界に行って、勇者に会わないといけない。その話をするためである。本当は朝食の時に言おうと思っていたのだが、リュカの迫力に押されて切り出せなかった。ちなみに、壊れたベルトはセルバスに借りた。実は朝食時ずっとトランクスを晒したままだった。
魔王は例の玉座の間にいるだろうと適当に当たりをつけて、向かう。すると、また重厚な扉の前に立った時、中から声が聞こえてきた。
「お考え直し下さい! 魔王様! あの者は不埒な変態です!」
リーリが魔王の決定に異議を唱えていた。まあ、予想できたことだし、その方がオレにとっては都合がいい。
「失礼します」
えいやと重い扉を開けて、室内に足を踏み入れる。玉座の間にはやはり、執事服を着たリーリと玉座に座る魔王がいた。
「おお、婿殿。何か用かな」
「あんな奴婿ではありません!」
リーリが叫ぶ。オレを嫌悪の目で指差す。
「こいつは変態です! そんな男に愛娘を嫁がせるのですか!」
「そうは言うがリーリよ。男とは個人差はあれど皆少なからず変態だ。多少のことは目をつむらないといけないぞ!」
「こいつは度が過ぎています! あとそんな話は聞きたくありません!」
二人の話し合いはどうやら平行線だ。と言うより、魔王がのらりくらりとかわしている。なので、リーリの話を横から遮って、オレの要件を伝える。
「魔王様。オレは人間界に戻ろうと思ってます」
「ほう。それはまた何故?」
ここからは、オレの演技にかかっている。
「故郷に残してきた家族もいます。早くオレの無事を知らせてあげたいのです」
「ふむ」
魔王がその見事な髭を撫でる。少しだけオレを値踏みするような視線をよこしたが、すぐにそらした。そしてしばらく考えこむ。
「うむ。まあ良いだろう」
よし。そしてここからは女神の立てた計画だ。
「それと」
「む?」
一息吸い込んで、魔王の目をみる。
「オレは、ここに転移魔法でやってきました。なので人間界への帰り道がわかりません。地図などもらえると嬉しいのですが」
嘘と本当のことをごちゃ混ぜにして、話に真実味を持たせる。ポンコツ女神にしては冴えたやり方だ。
「なるほど。了解した。では、そこのリーリを案内人につけようではないか」
「え?」
「なっ!?」
「そ、それはちょっと……」
それは、オレにとっても、リーリにとっても、あまり嬉しい展開ではない。二人で猛烈に反対する。
「こ、こんな奴と人間界まで……? 耐えられません!」
「そうっすよ。案内人なら別の魔族に……」
「いや、二人の仲が悪いことはわかった。ならば親睦を深めてもらおう。いつか正式に婿殿を迎え入れた時、リーリは彼にも仕えて貰わねば困るしな」
「なっ……!? そんな……」
リーリが面白いくらいに絶望したのがわかる。こいつのことは好きではないが、少し不憫だと思った。
「さあ、旅の支度をしなさい。今日中に出発すれば、三日後には境界に着けるだろう。リーリはそこで、また婿殿が帰ってくるまで待つように」
そして、ちゃっかりオレが帰還せねばならないように手を回された。流石は魔王。上手いことやるもんだ。
それから数分後、あまりのことにちょっと放心しているリーリとオレは、二人で扉の前で立っていた。その横顔を見つめる。オレはもう割り切れたので、今回の旅の同伴に異論はない。
「まあ、よろしく頼むよ。仕事ってのは時として、嫌なことでもやらないといけないんだぜ」
「貴様などに言われなくても、わかっている……」
完全に元気が無くなっていた。耳が垂れ下がってしまっている。しかし、その声には諦観が色濃く含まれていた。リーリは両手で頭をかきむしったあと、その顔を上げた。
「……私は馬車を用意してくる。貴様は必要な物を持って玄関前にこい」
「おうよ」
歩きじゃないのか。それはありがたい。馬車なんて初めて乗るので、少し楽しみだ。もうすでにオレの部屋となった寝室に戻る。身一つでこの世界にやって来たので、必要な物など特にない。それだけを確認して、玄関へと向かう。するとそこには、もう馬車が用意されていた。
「早いな。何も持っていないようだが、それで良いのか?」
「ああ。男の一人旅なんてそんなもんだよ」
「ふん。とっとと乗れ」
白い布の屋根がついた荷台に乗り込む。オレ達を運ぶ馬は二頭。ただそのどちらも首から上がなかった。
「じゃあ行くぞ」
リーリが御者台に座り、手綱を握る。ハアッとカッコいい声で馬車が発進した。
どれくらい走っただろうか。時折激しく揺れる馬車から、魔界の不思議な動植物が見える。なので全然飽きはこなかった。すると、大きな木の下に、髪が緑色の女の魔族を見つけた。花やツタをその身に生やしている。
「おい、あれは何だ」
リーリはチラと視線だけをそちらに向ける。
「ドリヤードだ。道行く人間に話しかけ、その美しい姿と飛散させる花粉で引き止める。そして腐らせて殺す。そのあと養分にする」
「あ、はい……」
魔界に人間などほぼいないだろう。だが、あえて人間を例に挙げる所に、内に秘めた悪意を感じる。すると、今度は馬車の後ろから、錆びた剣を持った骨だけの魔族が何体か追いかけてきていた。
「あれは?」
今度は振り向きもせず答えるリーリ。
「スケルトンだ。知能は低いが、集団で人間を襲い、殺す。そして骨だけになった人間もまた、スケルトンになる」
「そ、そうか」
感じる。ほとばしる悪意をひしひしと。今度は進行方向右手に、これまた緑色の、鼻のでかい三頭身の魔族が群れを成していた。
「お、あれは知ってる。ゴブリンだろ」
リーリは淡々と答える。
「そうだ。こいつらも集団で人間を襲って殺す。魔界のどこにでもいる低級魔族だ」
もう我慢出来なかった。
「お前なぁ! その殺すシリーズやめろ! あともう少し悪意を隠せよ!」
こっちが少しでも雰囲気を和らげようと下手に出てたらつけあがりやがって。しかし、オレの怒りにもこたえた様子はなく、鼻をならす。
「フン。ここは魔界だ。そこに住む生物が人間に害をなすのは当然だろう。愚か者め」
この女、背後から飛び蹴りしてやろうか。その後も、険悪な空気は変わらないまま、ただ時間だけが過ぎて行った。
魔界の風景は、相変わらずオレの目を楽しませたが、その手の知識が少ないので、面白みが半減する。だがリーリに聞くのも嫌だ。すると、馬車が小さな川の近くで停止した。首から上がない馬がいななく。いや、どこから声出してんだよ。
「休憩だ。昼食にしよう」
リーリが、木のバケツを持って御者台から下りた。川から水を汲んできて、馬に与える。いや、だからどこから飲んでるんだよ。
「メシは何だ」
「麦パンとか干し肉とか。あとは日持ちする野菜だ。そこの木箱に入ってるから勝手に食べろ」
「お前は?」
「私はいらない」
あっそ。何とも飯が不味くなる会話だ。リーリの顔を見ないように背を向けて、木箱の蓋を開ける。
「…………」
その中身を見て、驚きのあまり無言になってしまった。静かに蓋を閉めて頭を抱える。
「どうした? 食べないのか?」
馬の背中を撫でていたリーリがよってくる。一応気にかけてはくれてるみたいだ。
「いやまあ、何というか。覗いてみろよ」
再び蓋を外す。リーリがそれを不審げに覗きこむ。そして、
「……なっ!?」
あまりのことに、リーリも二の句が告げない。そう、箱の中身は食料などではなかった。それは、
「スゥ……スゥ……」
安らかな寝息を小さく立てながら眠る、リュカが収まっていた。
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