決闘


 その夜、オレはまた女神と通信していた。この世界の事情が、あらかじめオレが聞いていたこととまるで違ったからだ。


『ああ、それはですね』


 オレは自分のベッドに寝転びながら、頭の中に響く声に集中する。今夜も赤と青の月が美しかった。


『雷神卿アスモディアラも、知の魔女王マミンも、魔界の数少ない穏健派だからです』


 ごろりと寝返りを打つ。穏健派、か。


『その二体は、人間界への侵攻は頭にありません。しかし、他の四体は違います。常に人間界を我が物にせんと画策しているのです。そして、それが基本的な魔界の総意なのです』


「つまり、今日オレが聞いた話は、かなり少数派の意見ってことか」


 その通り。女神は良く出来た生徒を褒めるような声で肯定する。


『憤怒の王サタニキア、剣鬼ベルゼヴィード、魔界アイドルレヴィア、軍神ルシアル。もちろん、それぞれ思惑や最終目標は多少異なりますが、根本的には人間界征服と考えて良いでしょう』


 なんか明らかに変なのが混じっていたが、あえて今はツッコムまい。


「わかった。オレも明日には魔王に話して人間界に行くつもりだ。それで良いだろ?」


『はい。よろしくお願いします』


 そう言って、通信が途切れた。これがどういう理屈なのかはわからないが、その気になればいつでも女神と連絡が取れるのは心強い。そう思うことにする。

 腕を頭の後ろに回して考える。月を横目に仰向けになっていた。オレはまだ魔界のことは何も知らない。人間界ですらさっぱりだ。行動は慎重にしなければ。不気味で美しい月明かりに左手をかざして、眠りについた。






 何やら外が騒がしい。ふかふかのベッドですっかり安眠してしまっているオレは、その音で目を覚ました。窓の外はまだ陽も上がっていない。今感じたが、時計がないのはかなり不便だ。この世界に時計という概念はないのだろうか。


「離せ! 私は……そいつに……!」


「なんだようっさいな」


 廊下から誰か揉み合うような声が聞こえてくる。それが聞いたことのない声で、何やらただ事ではない雰囲気だ。そして、オレの寝室の扉が、壊れそうな勢いで激しく蹴り開けられた。


「人間……! ここにいたのか!!」


「リーリ、ダメ! やめて!!」


 それは、制止しようとするリュカを腰にぶら下げる、長髪の男だった。黒い髪を頭の左側で一つにまとめている。随分端正な顔立ちで、気の強そうな青い瞳がオレを睨みつける。


「貴様が私のリュカをたぶらかした人間だな! 許さないぞ!!」


 カツカツとブーツを鳴らしながら、オレのベッドに詰め寄ってくる。よく見ると、セルバスと同じ執事服だった。黒いズボンにベストをきっちりと折り目正しく着用している。


「あぁん? 誰だてめぇ?」


 寝起きなので、オレの態度が多少悪いのはご愛嬌である。


「私はリーリ! 貴様などよりも、ずっとリュカを愛している者だ!」


「リーリ! ダメだってば!」


 リュカがぶら下がったまま叫ぶ。即理解した。こいつは魔王が言っていた、数多いるリュカへの求婚者の一人だろう。

 見た目はリュカと同様ほとんど人間だが、頭部にピョコリと生えた獣耳が、こいつが魔族であることをささやかにアピールしている。


「私のいない間にとんだ油虫がついたものだ!」


 激怒しているそいつはチッと舌打ちする。


「やめてリーリ! エドガーさまに酷いこと言わないで!」


「リュカ! 君と魔王様は騙されているんだ! 人間などゲスで下等で醜くて、汚くてみみっちくて下等な生き物だ。目を覚ませ!」


「そ、そんな……エドガーさまはそんなお方じゃ……」


「おい」


 オレの低い声が、リーリと呼ばれる男を捉える。


「誰が下等生物だ。こっちが大人しくしてりゃ好き放題言いやがって」


「本当のことだ。このウジ虫め!」


 どうやらこいつは、酷く人間嫌いの魔族らしい。露骨なまでの鋭利な敵意を向けてくる。


「うるせぇロリコンが! 人が気持ち良く寝てるとこ邪魔しやがって!」


「だ、誰がロリコンだ! それに、リュカはロリじゃない! ちょっと顔が幼くて、背が低くて、胸が小さいだけだ!」


「それをロリって言うんだよ!」


「な、何故わたくしに流れ弾が……」


 一人落ち込むリュカを差し置いて、オレとリーリの舌戦は続く。


「くぅ! やはり人間など……! リュカ、今すぐ考え直せ!」


「ちょっとその通りだが、お前に言われると腹立つんだよ!」


 夜の寝室に火花が散る。睨み合いはいつしかただのガンの付け合いに変化していった。その結果は、


「決闘だ! 今すぐ中庭に出ろ! ウジ虫め!」


「上等だ! あとで泣くんじゃねぇぞ!」


 やはり魔族と人間は相容れないものかもしれない。肩をガシガシぶつけ合いながら、オレ達は中庭に出た。






 空は少しずつ白み始めている。それが東なのかはわからない。中庭で噴水を挟んでオレとリーリが対峙する。リーリが黒いタイを片手で緩めた。


「後悔するなよ!」


「どっちがだ。いいのか? オレは魔王を倒した男だぞ?」


 ちょっと自信がついていた。


「ふん。どうせ何か姑息な手を使ったのだろう。許しがたいな」


 リーリは余裕の表情でオレをせせら笑う。そして、二人の中間地点でオロオロするリュカに、着ていた上着をかける。


「まだ冷える。病気になっては困るからね」


「あ、ありがとう」


「見ててくれ。私は必ず君をあの野蛮人の魔の手から救い出して見せる」


 片膝を立てて跪き、リュカの細い手の甲にキスをした。何てキザな野郎だ。


「魔界三叉槍の跡を継ぐ者として、私は貴様を倒す!」


 スッと立ち上がり、オレを一睨みすると、何やら小さく呟き始めた。


「藍色の一閃・勇ましき猛獣・曇天の雷・来たれ、覚醒の神槍アイツェルン!!」


 それはおそらく魔法の詠唱というやつなのだろう。異世界人のオレの目から見ても、やつの右手に力が集約されていくのがわかる。複雑怪奇な文字が刻まれた六芒星の魔法陣が光り輝く。そこから生成されたのは、巨大なハルバードだった。


「今更謝っても遅いぞ!」


 斧部は蒼い炎を纏っており、頂端は妖しく煌めいている。普通の武器ではないことは明白だ。


「オレはムカつく奴は、教師だろうが上司だろうが謝らねぇ。例えオレに非があったとしてもだ!」


「そ、それは謝った方が良いのでは……」


「ほざけぇ!」


 リーリが一足でオレとの間合いを詰めてきた。うぉ、何か合図とかないのかよ! 槍の穂先がオレの顔面めがけて迫り来る。それを首振りでかわした。が、かわしきれなかったか頬に小さな赤い線が走る。流れてくる血を舐めとる暇もなく、振り払われたそれをしゃがんでかわす。しかし、そのまま斧部が雷の如く叩き下ろされる。なんとか後ろに飛んで回避した。


「くそ! ちょこまかと……!」


 完全に殺す気で攻撃してきていた。ハァと少し一息ついた。すると、


「あっ!」


「うおっ!」


「なっ!?」


 オレの腰のベルトが弾けて、壊れた。自然とズボンが下に落ちる。安物のトランクスがこんにちはした。


「ふん、中々やるじゃねぇか」


 しょうがないのでカッコつけてみる。


「きゃあ!!」


 リュカが赤くなって両目を覆う。ふむ。パンツが恥ずかしいという概念は魔界にもあるみたいだ。


「どうした。オレはまだまだ闘えるぞ?」


 もう使い物にならないズボンを脱ぎ捨てる。リーリはと言えば、ハルバードを地面に突き立てて震えていた。


「こ、この、破廉恥漢め! 場をわきまえろ!」


「誰のせいだと思ってるんだ!」


 リーリは真っ赤になった顔で、再びハルバードを構え直す。


「こ、こんな変態にリュカは絶対にやれん! 覚悟しろ!」


 ハルバードを地面と水平に、両手で突き出すように構える。


「アイツェルン! 真の姿を呼び起せ!」


 リーリがそう叫ぶと、ハルバードが震えだす。それが徐々に膨らんでいき、巨大な青と黒の縞模様の虎に変化した。長く鋭い二本の牙から、唾液が滴り落ちる。


「この槍の全力で貴様を倒す!」


「いや、それは槍とは言えねぇ」


 もはやただの猛獣である。


「ぬかせ! 行け、アイツェルン!」


 猛虎がオレに襲い来る。オレはそれを、


「どりゃあ!」


 龍王の右腕ドラゴン・アームで殴りつけた。緑色の鱗を纏った拳が、虎の鼻先に直撃する。その威力は当然圧倒的で、オレの何倍もでかい虎を吹き飛ばす。


「なっ!?」


 虎はそのままリーリのすぐそばを通り過ぎ、背後の屋敷の壁に激突した。白い煙を上げながら、虎が元のハルバードへと戻る。


「さあ、お仕置きの時間だ」


 龍王の右腕ドラゴン・アームを鳴らしながら、ゆっくりとリーリに近づく。


「くっ! アイツェルン!」


 しかし、リーリが手をかざして叫ぶと、ハルバードが彼の手元に戻った。


「まだやる気か?」


「当然だ!」


 ああ、そうかよ。


 オレのその一言は、リーリの懐から響いた。鋭く左足を踏み込み、下から打ち上げる右拳。


「ぐ、あぁ!?」


 何とか反応したリーリのハルバードの柄で防がれるも、その力は弱まらない。長く尖った爪が、リーリの胸元を切り裂きながら、走り抜ける。かすっただけだが、その破壊力は絶大。虎と同様にリーリも吹き飛ばす。それが屋敷の壁の手前で、芝生をえぐりながら止まった。


「エドガーさま!」


 このタイミングでリュカが叫ぶ。もうオレのトランクスにも恥ずかしがっていない。


「大丈夫。オレは油断しない」


 サムズアップして再びリーリに向き直る。奴はまだ動いていた。バッと立ち上がり、何故か破れた服の胸元を隠す。


「ん?」


 そこには、オレの予想を飛び越えていくものが見えた。


「た、谷間?」


 それは、朝焼けのオレンジ色の中、一際白く光る肌。服の下、グルグルと巻かれたのは包帯かサラシか。千々に千切れたそれが、はらりと芝生に落ちる。


「も、もしかして、お前……」


 リーリは両手で胸元を抑えながら、目元には涙をためていた。


「き、貴様、本当に許さない……!」


「女……なのか?」


「それが何だ!」


 リーリは立ち上がり叫ぶ。おそらくは魔法で、左手を光らせながら、破れた服を繕っていく。心なしか、その胸元は膨らんでいるように見えた。


「い、いや、お前だって……リュカのこと愛してるとか何とか……」


「当然だ! 私とリュカは生まれた時からずっと一緒だったんだ! 貴様なんかには渡さない! 絶対に!」


 半分に折れたハルバードを、気丈にも右手で構え直す。


「エドガーさま、リーリは私の友達でございます!」


 リュカが再び拳を握って叫ぶ。


「うぉおお!」


 その声を聞いたか聞かずか、リーリがオレに突進してきた。斧部を上から打ち下ろす。それをオレは龍王の右腕ドラゴン・アームで叩き折った。そして、そのまま腹部に掌底をかます。


「う、あ……! ゲホッゴホッ!!」


 その場に膝をついて、リーリは激しくむせる。その口の端からは、少し血が溢れていた。


「う、この……」


 まだかかってくるかと思った。すっと右手を前に突き出す。しかし、リーリは立ち上がらず、


「う、う、うわぁー!」


 突然泣き始めた。


「リュカは、リュカは私の友達なんだ! 貴様なんかに、貴様なんかに、絶対渡さない!」


 一目をはばかることなく、わんわん泣きわめく。まるで小さな子供みたいだ。地面に膝をついて、尻を落として、ひたすら泣きじゃくる。涙で川が出来そうだった。


「ったくよ……」


 頭をかく。いけすかないキザ野郎だと思っていたのに、これはとんだ予想外の展開だ。そして、左手をリーリに伸ばした。


「まあ、いきなり横から出てきたのはオレだしな。その、まだ結婚が確定したわけじゃないし、お前から奪っていくつもりもない。だから、まあ、そんなに泣くな」


「え、エドガーさま!!」


 その時、リュカがいきなり大きな声を出した。それは少し裏返っていて、変なイントネーションでオレの名前を呼ぶ。対して、リーリは泣き止み、キョトンとしていた。


「き、貴様、これは、何のつもりだ……?」


 信じられないという瞳で、オレの左手を見つめながら、呟く。


「いや、何って、握手だよ。ほらもう、仲直りしようぜ」


 しかし、オレの手は取られない。それどころか、リーリはこれまで以上に怒り出した。


「な、な、な!? こ、この変態!! 何を考えているんだ、何を!!」


 顔を真っ赤にして、半泣きで叫ぶ。そして、


「こ、このこの! 私は貴様が大嫌いだ!!」


 ぎこちなく立ち上がると、妙な捨て台詞を吐いて、足早に走り去って行ってしまった。


「な、なんだよあいつ……」


 オレなりに、魔族とは言え女相手に本気で殴りかかってしまったことを、反省しての行動だったのに。釈然としない気持ちで、立ちすくむリュカのところに戻る。


「最初から最後まで訳わかんない奴だったな。なぁリュ……カ……?」


 何故か、リュカが拳を握りしめ、小さく震えていた。顔を覗きこむと、その表情は険しく、朱と蒼の両目に炎が宿っている。


「え、な、なに……」


「エドガーさま!!  いいえ、旦那さま!!」


「お、おう。どうした」


 初めて見せる怒りの表情で、オレに詰め寄ってくる。


「男女が決闘し、男性が勝利した場合、相手の女性に手を差し伸べることは、『オレの物になれ』という意味にございます!!」


「え、なっ!?」


「う・わ・きですか!? まだお会いして三日も経っておりませんのに!!」


「い、いや! オレはそんなこと知らずに! てか何だよその訳わかんないルールは!」


 両手で激しくオレの肩を揺さぶるリュカを前にして、初めてこの娘が怖いと思った。その行動はいつまでも止まらない。


「お、夫婦喧嘩か?」


 起き出してきた魔王が、オレ達を見てのんきに呟く。

 朝の冷たい爽やかな風が、中庭の草花を優しく起こし始めていた。

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