魔女王マミン


 それは、魔女であり美女だった。真っ黒なつばの広いとんがり帽子に、黒いローブとマント、膝上まであるハイソックスまで黒。しかし、高いハイヒールだけは赤だった。そんなほぼ黒で統一された装いの中、オレの目を一際引くのは、その豊かな胸の谷間。男にとってどうしても魅力的にうつってしまう両房に、引力のようなものを感じる。


「あ、もしかして、その子かしら?」


「そうだ」


 マミンと呼ばれた魔女は、ヒールの音を鳴らしながら側まで歩いてきて、オレの頭から足先まで舐め回すように物色する。その闇のような瞳が妖しく光る。


「見た目は案外普通の人間ね。特筆すべきところは何もない感じ」


 少しつまらなそうに、腰に手を当てて魔女は一息つく。


「で、も!」


「わ!」


 いきなり魔女が、オレの右腕をとった。まるで宝物に触れるかのようにその手がオレの鱗の部分を撫で回す。


「この腕は別。なんだかとてつもない力を感じるわ!」


 これまでとは一転、興奮したように話し出し、そして、


「ちょっ!?」


 ベロリとオレの腕を舐めた。しかも、一回では飽き足らず、ベトベトになるまで何度も何度も舐め回す。不快な感覚が背筋を走る。全身に鳥肌が立つ。


「あんた、何する……!」


 右腕を強く払って、遠ざける。それでも嫌な感触は消えない。腕にはまだ魔女の唾液が残っている。


「婿殿、こやつは六大魔王の一人、魔女王マミンだ」


 魔女の奇行にも、大して驚きもせず魔王が言う。


「魔界のありとあらゆる魔法や呪いに精通する知のエキスパートだ」


「あら、雷神卿様に褒められるのは、悪くないわね」


 少しだけ嬉しそうに、その豊かな胸を張る魔女から、オレは距離をとった。そう言えば、さっきからずっとリュカはそうしていた。既に黒雲が消え去った空からは、健康的な陽の光が降り注いでいる。












 所変わって、四人はオレが初めて降り立った部屋にやってきていた。やはり、オレが思っていた通り客間だったのだ。そこの上等なソファに、魔王と魔女王が向かい合って座る。そして、オレは魔王側、リュカは魔女王側にそれぞれ着席した。


「で、なんで魔王様は小さくなってるんだ?」


 魔王は、その姿をオレやリュカと同じくらいの大きさにまで小型化していた。普通の高身長のおっさんになり下がっている。


「魔界では、大きさも力の象徴。それ故に礼儀として、その家の主人は客と同じ大きさになるの」


 魔女がすらすらと教えてくれる。なるほど。だから客間だけ家具のサイズが小さいのか。ふと気づくと、魔女がオレの顔をじっとりと見つめていた。


「あなた、魔界のこと何にも知らないのね?」


「ぐ! そ、それは……」


「婿殿は人間だ。知らなくて当然だろう」


 魔王がオレをフォローしてくれる。でも、その婿殿ってのはやめて欲しい。


「そう人間! その彼、人間なのよねぇ」


 真っ赤な唇をベロリと舐める。その仕草だけで、オレの背筋が寒くなった。


「魔界の四分の一を支配する魔王の跡取りが人間! それってどうなのかしら? どうなのかしら?」


 その言葉に反応したのはリュカだった。一瞬不安そうに顔を上げ、一度オレに視線をやってから、またうつむく。


「不満か?」


 セルバスが用意した、何か良く分からない赤い液体を飲みながら、魔王が尋ね返す。どこか不穏な空気だ。相手もまた魔王。いつ抗争が始まってもおかしくはない。ジリジリするような睨み合いが続く。その場の全員が魔女の挙動に注目する。そして、魔女が動いた。


「全然!! むしろ良くやってくれたわ!! 最高よ!!」


 手を叩くそれは、予想外の展開だった。


「もう、こんな可愛い娘の婚約者が誰になるのかって冷や冷やしてたのよ。そんじょそこらの魔族じゃあ、絶対釣り合わないもの!」


 魔女が隣に座ったリュカに抱きつき、その頬をベロベロ舐める。リュカは少し嫌そうな顔をしながらも、されるがままになっていた。


「アスモディアラを倒したって言うなら、実力も当然文句ないしね。他の魔族もとやかく言えないでしょう。何より、人間っていうのが特に良いわ!」


 心底嬉しそうに、リュカの角にキスをする。正直、意味が分からなかった。


「あの、つまりどういうことだ?」


「あら、分からないかしら?」


 目だけをオレの方に向ける魔女。


「魔界は今六人の魔王が覇を競う狂気の戦国時代。ただ、当然それを面白く思わない魔族も多いわ。いわば魔界は、導火線のついた火薬庫ね」


 それは知ってる。女神が話していたことだ。


「ただ、このまま魔界で大戦争始めちゃうと、各勢力が拮抗してるだけあって、戦いは消耗戦になるわ。そうなれば魔界全体の衰退は避けられない」


「私は、それを憂いているのだ」


 魔王が腕を組んだまま、静かに口を開く。その言葉に魔女も頷く。


「だから、アスモディアラの次の跡取りが人間っていうのはとても良いのよ」


「いや、だから何で?」


 良く分からなくて、リュカをひしと抱きしめる魔女に問う。


「それは、人間が魔界にちょっかいをかけてるからよ」


「人間が……?」


「奴らとしては、魔界で勝手に潰しあってくれた方が都合が良いのだ。婿殿」


 魔王が忌々しそうに語る。なんだよ、それ。


「魔界と人間界の仮の平和条約が結ばれて三百年。だけど、あちらはいつだって魔界を滅ぼしたがっている。つまり、彼らにとって今はチャンスでもあるのよ」


 本当に、なんだそれは。オレが女神から聞いていた話とまるで違う。


「だから、ここであなたがリュカちゃんと結婚してくれれば、人間側もアプローチの仕方を変えてくるでしょう? それが狙いなのよ」


 オレは、魔王の横顔を見た。正直、あまり深く考えずに結ばれた婚約だと思っていたが、まさかそんな裏の事情があったとは。


「もちろん、婿殿の強さに惚れ込んだのも嘘ではない。まあ、面倒なことは考えずに、娘と結婚してくれれば良い」


「いや、あの……」


 それは出来ない、と言いづらくなってしまった。上手い言葉が出てこない。


「まあ、私としては、私のしたい事が出来る環境になればそれでいいんだけどね」


「……したい事って?」


 とうとう、リュカを自身の膝の上にのせて抱きしめる魔女が気になる言い方をした。


「知らないことを知りたい。私は、私のこの底なしの知識欲を埋めてくれるなら、なんだって良いのよ」


 不敵に笑う魔女。その目は爛々と輝いていた。


「だから、あなたのその不思議な右腕のことも、いずれたぁっぷり調べさせてもらうわ」


「う、いや、それは」


 とてつもなく嫌な予感しかしない。


「さて、私はもう帰ろうかしら。リュカちゃん成分も補給したし、婚約者くんも見れたし」


「せっかくだ。夕食を食べて行かないのか?」


 席を立つ魔女に、魔王が声をかける。


「遠慮しとくわ。私がこうしてることにも、グチグチ小言言ってくる奴らもいるしね。帰るわ」


 左手をひらひらさせながら、魔女は右手で空中に何か文字を書き始めた。それだけでオレは驚きだが、


「じゃあね」


 それだけ言うと、瞬きの間に魔女が消えた。


「なっ!?」


 そして、そこには白い紙で出来た小さな人形が転がっている。


「おや、もうお帰りになられましたか」


 扉を開けて何やらお茶菓子のような物を運んできたセルバスが、少し残念そうに呟いた。

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