獣人の村
「こ、これはまさか、貴様……!?」
「違う。関係ないとは言わんがオレじゃない」
「そ、んな……。おいリュカ! 起きるんだリュカ!」
リーリは一瞬どうすべきか迷っていたが、ハッと何かに気づいて、リュカの肩を掴んで揺する。少し揺さぶると、ゆっくりリュカが目を覚ました。
「あ……。リーリに、エドガーさま、おっはーでございます」
「おっはーとか言うな」
とりあえずツッコム。
「リュカ……! 君は一体何をしているんだ!」
リーリが少し声を上ずらせて叫ぶ。その額には汗が滲んでいた。
「いえ、エドガーさまが故郷にお戻りになると言うお話を聞きまして。是非
「だからってこんなこと……!」
「きっと普通にお願いしても、連れて行ってはくれないでしょう?」
どこか勝ち誇った表情で、その平らな胸を張る。全く、大人しそうに見えてとんだおてんば娘だ。オレとリーリが一様に渋い顔をする。
「おい。屋敷に戻るぞ。今なら大したロスにもならない」
「貴様の意見に賛同するのはしゃくだが、そうだな。それがいい」
「な!? 何故ですか!?」
心底驚いたように、リュカがオレに詰め寄る。オレはその手を左手で取った。
「あのな。オレは今から人間界に行くんだ。そこに魔王の娘を連れていけるわけないだろ?」
「へ、変装すれば大丈夫です」
白いフードを被って角を隠す。ただ、そう言う事ではない。
「いいか? お前は魔王の娘だ。もし何かあれば、親父さんが怒り狂うぞ。そしたら一気に大戦争になだれ込むんだ」
それでは女神との約束も守れない。男として一度かわした約束を反故にするなど、あってはならないことだ。それに、単純にリュカの身が心配でもあった。
「し、しかし……」
流石に戦争というワードはリュカの心に重く響いたようだ。柔らかな笑顔を引っ込める。
「で、では境界まで! 境界までなら構わないでしょう?」
何故そこまでしてついてこようとするのか。きっと、リュカなりのいじらしい想いもあるのだろう。
「その辺はオレは何とも言えないな。リーリ、どうなんだ?」
厳しい表情で腕を組んでいるリーリに聞く。
「正直、魔界が物騒なのは言うまでもない。今すぐ引き返すのが最良だ。だが」
真摯な視線をオレに向けてくる。試すように静かに告げる。
「貴様がその命を賭してリュカを守るというなら、境界までくらいなら良いだろう」
深く息を吐く。そんな事言われてしまえば、こう答えるしかないだろう。
「わかった。リュカ、境界までだぞ?」
そのモコモコとカールした白い頭を撫でる。リュカは頬を上気させて、両手を胸の前で合わせる。
「は、はい! よろしくお願いします!」
二人旅が、三人旅へと変わった。少しだけ狭くなった荷台だが、その分穏やかな明るさが加わった。
「さて、腹が減ってはなんとやらだ。飯にしようぜ」
「そうしよう。リュカもお腹が空いているだろう。たくさん食べると良い」
オレに向けるのとはまるで異なる優しい笑顔で、リーリも同調する。ただ一つ気になることがあった。
「で、この木箱にはリュカが入っていたわけだが、他に食料はあるのか?」
「あ」
「あ……」
木箱の中には、申し訳程度に干し肉が三つ、転がっているだけだった。
馬車は順調に進む。魔界のほとんどが平原で、はるか遠くまでよく見渡せて気持ち良かった。ただそれは、外敵から発見されやすく、また逃げ場もないと言うことでもある。
「あ、エドガーさま、あれは爆発石という岩で、少し温めると……ふふ。どうなるかわかりますか?」
「爆発するんだろ」
「なっ!? そ、そうです。では、あちらに見える紫色の花、あれは激辛草と呼ばれる魔界の調味料なんですが、どんな味がわかりますか?」
「激辛なんだろ」
「せ、正解です! なんだエドガーさま、魔界のことは詳しくないだなんて。冗談だったんですね!」
本当に楽しそう、嬉しそうに言うもんだから、こちらとしては反応に困ってしまう。
「おい、お前が仕えているお嬢様……」
「何も言うな」
かなり食い気味に、リーリがオレの言葉をさえぎる。
「リュカは素直で良い娘なんだ。それだけだ。それだけで良いんだ」
「お、おう」
こいつも色々と思う所があるんだろう。何気に苦労人であることがよくわかる旅の一ページだった。
「もうすぐ獣人の村に着く。そこで食料を調達しよう」
「ご、ごめんなさい」
自覚があるリュカが縮こまってしまう。まあ、あまり気に病ませても可哀想だから、フォローを入れる。
「腹減ったな」
「ご、ごめんなさい!」
ダメだ。煩悩が理性に勝ってしまった。
「おい! リュカをいじめるんじゃない!」
「す、すまねぇ」
「い、いえ! 私が悪いから良いんです!」
リュカの加入のおかげで、少しだけ会話が増えた一行は、その足を鈍らせることなく進んでいく。そうして、道の向こうに小さな村が見えてきた。木や藁で出来た小ぶりな家が可愛らしい。しかし、
「む、何だあれは」
「どうかしたのか?」
御者台に座るリーリが声を上げる。オレも顔を出して見てみると、その獣人の村から何条もの煙が上がっていた。
「様子がおかしい。リュカ、しっかり隠れていろ」
「オレは?」
「とっとと死ね!」
茶目っ気を出して聞いてみたが、まだまだ悪意はドス黒く、薄れる気配はないようだ。
辿り着いた村は、散々な有り様だった。そこら中の建物が壊され、穴を開けたり、傾いたりしている。そして、辺りから漂ってくる嫌な匂い。
「血の匂いだ」
御者台から下りたリーリが、耳をピクピク動かしながら警戒する。確かによく見ると、もう黒く変色した、ベットリとした血の跡がそこかしこにある。
「ひ、酷い。一体どうして……」
リュカも口元に手を当てて、顔を青ざめている。オレも、初めてかぐ猛烈な匂いに吐き気を催していた。
「村人全員がやられているのか?」
「いや、微かだが気配はある。皆家の中に閉じこもっているみたいだな。とにかく話を……」
リーリが歩き出した時、一番大きな家から、人影が出てきた。
「誰じゃ」
それは、全身に赤く染めた包帯を巻く、老いた獣人だった。木の杖にしがみついて何とか立っている。犬のような顔に、毛の生えた身体。傷ついた肉球が痛ましい。
「我々は、六大魔王アスモディアラ様の使いの者だ」
「魔王の威を借るやからなど、ごまんといる。証を示されよ」
「良いだろう」
そう言うと、リーリは執事服のポケットから、小さな印鑑のような物を取り出した。それに施された細やかな装飾で、一目で貴重な物だとわかる。そして、それのキャップを外し、何もない空気中に押した。すると、光り輝く六芒星をかたどった文様が、ゆっくり回転しながら出現した。
「な、なんと!」
老獣人はそれを見上げる。喜び混じりの声を上げた。
「ま、魔王様が我らの窮状を察し、使者を送って下さったのか!?」
「いや、違う」
なんとも都合の良い解釈だ。しかし、リーリはそれを否定する。
「我らは別件で行動している。ここには食料の調達に立ち寄っただけだ」
「そ、そう、ですか……」
老獣人は、見るからに落胆する。犬の顔をしてても表情ってわかるんだな。
「リーリ、話だけでも聞きましょう」
すると、馬車の荷台にいたリュカが下りてきて、オレの隣に並んだ。
「しかしリュカ。ここは魔王様の治る土地では……」
「構いません。私がそうしたいのです」
強い凛とした口調で話すリュカからは、頼りなく、か細い雰囲気は消え去っていた。
「あ、ありがたい。ではこちらへ」
老獣人に案内されて、ついていく。
「その前に、馬を厩舎に入れたいのだが?」
リーリの声は冷ややかだ。それに怯えたように老獣人は慌てる。
「こ、これはとんだ失礼を。おい、馬をお連れしろ」
どうやら、よほど困窮しているようだ。本来客人になすべきことに、まるで頭が回っていない。この小さな村の異常がよくわかる。
「どうぞ、お座りください」
オレたちが通されのは、村で一番でかい家だった。おそらくはこの老獣人、村長の家だろう。しかし、その
「もう、お察しはついていることとは思いますが、いま、我が村は外敵に襲われています。すでに村人の三分の一が殺されました」
老獣人の話に、リーリが不快げに眉をよせる。
「同情を引こうとするな。簡潔に話せ」
「リーリ!」
あまりに厳しい言を、リュカがたしなめる。おそらく、リーリはこの村の問題に介入する気がない。そしてそれは、随分冷たい反応に思えた。
「は、はい。襲ってきているのはキマイラです」
そう言われても、オレはその魔族がよくわからない。二人に尋ねるしかない。
「おい、キマイラって何だ。ヤバい奴なのか?」
その言葉に、そこに座る全員が目を丸くする。少しきまりが悪いが、聞かぬは一生の恥というやつだ。リーリが疑うような目で話し出す。
「キマイラ。獅子の頭、山羊の胴体、毒ヘビの尾を持つ魔族だ。基本凶暴で、戦闘力も高い。しかし疑問なのは……」
「この辺りの魔族ではないはずです。もっと魔界の北に分布しています。移動するタイプではありませんし……本当なのですか?」
リュカも老獣人を信じきれていないようだ。ただ、今のオレは、そのキマイラとかいう魔族を想像するのが精一杯だった。
「はい。おそらくは、六大魔王レヴィアの勢力拡大によるものと考えます」
「チッ。とことん忌々しい女だ」
リーリが吐き捨てる。
「……それは、つまり、そのレヴィアとかいう魔王が攻めてきているのか?」
「貴様は本当に何も知らないのだな」
そして、そのままのテンションでオレを睨む。
「ここは土地も貧弱で、資源もない。故にどの魔王の領地でもない場所だ。だからこそ獣人という弱い魔族が暮らしている。おそらく、レヴィア勢力に押されてキマイラが逃げてきたのだろう」
「ふーん」
ならば、レヴィアという魔王の勢力がかなり強大だと言うことか。理解した。
「無理を承知で、お頼みします! どうか、キマイラを追い払い、我らをお救い下さい!」
老獣人が、床に頭をこすり付ける。平和に、細々と暮らしていただけの彼らが殺されるのは、確かに目覚めが悪い。
「私は反対だ。ここは本当に何の旨味もない土地だ。村を救うということは、ここを領地にするということ。だが、いたずらに領地を拡大することは、後々魔王様の首を絞めることになる」
しかし、リーリは徹底してこの村を見捨てる考えだ。そして、この執事は優秀で、よく魔王のことを思っている。その意見はきっと正しい判断なのだろう。だが、この三人の中でオレが優先すべきことは、
「リュカは、どうしたい?」
中央でひとり、俯いているリュカに尋ねる。固く握り締められた小さな拳は、震えていた。
「私は、助けたい。助けてあげたい。しかし、私には何の力もありません。なので、お二人にお願いすることしか出来ません」
その色の異なる両の瞳は、自身の非力さに、悔しさに濡れていた。
「キマイラだって被害者のうちだ。リュカの親父さんは、強さこそ正義で法だって言ってたぜ。それでもこの村を助けるのか?」
「はい。わかっております。それでも、私は助けて欲しいのです。どうか、お願いします」
リュカも、オレとリーリに頭を下げた。ならば、
「わかった。助けよう」
オレはそう答える。老獣人が、ハッと顔を上げた。
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