異世界の食事


 教えてもらったトイレは、全てが純白の陶器で出来ていた。そして、トイレも魔王サイズらしく、果てしなくでかい。手洗い場に設置された鏡はきちんと大小わけられているのに、それが不思議だった。手を洗って、備え付けの布でふく。そして鏡を拳で叩きながら、オレは頭の中であることに集中していた。


「女神! おい女神! このポンコツ女神が!」


 昨夜突然途絶えた通信。もうそのことは良い。あのセルバスとかいう執事のおかげで、何とかなるようになった。ただ、今後のことはそうはいかない。少しでも情報が欲しいし、相談がしたかった。


「おいこらポンコツレイヤー!」


『誰がレイヤーですか!』


 通じた。ポンコツは良いのか。頭の中に女神の声が響く。


「何とか今すぐ魔王の義息になることは回避したが、これからどうしたら良い?」


 女神に昨夜のことを簡潔に伝えて、これからの指示をあおぐ。


『そうですか。私のせいで大変でしたね。すみません』


「いや、それはもう良いんだが……」


『しかし、運の悪い中では良い方でした。アスモディアラは六大魔王の中でも穏健派です。これがサタニキアやルシアルだったりしたら、そのまま人類との一大決戦に発展した可能性もありました』


 運悪くって言うか、全部お前のせいなんだけどな。ちゃっかり責任を運になすりつけるんじゃねぇよ。


『それに、アスモディアラは人間に対しても肯定的です。治ている領地も人間界に近いですし、なので……』


 それから女神の提案してくる案は、確かに悪くないものだった。あと必要なのはそれを実行するだけの機会と、オレの話術だけだ。


「エドガー様。朝食の準備が整いました」


 その時、突然オレの背後からセルバスの声が響いた。そのあまりの気配のなさに、身震いしてしまう。まさか、先ほどまでの女神との会話を聞かれたか? セルバスにバレないように身構える。


「お嬢様が食堂でお待ちです。こちらにどうぞ」


 いや、どうやら聞かれてはいないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。


「ああ、わかった」


 前を行くセルバスについて行く。しばらく歩いて到着したのは、これまた巨大な部屋だった。いくつものステンドガラスから入ってくる朝の日差しと、長い長方形のテーブル。優しい燭台の炎が手元をほのかに照らす。

 オレはその机の、いわゆるお誕生席に座らされた。これには流石に戸惑う。


「いや、魔王……様は?」


「魔王様はまだお休みになられております。ですので、どうぞご遠慮なく」


 オレの背後にすまして立つセルバス。なんだか特別扱いされすぎて落ち着かない。そして、小さな鈴の音がなって、


「お、お待たせしました」


 オレから見て左側の席に、魔王の娘が座る。


「今朝は、エドガー様も大変空腹ということでしたので、ミソカツをご用意させていただきました」


 たどたどしくメニューを説明してくれる。しかしミソカツかぁ。ちょっと朝から重たいかなぁ。いや待て。


「み、ミソカツ?」


「はい。ミソカツでございます。お嫌いでしたか?」


「いや、嫌いって言うか……」


 え、ミソカツって名古屋の? マジで? ここは異世界のはずだが、同じ料理が存在するのか? そして、オレの目の前に出てきた料理は、


「え?」


 真っ白なスープだった。ところどころ肉や野菜のような物も散見される。


「羊の肉を柔らかくなるまで煮込み、そこに牛乳とクリーム、チーズを加えたものにございます」


「いや、シチューじゃん!」


 無作法だと思ったが、立ち上がってしまった。


「え? しちゅう、ですか? それは一体……。セルバス、あなたは知っていますか?」


 オレの背後のセルバスに、困ったように問いかける娘。しかし、当のセルバスも首をひねっている。


「いえ、申し訳ございません。私も聞いたことが……」


「あ、いやいいんだ。気にしないでくれ……」


 そうだよ。ここは異世界なんだ。ミソカツがあるわけがない。オレの心の準備がおろそかだった。二人に謝りつつ、スプーンでシチュー、いやミソカツをすくって口にふくむ。


「あ、美味いな」


 本物のシチューよりも癖がなく、水っぽい。そして冷たい。コーンフレークをひたした牛乳に近い。朝に食べるには嬉しい味だった。


「そ、そうでしたか! 良かった!」


 娘も嬉しそうな笑顔になる。


「ああ、美味いよ」


「お代わりもございます。ぜひたくさん召し上がって下さいね!」


「うん」


 次々スプーンですくって口に運ぶ。野菜はコリコリしていて、どこか軟骨のようだ。これも良いアクセントになっている。肉も程よく柔らかく、よく煮込まれているのが分かる。


「食後にはお口直しのテバサキもございますよ」


「ちょっと待って」


 いや、オレの聞き間違いじゃない。絶対この娘今、手羽先って言った。


「ちょ、ちょっとそれも食べていい?」


 おっかなびっくり聞いてみる。


「もうですか? 構いませんが……。ではセルバス」


「かしこまりました」


 セルバスがそう言って、テーブルの上に置いたのは、ストローのささったココナッツだった。


「いや、ココナッツジュースじゃん!」


 もう一度立ち上がってしまう。


「え? ココ、ジュ……?」


「いや、すまない。気にしないでくれ」


 ゆっくり座り直す。いや、これもオレが悪かった。ここは異世界であり魔界だ。手羽先があるわけがない。あと、何でことごとく名古屋ネタなんだ。少し気になることがあった。


「……ねぇ、名古屋コーチンってある?」


 ミソカツと手羽先があるならば、と思ったのだ。


「ございますよ」


 あるのかよ。


「ただ、わたくし、名古屋コーチンは少々苦手でして……」


 少し恥ずかしそうに、娘は下を向く。そこに、


「お嬢様、好き嫌いはいけませんよ」


「だ、だってセルバス……」


 セルバスがオレを見ながら話す。


「エドガー様もおっしゃっておりますし、ちょうどキッチンにございます。ナゴヤコーチンをお持ちしましょう」


 カツカツと音を鳴らしてセルバスがいなくなる。その背中に、


「いじわる……」


 娘は小さく呟いた。さあ、オレも覚悟を決めよう。何が出てきても、もう驚かないぞ。ココナッツジュース、いや手羽先を飲みながら心を落ち着ける。そして、


「エドガー様、お嬢様、ナゴヤコーチンでございます」


 それは、少し大きめの納豆だった。


「うう、この匂いが……」


 娘は、その可愛らしい顔をゆがませて、手で鼻を覆う。本当に苦手みたいだ。小さなカップのような物に入ったそれから、身を引くようにして遠ざかる。


「この世界にも発酵食品があるんだな」


 そう言えばさっきチーズとも言ってたしな。名前はともかく、それほど日本と食文化は変わらないようだ。納豆、いや名古屋コーチンをスプーンですくって食べる。うん。これは紛うことなき納豆だ。ネバネバしていふが普通に美味だ。


「う、うう……」


 パクパク食べるオレと違い、娘はどうしても納豆、いや名古屋コーチンに手をつけられない。


「お嬢様、テーブルに出された物を召し上がらないのはマナー違反でございますよ」


「で、ですが……」


 主従の関係も、意外と体育会系だな。セルバスの怖い顔に、娘はとうとう涙ぐんでしまう。ふぅ。仕方ないな。


「ほら、名古屋コーチン、いや納豆……あら、どっちだっけ? まあいいや、オレによこしな」


「エドガーさま?」


「エドガー様、それは……」


 セルバスがオレを止めようとするが、逆にオレがそれを視線で制止する。


「嫌いなら無理して食う必要ねぇよ。もともとオレが勝手に言い出したことだしな。ただ、一粒だけは食べるんだぞ」


 オレの言葉に、娘はパァッと顔を輝かせる。


「はい! ありがとうございます!」


「ん、まあ、な」


 あまりに嬉しそうに笑うので、目を背けてしまった。色々予想外の事はあったが、こうして、オレの異世界での初めての食事は終了した。

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