魔王の娘
「は、ちょっ、あんた何言って……」
「どうだ。私は六大魔王の一体アスモディアラ。魔界の四分の一を支配する者。その娘との婚約は、決して悪い話ではないだろう?」
アスモディアラって何か聞いたことあるな、とか考えながら、頭の別の部分をフル回転させる。
「い、いや、オレ人間だし、いきなりそんなこと言われても困るって言うか……」
「魔界は実力主義だ。強者には人間も魔族も関係ない」
ダメだ。このおっさんグイグイくる。オレは少しずつ後ずさっていたが、両者の距離が広くなっていくことはない。むしろどんどん近くなる。
「私の娘は、親のひいき目を抜きにしても可愛いぞ。魔界全土から求婚者が殺到するほどだ」
「いや、あんたの外見からはポジティブなイメージが全く出来ないんだが……」
体長四メートルくらいの牛みたいな女魔族が、頭の中でリンボーダンスを踊っている。
「そうだ。私達二人だけで話を進めてはいけないな」
「いや、何も進んでないから!」
ひたすら後退していたオレの背中が、固い壁に当たった。視界を埋め尽くすのは魔王の巨大な身体。やばい。もう逃げ場がない。
「リュカよ。そこにいるのだろう? 分かっているぞ。出て来なさい」
魔王がオレに壁ドンしながら、今は遠い玉座の裏に声をかける。
「は、はい……」
そこから聞こえてきたのは、予想に反して小さな鈴の音のような、か細い可愛いらしい声だった。いやでも、オレは騙されないぞ! どうせその実、すっごい強面の魔族が……
「お、お父様……。それでは、お相手様のお顔が見えません……」
リュカと呼ばれた娘魔族の声に、父魔王も反応する。
「おお、そうだった。さあ、夫婦の初の対面だ」
もう勝手に夫婦にされてる。そう思いながら、固く閉じた両目を、少しずつ開けていく。そして、
「っ!!」
「あ、あの……」
その姿を見て、パッと連想されたのは、子羊だった。真っ白なモコモコとカールした髪を肩で切りそろえ、そのこめかみにあるのは小さく円を描く角。瞳はパッチリと大きく、右目は朱、左目は蒼のオッドアイ。すっと通った可愛らしい鼻に、瑞々しい桜色の唇。よく見ると口元に一つ、小さなホクロがあった。
たくさんのフリルがあしらわれた白いワンピースは、暗い室内に光り輝いている。小柄なその身体も明らかにこの広い部屋とは不釣り合いだった。
「お、あ、と、と……」
「どうだ婿殿。我が娘、気に入ってくれたか?」
「突然変異すげぇ!!」
叫ばずにはいられなかった。
「さあ、リュカよ。この人がお前の婚約者だ」
しかし、オレの叫びなど無視される。魔王の巨大な親指と人差し指で、オレの肩をそれぞれつかまれ、ぐいと前に出された。
「こ、婚約者さま……」
火がついたように娘の顔が赤くなる。うつむきがちな上目遣いで、オレは見つめられる。
「いや、待て待て! 待って下さい! オレはまだ婚約とか……」
「私の愛娘が、いらんと言うのか?」
ジェット噴射のように、魔王から怒気が溢れる。それは魔王と言うより、完全に一介のお父さんの雰囲気。命を賭けたバトルをしていた先ほどよりも、よっぽど怖い。圧に押されてつい弱腰になってしまう。
「いや、決してそう言うわけでは……ないですけど……」
オレの唯一の助けは、まだ繋がっている女神とのテレパシーのような通信だけだ。だが、どうも具合が悪いらしく、ノイズのような雑音に紛れて、女神の声がよく聞こえない。つまり、せっかくの通信は使い物にならず、この場はオレ一人でどうにかしないといけなかった。大学受験の時より頭を回して、必死に言い訳を考える。そして閃いた。
「そ、そうだ! 今時、父親が娘の婚約者を決めるって古くありませんか!?」
今時というか、魔界の流行すら知らないけど。
「む、確かに」
魔王もオレの意見を一考してくれる。お、これはもしやいける?
「やっぱり娘さんのご意思を一番に尊重すべきですよ! それが良い父親ってもんです!」
トドメの一撃。さあ、これならどうだ!
「ほう。まさしくその通りだな」
イエス! ナイスオレ! イエス! 心の中で渾身のガッツポーズをする。が、
「どうだリュカよ。この御仁では不満か?」
魔王が自分の娘に話を振った。まだ赤くなったままの娘は、急な展開に一瞬戸惑うような素振りを見せる。だが、その細く小さな両手を頬に当てながら、消え入りそうな声で答えた。
「わ、
お、いいぞ。そのまま断ってくれ。
「とっても良いご縁だと思います」
「ええ!?」
ボン! とショートした音が聞こえてきそうな程、娘は真っ赤な顔をさらに赤く染めあげてもじもじする。
「決まりだな」
魔王がオレの背中を軽く叩く。まさかの事態に、視界が真っ暗になっていくなか、
「お待ち下さい。旦那様、お嬢様」
その時玉座の影から、凛とした声と共に現れた者がいた。
「おおセルバス。待つとはどういうことだ?」
それは、執事服のようなきっちりした黒服を着た、長身の男魔族だった。顔立ちは人間に近く整っており、長い金髪を後ろでまとめている。頬の所まで鱗のようなもので覆われているのと、節くれだった二又の尻尾が特徴的だった。
「はい。恐れながら。そちらのお方は見たところ人間のようですし、いきなり我々魔族との婚約など、戸惑うことばかりでしょう」
お、おお!? もしかして、こいつはオレの味方か?
「また、旦那様も嬉しいお気持ちがはやるばかりで、そのお方のお名前すらうかがっておりません」
「おお、確かにそうだったな。これはとんだ失礼をした」
魔王がその長い爪で頭をかく。そして、オレに目線を合わせるように、腰を屈ませた。
「良ければ、名前を教えてくれまいか?」
それは、魔王らしからぬ真摯な目だった。そのせいか、オレは思わず呟いてしまう。
「江戸川、竜士」
「エドガーさま」
何故か娘が小さく反すうした。ちょっと語尾のイントネーションが違う気がしたが、おそらく和名のない異世界だ。仕方ないことだろう。
「ではエドガー様。あなたはまだまだ魔界のことに関しては無知とお見受けします」
「そ、そうだ」
オレの返答に、セルバスと呼ばれた魔族は神妙に頷き、
「ですので、しばらくこの屋敷にお住みいただき、魔界の暮らしに慣れていただくというのはいかがでしょう。ご婚約はそれから、と言うのでも決して遅くはないはずです」
「ふむ。なるほどセルバスの言う通りだな」
「お、おう」
オレも少し感心してしまって、なんか変な音が口から漏れた。なかなか出来た魔族もいたもんだ。
「リュカも、それで良いな?」
「は、はい。もちろんでございます」
こうして、オレの婚約話は、ただ先延ばしになっただけだが、ひとまず落ちついた。
天窓から降り注ぐ柔らかな朝日と小鳥のさえずりで目を覚ます。オレの体温で程よく温められたシーツが心地良い。巨大な天蓋つきのダブルベッドが、その日の寝床だった。
「ん……朝か」
魔界にも朝はあるらしい。少しずつ覚醒していくオレの頭だが、オレの体温で程よく温められた滑らかなシーツの魅力からは逃れ難く、寝返りを打って目をつむる。しかし、
「はぁ。どうしたもんだか……」
回り始めたオレの脳みそは、抱えた厄介ごとの処理を思索していた。昨夜のことを思い出す。
何とも言えない陰鬱な気持ちで背を伸ばす。高級なベッドに寝かしてもらったおかげで恐ろしく寝心地は良かった。しかし、いきなり異世界、それも魔界とあって、緊張からか身体はかなり凝り固まってしまっていた。上手く疲れが取れていないようだ。
「ん?」
その時、コツンと右手が何かに当たった。温かなシーツの中、固すぎず柔らかすぎずするそれに、一気に嫌な予感がして、勢いよくシーツをめくる。
「スゥ……スゥ……」
そこには、膝を抱えるように丸まって眠る、魔王の娘がいた。
「ちょ、あ! いや、な、んで!!」
二十年近く生きてきたが、女性、それもこんなに可愛い女の子と同衾したことなどないオレだ。そのシチュエーションに遭遇しただけでドギマギしてしまう。自分でも顔が赤くなっているのがわかる。別に何かあったわけでもないのに、オレは乙女か。
気持ち良さげに眠る娘は、白と赤のネグリジェのようなものを身にまとっている。そのささやかな胸元がチラチラと見え隠れしていて、どこに目を向けたものか悩んでしまう。小さな右手がオレの服のすそをちょこんと掴んでいた。
「ん……あ……」
そして、娘が目を覚ました。右手はそのまま、左手で目をこする。
「おはようございます。旦那さま」
「いや、おはようって言うか、君……」
「よくお休みになれましたか?」
色々ツッコムべきところがある。いや、いやらしい意味ではなく。
「何故、オレのベッドに?」
やっとオレの服から手を放した娘は、両手で口元をおさえて、小さくあくびをする。その仕草も愛らしい。
「夫婦が寝床を共にするのは、当然のことでございましょう?」
「いや、まだ夫婦じゃないんだって!」
言ってしまってから気づく。まだとは、まるでいつかそうなるみたいではないか。頭にチラついた妄言を振り払うように、怒鳴りつけないように、娘をたしなめる。
「こんなことしちゃいけないよ。だいたい君、昨日はそんな雰囲気じゃなかったじゃないか」
確かに、婚約に対しては気の進まない素ぶりこそしていなかったが、その性格はどちらかと言うと内気そうな印象を受けた。
「それは、昨日はお父様やセルバスの目もありましたから。それに、魔界の女子は、好きになったお相手にはイケイケどんどんでございます」
「イケイケどんどんとか言うな」
なんか変な言葉を話す、この娘のイメージが崩れていく。好きになった相手、という単語はあえて無視する。あの魔王といい、どうもこの親娘は変わっている。しかし、これが魔界のグローバルスタンダードの可能性も捨てきれず、心底げっそりした。
「あと、オレを旦那さまって呼ばないで欲しい」
これを許してしまうと、そのままずるずる成り行きに流されてしまう恐怖があった。ここでしっかりけじめをつけておく必要がある。
「な、何故でございますか?
「オレは君の夫となる男じゃないからだ」
あ、やべ。今のはちょっと酷い言い方だったかな。気を使うつもりはないが、見た目があまりに可愛いらしいので、ついついそう感じてしまう。泣くかな、と思ったが、
「はい。ではエドガーさま。空腹ではございませんか? 今朝のお食事は私が腕によりをかけてお作りさせていただきます」
この娘は笑った。少しだけ寂しそうに、でも遠慮がちに。目尻の下がったその表情が、何故かオレの脳裏に焼きつく。
「あ、ああ。そういやしばらく何も食べてないんだったな」
「はい。ではダッシュでお作りしますね!」
「ダッシュとか言うな」
つくづく変わった娘だと思った。あと、
「トイレはどこかな」
このおかしな状況を、あのポンコツ女神に伝えないといけない。オレの質問に、何故か娘は頬を赤く染めておずおずと扉の向こうを指差して教えてくれた。
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