龍王の右腕


 この世界には、才能というものが存在する。それは、神より賜りし個人への祝福。この日本を、いや、世界を生き抜くためにどうしても必要なものだ。一人につき一つずつ与えられたそれを、人々は能力と呼び自由自在に扱う。しかし、オレは思う。

 

 こんな力なんて、いらなかった。






「おい、あいつだろ?」


「なんでうちの大学に……」


「やだなぁ、やめてくれよ」


 視線、視線、視線。無遠慮に向けられるいくつもの瞳には、いつまで経っても慣れることはない。くそ、聞こえてんだよ、モブどもが。心の中でそう毒づきつつも、オレは知らんぷりをして歩き去る。少しでも環境を変えるため、地元から遠く離れた大学に入ってみたが、どうもここでも同じみたいだ。しかし、それも仕方ないのかもしれない。良くも悪くもオレは有名人だ。右腕を肘まで隠す、長い黒の手袋を掴んで引き上げる。


「なんだてめぇ、お!?」


「うるせぇよ! お前こそなんだ!」


 その時、すぐ近くで二人の男が小競り合いを始めた。肩がぶつかったとか何とか、どうだろうが下らない理由だ。しかし、片方の男はかなりヒートアップしている。その挙句、


「ブチ殺すぞてめぇー!」


 能力を使った。そいつの右手から巨大な赤い炎が生まれる。それは見るからに、かなり強い能力のようだ。


「うわっ! ヤバいぞあいつ!」


「逃げろ!」


「オラ死ねぇ!!」


「ひぃ!!」

 

 炎が相手の男を飲み込もうとした時、


「止めろ」


 オレの右腕が、炎を宿す右手を掴んで受け止めていた。


「お前アホか。学校の敷地内で能力使ったら停学だぞ」


 しかし、男の炎はとどまるどころか、どんどんその勢いを増していく。


「何だお前! 邪魔すんじゃねぇ!!」


 うわ、酒くせ。こいつかなり酔ってるな。まだ昼間だぞ。

 炎は更に強くなる。それが掴んでいるオレの右腕を包む長手袋に燃え移る。


「あ!」


「お、お前は……!」


 長手袋が燃え切った時、オレを挟んだ二人の男が一様に叫ぶ。彼らの目に映るのは、緑色の硬い鱗に覆われた異様な右腕。五指の爪は鋭くとがり、太陽の光を反射して煌めく。それは、まるで爬虫類のような腕。


龍王の右腕ドラゴン・アームの江戸川……!!」


 即座に酔いをさましたその男は、ガクガクと膝を震わせる。しかし、燃え盛る炎は力を弱めない。オレへの恐怖で制御が効かなくなっているのだ。それをオレは、


「よっ!」


 軽い一声と共に右腕でかき消した。まるでマッチの火を吹き消すかのように一瞬でだ。二人の男はその場で尻餅をつき、地面を這うようにしてオレから距離を取ろうとする。


「こらっ! 君達何してるんだ!」


 その時、どこからか警備員が駆けつけてきた。おそらく誰かが呼んだのだろう。オレは男から右腕を離し、黙ってその場をあとにする。


「ちょっと君! 待ちなさい!」


「やめとけ。あれ、龍王の右腕ドラゴン・アームだ。関わるな」


 警備員たちが小声で話す。この場を遠巻きに見ていた他の学生たちも同様だ。


「こわ……」


「なになに、龍王の右腕ドラゴン・アームがまた何かしたの?」


「おい止めろって。聞こえるぞ!」


 右腕をポケットにねじ込んでも、肘の部分まである緑色の鱗まではもう隠せない。


「くそっ!!」


 オレは一人逃げるように大学から離れた。









 世界人口の三分の二が特殊な才能「能力」を持つ現代。その摩訶不思議な力が世界を席巻していた。そして、その中でオレの能力、龍王の右腕ドラゴン・アームは、ありとあらゆる「能力」を超越する力として、世界最強の呼び声と共に、人々の恐怖の対象となっていた。


「はぁ」


 自宅に帰るなり、オレはノートや教科書の入ったカバンを乱暴に投げ捨てて、ベッドにうつ伏せにダイブする。枕に押し付けていた顔を横にむけ、自分の歪な右腕を見つめる。


「やりすぎだぜ、神様よ……」


 無効化でも対消滅でもなく、「超越」。全ての能力の完全上位互換であるこの右腕は、明らかにオーバーキルだ。


「はぁあ」


 ため息共に寝返りをうち、低い天井を見つめる。この狭い六畳のフローリングを見つけるのも、随分苦労した。オレの右腕の力に恐怖して、どこも部屋を貸してくれないのだ。綺麗に整頓されたクローゼット。教科書で埋め尽くされたテーブル。よく片付けられたオレの部屋だの言うのに、何故かよそよそしく感じてしまう。何となく両親のことを思い出す。血の繋がった彼らでさえも、オレに怯えて遠ざかっていった。今はもうどうしてるのかもわからない。小学校を出る頃には、一人暮らしを余儀なくされていたからだ。


「考えても、仕方ねぇか」


 小声で言い聞かせるようにして頭を切り替える。テレビをつけ、バラエティ番組にチャンネルを合わせた。明るい笑い声が聞こえてきて、少し安心する。右手の爪が伸びてきているのに気がついて、爪切りを探した。パチリをぱちりと、爪を切る小さな音がテレビにかき消されていく。

 世界で一番強いはずのオレは、孤独で、虚しくて、酷く惨めだった。


 テレビの画面が突然白く光った。












 そこは、おそらくどこかの屋敷の中だった。おそらく、と言うのは、オレが転移してきたら、いきなり室内だったからだ。内装や置かれている物などから、何となくそうだと当たりをつけたのだ。


「とりあえず、外出てみるか」


 きっとここは客間のような部屋だったのだろう。みるからに上等そうな黒い革張りのソファがいくつも置かれている。あの女神に自分の部屋に居るところを前置きもなく拉致されたので、裸足のままだ。モコモコとした黒と赤の絨毯がかゆい。

 扉を開けて、外に出よう。しかし、その扉がいやにでかく、五メートル以上あった。


「くそ、重いな」


 大きさと比例するように、非常に重い。木ではなく鉛で出来た銀色の扉だ。何故か異様に巨大な扉を何とか開けて、廊下に出る。見た所、本当に屋敷の中のようだった。長く続く回廊は、ところどころに壺が置かれたり、絵画が飾られたりしている。天井も高い。相当金持ちの屋敷だと分かる。


「暗いな。夜なのか?」


 窓からは月明かりのような弱い光が差し込んでいる。その光は、白というより赤く、薄暗い廊下を不気味に照らしている。窓の外を見てみると、


「月が……二つあんのか」


 小さな青く光る月と、大きな赤く光る月が夜空の低い所に浮かんでいた。青い月は満ちていたが、赤い月は半分にまで欠けている。生い茂る樹々が光を浴びて影を地面に落としていた。その幻想的かつ不思議な光景に、思わず目を奪われて立ち竦む。


「本当に、異世界に来ちまったんだな」


 日本ではあり得ないその夜空に、今更ながら実感する。オレはもしかしてとんでもないことをしているのではないか? そして、どこからか振り子時計の音が鳴った。いや、ここは異世界だ。もしかしたら全く違う何かを示す音なのかもしれない。ただ、目の前の情景と相まって、やはり気味が悪い。早く外に出よう。侵入したらいけない場所の可能性だってある。

 辺りを物色しながら少し歩いて、これまた巨大な扉を見つけた。先ほどの簡素な扉と違い、重厚で堂々とした扉だ。金と銀の精巧な細工が、至る所に施されている。まあ、これだけ凄そうな扉だ。きっと進めば人が居るところに辿りつけるだろう。

 その時、頭の中にチャイムのような音が鳴り響いた。そのことに驚愕しつつも、扉を開くために動き出した手は止まらない。

 高く吹き抜けになったその広い部屋は、ガラス張りの天井から月光が妖しく降り注いでいる。部屋の四隅には炎を燃やす燭台がある。そして、その部屋の中央には。

 

「む。貴様、何者だ?」


 巨大なとぐろを巻く二本の角を有した、大きさ五メートル以上ある明らかに人間じゃない生物が玉座に鎮座していた。ギラリと鋭い真っ赤な眼光が、オレを射抜く。ゆったりとした独特のローブのような着物。そしてそれを張り裂かんばかりに発達した筋肉。ゴツゴツした手に長い爪。よく見るとコウモリのような羽を背中に生やしている。


『あーもしもし? 江戸川竜士さん聞こえてますか? 女神ユニコです!』


「何故、人間が我が屋敷にいる?」


 頭に響くお気楽そうな声と、地獄に吹く風音のような耳障りな声。


「いや、あの、そのですね……?」


 巨大な生物からは、長く生きた物特有の、無条件でひれ伏したくなるような威厳が滲み出ていた。


『私、あなたを人間の街に飛ばそうと思ってたんですけど……』


「まあ良い。仕事の邪魔だ。掃除してくれる!」


「まさか……」


『間違えて、六大魔王の一体の屋敷に送っちゃいました! ごめんなさーい!!』


「このクソポンコツレイヤー女神がぁぁぁ!! ふざけんなぁぁぁ!!」


 生まれて初めて出したくらいの大声で怒鳴り散らす。


『キャア!? ご、ごめんなさい! だからこっそり隠れて逃げ……』


「もう遅いわ!」


 どうやらオレの声も聞こえているみたいだが、今はそんなことどうでもいい。重要なのは……


「ほう。雄叫びを上げるか。どうやら貴様は私を倒しにきたようだな……!!」


 違う! いや、違わないけど違う!


「ふふ。全力を出すのは久しぶりだ。雷神卿と呼ばれる私の一撃、受け止めて見ろ!!」


 しかもなんか勝手に盛り上がってるし! 巨大な生物、おそらく魔王は、玉座から立ち上がり、その両手を輝かせる。するとそこに光る文字のような物が現れ、魔王の周囲を回り出し、その力を極限まで練り上げる。


「喰らうが良い! 雷神の怒りサンダーバースト!!」


「くそ!」


 突如、部屋が昼間より明るくなったかと思うと、巨大な雷がオレめがけて落ちてくる。まともに受ければ即死するのは明らかだ。だが、その圧倒的な範囲攻撃は避けることも出来ない。右腕で受け止めるしかない!


「頼む!!」


 オレは右腕を高く掲げた。オレの龍王の右腕ドラゴン・アームは、ありとあらゆる能力を超越する。しかし、この世界の、おそらく魔法にまでも有効かどうかはまだ分からない。ある意味これは賭けだった。思わず目を瞑る。

 激しい電流の音が、オレの鼓膜を破壊せんと暴れる。静電気を何万倍にも大きくしたような爆音が轟く。だが、それだけだ。オレは痛みも苦しみも感じない。閉じていた目を片目だけそっと開く。すると、


「き、貴様、何という……!?」


 オレの龍王の右腕ドラゴン・アームは、二メートルを超える雷の塊を、その手で受け止めていた。


「賭けに……勝ったみたいだな!!」


 右腕を震わせながら、暴れる雷にオレの意思を伝える。すると、球体だった雷が、大きな雷剣に変化した!


「な、何という力……! まさか私の最大魔法を制御するなど……!!」


 ニヤリと笑う。


「悪いなおっさん。どうやら、オレは、この世界でも」


 最強みたいだ。


「うおおおお!!」


 雷剣を構えて、一気に魔王と肉薄する。片手で握った剣を、振り下ろす!


「グアァァァアァ!?」


 圧倒的な殺傷力を持って、魔王の身体を袈裟懸けに斬りつけた。激しい電流の音がして、雷が魔王の肉体を駆け巡っていく。重々しい重低音を立てながら、魔王がその膝をついた。


「み、見事だ……。まさか貴様が噂に聞く勇者……」


 流石は魔王。どう考えても必殺の一撃を喰らっても、絶命する気配を見せない。たが、雷剣によって血液が蒸発し、その身体から蒸気を噴出させている。


「いや、違う。オレは勇者じゃねぇ」


 正直に答える。本当は勇者が倒すべき存在を、異世界転移して一時間もしないうちに倒してしまった。我ながら恐ろしい。


「何と。それほどまでの強さを持つ貴様が、勇者ではないだと?」


「そうだ」


 しかし、不味いことになった気がする。これはオレに課せられた目的とは違うものだ。魔王は、勇者が倒さないと意味がない。しかし、やられた魔王の様子がおかしい。真っ黒な、見事なひげの生えた口元に片手をあてて、何か思案しているようだ。


「しかし、素晴らしい。誠に素晴らしい力だ……」


「お、おう。そりゃどうも」


「魔界では、強さこそ正義で法だ。貴様、いや、そなた……」


 本当に様子がおかしい。オレを見る目つきはまるで、大切なものを、探していたものを見つけたかのような……


「私の娘を、嫁にもらってくれ……!」


「は?」


 これが、オレのおかしな異世界転移の始まりである。


『あ! やっと繋がった。江戸川竜士さん、魔界では強い生物と結婚したがる習慣があります! なので魔族と会っても闘わないで下さいね!』


 ポンコツレイヤー女神の、ありがたい忠告が、虚しくオレの頭の中で響いているのを感じながら、オレはその場に固まっていた。

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