第五十二魂

不仲故に


ゆらゆらと揺れる線香の煙を眺めていると、不思議とこの世界からいなくなってしまうのではないかという不安に駆られる。普段ならばそんなことは考えもしないのだが、一体どうしたことだろうか。ふと、自分のすぐ隣で、同じく仏壇に手を合わせるエレッタに目をやる。あぁ、やはり彼は大人だな。落ち着いた様子の彼を見て、ひかりは漠然とそう感じていた。

すると、眺めていた彼が目を開けた。まずい、仏壇を前にして他所に意識をやっていたと知れたら、叱られてしまいそうだ。晄はさっと目を閉じると、いかにも先祖を想っているかのような素振りと顔つきをしてみせた。


「……晄。」


不真面目な態度が知られてしまったか?そう焦る晄だったが、ふと目を開けて改めてエレッタを見れば、彼の顔はいつも通りの仏頂面ながらも、叱り付ける時のような険しさはなかった。ホッと一息つくと、晄は合わせていた手を離して床に置き、軽く体を彼の方に向けてひねった。


「ん?なに?」

「寝泊まりする部屋だが、お前はどうする?」

「え?」


やはり、不真面目な態度が知れたわけではなさそうである。それにしても大して重要ではなさそうな問いだ。思わず拍子抜けした晄だったが、礼儀正しい姿勢を崩さぬエレッタのせいで、それがまるで重大なことのような気になってしまうのが不思議である。そもそも、エレッタも仏壇に手を合わせている間にその事を考えていたのではないだろうか?勝手にそう解釈して仲間意識を感じた晄だが、彼の問いへの適切な解答がまるで出てこなかったがために、気づけばそんなしょうもない感情は吹き飛んでしまった。


「どうするって?」

「あぁ、すまん。我と同室か、前に貴様が使っていた部屋かどちらを使うつもりなのかを聞きたかったのだ。」

「あぁ、なるほど……」


空港から、車で片道約四十分の道のりを経て無事実家にたどり着いたはいいが、あくまで晄とエレッタは客人だ。そこで数日間とはいえ寝泊まりするのだから、どこか特定の部屋を利用することになる。エレッタの問いの意図が分かると、晄はうんうんと頷いて、何かを考え出した。

エレッタと同室となると、この家に用意された客間で寝ることになるわけだ。晄はてっきりそうなるものだと思っていたので、まずそれ以外の選択肢を出されたことに少し驚いていた。ただ、その選択肢というのが少し問題だった。晄が以前使っていた部屋。その言葉だけ切り取れば一見一人部屋のように思えるが、実際はそうでは無い。というのも、彼女が以前使っていた部屋というのは、双子の兄であるひかるとの二人部屋なのである。

幼い頃に二段ベッドをせがんだおかげで、洸の一人部屋になっているその部屋にも晄の寝場所はあるのだろう。それ故のその選択肢なのだろうが、それを考えても、晄はその選択肢を選ぼうという気持ちは微塵もなかった。というのも、既に晄が去った後のその部屋は、もはや洸だけの根城なのである。そんな所にズカズカと立ち入るような真似をしては、どうなるか分かったものではない。そんな環境ではとても安らげるはずもないだろう。

……そう考え至れば、自ずと答えは一つに絞られた。


「エレッタと同じがいい。」

「……まあそうだろうとは思ったが。分かった。響季に伝えておく。」


エレッタはそう言ってようやく正座をした足を崩して立ち上がると、そのまま仏壇のあるこの部屋から廊下へ歩き出した。晄もそれに習って立ち上がると、トタトタと足音を立ててそのあとを追った。

向かった先は、そこからさほど距離のないリビングだった。淡い茶色の絨毯と、それとほぼ同じ長さの炬燵が姿を現す。流石に夏真っ盛りの今は、ただの飾り気のない机と化しているが、見慣れたそれを見た途端、晄は吸い込まれるようにその傍らに腰を下ろしていた。


「ん、あいさつ終わったー?」


リビングの奥にあるキッチンから、気だるげな母親の声がした。カチャカチャと、陶器のぶつかる音も聞こえてくる。そこで何やらやっているようだが、ひとまず、慣れた調子でその声に答えた。


「終わったよー!」

「ちょっと今……よいしょっ。メロン切るけど、食べるー?」

「えっメロン!?食べたい!!」


ガンッ、バタッ。キッチンから重たい音が聞こえる。恐らく、晄の母親がメロンをまな板の上に置いた時のものだろう。音からして、随分と大きなもののように思える。少なからず、人の頭程の大きさは十分にあるだろう。白い網目が走るその姿を想像すると、不思議と涎が溢れてくる。それをゴクリと飲み込んで、ちょうど目の前に座ったエレッタに視線を送った。


「……どうした。」


何も言わず、ただにこにこと笑いながら見つめてくる晄に、エレッタは困ったように呟く。相変わらずその笑みを崩さぬまま、晄はへへへと腑抜けたように笑った。


「メロンってことは、蒼太そうたんちのやつだよ、きっと。」

「蒼太……あぁ、あいつか。」


久しぶりに聞く名前に一致する顔がなかなか浮かばなかったエレッタだったが、よく晄とつるんでいた少年の顔が思い浮かぶと、スッキリとした顔で言った。

蒼太は、晄の幼なじみの一人である。人口の少ない三葉町において、数少ない晄の同級生でもある。そんな彼の家は、地元では名の知れ渡ったメロン農家なのである。その実の大きさや形もさることながら、その滑らかな食感と甘みが好評で、三葉町みつばちょうの住民は大抵虜にされていた。


「蒼太んちのメロン、はちゃめちゃに美味しいんだよね〜!えへへ!」

「……大分前にも聞いたな。」


それは晄も例外ではない。特に、幼い頃よく彼の家に遊びに行っていた彼女は、夏になるとおやつ代わりにメロンを奢ってもらっていた過去もあって、その味がしっかりと体に刻まれていたのだ。それが今、久方ぶりに口の中に収まろうとしているのだと考えると、ただでさえだらしない笑みがさらに酷くなる。あまりに緩みきった頬。ずっと見過ごしていたが、長く見るうちに耐えきれず、エレッタはその額にピンッと人差し指を弾いて当てた。


「みぃっ!つぅ……!な、なんでデコピン!?」

「いつまでもだらしない顔をするな。」

「え、そんなだらしなかった?」

「ああ。食い気にやられた酷い顔だった。」

「うっそだぁ……?」


額を擦りながら、不満そうにエレッタを見つめる。そんな晄からの視線に一切怯む様子はなく、彼は相変わらずの仏頂面である。ぶつぶつと続けて文句を言う晄を見るうちに、エレッタは耐えきれず、大きなため息をついた。


「はぁ……全く、心配して損した気分だ。」

「ん、心配?なんの?」


腕を組み、目をつぶった彼は、ため息混じりに呟いた。頭の中がメロンでいっぱいだった晄も、その言葉で甘味から切り離される。彼の言葉の真意が分からず、晄は反射的に問いかけた。

相変わらず呑気そうな顔つきをする彼女に、エレッタは困ったようにしばらくぼうっとその顔を見つめていた。ようやく目を逸らしたと思えば、また口からため息が漏れ出る。さらにわけがわからず、クエスチョンマークで埋まっていく晄の頭の上に、エレッタの無骨な手がポンと乗った。


「え、エレッタ?」

「貴様が気にしていないのなら良い。そら、待ちに待ったメロンだぞ。」


直後、頭の上に乗ったエレッタの手に急に力が入る。その手に頭をグイッと右に動かされて、そのまま自らも右を向く。すると晄の視界には、エレッタの言った通り、切られたメロンの乗った皿を持って母親がやってくる姿が見えた。


「メロン!!メロンだ!!」

「どんだけ好きなのあんた……はいどーぞ。」


はしゃぐ晄にクスリと笑いながら母親の響季ひびきは、一口大に切り分けられたメロンの沢山乗った大きな器と、二本のフォークを机の上に置いた。直後、エレッタの手が頭から離れて自由になると、晄はさっさと置かれたフォークを掴み、一切れのメロンに突き刺して口に運んだ。


「ん〜!!」


ふにゃりと溶けるような柔らかな果肉、溢れる甘い果汁、ピリピリとした程よい酸味。目を閉じてそれをさらによく味わう晄は、感じた味に体が反射的に反応し、無意識のうちに鶏のように腕をばたつかせていた。まるで、彼女の周りだけ花畑が広がっているようだ。彼女の想定以上のはしゃぎ様に、フォークは掴んだもののメロンに手をつけずに、エレッタはただ見ているだけであった。


「そ……そんなにか。」

「ん〜、ふふへ〜!うん!」


あまりの美味しさにすっかり蕩けた晄の脳は、もはやまともな単語一つ口から出すことすらしなかった。それでも、だらしないほど口角の上がったその表情から、晄が言わんとしていることはおおよそ理解出来てしまうことに感動する。そして一つ、また一つとぽんぽん口の中に果実の欠片を放り込んでいくその姿に、なくなる前にせめて一欠片は頂きたいと思ったエレッタは、手にしたフォークを器の方へ運んでさっさと果実の一欠片に突き刺すと、それを口に運んだ。

柔らかい果実は、十分すぎるほどに甘ったるい果汁をいっぱいに染み込ませている。噛んでみれば、それが一気に溢れ出して口中を支配した。食感も硬すぎず、確かに食感を感じる柔らかさであった。しばらくそれを咀嚼した後ゆっくりと飲み込むと、エレッタはぽつりと、漏らすように呟いた。


「……美味いな。」

「んん!んんん〜!!」


心做しか、普段より輝いて見える彼の姿に、そうだろうと言いたげな様子で何度も頷く晄。思わずもう一欠片口に入れるエレッタを嬉しそうに眺めながら、彼女もまた一欠片頬張った。そんな二人を満足げに眺めてクスリと笑いを零すと、響季は洗い物のためか、キッチンの方に引き返していく。去っていく彼女の方にも意識が行かないのか、二人はしばらくの間まともな会話もすることなく、同じ器のメロンを分け合った。

そんな調子で、器が空になるのは一瞬だった。もう何も無くなった器を、心做しか寂しそうな視線で二人は見つめる。使い終えたフォークを器の中に放り込むと、晄は手を合わせた。


「ごちそうさまでした。あたし片付ける?」

「……いや、我が行こう。」

「そう?ありがとう。」


エレッタは器とフォークを持って立ち上がり、さっさと物音のするキッチンの方に歩き出した。去っていくその姿を名残惜しそうに見つめる晄。と、その時。その耳に微かなエンジン音が入り込んだ。

空港で迎えに来た時の響季の言葉を思い出す。今日、何故普段通りに父親が来るのではなく彼女が迎えに来ていたのか。そして、何故この家を訪れても響季以外の家族がここにいなかったのか……。ズキッ。心臓に針が刺さったような痛みが走った。先程までメロンの事で浮かれていた脳内が、一気に緊張で強ばる。タイヤが動く音がする中、晄は深呼吸でそれを紛らわそうと必死になった。


「っ……!」


まだ、車の動く音は止んでいなかった。しかし、玄関扉がガラガラと開くのが聞こえてきて、思わず体がビクリと跳ねた。車を停めるより先に降りて、ここに来たのだろうか?

玄関の物音から、キッチンの方から聞こえる水の音へ逃げるように耳を傾ける。そもそも、何故緊張などしているのだろうか。今、玄関にいるだろう彼は家族だ。心の置けない家族であるはずなのだ、と自分に言い聞かせる。なにも、分かり合えない相手ではない。変に緊張などせず落ち着いて話せば、家族らしい穏便な会話など容易であろう。

自己暗示のように頭の中で繰り返している時、玄関から舌打ちが聞こえてきた。リビングの扉が開け放たれているせいで、ハッキリとそれが耳に残る。それから少しと経たず、わざとらしくバンっと玄関扉が閉められる音がした。


「クソっ。」


小さな声だった。それでも、晄の頭では大きな声で反響する。やはり、最後に会った時と何も変わっていなかった。メールの一つすら送っていなかったので当然なのだが、少しでも良い方に向かっていたらという期待はここで砕けた。ならば、これから変えていけばいい。今、この瞬間を境に関係を改善すれば良いのだ。そう自分に言い聞かせると、その体を廊下側に傾けて、彼の姿が見えるのを待った。


「あ、洸!おかえり!」


パキッとした声で、ようやく視界に入ってきた彼……双子の兄の洸に声をかけた。ありったけ笑ってみせる晄に対し、洸は眉間に皺を寄せ、こちらを睨みつけている。見慣れたそれに、晄は大して怯むことはないようだったが、洸が何も話し始めることも、こちらに近づくことすらしないのを見て、胸の中が冷える感覚だった。


「でっ、出かけてたって聞いたけど……」

「何しに来た。」


沈黙が耐えきれず話を振ろうと口を開いた時、低く冷たい声に遮られた。氷柱のようなそれに狼狽えるも、晄はその笑みを崩さぬようにと心がけて、その答えを絞り出した。


「えっまあ、里帰り……というか。」

「バケモンはどうした。どうせ何も解決してないんだろ?」

「ぁ……い、えっと……!」


吹き矢の如き勢いで、氷柱のような言葉がさらに刺さってくる。責めるような、それでいて否定も出来ないそれになんと答えればいいかわからず、あちらこちらに視線をやった。あぁ、早く答えなければ。そう思うほどに頭が働かなくなる。そんな彼女の事など待つはずもなく、彼はさらに次の言葉を放った。


「戦士ってのはな、自分の都合で任務を放棄するようなお前みたいなヤツには向かないんだよ!親が恋しいなんてお前の我儘のせいで、バケモンはまた数を増やしてるんだっ!」


その言葉に、笑顔を取り繕う余裕が失われる。言い返す言葉が浮かんでも、体が凍りついたように動かず、結局洸の睨む顔を見ているだけだった。


「何だよ、自分から話しかけておいて、都合が悪けりゃ黙りか?」

「あ、……あっちのことは、今ほかの仲間に任せてる。だから大丈夫だよ。」

「仲間……?へぇ。」


晄の反撃に、洸はさらに声が低くなる。先程よりも目つきもさらに鋭く変わった。その冷ややかな彼の視線を受け続けた晄の目も、それにつられて険しくなる。生意気ともとれるそれに腹を立てたのか、洸の頬が一瞬ピクリと動いた。


「お前が持って行った水晶か……なら、その仲間ってのはせいぜい三、四ヶ月しか戦士をやっていないことになるな。いくらお前とは言えど、五年も戦士をやってるなら、お前の方がましな仕事が出来るだろ。お前がそっちに残った方がいいとは思わないのか?」

「でも、みんなだって……」

「それともなんだ、お前は、始めて半年と経たない半端者と同程度の腕前しかないとでも?」


睨み続けていた洸の口元が、少しばかり弧を描いた。小馬鹿にしたようなその表情を前に耐えきれず、晄も和解する目的も忘れて立ち上がり、彼を睨みつけていた。こちらが睨むのはいいが、相手から睨まれるのは気に入らないらしい洸は、また晄を睨みつけた。今にも取っ組み合いが始まりそうな、ピリピリとした空気。その中で、晄は口を開いた。


「バケモンだって、普段は普通に生きてる人の感情で、戦うのも得意なわけじゃない。だか……」

「だから初心者でも平気だっていうのか!?なら、幹部が出てきたらどうするんだ!襲われて水晶が壊されたら!?

ハッ。能天気なヤツが。反吐が出る……!」

「そ、そんなこと言って、洸はバケモンのことよく分かってないくせに!」


一方的に責め立てられ、耐えきれず晄は叫んでいた。何故、ただ御盆に里帰りをしただけでここまで言われなければならないのか、とても納得がいかない。彼の言い分が正しいのかどうか晄には判断できかねたが、ただ、晄の行動にはここまで侮辱されるようなことはないことは明らかだ。

彼女が真っ直ぐに洸を見つめて、ああ言った直後だった。廊下に立った彼の顔が歪んだとほぼ同時に、ダンッ!と足を踏み付ける音が響いた。考えるまでもなかった。洸が、地団駄を踏んだのだ。


「生意気な口聞きやがって!!成り行きで戦士になったお前が、何故俺に文句を言える!!」

「あたし何も間違ったこと言ってないよ!実際に戦ってみないとわかんないことあるし、そもそも洸は仲間のこと全く知らないのに決めつけて文句ばっかり……!」

「お前より俺の方が劣ってるとでも!?」

「そっ、そういうこと言ってるんじゃないじゃん!!」


もはや、和解するために始めた会話とは思えぬほど、二人の言い合いはヒートアップしていた。一秒の隙間もなく言葉が飛び交うその様は、とてもじゃないが、一般的な双子の日常会話とは程遠かった。こうなってしまえば、もはやブレーキの壊れた車のようにどこまでも下り坂を落ちていくばかりである。これでは、あと十分間は続くだろう。

一体、彼との家族らしい会話が無くなったのは、どれだけ前だっただろうか?ああ。それは確か、五年ほど前の、あの日から……。

少し冷静になり始めた晄がそう頭の隅で考えた時、ずっとこちらを睨んでいた洸の視線が、急に上に逸れた。


「黙らんかっ!!」


何事かと晄が思った時、頭上から、二人の言い合いに負けぬほどの大声が降ってきた。鶴の一声のようなそれに、辺りはしんと静まり返る。声の正体であろう後ろからの気配に振り返ってみれば、そこには酷く睨みを聞かせて洸を見下ろすエレッタの姿があった。

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