第五十一魂
黄色の戦士
「うぐあぁあ!!!」
晄の父親の右腕が、バケモンのハサミによって、切り落とされてしまった。彼の右肩辺りからは、ダラダラと血が流れ出た。
「うぐっ……」
すると、水晶の判断らしい。彼の元から、黄色の戦士の証である、黄色のスカーフとマントが消えてしまったのだ。変身が解けると、戦いで受けた怪我を水晶が一部修復する。その通りに彼の右肩からの出血は止んだが、彼の右腕は蘇らなかった。彼は、その衝撃に耐えきれず、バケモンの頭から、倒れ込むように真っ逆さまに落ちていった。
「いかん!!」
エレッタが急いで真っ逆さまに落ちる体を受け止めに走り出した。それは、なんとか間に合ったらしい。今度は、その大きな体を抱えて、晄達がいるのと同じ方向に向かって走り出した。
「おい
エレッタは、彼の名を呼びながら、木陰に横たわらせた。ちょうど瞬間を見逃してしまった
「おじさん!!大丈夫!?」
「おいおやじ!しっかりしろ!」
二人の叫び声も、彼の耳には届かなかったらしい。出血量が少し多すぎたのかだろうか、もしくは意識があっても、答える余裕も無いのだろうか……その姿に、二人は見る見る顔を青ざめていく。そのすぐ横で、荒い呼吸を繰り返す彼を見下ろしながら、エレッタはわなわなと震えていた。
「おじさん……!!」
「おいエレッタ!このおやじどうすんだ!」
「……いいから貴様らは逃げろ!このままではやつがここまで来るぞ!!」
「おじさん置いて逃げろっての!?」
「いいから早く逃げろ!!」
普段なら感情的になどならないエレッタが、今日だけは例外だった。その気迫におされ、蒼太の方はたまらず逃げ出した。洸の方も、この場に留まっていることは有益ではないと判断したらしい。とりあえず、早くこの事実を伝えようと、自宅に向かって走り出した。
……しかし、その中でもたった一人、まるで足を動かさない人物がいた。
「おい、晄も早く逃げろ!」
「……やだ!!ぜったいやだ!!」
彼女は、そう力強く叫んだ。その目には、恐怖からか悲しみからか、いっぱいの涙を溜め込んでいた。その視線の先にあるのは、視覚に獲物を捉えたあのバケモンがこちらに近づく所だった。
「何を言っている!貴様が解決出来る問題ではないのだぞ!!」
「でも、このままじゃあのバケモンがずっといることになるじゃん!」
「おい!!」
そう言うと、晄は何も持たず、バケモンの方に走り出した。あまりに無鉄砲な行動に、エレッタは急に走り出した晄を追いかけて、その肩をガシリと掴んだ。
「死ぬ気か貴様!!何も持たずに向かったところで死ぬだけだぞ!?」
「だって!あっちに武器が落ちてるんでしょ!?拾えばなんとか……」
「今は水晶の中だ!!」
そう言われ、キョトンとした表情を浮かべる晄。まだ戦士のことなど何も理解していなかった彼女には、水晶というものが何なのかをほとんど理解出来ていなかった。エレッタはそれに気がつくと、大きなため息をついた。一旦晄から離れ、晄の父親の元に向うと、彼の首にかかっていた黄色の水晶を取り、また晄の方に戻ってきた。
「晄、さっき言っていたことは本心か?」
「うん。」
蟹のバケモンの足音が二人の耳に近づいてくる。それでも、晄の目はそちらに向かわず、真っ直ぐにエレッタの方を向いていた。その目に溜められた涙は決して流れて来ることはなかったが、エレッタにはそれが気がかりだった。しかし、彼にはこれを利用する他はないと、そのまま彼女に近づいて、その視線と合わせるように立ち膝をした。
「……わかった。いいか、よく聞け。」
そう告げると、エレッタはその手に持っていた黄色の水晶を晄の首にかけた。晄のまだ小さかった体には、その紐が大きかったらしい、その先に付けられた水晶は、不自然に下にあった。それにエレッタは罪悪感を覚えながらも、彼女の肩を掴んで、こう語りかけた。
「『轟け、我が魂。』これが、戦士となる時に唱える言葉だ。」
「『轟け、我が魂。』……?」
「そうだ。もし、先程貴様が言っていたことが本心ならば、その水晶は、貴様の願いに答えてくれるだろう。
ただ……もし何も起こることがなかったとしたら、諦めて逃げることだな。」
そう言うとエレッタは、既にそう遠くにはいないバケモンに向かって駆け出して行った。晄はそれをしばらく見送ると、首からかかった水晶を、軽く手に持った。この水晶が、戦士という奇妙なものに姿を変えさせるとは、彼女にはにわかに信じられなかった。エレッタが嘘をつくはずがない。そう彼に絶対的な信頼を寄せる彼女であったが、そんな疑問が浮き上がっていた。
「うわっ!」
しかしその時だった。不思議なことに、黄色の水晶が突然優しく光り輝いたのだ。まるで、彼女に何かを語りかけるようにして、その驚いた顔を照らす黄色の光。それを見ているうち、晄はハッと気がついた。
水晶の向こうを見上げると、多少の負傷を伴いながらバケモンと戦うエレッタの姿が見える。あのエレッタですらも苦戦するバケモンという存在に、体が萎縮する。しかし、バケモンは戦士でなければ浄化できないことを、晄は知っていた。晄にとって戦士となるはずの洸は、この場にはいない。ここで戦士として戦えるのは、自分だけだ。晄は、そう覚悟を決めて、小さく震えながらも高らかに、こう唱えた。
「『轟けっ!!我が魂!!』……うわっ!!」
すると、晄の首にかかっていた黄色の水晶は、強く光り輝いた。体験したことないほどの眩しさに、周りの薄暗さも相まって、たまらず晄は目を閉じた。
しかしふと目を開けると、晄の目には、自らの首に黄色のスカーフとマント、その右手には雷を纏った両剣が握られているのが映った。
「えっ!どういうしくみ!?あっ、そんなこと言ってる場合じゃなかった!」
目を閉じている間に何があったのだろうか?幼い彼女の好奇心は一瞬揺れ動いたが、今の彼女目的は、自分の父親の右腕を切断したあのバケモンを倒すことだ。それを改めて認識した晄は、目の前にいるバケモンに向かって、全速力で駆け出した。心做しか、いつもより体が軽いような、そんな気がしていた。
「エレッタ!!」
晄が少し離れたところからそう叫ぶと、エレッタはすぐに気がついた。一瞬だけ彼女に目をやると、彼は、龍の時の姿に変形させた右腕でバケモンの足を引っ掻くと、素早くこちらにやって来て、晄に言った。
「本当に、戦士になったのだな。」
先程の水晶の光のせいで、晄の目はエレッタの表情を正確に映し出せなかった。彼が一体どんな表情でそれを言っているか、読めない。晄はすこし不安に思ったが、その瞬間、彼女は自分の足が浮いた感覚がした。
「うわっ!」
どうやら少しの間にも、バケモンがこちらに近づいていたらしい。バケモンが、ハサミでこちらを殴ろうとしていたのを見破り、エレッタは人間の姿のままの左手で晄を持ち上げ、横に避けた。それから、彼女を抱えたまま、またバケモンから距離を取った。
「油断するな。あのバケモンは、普段のものよりも強い感情から生まれたもの。それ故、いつも以上に手強い相手だ。初戦には相応しくない相手と言っていい。」
「……不安になってきた。」
「そうだろうな。」
晄は、衝動的に戦士になると言ったことを後悔した。後先考えず、というのは彼女の昔からの悪い特徴だ。エレッタはそれにああ返しながらも、彼女の弱音には耳を塞いでいた。
バケモンからは、まただいぶ距離が開いただろうというところで、エレッタは晄を降ろした。
「……いいか、貴様の持つ武器、両剣は、かなり扱いづらい武器だ。中央から二つに分けて、二本の薙刀に変形させろ。」
「えっと……こう?」
エレッタは、晄の手にずっと握られていた両剣を指さして言った。彼女は、彼の指示通りに両剣の中央の辺りに手をやると、そのまま両端に向かって思い切り引っ張った。すると彼のの言う通り、両剣は二本の薙刀へ変形した。彼はそれを満足げに見ると、そのうちの一方を彼女から取り上げた。
「今は一本で戦え。」
「えっ!?なんで!?」
「いきなり二本も扱えるわけがない。むしろ一本でも不安だ。」
「じゃあ、またさっきのに戻したらいいじゃん!」
「そんなもの、自分の武器で怪我をする未来しか見えんな。」
晄の訴えを、エレッタはそう言って流して見せた。不服そうにする晄だったが、彼女には戦闘経験などあるはずもなく、彼に従うのが賢明なのはあきらかだった。それに、ああ言い返されてしまえば言い返す言葉も出ない。晄は大人しく、取り上げられなかった方の薙刀を見つめた。
「基本は我が攻撃する。貴様はまず、隙をついて奴の左下の足を狙え。」
「わ、わかった。」
「しばらく続ければ、やつの左足の肉に直接攻撃できるだろう。その時は、その両剣を思い切り突き刺せ。いいな?」
「うん。左下の足だね?」
「ああ。任せたぞ。」
エレッタは、晄を下ろすと、バケモンの方に向かった。そして、その龍の姿の時と同じ鋭い手で、バケモンの背中を思い切り殴りつけた。バケモンは、不意打ちに怯んで、体を強ばらせる。晄はその隙をついて、バケモンの左下の足に向かって叩きつけるように両剣で攻撃した。バケモンの左下の足に元から入っていた傷が、その衝撃でヒビに変わった。
「その調子だ、晄!」
そう言うエレッタの声が聞こえてきた。蟹のバケモンと正面から向かい合いながらも、彼は晄のことを見ていたようだ。晄は、突然かけられたその声に嬉しさが湧き出たが、それが油断となった。
「あ゙ぁっ!」
バケモンは、晄の小さな体を足で蹴飛ばした。その軽い体は、どうすることもできずに投げ出され、それがまた地面に戻る頃には、受け身すらとることが出来ずにその全身に痛みと痺れが広がった。
それでも、なんとか起き上がって奴を倒さなければ。そう意気込んでのそのそと立ち上がろうとした時、そのすぐ目の前に、赤がこびれついた大きなハサミが迫った。晄は幼い頭でもその赤の正体を理解した。途端、彼女はその体が動かなくなった。足がガタガタと震えだす。少し前に見た光景が思い起こされ、それが自分にも迫っていると理解すると、もう彼女には、瞬き一つする余裕すらなかった。
「くっ。」
ハサミが目の前で開き、もうこれまでかと思った時だった。視界の端で、黄緑色の髪が揺れるのを捉えた。途端、何かにガッシリと体を掴まれる感覚がして、そのまま、真横に体が倒された。
「馬鹿者!!」
耳元でそう叫ぶ声がして、ハッとした。先程まで目の前にあったハサミは、今は真上で閉じられている。それを見上げながら、晄はようやく、今起こったことを理解した。ハサミに首を跳ねられかけた所を、すんでのところでエレッタが助けてくれたのだと。
礼を言う暇すらなかった。バケモンが、今度は二人を殴ろうとあのハサミを振り上げたのだ。エレッタはそれも予測していたのだろう。寝そべったような態勢のまま、晄ごと横に転がってそれを避けると、彼女を手から離し、彼女から取り上げていた両剣の一片を投げ飛ばした。
「もう良い。貴様は手を出すな。」
晄が顔を上げてみれば、そこには、自分の三倍の大きさがある、黄緑色の龍が浮かんでいた。龍はそう言うと、バケモンの方に飛んで行った。その龍がエレッタであることを理解するのに、晄は少々時間がかかった。晄が初めて彼の本当の姿を見たのは、この時だった。
龍は、その蛇のようなしなやかな体をバケモンに巻き付けた。バリバリと嫌な音を立てて、バケモンの体が軋む。バケモンは反撃とばかりに、そのハサミをエレッタの体に突き立てる。硬い鱗を突き破って、それは彼の肉を蝕んだ。
「生意気な!」
不意に攻撃を受けたエレッタだったが、彼もバケモンである。痛みなど感じず、ただそれらしき感覚がするだけだ。それでもその攻撃が気に食わず、エレッタはさらにバケモンに自らの手に生えた鋭い爪を食い込ませ、思い切り引いた。そこから、青色の血が垂れる。エレッタはバケモンを一度解放すると、その尾で思い切り跳ね飛ばした。
「うわっ!」
突風が向かい側から吹きすさぶのと、真上スレスレを蟹のバケモンが飛んでいくのは、ほぼ同時だった。すぐ後ろで、ゴトンと音がたったのを聞いて振り返れば、そこにはあのバケモンが倒れ伏していた。晄は、恐怖と焦りから反射的に、まだその手に持っていた両剣の一片をその体に突き立てた。
「そやつはもう動かん。」
声に驚いて後ろを振り返れば、そこにはまた、人の姿に戻ったエレッタが立っていた。彼は、立ち上がった晄のすぐ横に並ぶと、動く気配のないバケモンを見下ろした。
「浄化しろ。呪文は『サンダーフォルテシモ』だ。」
そばに転がっていた両剣の一片を拾い上げ、晄に手渡し言った。バケモンの方にまた向き直り、晄はただそれを眺めていたが、いつまでも受け取る気配のない彼女に痺れを切らし、エレッタは彼女の肩を両剣の持ち手で軽く叩いた。
「起き出したら面倒だ。早くしろ。」
「あっ……ごめん。」
今起こっていることを、現実と認識しかねた。もしかしたら夢幻の類なのではないかと今更ながら疑ってかかった。しかし、その肌寒い温度、川辺の湿度、背を打った時から残る鈍い痛み、バケモンから香る血の香り、そして何よりも目の前にある光景が、それを否定した。
「『サンダー、フォルテシモ。』」
ぽつり、そうこぼすように唱えた時、晄は理解した。父の姿を前にして衝動的になると決めてしまった、戦士というものの重さを。どこからかやってきた雷がバケモンを貫き、その姿を消し去る瞬間、この光景が日常と化すだろうことを想定してみたが、晄は今更ながら、それを拒みたいと思った。
気がつけば、辺りは川のせせらぎ以外、何もかもの動きを止めていた。
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