第五十魂

晄の過去


「うん……うん、わかった。じゃあすぐ行くよ。じゃあね。」


耳元に当てていたスマートフォンを離すと、ひかりは、その画面内の通話終了ボタンに触れる。そこから、ツーツーという機械的な音が流れると、エレッタは足元に下ろしていた荷物をひょいと持ち上げ、晄の方を見た。


「母さんもう来てるって。ロビーの方のお土産売り場にいるって言ってた。」

「そうか。ならば行くぞ。」


エレッタは、晄から話を聞くと、大理石の床をコツコツと鳴らしながら歩き出した。晄は、その少し後ろを遅れぬように早足でついて行った。

八月十二日の夕暮れ。二人は木霊市こだましを離れ、晄の故郷である三葉町みつばちょうからは一番近くの空港にやって来ていた。お盆休みと言えば、多くの人々が空港を利用するものだ。それはこの空港も例外ではなく、晄達の他にも多くの家族連れや若者の姿が見える。その中で、二人はある人物に会うために、その目を凝らしていた。


「お土産売り場ってどっちだっけ?」

「何言うか。もう目の前だぞ。」

「え?あ、あれ母さん!?」

「何……!?どこだ?」

「え、ほら、あそこ!」


晄は、土産売り場の前のベンチで一人背伸びをしている、ベージュのショートヘアをした女性の後ろ姿を指さした。それを見て、エレッタは確信したらしい。軽く荷物を持ち直すと、その女性の元に早足で向かった。


「おい、来たぞ。」

「ん?」


エレッタが声をかけると、彼女は伸びをやめ、彼の方を振り返った。そうして、その、晄と同じ橙色の目が彼の姿を捉えると、彼女の気だるそうだった表情が、少し綻んだ。


「わぁ、瑛太えいたくんじゃない。相変わらず元気そうね。」

「もうエレッタでいいと言っただろう、響季ひびき。」

「じゃあ、あたしのこと義姉さんって呼んでみなさいよ。」

「……お前は相変わらずだな。」


そうやって、彼女が呼び慣れているエレッタの偽名で彼のことを呼ぶと、これを聞いた彼はむず痒そうに頭をかいた。彼女……雷電らいでん響季は、晄の母親であり、エレッタとは彼女が幼少の時からの知り合いであった。仕事帰りなのか、彼女の服装はフォーマルなもので、気だるそうにしていたのも、それの影響なのかもしれない。しかし、エレッタから少し遅れて顔を出した晄の姿を目にすると、彼女はその表情を大きく変えた。


「エレッタ、足速い……!」

「晄!」

「!母さん!」


実の母から名を呼ばれ、晄はニヤリと笑って彼女の元に駆けていく。そんな二人からエレッタが一歩引くと、二人の体は、何故か彼の方に近づいていく。そうして、その体がそのすぐ側まで来ると、彼の顔のほとんど正面の辺りで、互いの手を合わせてハイタッチをした。パチンっと小気味の良い音が響く。二人の手が離れた頃、エレッタの顔にはしてやられたと言わんばかりの、悔しそうな表情が浮かんでいた。


「どうだ!愛のねこだましは!」

「これを食らったなら、大人しくお土産を渡しなさい。」

「貴様ら……」


いたずらっぽく笑う二人を前に、エレッタの中には、少しの敗北感と屈辱感、そして安心感が湧いていた。この、愛のねこだましとは、まだ晄が三葉町に暮らしていた時、年末とお盆、そして晄達双子の誕生日の時に訪れるエレッタに対して、晄とその父が毎回必ず行っていた、一風変わった歓迎方法である。何故こんな事をするのか、というのは愚問である。とにかく、晄にとってはこの恒例行事をやらないわけにもいかず、今回は彼女の父は席を外していたため、母親である響季がその代役を担った、というわけなのであった。

エレッタは一つため息をつくと、手に持っていた荷物のうちから紙袋を二袋選ぶと、響季に手渡した。


「……ほら、土産だ。」

「え、二袋も?悪いね。」

「何処かの阿呆が写真を送る度に、その銘菓も買えあの銘菓も買えなどとほざいたからだ。」

「それ、あんたの兄でしょ?」

「戸籍上のな。貴様の旦那だろ。何とかしろ。」

「無理よ、育ち盛りなんだから。」

「四十路の育ち盛りがいてたまるか……」

「……あれ、そう言えば、なんで父さんは来てないの?」


二人の会話の中に父親の存在を感じ、晄は、ふと疑問に思っていたことを問いかけた。彼女の父親は、いわゆる専業主夫であり、戦士としての役割が晄の元に渡った現在は、これといって特別な用事ができること自体が稀なことであった。それなのに、何故彼はここにいないのだろうか……?晄には見当もつかなかった。しかし、そんな彼女の問に、響季はすぐに答えた。


「ああ、なんか今朝急に、ひかるとどっかに出かけてったよ。」

「え?なんで洸と?」


しかし、その返答は、晄にとってはあまりにも想定外なものであった。洸とは、晄の双子の兄である。彼は晄と違い戦士ではないため、木霊市に来る理由など無い。そのため、二人は兄妹でありながらも別居していたのだ。

しかし、何故彼は出かけようなどという気になったのだろうか。それも、響季の口ぶりからして、前もって決まっていたことではなさそうに見える。晄は、どうも引っ掛かりを覚えてならなかった。


「さぁ……?まあ、そんなに気にしちゃだめよ?」

「……う、うん。」


響季にはああ言われたものの、晄の中の引っ掛かりは解けなかった。数ヶ月ぶりに、胸の辺りがキュッと締められるような感覚を覚える。都合が悪く思えた晄は、そっと足元に目を移した。


「……響季、そろそろ行けるか?」

「え?えぇ……突然ね。」

「何。あきら美代子みよこにも顔を出さねばならないだろう?」

「あぁ、それもそうね。じゃあ、あたし車出してくるから、入口の方で待っててよ。」

「ああ、わかった。」


響季はああ告げると、小走りで空港の出口の方に駆けて行った。エレッタはその後ろ姿をしばらく見つめた後、そっと、ただ棒立ちのまま動く気配のない晄の肩に手をやった。


「わっ、な、何かあった?」

「いや……何か、馬鹿らしいことでも考えていたのだろうなと思ってな…………洸のことだろう?」


エレッタの言葉に、晄はビクリと肩を動かした。しばらくして、彼女はエレッタの方にゆっくりと顔を向けると、彼に向かって無理矢理に微笑んでみせた。


「あはは……やっぱり、エレッタには敵わないよ。」

「何、彼奴の言うことを無駄に気にしているだろうことはすぐに理解出来た。だが、いいか?彼奴の言うことは所詮負け犬の遠吠えに等しい。何も気にする必要は無いからな。」

「でも……」

「彼奴ではなく貴様の方が戦士になったからこそ、三葉町からバケモンが消えたのだ。分かったらさっさと行くぞ。」

「え……ま、待ってよエレッタ!」


突然歩き出したエレッタに、晄は急いで着いて行く。その頭の中には、約五年前のある秋の日の記憶が蘇っていた。






晄が小学三年生の時、彼女はまだただの一般人だった。その頃の晄は、今暮らしている木霊市とは比較にならないほどの田舎町で、双子の兄と、あとは何人かしか通わない小学校で、子供らしく無邪気に暮らしていた。

休み時間になると、いつも同じ学年の男子の一人、蒼太そうたと共に、どちらがより多くのカナヘビやトカゲを見つけ出せるのか、よく競い合っていた。体育館やグラウンドなどは高学年が占領していることが多く、そんな彼らにとっての遊び場は、学校の裏庭だった。


「くっそー!くやしいー!!」

「へへんっだ!おれだって、いつも負けてばっかりじゃないんだよーだ!」


その日の勝者は晄ではなく、蒼太の方だったらしい。下校中、悔しそうにしている彼女に対し、蒼太は少ししつこいくらいに自慢をし始めた。


「いいもん!あたしの方がゲームうまいし!」

「はぁあ!?おれなんか晄なんかより最強だし!」

「なんだって!?よし!今からおうちで勝負だ!!」

「じゃあ、晄んちまで早くついた方が勝ちね!」

「ってえぇえ!?待って待って!!」


二人はそう言うと、全速力で道を駆け出した。人がほとんどいない道を、二人は風のように駆け抜けていく。彼らが目指す先は、商店街の少し奥にある一軒家だ。走れば走るほど、二人の息は上がっていくが、互いに負けず嫌いなのかなんなのか、まるで速度を緩める気は無いらしい。どこまでも並走していた二人だったが、最終的に早く目的地に着いたのは、晄の方だった。


「はぁはぁ……やった……」


少し離れたところから、蒼太の姿が映る。晄は、家の塀に手をついて、息を整えた。しばらくしてやってきた蒼太も、晄同様疲れた様子だった。


「晄……足速い……」

「ま、まあね……」


晄は、少し苦しそうにしながらも蒼太に向けて微笑んだ。そんな彼女に、彼も同様に微笑み返す。しかし、ずっとその表情を取り繕う余裕は無く、気がつけば、二人とも俯いてただ、大きく息を吸い込んでいた。それからしばらく。大分息の整ってきていた二人は、少しふらついた様子で家の扉を開けると、二人して、玄関に転がった。


「あれ、おじさんは?」

「え?……あれ、いない?」


キッチンの冷蔵庫に行って飲み物でも貰おうと、廊下の方を覗き込んだ蒼太だったが、まず玄関に誰の靴も無いことに違和感を覚えた。晄の母親は中学校の教師として働いているため、まだ三時過ぎであるこの時間にいないのは、何らおかしなことではない。しかし、専業主夫である晄の父親がいないのは、二人にとって少し珍しいことであった。


「おかしいなぁ……今日はエレッタも来てるはずなのに……」

「え!!龍のおっちゃん来てるの!?」

「うん……おかしいなぁ……」


蒼太は、エレッタの正体を知っている。というより、彼以外にも、この町の住民にはおおよそ知れ渡っていた。この町では、戦士の事も、バケモンの事も、全てが明るみにされていたのである。理由はただ一つ。この町が、江戸時代後半から長らくの間バケモンの現れる町であり、黄色の戦士にこれまでずっと守られてきていたからである。


「もしかして、バケモンが出たんじゃない!?」

「そうなのかな?」

「おれ龍のおっちゃんに会いたいんだけど!!」

「……じゃあ、探しに行っちゃう!?」

「よし!行こう行こう!カバン置いてっちゃっていい?」

「いいよ!あたしも置いてく!」


ゲームの強さを競うのではなかったのだろうか……?子供の気が変わるのと、山の天気が変わるのでは、どちらが激しいかわかったものでは無い。二人は、それぞれのランドセルを置いて、玄関から飛び出して行った。






「なんでどこにもいないんだろ……?」

「おかしいなぁ、この辺にはいると思ったのに……」


晄の父親達を探すため、よく町の住民達が山菜採りに向かう山の近くに二人はいた。傍の川は、白い泡を浮かばせながら流れている。山の近くというだけあって、だいぶ川上に近づいているのだろう。彼らは、その川に辿ってやって来ていたのだが、この辺りには誰もいる気配がなかった。


「もしかしたら、もう家にいるのかな?」

「どうだろう?一回帰る?」

「そうだね。」


やはり、十一月は日が浅い。かなり薄暗くなっていたこともあり、二人は晄の家に引き返すことにしたようだった。しかし、二人が一歩踏み出したその瞬間、突然、背後から大きな影が覆いかぶさった。二人は、その目を見合わせる。しばらく動かずにいたが、好奇心に負けてしまったのだろう。蒼太は、後ろを振り返った。


「ええええ!?うわあああ!!」

「!!」


その目に飛び込んで来た恐ろしい光景を前に、彼は思わず大声を上げた。晄もそれに釣られて後ろを振り返ると、そこには、二人の何倍も大きなハサミを携えた、大型の黒い蟹がいるのが見えた。非現実的なその光景に晄は目を見張ったが、しばらくして、それがただの蟹ではないことを確信した。


「まずい!バケモンだ!」

「どどどどうしよう!?」

「逃げよう!急いで!!」


蒼太の手首を無理やり掴んで、晄は走り出した。すると蟹は、逃げ惑う晄達を追いかけようと、体の向きを変えて横歩きで追い始めた。

川が流れるのと同じ方向に走れば、人通りの多い道に出られるはずだ。二人はそう信じて、下り坂の道を走るが、蟹のバケモンは、そんな二人より足が早いらしい。小学三年生の子供とバケモンとを比べれば、その力の差は一目瞭然だろう。それでも、足を止めたらどんな目にあうかわからない。だんだんと底をつきはじめていた体力を無視し、体に鞭を打ち続けた。


「……!!エレッタぁぁぁあああ!!」


その時だった。晄の目の前に、小さくだが人の姿が見えたのだ。その姿は間違いなく、晄の父親とエレッタである。晄は、そのうち先に目に入ったエレッタの名を叫んだ。すると、それが耳に届いたらしい。走りながらエレッタがこちらに近づいてきた。そして二人の前に来ると、彼らを両腕に抱えてバケモンから距離を置いた。


「何故追われていた。」

「エレッタたち探そうってあっち行ってたら……!」

「あのヘンなやつに追いかけられたんだよ!!」


晄と蒼太がそう訴えかけると、エレッタは呆れた顔をした。しかし、バケモンを傍にして二人に何か文句を言う気になどなれず、エレッタはだだ二人をバケモンから遠い木の影に下ろすと、その肩を軽く叩いた。


「とにかく、貴様らはそこに隠れていろ。絶対に飛び出すな。」

「龍のおっちゃんはどうすんの!?戦う!?」

「……エレッタだ。いいからそこで待っていろ。アイツはいつも以上に危険だ。」


そう言うと、エレッタはバケモンの方に走り出して行った。その先には、いつの間にか戦士の姿に変わっていた晄の父親が、バケモンと対峙しているのが見えた。

彼は、強く両剣を構え、バケモンの足のうち一つを切りつけていたが、殻が硬いらしく、傷をつけるのがやっとのようだった。そこに、手だけを龍の姿に変えたエレッタが加えて攻撃していたが、切り落とすまでには至らず、バケモンも少し呻き声をあげるだけだった。


「うっわ、バケモンつよくね!?」

「うぅ……二人ともがんばれー!!」


木の影からその姿を見ていた二人は、若干不安を見せたものの、やはり、黄色の戦士が負けるわけがないと、そう信じていた。だから、二人はその場を離れて逃げることもせず、その戦いを見届けようとそこに留まっていた。


「二人ともここに来てたのか?」

「うわっ!」

「びっくりした、洸か……」


戦いに見入っていた最中、突然声をかけられて驚いた二人だったが、その正体が晄の双子の兄の洸であると気がつき、安堵のため息をこぼした。


「見てよ洸!なんか敵いつもより強いよな!」

「確かにそうだが、それがどうかしたのか?」

「えぇ!?まけちゃったらどうしよって思わない?」

「確かに、おやじが負けたら困るけど、だからって俺たちにできることは無いだろ?」

「なんか……お前って冷たいよな。」

「でもそうだろ。」

「えっと……あきらめ早すぎる気がする。」

「……そうかよ。」


洸は、自分の意見を認められなかった事には何も思わなかったのか、ただ否定してきた二人から目をそらし、遠くに見える二人の影を見やった。

洸の言うことは尤もだ。小学三年生の、戦ったことなど一度もないような子供が、あの、いつも以上に強いバケモンに挑んで、何とかなるわけが無い。しかし、そうだとしても、小学三年生の子供にしては、夢のない考え方のように思えなくもない。まだ年相応に子供であるらしい晄達には、彼の意見の真意など伝わりなどしなかった。

そんな中でも、晄の父親とエレッタは、バケモンと戦っていた。二人は、バケモンの足から目に狙いを変えたらしい。晄の父親が少し蟹のバケモンから距離を置くと、そこから一気に走り出し、飛び上がった。すると彼は、バケモンの頭の上に着地したのだ。


「おお!カッコイイ!!」

「いっけぇえ!!」

「……!マズい!」


それを見て興奮する晄と蒼太だったが、その傍で洸だけは、思わず目を伏せてしまった。蒼太は、そんな洸の言葉に、何がマズかったのかと聞こうと、彼の方を向いた。しかし、その瞬間だった。


「うぐあぁあ!!!」


辺りには、男の悲鳴が響き渡った。それと同時に、晄の幼い目に映ったのは、まるで一輪の花のように、真っ赤な血が吹き出していく様だった。

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