第四十七魂

純な心を信じて


「えっと……?」


突然のひかりからの問い。真穂まほは、これまで考えたことの無い想定を前に、どう答えていいやら考えつかなかったらしい。彼女はただ困ったように首を傾げ、晄の返答を待った。


「た、例え話だよ?もしも、今ここに……なんか、神様みたいなのが出てきて、あなたが戦士に選ばれました!とか言われたら、引き受ける?」

「そんなこと、考えたことなかったなぁ……うーん、どうだろ。」


なるほどな、と目を見開いた真穂だったが、すぐさまその表情を崩し、深く考え込んだ。目の前でそうする彼女をまっすぐに見つめる晄だったが、唐突に肩に訪れた軽い衝撃を受けて、意識をそちらに持ち上げられた。


「ん?」

「ん、じゃないわよ、なんてこと聞いてるのよ……!」


その視線の先にいたのは、すぐ隣に腰掛けていた華恋かれんだった。何故彼女がそんな行動をとったのかもわからずに唖然とする晄。しかし一方の華恋も、彼女の行動に酷く驚いた様子であった。控えめな声での問い詰めに、晄も答えを練り出しながら同様にして言葉を紡いだ。


「ほら、戦士の話題になったんだから、今のうちに話しといた方がいいかなって。」

「いや、それにしたってちょっと今のはあからさま……」

「二人とも、どうかしたの?」


突然降りかかった三人目の言葉に、二人はびくりと肩を飛び上がらせた。ゆっくりとその三人目に目を向ければ、彼女は不思議そうにこちらを見つめていた。もう一人いる自分を置いてひそひそ話をする二人。その行動は、少しばかり不自然である。クーラーが効きすぎているのか、はたまた別のわけがあるのか、二人には少しばかり辺りがひんやりと感じられた。


「な、何でもないわ!」

「そう?でも、あからさまって?」

「そ、それは……」


どうやら、話の内容を聞かれてしまっていたらしい。きょとんとこちらを見つめる彼女の目が、二人にはとてもじゃないが耐えられなかった。彼女を見ていると、何か重大な罪でも犯してしまっただろうかというような心苦しさが浮かび上がる。人を騙すとはとても容易いことではないと、晄は痛感していた。

やはり華恋の言う通り、この場で桃色の戦士の話を切り出すのは不適切であったかもしれない。そんなことを今更悔やんだところで仕方がないのは分かっていたが、真穂の問への適切な答えなど思い浮かばず、華恋も恐らくそうなのか、少し言葉を口にした後、また黙り込んでしまっていた。

しばらくの間、この部屋に沈黙が流れた。その中で、そう簡単に出るはずのない答えを頭の中で組み立ててみるも、それはすぐに土台から崩れ落ち、まともに形を保つこともしなかった。何度目かの再構築の時、晄はその耳でコツコツと鳴る聞き心地のいい音を聞いた。それが徐々に大きくなるにつれ、晄の視線はそちらに移り変わっていった。そしてそれがある時ピタリと止むと、コンコンコンと三度のノック音が部屋に響き渡り、視線先の扉がゆっくりと開かれた。


「エレッタ!!」


そこから現れた、見慣れた背の高い男。その姿を見るや否や、晄の表情はパッと明るく輝いた。その手の上にあるお盆には、少し前に注文したドリンクが乗っていた。彼女に嬉々として名を呼ばれたエレッタは、数分前に見た複雑そうに表情を曇らせる彼女を思い出しその差異に首を傾げたが、すぐにそれから目を背けて残りの客人二人に視線をやった。


「すまないね、今日は普段より混みあっていてね。まだかかるかもしれない。もう暫く待ってくれるかな?」

「はい、ぜんぜん!まってる時間もたのしいですから!」

「そうか、ありがとう。」


ドリンクを置きながら、申し訳なさそうに告げたエレッタ。真穂がそれになんということでもないと答えれば、彼は安心したような素振りをしてああ言ってのけた。そんなやり取りを終え、エレッタの視線はまた晄に戻った。


「……ん?どうかした?」


しばしの間、二人は言葉も発することなく見つめあっていた。エレッタの視線を受けて、彼がなにか言葉を発するのを待っていた晄だったが、待てども待てども彼は黙ったまま。彼にしては少し不自然な、柔らかい表情を浮かべるのみである。それを妙に思って声をかければ、彼はようやく口を開いた。


「ちょっと手伝ってくれるかい?終わったらすぐ返すから。」

「え、でも今日リナルドさんも来てるんじゃ……」

「彼がいても少し回転率が悪くてね。」


よそ行きの口調、よそ行きの表情で話を進めるエレッタ。その目が一瞬、キッとこちらを睨んだのを晄は見逃さなかった。面倒だから早くしろと、彼の目が告げたのを聞いて、晄はサッと立ち上がった。


「じ、じゃあ、ちょっと行ってくるよ。」

「三人で話してたいのに悪いね。」

「いえ、気になさらないでください!」

「がんばってね、ひかりちゃん!」

「ありがとう!」


少しばかり軽い足取りでエレッタの後に続くと、二人にそっと手を振って部屋を後にした。扉が閉まるのを見ると、晄はふぅっと一息ついて、エレッタを見上げた。


「説得は順調か?」

「順調っていうか……ん?」


ふと問われ、晄は一瞬視線を左下に落としたが、その問のおかしさに気がつくと、彼女はまた彼に視線を戻し、穴があかんばかりに見つめた。


「え、エレッタにその話したっけ……?」


説得というのは恐らく、晄が真穂に桃色の戦士となってくれまいかと話そうとしていたことを指しているのだろう。しかし、それを知っているはずの人物は、晄と華恋以外居ないはずである。つまり、エレッタがその話を知っていることはありえないのだ。不審に思い、やんわりとその話に触れてみれば、エレッタはなんということでもないようにして答えた。


「いや。」

「……じゃあなんで知ってるの?」

「あの桃色の髪の娘は戦士だろう?だが我には、そんな奴が戦士の中にいた記憶が無いからな。」


そう告げられて、晄はふと思い返した。エレッタには、何故か戦士として選ばれた人間が分かるのだということを。第六感というのだろうか、彼は戦士にあたる人間に対して、決して悪いものではないある違和感を感じるのだ。恐らくこの店に三人がやってきた時から、彼は真穂からそれを感じとっていたのだろう。はっきりと戦士であると認識している人間二人と、記憶にはないが戦士だと感じる人間の三人でやって来た……それもうち一人は晄であるとなれば、エレッタも、これまでのパターンから何となく察することも出来たのだろう。


「……エレッタって、頭良いよね。」

「はぁ。貴様に言われても嬉しくないな。」

「えぇえっ?」

「いいから早く着いてこい。本当なら貴様にはあの娘の説得に集中して欲しかったが、こっちはそんなことを気にしてられるほどの余裕もなくなってしまってな。」

「そっか……でも、何すればいいの?」


気づけばまた歩き出していたエレッタに駆け足で距離を詰める晄だったが、そう問いかけるや否や、彼はサッとまた足を止めた。しかし、こちらを振り返るでもなく、ただ何も言わずに立っているだけである。妙に思って横から顔を覗き込んでみれば、その表情は少しばかり複雑そうに歪んでいた。


「……皿洗いだ。」

「ゲッ!」


脊髄反射の要領で、彼女の口から飛び出した一声。よりにもよってそれか、と言いたげな彼女の顔を見ると、エレッタはすぐさまその手をがっちりと掴んで引っ張りながら歩き出した。


「あまり客を待たせたくはないだろう?」

「うぅ……レジが良かったのに……」

「そこに行く前で詰まっているのだぞ?」

「あぁ……まあ、暑いからいっか……」


引っ張られる手に連れられて動く足。もう逃げられない状況であると確信した晄は、せめてポジティブな考え方に切り替えて、開き直ってみせるのだった。





「なんか、いそがしそうだね。」

「そうね……」


晄が立ち去った後の室内。その扉を見つめながら、二人の少女はぽつりとこぼした。この部屋に来る前に通りがかりで見た、気が滅入るような人の数を思い返すと、とてもじゃないが晄がすぐに帰ってこられるとも思えない。不意に物足りなさのようなものを覚えた華恋は、ひとまずそれを埋めるように、先程頼んだアイスティーを飲み込んだ。


「ねえかれんちゃん。」

「……何?」

「さっきのひかりちゃんの質問、かれんちゃんならなんて答えてた?」

「えぇ?……そうね……」


真穂は確かに華恋と仲が良いが、戦士ではない彼女は、華恋の真実を知らない。華恋が既に戦士であるとは露ほども思わない真穂からの問いかけに、華恋は一度アイスティーをコースターの上に置き直した。

華恋は戦士であるが、自らが率先してそうなったわけではない。晄とリナルドに押し負けてそうなった、というのが最も適切だった。そうでなければ、戦士など全く関わる気のない存在であったのである。


「戦士って、バケモンと戦うわけでしょ?イヤよそんなの。怖いじゃない。」


もし、自分が戦士ではなかったらこう答えていただろうか。それ以前に、戦士になれと言われた直後の感想がこんなものだったような気がした。アイスティーのコップから手に移った露が不思議とうざったく思えて、初めに出された布巾で手を拭う。先程口にした不安感も拭えやしないかと僅かばかり願ったが、華恋にはその輪郭すら掴むことも出来ず、闇雲に布を滑らせるにとどまった。

それからしばらく。サッと手元から視線を上げれば、真穂はまた何か考え込むように顔を歪ませていた。


「うーん……そうだよね……」

「まあ、アタシはそうだってだけよ。というか、そんなに考え込むんなら、別にわざわざ答えなくても……」

「ううん、答えはでてるの。」

「えっ。」


想定外の返答に、華恋は唖然と彼女を見つめた。もう答えが出ているというのならば、眉間に皺を寄せてまでして何を悩んでいるというのか?真穂の考えていることがまるで分からず、固まってしまった華恋。その胸の内を知ってか知らずか、真穂はようやく一度眉間の皺をのばした。


「じつはね、彼にもおなじような質問されたの。」

「え、じゃあ……なんて答えたの?」

「なってみたいって言ったよ。」


華恋は、しばらく持っていた布巾をテーブルに置くと、そのまままた一度固まった。何も、彼女の言葉が分からなかったわけでも、信じられないわけでもなかった。ただ漠然と、彼女らしいと思ったのである。


「彼をおそったっていうトカゲみたいなの、トカゲなのにおはなししたって言ってたの。普通の人とは話せなくても、戦士ならおはなしできるかもしれないし、あと戦士の人ともおはなししたいもん。」


華恋が知る赤原あかはら真穂という人間は、極めて好奇心が旺盛だ。多少オカルト好きな性質があるのも、その性格が作用した結果であった。彼女ならば、バケモンという得体の知れない存在をできる限り知ろうとするし、その興味は戦士に対してでも同様であった。そんな彼女には、バケモンが怖いとか、戦う覚悟がないとかいう発想がまず出てこないのだろう。もし考えたとしても、それは全て“何とかなるだろう”の一言で片付けられてしまうのだから。


「……あんたらしいわね。」

「それに、戦士の人って多分、普段はそんなに強くないんじゃないかなって……」


真穂の漏らした一言。華恋はそれが自分の事を言われているような気になって、意味もなく緊張した。


「な、なんでそう思うの……?」

「だって戦士の人って、火とか雷とかもつかうんでしょ?ふだんからそんなことできるの、おかしいじゃない。だから、戦うときにだけ強くなれるんじゃないかなって。」

「な、なるほどね……」

「さっきひかりちゃんが、神様に選ばれて〜みたいなことを言ってたけど、そんなかんじで、本当に神様が力をかしてあげてるのかもね!」

「えっ、えぇ、そうね……」


華恋は、真穂に何か見透かされているような気分だった。何故分かるのか。彼女の勘には時折目を見張るものがあるが、今の彼女の発言は、まさにそれだった。こうしてなんとか知らぬふりをしているうちにも、もしや彼女に自らの身の上を勘づかれているのではなかろうか……?などとまで思い至った華恋だったが、まさかそんなことはないだろうと、少し大袈裟な自身の発想にそっと苦笑をうかべた。


「ちょっと話かわってもいいかな?」

「えぇ。何?」

「かれんちゃんのその首飾り、ひかりちゃんとおそろいだけど、一緒に買ったの?」


話が変わると言うので、すっかり気を抜いていた華恋は、結局自分の正体に関わることには変わらない話題を前に、胸の辺りにチクリと痛みが走るのを感じた。普通に考えれば、戦士と水晶の首飾りなどなんの縁もありそうにはないので、真穂の話した前置きには、本人から見ての嘘などありはしないのであるが、それでも真実を知る華恋にとっては裏切られたような気分だった。


「……まあ、そんなところよ。」


一体、クーラーの効いた室内でどれだけ汗を流せば気が済むのだろうか……?ヒヤリと流れる冷や汗を肌で感じながら、華恋は自らに呆れてしまった。何も、一見なんの関係もない首飾りから、戦士の事など言い当てられるはずもあるまい。その予想通り、真穂は華恋のついた嘘にすっかり騙されている様子だった。


「そうなんだ!最近よくつけてるなぁって思ってみてたんだけど、ひかりちゃんとおそろいだったからなんだ!いいな〜!」

「…………」


華恋は、晄の事が特段好きというわけでは無い。嫌いというわけでもないが、無理矢理に戦士という立場を押し付けようとしてきた人物である、という最初の印象が原因で、華恋の中では彼女のことを好きだと結論づける気になれないのである。それ故に、あの真穂の言葉には嘘でも賛同することが出来ず、ただコップに手をかけることだけしかする気になれなかった。


「ちょっと、見せてもらってもいいかな?」

「いっ……いいわよ。ほら。」


飲み物を飲み込んで視線を真穂に戻せば、映りこんだのは彼女の期待の眼差しだった。思ってもない展開に戸惑いながらも、その眼差しを陰らせる理由も無かった華恋は、首元から赤色の水晶の首飾りを外すと、それをそのまま真穂に手渡した。


「ふふ、ありがとう!

うわぁ、キラキラしてる……!かわいい!」


部屋の照明にかざし、幾度も角度を変えながら水晶を眺める真穂。水晶の赤が透けて、ほんのりと彼女の頬の辺りを染め上げた。なかなか見ることのない煌めきを前にきゃっきゃと湧く彼女が微笑ましく、不思議と表情が緩むのを感じた。

しかし、それは一瞬にして崩された。


「きゃぁっ!!」


突然だった。真穂の視線の先にあった水晶が、なんの前触れもなく唐突に光を放ったのである。突然の激しい光を前に、当然ながら真穂の虹彩は遅れをとった。視界に一気に流れ込んだ眩しさに声を上げると、そのままさっと瞼を下ろしてそれを遮った。


「大丈夫!?」

「だ、だいしょうぶ……びっくりした……」


華恋の焦った声に、真穂はなんということでもなさそうに笑って言った。手にあった光を放つ水晶を華恋に返すと、真穂は目をぱちくりと幾度か瞬きして、目を慣らした。

この予測もしない事態に、華恋は酷く焦りを覚えていた。真穂の目は無事であるかという不安は真っ先に浮かんだことだが、それ以上に、この場をどう誤魔化せばいいのだろうかということが大きく残った。


「今の、なんだったの?」

「えっと……」


ひとまず光が漏れぬように水晶をその手で強く握り締めたが、それで真穂への適切な言い訳など思い浮かぶはずもなく、華恋は精一杯に頭を回転させた。

突然首飾りが発光するなど、そうそうある話ではない。というより、そういう玩具でもない限りはまず起こりえないことである。だからといって、自身が身につけていたのは子供向けの玩具であると言っても信じられるはずもないし、正直に話をするのも無理がある。だが、何かしら言い訳の一つでも言わなければ、彼女が納得することは無いだろう。

ここで言うべき最善の言い訳など浮かび上がることもなく、結果どれだけの間沈黙していただろうか、華恋にも真穂にも分からなかった。それから一体何十分だろうか。その沈黙を破ったのは、個室の外からの足音だった。タッタと短い間隔で近づくそれがある時で止まると、風が起こるほどの勢いで扉が開いた。


「ひかりちゃん……?」


扉を開けたのは、少し前に手伝いに駆り出された晄だった。少し険しい表情で立つ彼女に、真穂は先程の不可解な現象も相まって、久方ぶりに不安感を覚えた。名を呼ばれた晄だったが、彼女はただ変わらず立っているだけ。胸元で、水晶の首飾りを握りしめるようにして手を握る彼女は、ちらりと華恋に目をやった。


「やっぱり光った?」

「……出たの?」

「うん。リナルドさんのも光ったし。でもホール離れられないからあたし達で行かなきゃ。」


眼前で突如繰り広げられるぼやけた会話を、真穂はただ黙って聞いた。どうやらただ事ではないらしい。彼女にも、それだけは理解出来た。


「そんな遠くないと思う。行ける?」

「……なら、真穂も一緒に連れていくわ。」

「えっ……?」


突然、その会話の中に自分の名を聞き、真穂の胸の内は酷く荒れた。しかし、それは彼女だけではなく、華恋の言葉を聞いた晄も同様であった。


「えっ!?」

「大丈夫、上手くいくわよ。」


華恋にしては珍しく突飛な提案に驚愕した晄だったが、彼女は晄とは違って、考えを持って行動に移す人物だ。そう思い返して、彼女の“大丈夫”の言葉を信じてみることにした。


「よくわかんないけど……わかった。

急でわけわかんないと思うけど、赤原さんも着いてきてくれる?」

「……うん、いいよ。」


当然ながら、真穂の目には色濃く不安の色が浮かび上がっていた。不意にそれに染め上げられそうになる晄だったが、自分以上に彼女を知る華恋の言葉を信じ、水晶の指し示す場所へ、その足を動かすのだった。

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