第四十六魂

偶然の出会いと


「お待たせ!えへへ、今日は大丈夫だったでしょ!」


ウェーブがかった桃色のボブヘアーを揺らしながら駆け寄って来た彼女は、誇らしげな表情でああ口にして華恋かれんを見つめた。しかし一方の華恋は、その言葉を聞くや否や、一つ大きなため息を吐き出した。


「大丈夫って……?」


華恋にじっとりとした目で見つめられ、桃色の髪の彼女は不思議そうに首を傾げていた。先程の発言に、一体何か問題でもあったというのだろうか?そう言いたげな彼女の前で、その顔に大きく“大ありだ”と書き示す華恋。そんな二人を一歩下がって眺めながらも、ひかりはその答えのぼんやりとした輪郭を掴んでいた。


「だって、集合場所間違えてないし、集合時間の十一時半より早く来たよ?」

「……集合時間、十時よ。」

「え?」

「レストランに行く時間が十一時半なの。」


すぐ側に建つ時計台を見上げてみれば、時計の針は十一時十分を指していた。確かに、十一時半よりは早い時刻ではあるものの、華恋が言う本当の集合時間である十時からは、相当な時間差があることは一目瞭然であった。


「えぇ!?うそ!?」

「嘘ついてどうすんのよ……ホントよ、ホント。」


しかし、本当に彼女の言うことが正しいのだろうか?そう疑ってみるものの、呆れ顔のままパタパタと扇子を動かしてみせる華恋には到底、先程の発言を冗談と笑い飛ばす気配などない。そもそも彼女は、そんな無意味な冗談を言うような性格ではなかった。

ふと彼女の額を見れば、その額にたらたらと汗が浮かび上がっているのが目に入った。桃色の髪の彼女は、そのショルダーバッグからハンカチを一枚取り出すと、華恋にさらに近づいてその額にハンカチをあてがった。


「ごめん、また時間間違えちゃった……その汗って、ずっと待たせちゃったからだよね?」

「まぁそうだけど……分かってくれたんならいいわ。というか、前はアタシが待たせちゃったし、おあいこじゃない?」

「それだって、わたしが時間間違えて早く来すぎちゃったからだし……」

「うっ。まあ、そうだけど……って!もう、こんなしょうもない言い合いずっとしてたら、遊ぶ時間減っちゃうじゃない!」

「うん……そうだね!」


互いに一歩引くと、二人は互いを見つめながらくすりと笑いあった。それをさらに一歩引いて眺める晄の目には、二人の周りにあるはずもない花々の姿が映り込んでいた。こんな仲の良さそうな二人の間に入るのは少しはばかられる。そうは思ったものの、今の晄には、そう簡単にその場を立ち去るわけにはいかないわけがあった。

桃色の髪の彼女が現れた時、確かに桃色の水晶は輝いた。強く握った掌を見てみても、その中にある水晶は、先程よりは劣るものの確かに光を放っている。それに、既に赤色の戦士である華恋と知り合っている彼女には十分に、戦士として選ばれている可能性が存在していた。晄にとっては、彼女こそが桃色の戦士に選ばれた人間だとしか考えられなかったのである。

しかし、だからと言ってこのまま帰ること自体が間違いとも言いきれない。そもそも、戦士がどうだのという話をいきなり彼女にしたとして、確実に受け入れてもらえるとは限らないからだ。確かに、篤志あつしやリナルドの時のようにすんなりと事が進むこともあるかも知れないが、それと同時に、華恋や未来みらいの時のようにして戦士になることを拒まれる、もしくは不本意である胸の内に気付かずに押し付けてしまうことにもなりかねないのである。まずそれ以前に、彼女が戦士であるという確実な証拠はまだ存在してはいない。彼女が戦士ではないかと考え至らせた先程の輝きであっても、“この中に戦士がいるか”という抽象的な問に対しての答えでしかない。“桃色の髪の少女こそ戦士であるのか”という具体的な問いには、まだ答えが返って来てはいないのだ。

そうして二人の様子を眺めながら考察した結果、晄の元に一つの結論が降りた。それは、このまま二人を置いて帰り作戦を練り直すのが無難だ、というものだった。そもそも、桃色の髪の彼女にはまだ、自分の存在をはっきりと認識されてはいないのだ。今ここで帰ったとして、彼女はさして気にすることもないだろうし、華恋には後で事情を説明すれば良い。そう思い、何かを話し合う二人から距離を置こうと晄は足を動かした。


「そういえば、かれんちゃんの隣にいるのって、かれんちゃんのお友達?」

「なっ。」


しかしながらその目論みは、桃色の髪の彼女の一言によっていとも簡単に打ち砕かれた。おそるおそる声のした方向を見てみれば、こちらの方を不思議そうに眺める彼女と目が合った。明らかに、あの言葉に登場した『かれんちゃんのお友達』とは晄のことを指している。どうしたものかと華恋に視線を送るが、彼女は特に狼狽える様子もなく、ただぱたぱたと扇子を動かすだけだった。


「えぇっと……」

「リナルド先輩のバイト先の娘さんよ。さっき偶然会ったからちょっと話してただけ。」

「そうなんだ!えっと、かれんちゃんがいつもお世話になってます!わたし、かれんちゃんの友達の、赤原あかはら真穂まほです。」


ふんわりとした笑みをぽんと咲かせながら、桃色の髪の彼女……赤原真穂はああ言って、晄に礼儀正しく頭を下げてみせた。その所作一つとっても、その幼い容姿からは考えつかぬほどに上品であった。それからしばしの時を経てまた頭を上げた彼女を眺めていると、晄もそれに釣られるように不思議と畏まった。


雷電らいでん晄です!!えっ、こっ、こちらこそいつも!よくお世話してもらって……」

「ちょっと!大袈裟!」

「えへへ……あ、そうだ!」


突然、真穂はぽんと手を叩くと、笑顔で晄達に向き合った。不思議と、その頭上にあるはずのない電球が晄の視界に映り込む。一体彼女が何を言わんとしているのか予測出来なかった晄がそっと華恋を見ると、彼女も等しくこちらを見つめ返していた。その手の中で長らく扇がれ続けていた扇子は動きを止め、そこに描かれた朝顔すらも等しく晄を見つめ返しているようであった。なにがどうというわけではないが、漠然と不安を感じる。そんな華恋の心境を、晄もわずかながら肌で感じていた。


「ねぇ、あなたも一緒におひるごはん食べない?」

「えっ…?」

「は……?」


晄と華恋、それぞれの口から時をほぼ同じくして、ポロリと声が漏れた。真穂の空色の瞳が、晄の目を捉える。彼女の突然すぎる誘いに、晄はなんと答えていいものやら分からなかった。晄からしてみれば、戦士として選ばれたのであろう彼女と関わりを持つことが出来るいい機会である事には変わりないのであるが、今誘いを申し出てきた彼女との関係といえば、友人の友人同士という極めて薄味なものでしかない。そんな関係性の相手といきなり席を共にして食事をするというのは、なかなかに気が休まる事ではなさそうに見える。

そんな晄の額に、戸惑いからか焦りからか一筋の汗が伝う。しばしの間、三人は何一つとして言葉を発さなかった。周りに広がる人の群れの声を耳に入れながらも、何かこの後に相応しいだろう言葉を模索していた晄であったが、それよりも先にこの妙な沈黙を破ったのは、この沈黙を生み出した元凶たる彼女であった。


「せっかく今日こうしてであったんだもの!ただここでちょっとお話するだけですませるなんて、もったいないと思わない?ね、いいでしょ?」

「ちょっと、あんた急に何言い出すのよ!」

「え、だってそうじゃない?かれんちゃんのお友達なら、私も仲良くなれる気がするし。それに、あの雑誌に載ってたくらい美味しいお店なら、たくさんの人と一緒に行きたいって思ったんだ!

あ、でも、ひかりちゃんなにか用事あったりした?どうしてもってわけじゃないから、断ってくれても全然大丈夫だからね?」


優しい彼女の言葉は、晄の悩みを更に深くするのに一役買っていた。しかし、それ以上に気になるのは華恋の焦りようであった。真穂の提案には否定的な様子を見せる彼女。しかしながら、それは晄との同席そのものに焦点が当てられているわけではなさそうである。彼女の額を伝う汗も、ただの体温調節としてのものとは考えづらかった。

ただ、晄の中ではある程度結論が出かかっていた。新たなる戦士の正体を掴みたいという使命感、幼子のような瞳でこちらに向かう真穂の期待に応えたいという個人的欲求、そして、なにやら話題にもなっているらしいという飲食店の料理への興味は、その傾きかけていた天秤の動きを見事に止めて見せたのだった。


「あたしなら大丈夫ですよ!暇ですから!」

「ほんと!?」

「はっ、ちょ、あんた何…」

「じゃあ一緒に行こう!ほら、ちゃんとひかりちゃんにいいよって言ってもらったんだから、かれんちゃんもいいでしょ、ね?」

「……もう、知らないからね。」


ため息交じりにこぼれたその声は、真穂ではなく晄の方に向けられていた。一瞬華恋と重なった視線に、晄は首をかしげる。なにか、自分の行いに問題でもあっただろうか……?自分の行動を見つめ返してみても、そこには心当たりなどない。そうだというのに何故か、流れる汗に嫌なものが混じっているような気がして、晄は突然に居心地の悪さを感じ始めていた。


「あ、あのさ、この後行くレストランってどんなところなの?」

「ふふ、えっとね。この前、よく見るグルメ雑誌にちょっと大きめに記事が載ってたお店なの。木霊こだま中央のとこのお店らしいから電車で行こうって……あっ、ひかりちゃんChabocaチャボカ持ってる?」

「うん、持ってるよ!」

「そっか!良かった!それでね、そこイタリア料理のお店らしいんだけど……」

「……ん?」


一瞬晄の脳裏に、ある見慣れた風景が過った。しかしそんなこと、奇跡に近い偶然でもない限りあり得ないだろう。そう考えつくと共に、頭を震ってその風景を脳内から取り払った。


「どうかしたの?」

「あ、いやなんでも…」

「そう?ならいっか。それでね、そのお店の名前なんだけど、イタリア料理のお店だけあってイタリア語なんだよ!何だっけ、えっと……あ!これこれ!!」


スマートフォンを動かしながら二人にその画面を向ける真穂。その画面を見てみれば、沢山の飲食店の名称と外観、評価などが小見出しになって陳列しているのが目に入った。しばらく真穂の指を目で追っていたが、その手は突然にぴったりと止まり、一つの建物を映し出した。少し控えめな主張の看板と大きめな外観が、嫌なくらいに晄の目に飛び込んでくる。それからいつまでも動かされる様子のない画面を前に、晄はそっと頭を抱えた。


「でもこれ、なんて読むんだっけ、えぇっと……」

Il イルGusto グーストDelle デッレScosse スコッセElettricheエレットリーチェ……」


映り込む異国の文字に、晄は珍しくもためらわなかった。その単語一つ一つ舌をかむこともなくスラリと言ってのける晄は、自身ですら驚かせてみせた。突然の彼女の行動に、目を輝かせる一人とため息をこぼす一人。そのうち前者の放ったはじけんばかりの笑顔を前にして、無理矢理引きつった笑みを取り繕ってみせる以外の手段を、晄は知らなかった。


「凄い!もしかしてひかりちゃん、イタリア語話せるの!?」

「いやぁ、その……あはは……」


晄にはイタリア語などまるで分からない。しかしただ一つ、先程の呪文のようなあの一節だけは知っていた。その意味が『電気ショックの味』である事も理解している。さらに、この一節が表す場所……エレッタの経営するイタリア料理店の在処も、彼女には嫌というほど刷り込まれていた。その視界端で呆れ顔を浮かべる華恋に、少しばかり前の軽率な自身の判断を恨んだ晄であった。






「でもビックリした!ここがひかりちゃんのおうちだなんて!」


あれから店に辿り着くのには、さほど時間も掛からなかった。その店の奥まった場所にある個室。そこに三人の少女の姿があった。向かい側に一人礼儀正しく座る真穂に向かって、晄はまた苦笑を浮かべていた。


「でも良かったの?混んでたのにわざわざ個室用意してもらうなんて。」

「あぁ、うん。わざわざ平日の昼間に個室で予約するお客さんってそんないないし。」

「そう、迷惑じゃないなら良いわ。」

「あれ、ひかりちゃんのお店がここってことは……リナルドさんのバイト先ってっ!!」

「大発見したー!みたいな顔してるけど、その情報は数ヶ月前にあんたから聞いたんだからね……?」

「え、そうだっけ?」


きょとんとこちらを見つめる真穂に、華恋はその口から呆れのため息が零れるのをほのかに感じ取っていた。そんな彼女のすぐ隣に座る晄は、テーブルの下で手に乗せた桃色の水晶を転がしていた。テーブルに遮られても尚いくつか差し込んでくる明かりを反射して、その桃色の体を透かして主張する水晶。それが選び抜いたであろう一人の正体を知ろうにも、目の前にいる何も知らない少女のことが気がかりで、それらしいこと一つすら口にすることも出来なかった。


「ふふふ、お料理まだかなぁ……!」

「あんた……さっき注文したばかりよ?」

「だからたのしみなんじゃない!でも、混んでたからしばらく後かな。」


部屋の扉を眺めて、真穂はもの悲しげにそうこぼした。不思議とその姿に、晄の心は締め付けられるように苦しさを覚えた。しかしながら真穂がそんな表情を浮かべていたのもほんのわずかの間で、気付くと彼女の表情はまたキラキラと輝いていた。


「じゃあ、いっぱいお話できるね!」

「あんた、ホントに切り替え早いわね……」

「いさぎいいでしょ?ふふっ。あ、そうだ。ひかりちゃんって怖い話とか都市伝説とかって苦手?」


なんの前振りもなく切り出された話に、晄は一瞬自分の時間だけが急に早送りにされたような違和感を感じた。まさか、手の上で水晶を転がしているうちに話の内容が変わってしまっていたのだろうか?やってしまったか、と、焦りのあまりに冷房の効いた室内にもかかわらず汗が流れたのを感じたが、ひとまず返答をしようと晄は声を上げた。


「あぁ、うん、大丈夫だよ!」

「そっか、じゃあ、そうだなぁ……」


なにやら考え込む様子の真穂。しかしながら、その目は何かに胸を躍らせているように上を向いているのが分かった。概ね、何を話そうかと迷っているだけなのだろう。しばらくしてそれがハッとしたようなものに変わると、その口から一気に言葉があふれ出した。


「わたしの彼がね、この前戦士を見たんだって!!」


想像を絶する内容に、真穂の目の前で二人の体がびくりと跳ね上がった。そのなかでもさらに大きく動いた晄は、混乱のあまり周りの景色にきょろきょろと目玉を動かしてはまた真穂を見る、ということをしばらく繰り返した。その口から彼女を問い詰める言葉が出かかったが、それを何とか喉元で留めて、それとなく無難そうな言葉を模索して口にした。


「へっへぇえ!!それはそごっ!…すっ凄いなぁあ!!」

「でしょでしょ!!」


明らかなオーバーリアクション、不自然に舌を噛む様に、真穂は何も気にならないのか変わらず興奮した様子で口を開いた。不安そうな面持ちで見つめてくる華恋には気付かぬまま、晄も変わらずに耳を傾けていた。


「それって、どんな感じだったの……?」

「えっと、塾がおわって玄関を出たところで、おっきなトカゲみたいなのに襲われたんだって。そうしたら、緑色のマントをした男の子が駆けつけてくれて、持ってた剣で、そのトカゲをやっつけたんだって!!」


(もしかして、木葉このはのこと……?)

恐る恐る問いかける華恋に、真穂は目をさらにキラキラと輝かせてああ答えた。一方の晄は、バクバクと耳につく心音を聞きながら一人の友人を想った。

蜥蜴のバケモンは嫉妬心から生まれる。大凡状況としては、真穂の彼氏であるらしい当事者個人への嫉妬心から生まれたバケモンが彼一人を狙って襲いかかったところを、木葉がなんとか救いに向かったのであろう。一人に向けられた嫉妬心なら執拗にその人物を追いかけまわすものだ。人が居なくなってから向かう、などの目立たないような行動も出来かねたのだろう。

一度落ち着こうと、晄は一つこっそりと深呼吸をした。


「それは危なかったね……」

「でも、戦士さんが助けてくれたから、彼もそんなケガしないですんだって。それで、戦士さんかっこいいなぁって言ったら、彼が妬いちゃって……」


と、ぽっと顔を赤らめる真穂。話したかったのは戦士の話かのろけ話かと華恋が頭を抱える一方で、晄は何やら考え込んでいた。

もしも彼女にこの場で戦士の話をしたら、一体どうなるだろうか……?晄の脳内を支配したのは、そんな好奇心にも似た疑問だった。もし間違いであったとするならば、先程のように世間話として話が漏れてしまうことも考えられるが、彼女が戦士ではない確率は、戦士である確率よりはるかに下回っていた。それを理解すると、すぐにその口は動き始めていた。


「……あの、もしも、あなたが戦士になるとしたらっ……て、考えたことある?」


一見何の突拍子のないその問いかけに、真穂はただ、きょとんとした表情で彼女を見やった。事情を知る華恋が唖然とする中、晄はこっそりとつばを飲み込むのだった。

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