第四十五魂
嬉しい誤算
「うーん……そんなもんだよね。」
微かな心当たりは見事に外れていたらしい。昨日のヴァノとのやり取りを経てそれを理解すると同時に、
こうなってしまうと、晄に残された選択肢はただ一つである。それは極めて単純だが、同時にとても厄介であった。出来ることならば実行に移すことはしたくないが、現実逃避のために行っていた勉強も、本来一日で遂行すべき分量を超えてしまっては、そろそろそちらの方が嫌になってくる頃合である。だからといって他の逃避先にと、ここでゲームなど始めてしまえば、桃色の水晶が怒り故に激しく輝き、彼女の目を痛めつけることも可能性として浮上し始めるだろう。やはり、彼女には逃げ道など存在しなかった。
「……あっさり見つかってくれたらいいんだけど……」
彼女はそうぽつりと零すと、長らく腰を下ろしていた椅子から降り、机上に幾重にも積み重なる、赤字だらけの惨憺たる紙束から目を離した。そうして、扉の傍にひっそり佇むポールハンガーに向かうと、そこにかけられたボディバッグに手を伸ばした。
晄に残された選択肢。それは、虱潰しに街中を歩き回り、水晶に尋ねながら地道に探るという、極めて古典的かつ根気のいるものだった。さらに、晄が暮らす
そもそも水晶とは気まぐれな存在で、彼らが一体何を基準として戦士となる誰かを決めているのか、その詳細も分からない。それは桃色の水晶も例外ではなかった。晄や他の誰かの水晶伝いに知った誰かが選ばれた、ということだけは確実なのだが、それにしても、現在戦士である者の合計は九人であり、内一人……金色の戦士に関しては、一体何者なのかも明確ではない。もし金色の水晶伝いに見つけた何者かが桃色の戦士として選ばれたとしたならば、そもそも、木霊市内にいるのかすらも危ういのである。
「この辺にいる?」
ただし、晄がそこまでの発想に至れているのかは、甚だ疑問である。現在彼女が居たのは、木霊市内でも比較的人通りの多い部類に当たる、木霊北駅の東口であった。白のブロックで敷き詰められた地面の上を、様々な人々が、それぞれの目指す場所に向かい足を進めている。晄は、それをしばらく眺めると、ズボンの右ポケットから桃色の水晶を取り出して、小さな声でそう問いかけた。しかし、それからいくら経とうとも水晶はまるで変化する気配も見せずに、彼女の胸元にある黄色の水晶と同じようにして、照りつける陽の光をただ反射しているのみだった。
「まぁ、そうだよね。」
もしこの辺りに戦士となった何者かがいたとしたならば、水晶は、その体を光らせることで肯定の意を示すはずである。しかし、水晶は光を反射するのみで、自ら光ることは無かった。すなわち、今現在ここには該当者はいないということである。それを理解した晄であったが、彼女もその結果を予想していたのだろう。嘆くでも悔しがるでもなく、彼女はただ苦笑するのみであった。
それもそのはずである。今現在彼女が訪れている、この木霊北地区。まず、そこに住んでいる知り合いの戦士というのは、誰一人としていないのである。
晄も通っている市立木霊中学校に通う生徒は、皆等しく木霊中央地区の区画内で暮らしており、彼女と同じ学校に通う木葉や
晄は、その事実を知っていた上で、ここにやってきた。何故そんな妙なことをしたのだろうかと、恐らく誰もがそう思うことだろう。しかしながら、その裏には彼女のある企みが潜んでいたのである。
「なら、ゲーセン行っちゃおうかなぁ……うわっ!」
彼女の口から漏れ出してしまった本音。重要な戦士探しを差し置いて、娯楽を優先しようというのである。彼女の不真面目な態度に、水晶は激しい怒りを示して、目くらましとばかりに一瞬激しく光り輝いた。
木霊北地区には、確かに彼女の知り合いの戦士は存在しない。それどころか、戦士ではないただの知り合いすらも存在しなかった。それでも彼女は、何度かこの場所を訪れたことがあった。一体何のために訪れたのか。それは娯楽のためである。
恐らく、桃色の戦士に選ばれた人物が判明するのはだいぶ後のことになるだろう。そう予測した晄は、景気づけにそちらに赴こうと考えたのである。しかし、水晶とは案外自分勝手なもので、それを正直に伝えたところで機嫌を悪くする可能性も低くはなかった。そこで晄は考えた。ならば、調査をする体で、そのままゲームセンターに向かってしまえばいいのである、と。
ただ、彼女はあまり頭が切れるほうではない。むしろ反対である。自分の心の内を隠すことすら怠った結果、愚かにもその企みを水晶に知られてしまったのであった。
「いや、ほら!ゲーセンって若い人いっぱい集まる所だし、結構可能性あると思うんだよ、ね?」
暑さ故か焦り故か、彼女の額に一筋の汗が流れる。右掌に向かって注がれる弁解の言葉。桃色の水晶が呆れ顔をしているのを、晄はその肌で感じていた。
「ほら、物は試しって言うじゃん!……とにかく!あたしは行くよ。」
晄には、弁解などという器用なことは出来なかった。勢いでその場を誤魔化すと、そのまま桃色の水晶をポケットの中にしまい込み、ゲームセンターがある方の道に足を進める。彼なりの抗議なのか、そのズボンの右ポケットは、しばらくの間ほのかに光を放ち続けた。
駅からゲームセンターまでの道のりは、車ならば数分だが、徒歩では一時間近くかかる。それ故に、普段ならばバスで向かうのであるが、もし今そんなことをしたら、怒りのあまり桃色の水晶が動き出して、晄の体に傷をつけかねない。そうなってはたまったものではないので、晄は迷わず徒歩を選んだ。ただ、徒歩を選んだのはそれだけでは無い。その道の途中には、桃色の水晶の機嫌を直すのにうってつけの場所があったのである。
「平日でも、夏休みだから人いっぱいだね。」
晄はそう言って、長らく休めていなかった足を止めた。にこりと笑ってそう呟いた彼女。その視線の先には、さわさわと優しく揺れる木々といくつかのベンチ、そしてそのさらに奥には、まるで菓子に群がる蟻のような人混みがあった。よく見てみれば、その中央から何かが飛び出ているように見える。鈍色に輝くそれは、人の形を模した銅像だった。
「何とかっていうお侍さんなんだって。ここ出身の人らしいよ!……誰か忘れたけど。」
ポケットから桃色の水晶を取り出してそう告げる晄は、恥ずかしそうにくしゃりと笑った。彼女の言い方では、あの銅像の情報が欠片とも入ってこないのであるが……しかし、そんなことは今の彼らにはさして問題はなかった。
あの銅像は、この辺りで集合場所の名所として有名であった。背の高い銅像は、少し遠くから見ても目立ちやすく、目印にも最適だからであろう。今日も、あの銅像はその役目を果たしているようである。あの人混みも、何珍しいことは無い、ありふれた光景であった。
水晶を握りしめて、晄は少しその人混みに近づこうとする。しかし、その規模の大きさに、圧倒され、なかなか足が進まず、彼女はただ、意味もなく辺りをうろちょろと歩き回るのが限界だった。
「……や、やっぱり、ここでもいいかな。べつ、そんな近づかなくても……」
「ちょっと、さっきからあんた何してんの……?」
「あぁ、
「ねぇ!ちょっと無視しないでよ!晄!」
「ん?」
脳裏に故郷の田舎町を思い浮かべ、完全に現在からの逃避を図っていた晄であったが、不意に名を呼ばれ、その意識を元の人混みに戻した。ざっと辺りを見回す。自分の名を知る誰かがそこにいるのか、それとも自分ではない別のヒカリの名を呼んだだけだったのか。そんな疑問は、ふと視線に入り込んだ赤髪のお団子頭によって解決に導かれた。
「あっ!華恋ちゃん!」
こちらを呼んだ張本人であろう彼女……
「まさか、こんな所で会うとは思わなかったよ!結構久しぶりじゃないっけ?」
「そうね、休みの日しかあんた店にいないし……あんたが風邪ひいた時も会えなかったから。」
「だよね!あはは!久しぶりに会えてよかった!なんだか前より、お団子大きくなってる気がする!」
「えぇっと……気のせいじゃないかしら。」
赤色の戦士である彼女とは、メールなどでのやり取りをたまにすることがあったが、直接このようにして話をするのは、一ヶ月近くぶりの事であった。久々の再会に、晄は気分が高揚したようで、無意識に口角がつり上がっていくのを感じながら、まるで鳳仙花の種かのような勢いで、次々に彼女に言葉をかける。彼女の想定外の盛り上がり様に、華恋はかける言葉も隙も見つからず、すっかり困り果ててしまった。しばらく話すうちに、晄も彼女の胸の内に気がついてきたらしい。開きかけていた口を咄嗟に閉じ、あっと声を上げた。
「あぁっ、ごめん華恋ちゃん。ここにいるってことは、誰かと待ち合わせしてるんだよね?邪魔しちゃってごめんね。」
「いや、別にいいのよ。アタシもちょっと暇だったし。」
「え、暇?」
「ええ。集合時間から一時間くらい経ってるもの。」
腕時計をちらりと眺めてから華恋はそう言うと、大きな溜息を一つこぼした。心做しか、その顔も幾分か疲れているように見える。そのまま彼女は、斜めがけにしたカバンから扇子を取り出すと、パタパタと仰ぎ始めた。そこに描かれた色とりどりの朝顔が、残像となって晄の目に届いた。
「それってもしかして、もう一時間はここにいるの?」
「……まあね。」
「えぇっ!?熱中症とか大丈夫?今日は結構暑い日だし……」
「まあ、たまに木陰の方に行ったりもしてるから。それに、こんなの慣れっこなのよ。あの子、いつも時間間違えるから。早かれ遅かれ。」
「そうなの……?あ、さっき自販機あったけど、水買ってこようか?」
「わざわざいいわよ!それに、もう家を出たってメール来たから。」
「そっか……ならいい、のかな……?」
安心していいやら悪いやらよくわからず、晄は言葉を少しばかり濁らせた。華恋は、その扇子を相変わらずパタパタ動かしながら、また晄に向き直った。
「ところで、さっきあんた何してたの?」
「え?あぁ、ちょっと戦士探し。」
「……?そういえば、何日か前にメール寄越してたわね。あの水晶の相手、まだ見つかってなかったの。」
「そうなんだよねぇ……みんな心当たりなしだって言うから、こうなったら実際に行って探すしかないかなって……」
「実際にって、どうするのよ。」
「水晶に直接聞くの。この辺に戦士の人はいるのかって。」
「えぇ?そんなので分かるの?」
「うん。いたら光ってくれるのさ。華恋ちゃんの時だって、赤色の水晶が光ったから分かったんだよ?」
「あぁ……それは確実ね。」
自身が戦士になるまでの日々のことを思い返し、華恋は一度晄から目を逸らした。毎日学校帰りに待ち構えられ、戦士になってくれと頼み込まれたあの日々。当時は彼女をよく思わなかった華恋だったが、今となっては少し晄に強くあたりすぎたと、あの時のことを苦い思い出と感じているようだった。それから目をそらすようにして、華恋はまた晄の方に向き直ると、話題をすりかえようかと一つ問いかけた。
「それで、ここには居たの?」
「そういえば、まだ聞いてなかったな……」
「せっかくなら聞いてみたらどう?アタシもちょっと気になってきたし。」
「そうだね。」
華恋の言葉を受けると、晄は右手に持っていた水晶をそっと掌の上に乗せ、彼女にも見えるように体をかたむけた。そして一つ深呼吸をすると、少し先程までよりも控えた声量で問いかけた。
「この辺に、君が選んだ人はいる?」
しばしの間、二人の間に沈黙が走った。他の誰かを待つ人々の声や、行き交う車のエンジン音が時折耳につく。しかしながら、水晶は相変わらず黙り込んでいるだけであった。やはり、この辺りにも該当者は居ないのだろう。そう確信し、晄が声をあげようとしたその時だった。ほのかな光すらあげる気配もなかったそれは、突如として、二人の顔に強い光を浴びせにかかった。
「えっ……!?」
一呼吸置いて、ようやく晄は状況を理解すると、まず辺に光が広がらぬようにと、その手で水晶を握りしめて遮った。互いに目を見合わせ、固まる二人。しかし、二人の耳に車の停車音とこちらに駆け寄る足音が届いた時、ようやく二人は首を動かして、そちらに目をやった。
「かれんちゃーん!!」
二人の視線の先には、一人の少女の姿があった。桃色のウェーブがかったボブヘアーが、涼し気な白いワンピースによく映えている。その彼女の姿を目に入れた途端、華恋はその目を見開いた。
「
「知り合いなの?」
「え、えぇ……」
「もしかして、桃色の戦士ってあの子じゃない?」
「……いや、まさか……」
晄の言葉に反論しようとしたその時。華恋の目には、晄の掌から光が漏れ出すほど、嬉々とした桃色の水晶の輝きが映りこんだのだった。
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