第四十四魂

刺激的な目覚め


「疲れた……」


ヴァノが店に押しかけてきた日。その日の手伝いを終えて自室に帰ったひかりを支配したのは、とてつもない疲労感だった。その原因は、間違いなくあの軽い騒ぎを起こしたヴァノなのであるが、そもそも、その約束をすっかりと忘れていた自分にも非がある……いや、勝手に約束を取り付けてきたヴァノのせいである気もするのだが……ただ、そんなことを言い始めてしまえば、桜子さくらこやらランコレやら、誰のせいにだって出来てしまうだろう。とりあえず過ぎたことだ。晄は、あの騒動を抑えてくれた客人の少女に心の内で感謝を述べると、腰掛けていた部屋のベッドにだらしなく横たわった。


「ふわぁあぁ……寝ちゃおうかな……」


時計を見てみると、針は九時頃を指していた。眠るのには少し早いようにも思える。けれど、明日は店の手伝いも無く、本当の意味での休みだ。明日の何時に起きようが、そんなものは自由なのである。


「……いいや……」


仕事も歯磨きも風呂も済ませた彼女は、もはや完全に自由である。早く眠る分には、エレッタも文句など言うまい。そう思うと、そのまま起き上がって部屋の電気を消すために、いくらか重たいその足を動かした。





「うぅ……」


晄は、瞼を閉じたまま目を覚ました。不思議と、瞼の向こうが明るいように思える。もう、朝なのだろうか……?そう思い、一度目を開けた晄だったが、その目に飛び込んできた想定以上の光を前に、咄嗟にまぶたを閉じた。


「がぁっ!うぅ……え?」


その暗さ故に開ききっていた瞳孔に飛び込んできた光は、彼女にとって鋭い刃と等しかった。その衝撃故に悶えながらも、何とか声を抑える。そうしてしばらくして、晄はやっと冷静になった。確かに、一瞬瞳を開けて見た景色には、そのあちらこちらで強い明かりを反射していたのが映った。しかしながら、それは朝の光とは明らかに性質が異なっていたのである。

そもそも、晄の部屋の窓にはカーテンがかけられており、もし朝が来たとしても、先程のように悶えるほどの激しい光となってその目に届くとは考えずらい。さらに、もしカーテンが開かれていたままであったとしても、彼女の部屋の窓は北側に位置している。つまり、一日の内彼女の部屋に直射日光が届くことは無いのだ。そんな場所で、目がくらむほどの太陽光が訪れるとは考えずらいのである。

何より彼女が気になったのは、その部屋の色が妙に赤みがかっていた事である。通常ならば、明るい場所でしばらく瞼を閉じた後に目を開け辺りを見たとしたならば、瞼の赤とは補色の関係にある緑が強く景色に映り込むはずである。しかしながら、彼女の見た景色の色は、それを打ち消すほどに赤みがかっていた、ということになる。それは、いささかおかしな出来事では無いだろうか?

晄はそんな理屈などまるで理解などしていないのであろうが、それでも何か、いつもの朝とは違うということだけは理解出来たようである。晄は一度、目を閉じたまま起き上がってベッドに腰を下ろした。そしてその場で目の辺りを手で覆いながら瞼を開き、ゆっくりとその指と指の間に隙間を作ることによって、光に目を慣らそうと試みた。


「……!まぶっ!?」


しかし、その指の隙間が、運悪くその光源を捉えてしまったらしい。目を光に慣れさせる前に、その親玉を視界に入れてしまっては結局意味が無い。晄はまた、数秒前と同じ衝撃に悶える羽目になった。その衝撃故に、思い切り後ろへ倒れこんでしまった彼女は、その背がベッドに辿り着く直前に、ゴンッという鈍い物音と、後頭部への衝撃を受け付けた。


「おい、こんな夜更けに何……!?」


途端、部屋の扉の方から耳慣れた声がした。晄はその目を変わらず閉じたまま上体を起こして、その顔を声がした方に向ける。そして後頭部をゆっくり擦りながら、やっと晄はまともな声を上げた。


「い、今何時……?」

「……四時半だ。」


困惑した様子のエレッタは、部屋中に溢れかえる光に照らされた壁掛け時計を読み取って、ぽつりと口に出した。そうしてから、スタスタと彼女の部屋に立ち入ると、彼女の勉強机の上にある箱……光源の正体である水晶の入った箱に手を伸ばして、それに蓋をした。


「あ、あれ……?」


突如として光が消えた。エレッタの行動を知らない晄はそう解釈し、驚いた様子で目を開いた。ふと、その視界の中心に彼を捉える。そうしてそのまま無意味に見つめあっていたが、しばらくして、エレッタがその視線を手元にあるあの箱に移し替えたことでそれは破られた。


「……?エレッタ、今のは……」

「光っていたのは桃色だけだ。貴様の水晶は光っていない。バケモンが現れたわけではないから、まだ寝ていろ。」

「そっか、ありがとう……でもせっかくだし、もう起きちゃおうかな。」

「何、もう起きる気か。」


エレッタはバケモンである。それ故に眠りを必要とせず、晄が眠っている間はいつも、彼の趣味の時間になっていた。彼が、晄が起きて直ぐに彼女の部屋にやってこられたのも、部屋からはさほど遠くないリビングで、録り溜めていた昼ドラを眺めていたからであった。

晄の言葉に、エレッタは顔を顰めた。夏休みになった今、営業時間外の大半の時間を晄と過ごしていたもので、この間では、唯一残された自分の自由時間が奪われやしないかと、ひっそりと恐れたのである。そんな彼の事情などまるで知らない晄は、眠たそうにその目を擦っていた。


「うん。あ、そっち行って勉強してもいい?」

「……ここではだめなのか。」

「え?……あ、ドラマ見てた?」

「っ…。」


完全に図星を突かれ、エレッタは息が詰まったような感覚がした。しばらくぶりに覚えた焦りがまさかこんなものであろうとは、以前彼女の死が過り焦った、トリスの一件の彼には考えつかなかったであろう。エレッタは、今日は時代劇にしておけばよかったと、意味もなく悔やんだ。ただそれ以上に、よりにもよってベッドシーンの途中で一時停止して来てしまったことを、酷く後悔していた。

そんな胸の内を知られぬようにとするエレッタだったが、意識が過剰になり、逆に表情がいつにもなく険しくなっていた。ただ、彼の焦りなどは全て、杞憂に終わる。


「じゃあここでやる。」

「助かっ……いや、そうした方が集中出来るだろう。そうしておけ。」

「うん。じゃあお休み。」

「……ん?」


晄の最後の言葉に、エレッタは思わず聞き間違いを疑った。ふと彼女を見ると、その体から力が抜けたのか、ぽすんと音を立て布団に倒れ込んでいた。しばらく唖然としたエレッタだったが、そこからすぅすぅと寝聞きが聞こえてくると、そっと、彼女にかけられたタオルケットを綺麗に整え直し、部屋を後にしたのだった。




そんな調子で晄が次に目を覚ましたのは午前八時だった。あのまま三時間半は眠っていたことになる。午後九時頃に眠りについた彼女の総睡眠時間は、約十一時間である。目が覚めた時、晄はそんなに眠れることが出来た自分の体に酷く感動したものだった。

そして現在。勉強机に腰掛けた晄は、先程まで手をつけていた課題のプリントの上に置かれた、桃色の水晶とにらめっこをしていた。


「……多分だけど、あの人だよね?」


あまりに抽象的な表現に水晶が理解していないのか、それとも否定の意味なのか、水晶はただ光りもせずにそこに転がっていた。晄には、その反応など予想通りに思えたので、特に気にする様子もなく、また考え込んだ。

“あの人”とは、昨日ヴァノの起こした騒動を解決させてくれた、あの客人の少女の事を指していた。晄は、これまでの経験上、水晶が光った時の付近で出会った人間が戦士として選ばれた、という経験を多くしていた。それ故に、今回もその例に漏れず、水晶が光る前の日に出会った彼女なのであろうと確信したのであった。

ただ、問題はどうやって彼女にたどり着くのか、である。晄には、彼女との連絡手段などなければ、そもそも彼女の名すらも分からなかった。ほぼ絶望的といえるこの状況に、ただの一つも名案など浮かばず、頭を抱えてしまった。


「でも、うーん………ん?」


突如、ピコンという電子音が耳に着いた。驚いて音がした方を見ると、その正体は、画面を伏せて眠らされていた自身のスマートフォンであった。手に取ってその画面を覗き込んでみれば、どうやら先程の音はメッセージが来たことを知らせる通知音であったらしい。一体誰からのものだろうかと送り主を見ると、晄は一度、画面から目を背けた。


「うわ、ヴァノだ……あっ、いやうわって。」


思わず内に秘めた感情を表に出しかけたのに気づき、晄は周囲に誰もいないにも関わらず、咄嗟に口を押さえていた。昨日の今日だ。彼に多少の嫌悪感の一つや二つ感じるだけならば、誰も咎めはしないだろう。さらに、画面に映し出されたメッセージの内容も、さらに彼女の感情を膨らませるのに一役買っていた。


『サクラコの代わりに誰か紹介してよ』


このメッセージを見た瞬間、呆れやら怒りやらといった感情では無く、浮かび上がったのはただ、何故こんな人間が戦士に選ばれているのか、という純粋な疑問であった。そもそも、晄は彼にどう思われているのだろうか。マッチングアプリか何かだろうか。ただ、今の晄にはそんなことなどどうでもいい事だった。彼女は今、桃色の水晶に選ばれた人間の捜索以外の、何にも興味などありはしなかったのである。そう、昨日出会った、ヴァノを引き剥がしてくれた彼女のことで……

と、この時、晄は一つ頭の中で過ぎる言葉があった。確か昨日、騒動の真っ最中にリナルドが言っていた。ヴァノと彼女は等しく月乃宮つきのみやの生徒であり、よく喧嘩をしている、と。つまり、二人には確かな関係性が存在すると言えるだろう。『おーい』などと返信を求めるメッセージが届いた時、晄の頭にある名案が浮かんだ。彼がこちらの人間関係を利用しようと言うのならば、こちらも同じ手段を使えばいいのである。


『昨日のあの人のこと教えてくれたら考えます』


そう考えるや否や、晄はすぐさまスマートフォンのキーボードを開いてああ入力し、送信ボタンに手をかけた。画面全体を下から上に押し上げて現れる真っ白な吹き出し。その横に“既読”と表示されたのは、そのすぐ後だった。

晄は一度、画面を上向きにしてスマートフォンを机に置くと、放置していたプリントと睨み合いながら待った。どうやら理科のプリントらしい。晄の頭の中では、今朝エレッタが見ていたドラマの登場人物に置き換えられた酸素、銅、炭素による三角関係が展開されていた。今日の晄の脳は調子がいいらしい。銅に置き換えられたドラマの主人公が、酸素に置き換えられた相手役の男を炭素に奪われる様を想像し、還元と酸化を上手く脳内で再現していた。


「えっと……この二人は二酸化炭素になってるから、石灰水を白く……」


晄が筆を走らせていたその時、またピコンという電子音が鳴った。どうやら、彼からの返信のようである。答えを書き込み終えてから画面に向かうと、そこには予想通り、新しい吹き出しが増えていた。


『まず、オレにあいつのこと考えさせたこと謝れ』


何とも怒りの籠った文である。しかし、想定を上回るほどのそれに、晄は唖然とした。リナルドが言うに、ヴァノと彼女はよく喧嘩をしているらしい。つまり、一般的に“仲が悪い”とする範囲内を、優に超えた仲の悪さであると予想できるわけである。しかし、ただ仲が悪いだけとは違うようにも思えた晄には、この返答に衝撃を受けたらしい。晄はすぐに、スマートフォンのキーボードで、彼への謝罪の言葉を書き込んだ。


『ごめん、そんなに嫌いだったの?』

『嫌いだね。好きになる要素が無い。』

『そこまで言うほど?』

『てか、何でそんなこと言い出したわけ?』


返ってきたメッセージに、何も彼は話を聞く気がないわけではない、ということを理解した。やはり、彼は心から彼女が嫌いでならないというわけでは無いのだろう。ならば、その理由を話せば、何とか上手く取り合ってくれるに違いない。そう解釈すると、晄は、彼に事情を伝える文章を何とか頭の中からひねり出した。


『桃色の水晶が誰か見つけたっぽくて、でも誰なのか分からないから、心当たりを探ってみようと思ったの』


メッセージの既読はすぐについた。しかし、先程とは違って返事はすぐに来ることはなく、そのまましばらく時を過ごした。待てども待てども返事が来る気配がない。長文でも書いているのだろうか?そう解釈すると、晄は一度スマートフォンを置き、またプリントに取り掛かることにした。

今度は、実験器具について答えねばならないらしい。試験管、ビーカー、メスシリンダー。様々な器具の問題を、少し引っかかりながらも何とか答えを書き込んでいく。しかしその最中、大きな顕微鏡の画像が視界に入った時、晄は頭を抱えた。


「レボルバーと鏡くらいしかわかんない……」


どうやら、部品の名称を答えねばならないらしい。顕微鏡の画像内の様々な所から矢印が引かれ、その先に解答欄が描かれている。約七つほどあるその解答欄全てを埋めなければならないという過酷な問題である。そのうち、晄が確信を持って答えられるのはただ二つ。なかなかに絶望的である。

晄は一度魔が差し、そのプリントの答えを見てやろうと答え合わせの冊子に手を伸ばしたが、そんなことをした所で、馬鹿がより浮き彫りになるだけである。まるで邪念を取り払うかのように頭を振るうと、晄はまたプリントに目を向け、何とか答えを絞り出した。頭と同時に揺れるシャープペンシル。その中で晄は、確かな感覚と共に、ある言葉を思い出した。


「……あれ、プレパラートってなかったっけ!?あとえっと、たしかカバーガラスとか何とか……?えぇい!書いちゃえ!」


ああ、なんと嘆かわしいことか……彼女の解答欄が次々と間違った方向に捻じ曲げられていく。そんな適当でいいのだろうか、思い直して見てはいかがだろうか、などと伝えることも出来ず、晄は、酷い出来のプリントを見下ろして、至って満足気に微笑んだ。

と、その時。しばらく黙り込んでいたスマートフォンが、ようやく沈黙を破った。そうなれば、もう晄にはプリントの事などどうだって良くなってしまった。音の余韻が消えきる前にそれを掴むと、すぐさまその画面を手元に向けて、その内容を読み取った。


『つまり、お前はあいつが戦士になれると思ってんだな。でも、あいつは桃色の戦士にはならない。絶対無理だ。誓ってもいい。もし疑わしいなら聞いてみな。ミノリ・キュイーヴルは戦士ですかってさ。』


直接的にそうだと言いきれるわけではないが、晄は何となく、この文章から一触即発な雰囲気を感じ取った。“ミノリ・キュイーヴル”とは、戦士の可能性を疑った彼女のことなのだろう。晄はまず何より、彼の言われた通りに聞いてみることが最優先だと感じた。勉強机の隅の方に置いていた桃色の水晶に手を伸ばすと、それを手に持って、呟くように問いかけた。


「……ミノリ・キュイーヴルは、戦士、ですか?」


晄の問に、水晶はただ何も答えなかった。水晶が答えられるのはただ一つ、肯定の意だけである。それでいて、全ての名前を出してみせても、水晶は肯定しなかったのである。そうだというのならば、もはや彼女が戦士である可能性は、極めて低いと思えた。

そもそも戦士は、黄色を初めとする戦士を持つ水晶が、まだ戦士の居ない水晶と繋がり、それぞれがもつ人物の情報を伝えることによって決まるのだ。ならば、ミノリという少女の存在は、晄が出会う以前に、ヴァノの持つ銀色の水晶によって、既に桃色の水晶に伝わっているはずである。そうなれば、晄の予想自体、根本から間違っていたとも考えられないだろうか?


『ごめん、ヴァノが合ってた。』

『気が済んだ?

とりあえず気が変わったから、サクラコの代わりは後でいい。じゃあね。』


ヴァノのそのメッセージを最後に、この会話は途絶えた。スマートフォンと、手に持っていた水晶を机に置いて、晄は一つため息をついた。ヴァノは、恐らく晄やミノリという少女そのものに怒っていたわけではなく、それ以外の何かに怒っていたように思う。その違和感と、正解が遠くなった現実は、彼女の課題への意欲すらそいでしまうのだった。

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