第四十一魂

黒いベールを脱ぎさって


「何、あれ?……っ!まさか……!」


視界の先に映る、のどかであったはずの公園には不釣り合いの、人一人分ほどはある茶色の毛玉……いや、バケモンの存在を前に、未来みらいは足が竦むのを感じていた。手元で激しく輝く光から逃れるように、強く拳を握る。少し瞬きをするうちに、その毛玉は長い距離を移動してしまっていた。それを見ていると、とてもじゃないが、車道を渡った向こうには行こうという気が起こらなかった。

一度公園から体ごと目を逸らす。公園以外にいる人々は、驚いた様子であちらを眺めたり、面倒ごとに巻き込まれぬようにとその場を立ち去ったりと様々であったが、しかし一様に、バケモンをきっかけとして本来の目的とは異なった行動を取らざるを得ない状況であったらしかった。そしてどうやら、この辺りにはひかり木葉このは……すなわち戦士である人間は見当たらない。もし今、このまま彼らに会わぬうちにこの場を立ち去る事が出来たのであれば……辺りの様子を見て浮かんでしまったその考えに、未来は頭を振るった。一体、今自分が足を竦めている原因とは、単純に“バケモン”を怖れているからなのだろうか、それとも……


「っ……。」


公園にまた目を向けると、やはり変わらずあのバケモンがいるのが見える。しかし、美しい緑で溢れていたそこは、少し目を離したうちにすっかり荒らされてしまっており、綺麗に整列していた木々は、その幹を酷く傷つけられたり所々へし折られたりとして、著しく景観を損なっていた。その周辺を見回してみても、幸い今現在バケモンや並木道には人の姿がなく、怪我を負っている人物はいないようである。しかしこのままでは、いずれそうなってしまうのも時間の問題であるのは明らかだった。

未来にもその事実は分かっている。しかし、いや、だからこそ、彼はその場から動かなかった。視界に映される公園にも、それとは反対の道にも向かわず、ただ黙って目の前の出来事を目に焼き付けている。それが、今の彼に出来る全力であった。勿論彼も、それだけでは良くないとも理解していた。この状況の悪化を食い止める術を持っていながら、彼はその場から動くこともままならない。文字通り逃げも隠れもしてはいなが、そもそも見つかろうとしていないのなら、逃げたり隠れたりといったことと等しいのだ。けして、誰かにそれを責められたわけではない。しかしながら彼は確実に、何者かから追い詰められるような感覚を感じていたのであった。


「あの。」

「うわぁあ!!?」


切迫していた心理状態の彼は、突然それを邪魔するかのような声を耳にして、思わず大声をあげた。すぐ後ろから何の前振りもなく聞こえてきたその声は、なにも大した声量ではなかったというのに、である。その時突然、視界端にビクリと跳ね上がった白い何かを捉え、彼は動きを止めた。

その正体を探ろうと、白い何かが見える方に振り返ってみせた。視界の先にあった……いや、居たのは、自分よりも大分背丈の低い、白髪の少女であった。


「ご、ごめんね!急に声かけられたから、びっくりして……」

「………………」

「……あれ、違っ……」

「…いえ。」


声をかけたら突然悲鳴で返されるとは、なかなかに怖い体験であっただろう。そう思った未来は、焦った様子で声を出した。一方の少女は、確かに未来の言葉には答えたものの、あくまでも目を合わせる気は無いらしい。足元を見つめながら、彼の言葉に静かに返すのみで、それ以上に距離を詰めるような事をする気配はなかった。むしろ、逆に距離を置かれているようにも思えた。

(ボクが大声出したから、怖がらせちゃったのかな……)

萎縮しているかのような少女の態度に、未来は彼女への申し訳なさに苛まれた。しかしながら、この少女は何故未来に話しかけてきたのであろうか?未来は、彼女を見てもこれといって関わった記憶を思い起こすことが出来なかった。しかしながら、全く知らない、というわけでもなく、はっきりとはしないものの、ほんの僅かに見覚えがあるような気がする。見たところ、自分とは同じ年齢か少し下かという年頃であるように見えるので、同じ学校の生徒だったりしたのだろうか……?

そうは言っても、何故いきなり声などかけられたのだろうか。考察してみても一切答えが出る気配を感じ取ることが出来ず、未来はそれを不思議に思った。


「……ボクに、何か?」

「…………時和ときわ先輩って、その……あなた、ですよね。」

「え、あぁ、うん。」


少女は、一度彼の目を見た後、直ぐに目を逸らすとああ口にした。“先輩”とこちらを呼ぶのであれば、やはり彼女は同じ学校の生徒、それも後輩の一年生なのであろう。それならば、何処かですれ違っていた可能性は大いにあるため、見覚えがあったことにも理由がつく。不思議に思ったことが少し解け始めて、少しの快感が彼の中に訪れた。しかし、その解けた謎などほんの一握り程度である。未来は、彼女の言葉の続きを待ちながら、手に持っていた水晶をそっと服のポケットに押し込めた。


「…………行く気無いんですね。」

「え?」

「あっ……あのっ……あ、あれです……!」


突然、少し焦った様子になった少女は、言葉をつまらせながら車道側を指さした。その先にあるのは、例の公園である。未だにあの場所にはバケモンらしきものの姿があり、逃げ惑う人々を追うでもなく、ただ辺りを走り回っていたようだった。


「……。」

「えっと……ひ、晄先輩が、あなたを見たら世話しろ、って……」

「……じゃあ、君も戦士なんだね。」


何故彼女がこちらに話しかけてきたのか。理由は一つ。彼女もまた、晄達同様に戦士であり、晄からの頼みを受けて、こちらに話しかけて来たのである。

しかしその謎が解けても、今度は何の快感も訪れなかった。むしろ彼の元に訪れたのは、何か不快なものだった。突如として、胸のあたりがチクチクと痛み始めるのを感じる。都合が悪くなり、未来はその視線を足元に落とした。しばらくの間、騒々しい人々の声だけが耳に入っては流れていったが、その中に突然、聞き覚えのある声が混ざり始め、未来は顔を上げた。


「おーい!!」


少し遠くから聞こえた明るい声に振り返ると、見慣れた黄色の髪が映りこんだ。手を振りながらこちらに近づいてくるその姿に、彼の胸はまたギクリとはねた。彼女……晄は、わずかの間に二人の元にたどり着くと、その場でパタパタと手を動かして自らに風を送った。


奈波ななみちゃんもう来てたんだね!」

「……ひまだったので。」

「未来くんも!来てくれたんだね!」

「う、うん。」


嬉しそうににかっと笑う彼女に、未来は後ろめたさのようなものを感じた。もっと、上手い言葉は沢山あったのだろうが、今の彼にとっては考える事もままならず、雑な返事一つするだけで精一杯であった。


「あの……晄先輩。」

「ん?何?」

「この人の事お願いします。先行ってますね。」

「え?」

「わたし、うじうじした人の世話できないんです。」


そう言うと、奈波はすぐにその場を離れ、公園の方に繋がる歩道橋の方に駆け出した。たくさんの人混みの中を通り抜け、彼女がまた姿を現した時には既に、その背に真っ白なマントがなびいていた。


「うじうじ?」


その様子を眺めながら、晄は不思議そうにそう呟く。しばらくの間、そのままぽかんとした表情で奈波を見つめていたが、その耳に入った未来の声に、晄はまた彼の方を振り向いた。


「……それ、ボクのことだと思う。」

「何か、あったの……?」


晄は、この時になってようやく、未来の暗い表情に気がついた。下に落ちたままだった視線を僅かの間晄の方に向けたが、それもすぐ下に戻る。“うじうじ”というワードが、彼の中にずんと強く響いたらしい。しかし、それにしては随分と大袈裟にも取れる暗さは、その言葉以外に要因があるとしか思えず、晄はそっと彼に訊ねる。彼はしばらく口を割ろうとはしなかったが、少しして、その重い口を開いた。


「…………ボク、水晶を貰った時は任せてなんて言ったけど、でも、本当は……凄く恐かった。自分以上の大きさの怪物なんて、見かけるだけでも怖いのに、戦えだなんて、ボクには無理だって思った。」

「未来くん……」

「今日までの間、バケモンが出てもボクは行こうともしなかった。自分の中で踏ん切りが着いたらって思いながら、ずっと無駄に時間だけ過ごして……気がついたらすごい時間が経ってて、余計に行けなくなった。なんでずっと無視してたんだとか言われたらって思ったら、怖くなった。」


みるみるうちに、彼の表情はどんどんと曇っていく。その傍で晄はただ、彼の長い前髪が彼の顔を陰らせていくのを見ていた。

未来の心は今負のループの中にいることを、彼女は察した。彼女は何も、彼が長い間姿を表さないことにはあまり深く考えなど巡らせてはいなかった。晄自身も、戦士の数が増えて以降は自分の都合でバケモンを無視することを度々やっていたし、逆に、自分以外の戦士がバケモンのいる場所にほとんど現れないことも少なくはなかったからだ。

彼をその呪縛から解放するにはどうすればいいのかなど、晄には分からない。それでも何とかならないかと、彼女なりに思考をめぐらせた。


「でも、未来くんは今ここにいるでしょ?」

「偶然通りがかっただけなんだよ。」

「でも、すぐどっかに行かないでずっとそこにいたんじゃんか!」

「でも、バケモンの所に行こうともしなかったよ?」

「うーん……」


晄は、完全に言い返す言葉を見失った。元々語彙を大して持たない彼女と、それとは比較にならない利発さの未来とではただでさえ差がある上に、感情が強く出た彼の持つ独特のオーラが、不思議と彼女の思考を鈍らせたのだ。

ならば、これはどうすればいいのだろうか……?未来をなんとか前向きにさせる手段は、きっとどこかにはあるはずである。今は奈波がバケモンと対応してくれている。すぐに向かわなくてもある程度は問題ないだろう。そう思うと、晄なりの本格的な考察を始めた。

このまま無理矢理にでも明るい方向に話を変えられないだろうか……いや、あまりにも不自然では話を聞き入れられない恐れがある。そもそも、明るい方向とは具体的になんだと言うのか。ならば、思い切って彼に便乗してみては……いやそれは駄目だ。そんなことをしたら、彼の負のループを加速させることになりかねない。ならば……

(もうわからん!)

晄は思考を放棄した。開き直った彼女は、とても清々しい表情である。彼女はそのまま、相変わらずこちらに目を合わせない彼に目を向けた。しかし、ほぼ等しい背丈の彼と視線を合わせるのは極めて容易である。彼女は左手で彼の肩を掴み押さえると、右手で無理矢理彼の顔をこちらに向けた。


「よし!行こう!!」

「え……えっ!?」

「急ぐよ!奈波ちゃんに先越されちゃうから!!」


晄には、考えすぎると思考そのものが面倒くさくなり、その場の勢いだけで行動するようになるという面倒な習性があった。それも、一度そうなるとなかなか止められるようなものではないらしい。晄は勢いのまま彼の手首をしっかり掴むと、そのまま人通りがだいぶ少なくなった歩道橋の方まで向かった。トントンと勢いよく階段をかけ登る晄に対して、未来はほぼ躓きかけていて、傍から見て危なっかしく思えた。そんな調子でも、何とか無事に登り終えた時には、未来の息は既に上がっていた。


「ま、待って……!ストップ……!!」

「え?」


後ろから聞こえた強い主張に、晄はようやくその足を止めた。突然一体どうしたのか、とでも言いたげな表情で振り返った彼女だったが、それからしばらくして、息絶えだえの未来と目が会い、その意味を理解したらしい。彼女の額には、どっと冷や汗が流れ出た。


「ああっ!!ごめん!!無理矢理引っ張って!!」

「はぁ……はぁ……び、びっくりした……」

「疲れちゃったよね?ホントごめんね!」


あわあわと口を動かしながら、晄はひとまず彼から手を離した。何時だっか、木葉も似たようにして疲れさせてしまった記憶がよぎる。それも相まって、過剰なまでに顔色を青くする晄に、未来は何とかしようと声をかけてきた。


「だ、大丈夫だよ、ボク体力低いから、回復するのにも時間かかんないと思うし……」

「もしそうだって、未来くん疲れさせたのは変わんないし……」

「晄ちゃん、ボクのためにやったんでしょ……?だから……」

「うぅ、でもなんか……ああっ……!」


両手で頭を抱え込み、膝から崩れ落ちた彼女に、未来はどうしていいか考えあぐねた。なにもそう大袈裟になるほどのことでは無いのだと、未来自身感じていて、余計に思考が進まなかったのだ。

そもそも、彼女がこうなったのは、いつまでも自分がうじうじとその場から動かなかったために、彼女が何とか手を引いてバケモンの元まで向かわせようとしたからである。そうだと言うのに、誰が彼女を責められようか。むしろ責められるのは……

(……ん?)

ここに来て、未来は一度冷静になった。不思議と、先程のやり取りに既視感を覚えたのだ。既視感?一体何が……そう思った時、ほんの少し前の、晄とのやり取りを思い返した。奈波にうじうじだのと言われて気落ちして、つい弱音を体外に放出してしまった時の、彼女とのやり取りを。あの時は、自分を責める言葉を自分になげかけ、晄が何とかフォローしようとするような形であったが、先程のそれは、むしろその反対……過剰に自分を責める晄に、自分がフォローを返す、という形であったわけである。


「……ボク、ちょっと行ってくる。」

「……え?」


その時彼は、晄の自己否定の言葉に、随分と大袈裟であると感じた。なにもそこまで気に病む必要も無いのに、と。しかしそれは、その前のやり取りで晄が思っていたものと同じかもしれない。気にしすぎていたのは、自分自身も同じかもしれない。そう思ったのには、なにも大それた根拠があるわけではない。しかしながら、不思議とその考えには自信があったのだ。

しばらくその場で息を整えると、彼はズボンのポケットに手を突っ込んだ。そして、そこに長らく押し込められていた水晶を取り出すと、彼はそれを強く握り、高らかにこう叫んだ。


「『支配せよ!我が魂!!』」


途端、彼の手から溢れ出んばかりの紫色の光が当たりを包んだ。その眩しさに、晄は反射的に目を閉じる。そしてまた目を開けた時、その視界に広がったのは、紫色の柔らかな布地だった。

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