第三十六魂
将来への空想
「
「それが決まんなくて……
「それが、ウチも決まってないのよね……」
昼休み。その日配られた進路希望の紙を前に、生徒達は頭を抱えていた。中学生というものは義務教育の終了が見え始める年頃であり、将来の夢を明確にするべきとされてしまうのである。しかしながら、幼い頃の夢を現実的に捉え、本格的な道筋を建てなければならないという重い時期でもある。晄は、前の席に座る女子生徒、
「あたし、昔はゲーム作る人になりたかったんだけどさ……数学の成績が……!!」
「ああ!!わかるわかる!!ウチも昔は獣医さんに憧れてたんだけど、理科苦手で……これじゃ無理だなって……」
「あれ、二人とも何の話してるの?」
突然聞こえてきた第三者の声に驚いて、二人は声がした方を振り向いた。そこには、晄の隣にある自分の席に座ろうと、椅子を引いていた
「び、びっくりした!!ブロ子急に入ってこないでよね?」
「……その変なあだ名やめて。定着させたくないから。」
「そう言えば、結構前から思ってたんだけど、木葉がなんでブロ子なの?元の名前残ってないよね?」
「ああ、そっか。晄ちゃんそう言えば転校生だったもんね、あれ知らないのか……」
美奈子はクスリと笑ってから、次の授業の準備を始める木葉を無視して話し始めた。
「
「や、やめろよ!」
木葉は、林檎のように顔を真っ赤にしてそう言うが、美奈子はそれを気にもとめず、ただ笑っていた。珍しく声を荒らげて制止した木葉だったが、晄は既に、美奈子が言おうとしたことを汲み取っていた。
「なるほど!ブロッコリーでブロ子なのか!」
「そうそう!!ふふふっ!」
「もう……」
「あ、そうだ。ブロ子は進路希望のやつ書けた?」
「え……?あ、その話してたんだね。もう書けたよ。」
「え!?早くない!?」
どこか誇らしげにそう告げる木葉に、美奈子は椅子から転げ落ちんばかりの驚きを見せた。恐らくは、自分や晄同様に、彼もまだ進路を決めきれていないのだと思ったのだろう。美奈子は興味津々な様子で、木葉に詰め寄った。
「なんて書いたのよ!?公務員!?」
「な、なんで公務員……?」
「だってあんた、安定とか好きでしょ?」
「いや別に……グリーンコーディネーターだけど……」
「……全然ピンと来ないわ……なにそれ?」
「えっと……観葉植物とか使って、依頼された場所……例えばホテルとかショッピングモールとかに飾り付けする人だよ。」
「へ、へぇ……マニアック過ぎて参考になんないわね。」
「そんなこと言われても……」
「でも、なんか木葉っぽくていいね!似合いそう!」
「ああ、確かにブロ子っぽいかな……?野菜売り場とか装飾してそう。」
「いや、それじゃただのスーパーの職員じゃないか……」
少し呆れた様子で美奈子にそう告げると、木葉はまた、次の授業の準備に取り掛かった。ふと時計を見ると、授業開始まであと一分程度しか残っていない。晄と美奈子は、慌てた様子で準備に取り掛かるのだった。
家に帰っても、晄はまた、進路希望のことについて考えていた。自分がどんな仕事に就きたいかなど、大して考えて来なかった晄にとって、これはかなり大きな課題であった。
頭を使うような仕事はまず不可能に近いが、センスが問われる仕事も、そこまで自信が無い。そんな彼女が得意なことといったら運動であるが、これといってスポーツが好きなわけでもなく、戦士として生きてきたが故の能力であり、たいして長続きするとも思えなかった。
そうして、何時間も頭を抱えていると、気づけば相当な時間が経過していた。
「んー……」
「…………貴様、何をしている。」
「あ、エレッタお帰り。」
進路希望調査の紙とにらめっこをしていた真っ最中、エレッタの店が閉まる時間になったらしい。神妙そうな顔で見つめてくる彼に、晄は軽く挨拶をした。
「あ、ああ。夕食は済ませたか?」
「まだ。」
「……だろうな。珍しく流しが綺麗だからな。」
「この紙書いてからご飯作ろうと思ってたんだけど、なんか決まんなくてさ……」
晄はそう告げると、先程まで睨み合っていた紙をエレッタに手渡した。それを受け取ると、エレッタは納得したらしい。彼は晄の向かい側の椅子に座り、ひとつため息をついた。
「……なるほど、進学できそうな学校が無いのだな……」
「……え!?違う違う!!」
「ま、まさかあるのか……!?」
「
「……まあ、不可能とも言えない領域か?地元枠もあるしな。しかし学校ではないとすれば、一体貴様は何を悩んでいるのだ?」
真剣な表情でこちらを見下ろすエレッタは、そう口にしながら晄に紙を返すと、晄の正面の椅子に腰を下ろした。晄は、改めて進路希望調査という文字と睨み合うと、その下にある、高校卒業後の進路、という文字に目を凝らした。
「あたしの将来が見えない……」
「随分と大袈裟だな。職業の話か?」
「うん……バカでもできる仕事って何?」
「……いや、貴様は既に働いているだろう。」
「……え!?」
ペンをテーブルにぺしぺしと叩きつけながら項垂れていた晄だったが、エレッタの言葉に驚いて、勢いよく体を起こした。椅子の背もたれからガツンと音が鳴ったが、晄はそれに気づいてすらいない様子で、エレッタの方を穴が空くほどに見つめていた。
「あたしが働いてる!?」
「……週末はいつもどう過ごしているのか言ってみろ。」
エレッタに言われた通りに、普段の週末の過ごし方を思い出した晄は、目の前で呆れ顔を見せてくるエレッタの意見を理解した。
「そっか!ここで働けばいいのか!」
忘れがちではあるが、晄は毎週末、エレッタの営むイタリア料理店の手伝いをしている。ウェイターとしての仕事をする日があれば、キッチンの方でひたすら皿洗いをさせられたりする日もあるが、晄はどんな仕事をさせられても、上手くこなしてきている。雇い主……というわけではないが、店主であるエレッタからしてみれば、彼女の働きっぷりに文句は無いのである。
「我は、大人になっても貴様がいようがいまいが、気にはせん。これはあくまで提案だ。」
「そうだね、それがいいや!……でも、なら……高校卒業後の進路って、なんて書けばいいの?高卒?」
「……そうなるのだろうな。」
エレッタは、眉間に軽く皺を寄せ、腕で頭を支えながら一息ついた。一方の晄は、その手に持っている黒いボールペンの頭をカチカチと鳴らして、紙に近づけた。しかし、晄が紙にペンを付ける直前に、エレッタはまた口を開いた。
「……晄。」
「え、どうかした?」
「いや……料理で食っていく気は無いか?」
「……?料理は食べるでしょ?」
「いや、そうではなくてだな……」
エレッタは、目の前にいるバカ娘の知能の低さを改めて感じ、口からため息が溢れた。そんな彼の様子に、晄はただ、次々に疑問符を飛ばすばかりである。そんな様子の彼女を前に、何か言うのを躊躇いかけたが、その言葉を告げずに終えるべきでは無いと判断したエレッタは、姿勢を少し正すと、不思議そうにこちらを見つめてくる彼女の目を見つめて言った。
「我の店を継ぐ気は無いか?」
「……え?」
晄は、一瞬何を言われたのかわかっていない様子だった。しかし、しばらくして、彼が自分にした提案の内容が頭に流れてきた晄は、その口から、普段の何倍もの大きさの声を出していた。
「えぇえ!!?あ、あたしが!?バカにお店やらせたら潰れない!?」
「お、落ち着け晄!」
「だって!」
「分かったから、我の意見に少しは耳を傾けろ!」
ガンッ!と、その右手をテーブルに叩きつけ音を立てると、目の前にいた晄は、驚いて口を閉じた。その様子を見て、エレッタはまた続けた。
「この店は、チェーン店でも何でもない、個人営業の店だ。それ故に、跡継ぎが必要なのだ。」
「水晶みたいに?」
「……まあ、そうだな。勿論、我は死なぬ故、この店を永遠に見届けることは出来る。だが、厄介になってくるのは、今のこの世界に存在する、戸籍というシステムだ。」
「……戸籍……って、なんだっけ?」
想定外の言葉に、エレッタは耳を疑ったが、その言葉を放った人間を見つめ直すと、ただ仕方ないとため息をつくだけだった。
「……そうだな。貴様と我は、本来ならば血など繋がっていない、言わば他人だ。それ以前に、我に至っては人間ではない。死なぬ。だが、バケモンという存在が一般的ではないこの世界では、この事実を説明することが出来ないのだ。」
「うん、そうだね。」
「こうなった時、本来ならば我は人間ではないために、自分の身分を示すための戸籍というものを取得することが出来ないのだ。」
「……戸籍が無いとどうなるの?」
「……こう言ってしまうのは少し間違いかもしれないが……戸籍が無ければ、存在しないとほぼ同義だ。」
何も知らない晄にも分かるように、噛み砕いて説明することがいかに大変なことか、エレッタは酷く痛感していた。しかし、自分の説明の内容を理解したのか、首を傾げる様子のない、理想通り驚いた顔をした晄を見て、エレッタは少し満足気であった。
「……!そんな!」
「戸籍上存在しない人物が、呑気に店など出来るわけが無いのだ。」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「そこが厄介なのだ……ところで貴様、我は戸籍上、貴様の何か分かるか?」
「え、戸籍上……?」
「深く考えるな。普段周りにどんな言い訳をしているのか思い出せばいいだけだ。」
完全に聞く体制だった晄は、突然に話を振られ、頭を抱えた。晄にとってエレッタはなんなのか、普段よくしている言い訳とは、一体どれを指しているのか……晄はしばらく頭をひねらせたが、ある所でサッと顔を上げると、幼い子供のような、わくわくした表情で答えた。
「わかった!エレッタは叔父さんだ!」
「……正解だ。」
無邪気な表情で彼女に言われたことは、決して悪口でもなんでもないのだが、エレッタはそっと、勝手に傷ついていた。
「あれ?でも……叔父さんって、普通どんな感じなんだっけ?」
「……父親、もしくは母親の兄弟姉妹のことを、伯父やら伯母やらと呼ぶ。我のことを指す叔父は、貴様の父親の弟ということだ。」
「へぇ……じゃあ、その戸籍上?では、エレッタは父さんの弟なのか……でも、エレッタって父さんよりずっと年上だよね?」
「そうだ。だが、戸籍を手に入れて生きるには、人間になりすます必要がある。そのために我は、これまで貴様の祖先の誰かの兄弟という事にして、戸籍を手に入れていたのだ。」
「へぇ、大変なんだね……あれ、でも、これがお店と関係あるの?」
晄は元の話題を思い出した。そもそも、これはエレッタが晄に店を継がないかという提案をしてきたが故の会話だった。ただ晄には、この話題が店を継ぐ継がないの話に関係あるとは考えきれず、その率直な疑問をエレッタにぶつけた。
「あたしがお店を継ぐのって、その、戸籍?の話と関係あるの?」
「ああ、そう言えばそうだったな……
では、少し問題を出すか。我は戸籍を手に入れるために、約二十年の間、店のことが何も出来なくなる期間が生まれる。それが何かわかるか?」
「え、二十年!?ひ、ヒントちょうだい!」
「……今の貴様は、それに近い。」
晄は、その言葉の意味が分からず、今の自分をまじまじと見つめた。今の自分は椅子に座っており、未だに制服から着替えず進路希望調査のプリントと見つめあっている。手に持っているボールペンは、恐らく何かのおまけでついてきただけの安物であろう。晄にはそれが、他のボールペンより妙に軽く思えた。
しかし、見つめれば見つめるほど、ただでさえ答えがわからずモヤモヤとしていた頭が、さらに混乱を極めていく。しかし、そうして自分の手足や体を眺めていた晄を見たエレッタは、心底呆れたような表情を浮かべた。
「違う、そうではない。」
「え?」
「貴様が今置かれている状況……と言っても分からないか……」
「……ごめん、答え聞いていい?」
「……わかった。」
エレッタは、頭の中に浮かんでいる答えをいかにしてこの雷バカ娘に伝えようかと、必死に言葉を組み合わせていた。そうしてしばらくすると、エレッタは口を開いた。
「……戸籍を得るために、我はただの人間だけではなく、子供にもなりすまさなければならないのだ。」
「子供にも?……えっ、もしかしてエレッタ、父さんがあたしぐらいの時一緒に学校行ってた!?」
「……そういう事だ。」
晄は、自分で言ったことを頭の中で想像して、その不自然さに目を回した。
エレッタが晄に告げた、店のことに手を出せない二十年間、というのは、義務教育の間や、調理師免許を取るための期間のことである。彼は、戸籍を得るために一度、本当の人間のように成長する過程を通って見せなければならないのである。つまり、幼い人間になりすまして、小学校や幼稚園にも通わなければならない上、生まれたばかりの時は、人前では赤ん坊の姿になり、赤ん坊のように振る舞わなければならないのである。
「……エレッタ、凄いよ。」
既に長い時を生き、様々な知識を得ている彼にとって、そのなりすます期間がいかに大変なことか……晄は、エレッタに少し同情したが、それを察したエレッタは、複雑そうに目を背けた。
「……つまり、エレッタが誰かの兄弟ってことになって学校に通ったりしてる間、誰かがここのお留守番しなきゃいけないってことだね?」
「……まあ、そんなところだな。正直な所、貴様が嫌だと言うのならば桜子にでも任せようかと思ってはいるが……やはり、桜子よりも、事情がわかる貴様に頼む方が……こちらとしても安心なのだ。」
そう告げるエレッタは、普段の上からな発言が多い姿とは違い、むしろ下手に出ていたように思えた。晄は、そんな彼の方を向くと、にこりと笑った。
「うん、わかった!でも、あたしまだ料理そんな出来ないし、エレッタが教えてよ!お店がもっと売れるくらい、飛び切り美味しいのが作れるように!」
エレッタは、晄が店を継ぐと言ったのが余程嬉しかったのだろうか、それとも、料理を教えてくれと言われ、つい熱くなってしまったのだろうか……あの後の、エレッタの本気の料理講座のせいで、次の日の晄は、かなりげっそりとして見えた。
「おはよう……て、晄、何かあったの?」
いつも通り、晄の家まで彼女を迎えに来た木葉は、その変わった様子に気がついたらしい。心配そうに彼女を見つめていた。
「あはは……まあ、ちょっとね。」
晄は、具体的な説明を考える気すら起きないらしい。ただ曖昧に誤魔化すと、力なさげにふっと笑った。そんな彼女の背負うカバンの中には、書き終えた進路希望調査のプリントが挟まれたファイルがあった。
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