第三十五魂

信頼と疑いの交差


『この阿呆!!』


受話器越しに聞こえてきた大声に、ひかりは思わずビクリと肩を震わせた。その声は、そのすぐそばにいたヴァノにも聞こえてきたらしい。彼は、晄の方をあっけらかんとした様子で見つめていた。


「あ、あほ!?今回あたし頑張ったんだよ!?」

『幹部を一人倒した所は評価に値するが、評価に値しない点があまりにも多い!!』

「えぇ!?そんなぁ……」

『そもそも、何故奴が有利になる場所で戦うのだ!多少人に見られる事はこの際仕方ないと割り切って、水場以外の場所で戦えばよかっただろう!?一週間前に風邪をひいたばかりの貴様がまた水に濡れたら、ぶり返して高熱を出すのは分かっているだろうが!!』

「お、おっしゃる通りです……」


エレッタの言葉の最もらしさにぐうの音も出ないらしい。晄は、その意を示すように、萎れたような声でそう呟いた。


『……それで、貴様は今何処にいるんだ……』


少しの間を置いて受話器から聞こえてきた声はため息混じりであった。晄はそんな彼に少しでも応えようと思い、しばらく辺りを見渡した。晄は、そうして感じたことを、正直に、そっと口にした。


「……わかんない。」

『……それは初めに聞いた。よくもまあ何処かも分からない場所に迎えに来るよう言えたものだと感動した。』


しばらく黙っていると、受話器からはまたため息が漏れてきた。ただでさえ募っていた申し訳なさが更に大きくなり、晄は何ともいたたまれない気持ちになった。


「やっぱり自分でなん……」

『そんなことをほざく暇があるなら、そこで大人しくしていろ!』

「は、はい!」

『……北側に向かったんだな?それで、目印になるような建物は辺りに無いのか?』

「えっと……」


晄は辺りを見渡して、彼の求めているような建物が何かないか探ってみたが、やはりそれらしきものはなく、強いて言うならば、少し遠くに見える人気の少ないアパートくらいなものだった。これでは、エレッタに現在地を伝えることが出来ないではないか……晄がその顔をさらに青く染めた時、すぐそばにいたヴァノが、ボソリと呟いた。


「……浄水場の話した?」

「あ!そうだ!浄水場?にいる!」

『……水場と言うから川かと思っていたが……そうか。分かった。』

「ごめん、せっかく今日休みだったのに……」

『はぁ、本当にな。』

「うぅ……」


深い呆れのため息と共に聞こえてきたその声は、晄の心をチクリと刺した。思わず目線を足元のコンクリートに移した晄だったが、その手に持つスマートフォンからは、また音声が流れた。


『まあ、圏外では無いだけマシだろうな。いいか、勝手に移動したら、タダではおかんからな。』


しかし、これが最後だったらしい。面倒くさそうな、呆れたようなその声の後に聞こえた、ブチリと耳につく音を最後に、スマートフォンはただ、ツーツーと決まった電子音だけを鳴らし始めた。晄はそれを耳から離すと、モードをスリープに切り替え、乾いたボディーバッグにしまい込んだ。


「良かったじゃん、来てもらえるんだろ?」

「うん……ちょっと怒ってたけど。」


突然ヴァノに声をかけられ、晄は苦笑いを浮かべながらそう口にした。しかし彼の方の表情は固く、戦士になる直前まで身につけていた黒いつば広の帽子を被り直していた。


「あ、そういえばヴァノはどうするの?」

「どうするって、帰り?」

「うん。車乗ってく?」

「……いや、オレちょっと用事あるから止めとく。」

「え、ここで用事?ランコレはもう土に還ったよね……?」

「……ああ。」


不安げにそう問いかける晄に、ヴァノはしばらくの間を開けてから、ああ口にした。

少し前まで二人が戦っていた、ランコレを初めとするソウルブレイカーの幹部達は、その体力が限界にまで達すると、一時的に土の中に逃げ込む……“土に還る”ことで、その体力を回復するのである。完全に回復するまではなかりの時間を割く上、その間彼らは地上に姿を現す事も叶わないのだ。

感情の持ち主を失ったバケモンの倒し方は未だに分からないため、これまで戦士達は、その土に還った状態を“倒した”として、ソウルブレイカー達と戦ってきた。すなわち、ランコレを土に還した晄達は、ランコレを倒したのである。

しかし、だとすれば、ヴァノが言う用事とは一体なんだと言うのだろうか?晄は不思議に思い、問いかけようと口を開いたが、それは虚しくも遮られた。


「じゃあその……」

「それより、あのバケモンキツくない?」

「……?あのバケモン?ランコレ?」

「違う違う。なんだっけ……ブレンダーだっけ?」

「ブレンダー……?あ、エレッタのこと?」


本人がここにいたならば、誰が調理器具だ、と言ってヴァノを睨んだことだろう。彼はむしろブレンダーを使用する側である。それはさておき、エレッタの話を振られたことが晄には予想外であったらしい。そうして完全に頭の中のモードが切り替わると、浮かんでいた疑問など忘れてしまったようだった。


「そうそれ。それでキミ、アイツに結構理不尽なこと言われてなかった?」

「え?例えば?」

「……バケモン倒したのにアホとか言われてたじゃん。」

「?……他には?」

「……あー、内容覚えてねぇ……」


理不尽なこととして彼が挙げた例はただ一つだった。しかし、晄はその発言にはさほど理不尽さを感じてはいなかった。エレッタが晄に対して、バカだのアホだのと言うのは日常茶飯事であり、そもそも晄にとってはさほど気になることではないのである。晄自身も、お決まりとしてそれを言われたら傷ついたような言葉を返したりもするが、何となくその言葉から愛すら感じている。

そもそも先程の電話の中で、エレッタが晄に阿呆だと告げた後、自分をあまり大切にしないような彼女の行動について言及していたのを聞いていれば、その発言が理不尽とは思わないだろう。

正直、それを言われた張本人は、自分が気にかけてもらえていると考えているとは思えないが、何となく、心の底から罵られてはいないことを察してはいるだろう。それを証明するかのように、ヴァノの出した例に対し、晄は納得していない様子で首を傾げている。ヴァノは、少しバツが悪いようにつば広の帽子を深く被り直した。


「というかそもそも、キミ戦士なのにバケモンと暮らしてるっていいの?」

「え?」

「今は人を襲ってないにしたってヤバいんじゃないの?」


晄は、生まれた時からエレッタという存在が身近にいた状態で生活してきた。それ故に、エレッタはバケモンであるという事実は認識しているものの、頭の中ではそれぞれ別の物として種類分けされて来ていたのである。

そもそもエレッタは、晄の父親、祖父、曽祖父、そしてさらにその先祖から、随分と長い間黄色の戦士と共にいた存在である。それ故に、戦士やバケモンに纏わる知識が豊富であり、晄からしてみれば、彼以上に戦士関連で頼れる人物は未だ存在しないのである。


「うーん……」


しかしヴァノにああ言われ、晄は初めてエレッタを、“自分と対峙するバケモン”として認識した。しかし、晄は上手くその位置づけとして彼を認識しきれなかったらしい。その口から、小さな唸り声が漏れた。


「エレッタは、別に人を襲わないし……」

「今はそうかもしれないけどさ、永遠にそうとは言いきれないだろ?」


そう告げたヴァノの表情は、霜が出来るほどに冷たかった。その口からは、いつも通りの口調の、しかし僅かに冷えた声が流れ出てくる。晄には、その冷気がエレッタに向けられたものだとしか思えず、ついカッとなった。


「そんなことないって!だってエレッタは、もともとアイツらにバケモンにされちゃった人なんだよ?

別に、エレッタは戦士みたいに、どんな人でもみんな助けるわけじゃない。でも、自分みたいに、感情の持ち主の所まで帰れないまんま、一人だけ取り残されてるバケモンが生まれるのが嫌なんだよ!

……エレッタだって、ソウルブレイカーの被害者だし、アイツらが許せないんだと思う。」


少し強気に出ていたヴァノだったが、その晄の言葉に思わず引き下がった。

生まれたばかりでわけも分からず人間を襲うバケモンや、ソウルブレイカーとして、バケモンでありながらバケモンを生み出す幹部達ばかりを見てきたヴァノは、エレッタに対しても同じような目で見ていた。だが、もしかしたらその考えは合っていないかもしれない。彼は、また口を開いた晄を、ただ黙って見た。


「……ヴァノがエレッタのこと疑っちゃうのは分かるんだ。でも、きっと……いや絶対、エレッタはあたしを裏切ったりしないよ。だって優しいんだもん。」

「……バケモンだって人間だったもんな……ま、別に一緒にいるくらい、いいのか。」


帽子のつばのせいで、その目元はハッキリとは映らなかったが、それでも、彼の口角が軽く上がっていたのに、晄は気がついた。それにつられて、晄も思わずその表情を綻ばせた。


「オレ、キミに嫌な思いさせたかな?」

「ううん、大丈夫だよ。」

「ならいいや。」

「あ、そう言えば……」

「ん?どうかした?」


晄は、ふと目線を空に向けた。だいぶ日が落ちてきており、東の空には、既に一番星が煌めいている。そうしてきらきらと煌めくその星は、ただ姿を見せるだけではなく、晄にあることを思い出させたのだった。


「ランコレと戦ってた時に降ってきたあれって、何?」

「……あぁ……思い出しちゃったか……」


晄の質問を聞くや否や、ヴァノは彼女から目を逸らし、ああ呟いた。しかし、戦い終わったら教えると口約束をしておいて、ここで黙りこくるわけにはいかない。ヴァノは、まるで油を差していない扉のようにゆっくり晄のほうを振り返ると、ポリポリと頬をかきながら口を開いた。


「……ま、オレにとっての風と同じさ。」

「……ん?」

「緑にとっての……いやアイツのこと知らねぇな……あー……キミにとっての雷だよ。」

「……え、どういうこと?」


明確な答えを期待していた晄は、あまりにも曖昧な答えを返されたばかりに、一瞬フリーズを起こした。解説を求めて彼に目を向けたものの、彼は晄とは真反対の場所……浄水場の出口付近の道路を眺めていた。


「……オレ、目ェ悪いからよく見えないけど、車来てる?」

「え?……あ!あの豆みたいなのって車!?」

「あ、やっぱりか。」


ヴァノが視線を向けた先を目を細めて見てみれば、確かに彼の言った通り、小さな車のシルエットが見えた。何事でもないかのように、あっさりとヴァノがやってのけたそれに、晄は子供のようにきらきらと目を輝かせて感動した。


「すごい!よくわかったね!」

「ん?まあ、目が悪い分耳はいいからね。ほら、オレってジャパニーズホワイトっぽいし。」

「じゃぱ……?ヴァノって外国人じゃ……」

「兎の品種だよ!!」


兎といえば、どんな姿を思い浮かべるだろうか?恐らくそれは人それぞれだろうが、ヴァノの、銀髪赤目を見れば、じわじわとその兎に色が現れるだろう。


「知らないの?」

「……?あ、あの白いやつ?」

「よかった。バカだしわかんないかと思った……」

「うっ……」


あの言い方こそ、オブラートに包む気のない、本音の罵りである。その何気ない一言が晄を傷つけたわけだが、それを発した張本人は、申し訳なさなど微塵も感じていないようである。晄をちらりと見たあと、彼は荷物を持って立ち上がり、歩き出した。


「あれ、行っちゃうの?」

「女の子が遅くに一人でいるなんて危ないだろ?だから、キミの迎えが来るまでは居ようと思ってたけど、もうすぐで来るみたいだからね。」

「あ、そうだったんだ。ありがとう!」

「……いーよ。あ、後で桜子さくらこ?だっけ。紹介してよね。」

「わ、わかった……覚えてたらね。」

「……すっぽかせるなんて思わないでね。」


帰り際にニヤリと笑う彼の表情は、そのジャパニーズホワイトのような姿とは裏腹に、毒蛇のように恐ろしく、晄は思わず震え上がった。しかし、彼がまた彼女に背を向け歩き出す時、その手をひらひらと振ったのを見て、晄はまたいつもの調子で手を振り返した。

車で迎えに来たエレッタに、巨大なバスタオルでゴシゴシ……いや、ゴリゴリと頭を拭かれるまで、あと一分の出来事だった。




浄水場の周りの地面は、沢山の砂利で敷き詰められていた。その上を歩けば、しゃくしゃくという小気味の良い音が辺りに響き渡る。しかし、その音を出している本人は、決してその音を楽しもうなんて気など起こしていないようであった。しばらく、無言で歩き続けていた彼だったが、突然その足を止めると、閉ざしていた口を開いた。


「一人でやれとか言っといて、何で助けに来てるわけ。」


その赤い目が見つめる先にあるのは、先程までそこにいたはずである浄水場の裏側である。彼……ヴァノはああ口にしてからしばらくまた黙っていたが、突然その耳に、先程まで自分が鳴らしていた物と同様の砂利の音が響いてきた。その音がある程度まで近づくと、彼の耳に、今度は聞きなれた中性的な声が響いてきた。


「一人でやれって……キミがまともに話聞かずに勝手に飛び出したんじゃないか。ボクのせいにしないでくれる?」


浄水場の裏側から突然ひょっこりと姿を現したその人は、風に揺れる金色の髪を耳にかけながら、ああ口にした。その呆れたような表情を見て、ヴァノは少し苛立ったように見えたが、それでも平静を装って、その人を見つめた。


「オレは結構真面目だし、話はちゃんと聞く方だけど?」

「はぁ……ボクが一人でやれって言ったのは、ランコレの行動パターンの調査だけなんだけど。」

「どうだか。言ってたこと改変して言ってんじゃねぇよな?」

「違うって!むしろ、晄ちゃんに迷惑かけないでって前言ったのに、なんで彼女を巻き込んだのかって方が問題だよ。」


言い合いの後、ため息は二人の口から同時に飛び出してきた。直後、二人は互いを睨み合ったが、それも気に食わず、互いに目を逸らした。


「……それより、お前いつまでアイツに正体隠す気なんだよ。そんなことする理由あんの?」

「……いや。」

「じゃあ、もう言っちまえよ。オレなんて連絡先まで交換したけど?」

「えっ、早っ……キミ、前から見かけた女の子とすぐ連絡先交換してたけど、それ戦士も例外じゃないんだ……」

「まあね。けどアイツ、凄くお前に会いたがってたよ。早く会ってやれよ、その姿で。」

「……いや、まだダメだ。」


ああ答えたその人に、ヴァノは理解でいない様子で目を見開いた。ヴァノは何か反論しようとしたものの、それを遮られるように、その人が先に話し始めたのを見て、口を閉ざした。


「十三個目の水晶の話に、彼女の所のバケモンが無縁とは言いきれないだろ?もっと調べないと。」

「あぁ、その話か……でも、アイツはあのバケモンのこと本気で信頼してるみたいだったし、そんなに気にしな……」

「だからだよ!」


突然上がった大声を目の前で食らい、ヴァノは驚いて話すのをやめてしまった。それでも、その人は彼に気を使うことも無く、そのままの調子で話を続けた。


「だから、だめなんだよ……!彼女は、アレがバケモンだって忘れてるんだから。もしボクが今彼女に知られてしまったら、調査中に彼女に邪魔されるかもしれないんだよ……彼女は、今更アイツを疑えないんだから……」


珍しく、悲しげにも思えたその人の表情を前に、ヴァノはからかう気も言い合う気も起きず、口から出たのはため息だった。


「はぁ……ま、好きにしなよ。」

「……。」

「あ、そう言えば……ランコレが還る前に、適合者がどうとか言ってたなぁ……」

「……適合者?」

「あー、確か……適合者がどうするかまでの辛抱だとか何とか……?」

「えっ。それもっと詳しく教えて。」

「そうだなぁ……じゃあ風呂貸してくんない?オレが風邪引いたら困るだろ?」


ヴァノがそう言っておどけて見せると、その人はまた深いため息をついて、彼を軽く睨みつけた。


「わかったよ。ついておいで。」


そう告げると、その人はヴァノのすぐ横を通り抜けて、道路の方に足を進めた。その数歩後ろで、ヴァノはにやりと笑いながら着いて歩いていた。

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