第三十四魂

クラゲと謎の流星と


「……水だ……」

「浄水場かなんかかな。」


あれから一体何十分たっただろうか。それでも、ランコレが進む先は、はっきりと分からないままであった。しかし、今ヴァノが指さしたその場所が、恐らく正解なのだろう。目の前で下手な鼻歌を歌うランコレは、確実にそちらに向かっていた。

ランコレは既にひかりとヴァノの存在に気がついているということを、二人は理解していた。ランコレを追っていた最中、突然極端に速度が速まったり、逆に遅くなったりとした時、二人はそれを確信したのである。その行動のせいで、二人はただ歩かされるより何倍もの疲労感を味わっている。そして、二人は勘づいていた。ランコレが今向かっている先は、これから自分達が戦場にするだろう場所であると。

ランコレは、二人を疲れさせてから自分が得意とする戦場で戦わせたいのであろう。もう目と鼻の先にある浄水場をよく見ると、フェンスは錆び付いており、蔦が絡まっている。浄水場と言うだけあり、確かに水はあったのだが、随分と濁っていた。


「……なぁ。」

「な、なに?」

「あれ、何かわかる?」


夕日に照らされたその水面に、黒い何かが沈んでいた。ヴァノは、顔を歪めながらそれを指さしそう言った。晄は眉を顰めた。


「……藻?」

「モ……?って、何?」

「えっ、なんか、水の中の草みたいな……海じゃないとこに生える海藻?」

「……へぇ。また、賢くなったわ。」


ヴァノは、何かから逃げるように、浄水場から目を逸らした。と、その時だった。二人の間を、金属特有のガシャンッ!!という音が駆け抜けた。二人は驚いて、音がした方を見る。そこには、大きく歪められ、そのうちの一つが吹き飛ばされた浄水場のフェンスと、ヘッドホンを首にかけ、こちらをニヤニヤと眺めるランコレの姿があった。


「いやぁ、ひひっ、お前ら、マジで何処までもついてくんだなぁ!ふっひひはは!!」

「……そりゃどうも。」

「え、ちょっとその前に、その柵壊しちゃっていいやつなの!?」

「わざわざ心配してくれるなんて、全く優しいねぇ戦士様はぁ!心配しなくても、もう使われてない場所だよ!だから、ここがいくら壊れようが、ここで何が起ころうが、誰も知ったことじゃねぇだろうさぁ……ひひっ……」


そう告げると、ランコレはまた不気味に笑った。何か嫌な予感を察して、二人はそれぞれの武器を強く握りしめる。しかし、ランコレはこちらに近づくどころか、二人とは真反対である浄水場の中へと、足を進めていった。


「なぁに怖い顔してこっち見てんのさぁ……折角来たんだから、お前らも来いよぉ!ひひっ!」


ランコレは二人のいる方をゆっくりと振り返ると、相変わらず不気味に笑ったままそう口にした。警戒を解かずに彼を見つめていた二人だったが、こちらに興味を示す様子もなくまた下手な鼻歌を歌い始めたのを確認すると、互いの目を見合わせた。


「……待ってるよね。」

「だろうね。」

「行く?」

「……先行って。」

「えぇっ、同時に行こうよ!」

「レディーファースト。」

「…なら仕方ない。」

「……えっ……!お、おい!冗談だから!」


晄は、ヴァノの言葉を受けると、そのままランコレの方に走り出してしまった。まさか冗談を真に受けるとは思わなかったらしいヴァノは、焦ったように晄の後を追った。

結果、先にランコレの場所にたどり着いたのは晄だった。


「ランコレ!」


大声で名を呼ばれ、ランコレはヘッドホン越しからでも晄に気がついたらしい。彼は、相変わらず気味の悪い笑みを貼り付けたまま、ゆらりと振り返った。


「いやぁ、元気だねぇ……そんなに俺を倒したいわけぇ?」

「お前がバケモンを生み出そうとするんなら、絶対倒す。」

「そっかぁ……じゃあ、やって見せてみなぁ?ヒヒヒっ!」


ランコレはニタリと笑うと、頭から外したヘッドホンを地面に叩きつけた。がしゃりと音を立て、想定外の衝撃に耐えきれなかったプラスチックのボディが砕けていく。晄が砕けたヘッドホンに気を取られていると、そのすぐ横から、ヒュルリと風を切る音が駆け抜けた。


「何ボーッとしてんの!」


その声は、やっと追いついたヴァノのものであった。晄が驚いてすぐ前を向くと、そこには、紫色のクラゲの姿に変わったランコレがこちらに向かってきていたのが見えた。しかしその触手の何本かは切り落とされ、その切り口から黒い液体が流れていた。


「ごめん、ありがとう!」

「あぁ、そういやさっき二人だったっけ……?でもまぁ、二人まとめて始末すりゃいいんだよなぁ!?」

「来るぞっ。」


ランコレにとって、先程の攻撃など何ともないらしい。ああ叫ぶや否や、彼はまだ沢山ある触手をそばにいた晄に伸ばした。


「『フルミネ!』」


それに気づいた晄がそう唱えると、彼女の姿は消え、その代わり、ランコレの方に突き進む一筋の雷が現れた。ランコレは突然現れ、目にも止まらぬ早さで向かってくるそれに対処しきれず、正面からぶつかった。


「はぁっ!」

「ぐっ。」


ランコレにぶつかると、雷はすぐにその姿を消し、その代わり、先程まで姿を消していた晄が現れた。彼女は、ランコレをその両剣で切りつけると、彼の体を蹴りつけて着地した。

しかし、ランコレが攻撃を受け怯んだのはほんのわずかだった。彼は、またこちらに攻撃しようと走り来る晄の後ろに目を向けると、今度はそちらに体ごと動き出した。


「……!させるかよ!」


彼女のすぐ後ろ……そこにいたヴァノは、次の標的が自分であると悟った。彼は両手に持つ扇子で鎌鼬を起こし、ランコレにぶつける。しかし、ランコレはバケモンである。その体がどれだけ傷付けられようと、痛みはけして感じることがない。彼が感じるのは、体力の限界を示す疲労感だけである。鎌鼬をくらった箇所からは黒い液体が僅かに浮かんではいるものの、構わずに彼に襲いかかった。


「そらぁっ!」


ランコレを目前にして、ヴァノが咄嗟に扇子で真下を扇ぐと、彼の足元が浮き上がり、その体は、一時的に宙に投げ出された。突然視界からヴァノが消えたことにランコレは驚いたが、そのすぐ後ろから物音が聞こえてきたのを感じ、そちらに三本ほど触手を動かした。


「うわっ!」


まさか、攻撃を避けてから数秒と経たずにまた違う攻撃が来るとは思っていなかったらしい。不意をつかれたヴァノは、着地したばかりの足を動かすことが出来ず、右足を触手に捕まえられてしまった。


「くそっ。」


足を捕まえるその触手を切ろうと扇子を動かすものの、一本の触手を切り落とす裏で、また別の触手に攻撃されてしまう。その繰り返しで、みるみる彼の自由は奪われてしまった。


「ヴァノ!!」


彼の拘束を解こうと、晄は彼の元に近付くが、その彼女の元にも、沢山の触手が襲いかかってくる。切り落としてもまたすぐに自分の元に伸びてしまうその触手に足止めをくらい、晄は彼を助けることが出来なかった。もう晄とヴァノのどちらからも、大した攻撃は来ないだろう。ランコレはそう高を括って、その体を、たっぷりの雨水が溜まった広い水槽に近づけた。


「そぉれぇ!ははははは!!」

「わぁあぁっ!!」


突然、ランコレは笑い声を上げたかと思うと、ヴァノを拘束している触手ごと、その水槽に飛び込んでしまった。唐突に水の上へ叩きつけられたヴァノは叫び声を上げた。ランコレに引っ張られ、ヴァノはその体をどんどんと水の奥深くに沈めていく。自らを縛る触手を切ろうにも、水中では鎌鼬を起こすことが出来ず、斬ることには不向きである扇子では、到底切り落とすなど不可能であった。ヌメリだらけの水の中では、息をすることはもちろん、ただの水以上に足が取られ、触れるもの全てに不快感を感じた。目を開けていることすらも出来ず、彼は必死に身動ぎを繰り返した。




一体、こんな強敵相手に一人で戦えと言ったあの人物は、一体何を考えているのだろうか……?その人物には秘密で勝手に晄を巻き込んだが、それでも水中ではまともに戦うことすらも出来ない。もし一人で挑んでいたとしたら、一瞬で首を捻られてもおかしくはなかっただろう。

ヴァノは内心でそう考えると、突然、その人物への怒りが募り始めた。と、その時だった。先程まで全く身動きを取れなかったというのに、その体は、急に少しの自由を取り戻したのである。さらに、つい先程までは水の中に引きずり込まれそうになっていたというのに、今度はそちらとは反対方向に体が引っ張られている。何事かと驚いたものの、腹部に感じた、触手とは全く違う、骨の通った細い物の感触を感じ、彼はその正体に気がついた。


「大丈夫!?」


水中の中では感じることのなかった風の吹く感覚を感じて、彼は目を開けると、そのすぐ横で聞き覚えのある声がした。そちらを向くと、藻やら水垢やらで汚れたのを気にするでもなく、ただ心配そうな表情でこちらを覗き込む晄と目が合った。恐らく彼女は、ヴァノを拘束していた触手を斬って、ここまで引っ張りあげてくれたのだろう。それを理解すると、彼は一度彼女から目を逸らして、ぽつりと口にした。


「晄……悪い、助かった。」

「ううん。とりあえず水から……えっ!?」

「くそっ……!」


しかし、安心したのもつかの間、今度はヴァノだけではなく、晄の足にも、触手に掴まれる感覚が走った。二人が水の方に目をやると、そこには紫色のぼんやりとしたシルエットが浮かんでくるのが見えた。それはゆっくりと浮かび上がると、ひょっこりとその姿を現した。


「いやぁ、仲間を助ける……!感動的だなぁ!くっふふははは!!でもぉ、そのせいで自分まで死んじまうなんて、皮肉だよなぁ?ねぇ?」


ランコレは、クラゲの姿のまま、どこからかそう口にした。彼の言葉に、二人とも言葉を失う。その様子に、ランコレはまたクツクツと笑い声を上げた。


「ふふふ、なぁんでなんにも答えないのかなぁ?黄色いの、やっぱちょっと後悔してんだろ?」

「……!?」


ランコレに煽られ、晄が何か返答しようと、頭の中で言葉を並べていた時だった。晄は、想定外のものがこちらに向かって来ているのを目にした。


「あぁ?どうした、アホみたいな顔してさぁ?」

「な、なんかこっち来る!?」

「はぁ?なんかって……!?はぁ!?」


晄の叫び声に、ランコレとヴァノもその視線の先の方に目をやり、その目を見開いた。想定外のもの……金色に煌めく何か……流星のようなものは、確実にこちらに近づいてきていた。

敵なのか味方なのかも分からないそれは、少なからず、驚いている様子のランコレを見るに、彼の仕向けたものでは無いのだろうことは明白だった。ただしかし、凄まじい速度でこちらに近づくそれに、万が一触れてしまったとすれば……晄は恐ろしいものを想像してしまった事を後悔し、ふるふるとその頭を振った。


「借りるよ。」


しかし、急に耳元に聞こえてきた囁き声に、晄はあの流星から目を逸らした。気づくと、右手に持っていたはずの両剣は、その手からヴァノの手に移っており、彼はそれを操って、足を縛る触手を切り落としていた。


「ランコレ、気づいてないのかな……」

「……まあ、痛いとか無いんだろ?アイツら。じゃあ大丈夫でしょ。とにかく、さっさとここから出るよ?」

「ちょっ、ぐへ……!」

「ほら、逃げるなら今のうちだろ?」

「じ、自分で動くよ……!」


晄は、首に巻いていたスカーフを急にヴァノに掴まれ、呻き声を上げた。水槽の縁まで彼女を引っ張ろうとしたヴァノだったが、その呻き声を聞いてスカーフから手を離した。二人が必死に水をかきながら水槽から上がろうと動いていたその時、そのすぐ後ろで、バシャンッ!という音が揺れと共に訪れてきた。


「うわっ、なにごと!?」

「ぐっ、なんだよこいつはぁ!!」


急な揺れの正体が気になり、晄は後ろを振り返ろうとしたが、瞬間、ランコレのものらしい慌てた声が聞こえてきたと同時に、前方に思い切り引っ張られ、断念した。


「大丈夫。オレ達が被害被ることはないからさ。」

「え……ヴァノ、何か知ってるの?」

「……まあ、戦い終わったらね。」


彼の物言いに、晄は何か引っ掛かりを覚えたものの、戦闘中にベラベラと話すのは良くないことは彼女も理解していたため、激しく揺れる水の中で、あと僅かな距離にまで迫った水槽の縁に手を伸ばした。

水槽から上がり、体に着いた汚れを落としながらコンクリートの上に立ち上がると、ランコレがいるであろう水槽の方に振り返った。すると、その光景に晄は目を丸くした。あの時こちらに迫っていた流星は、さらにその数を増やしながらランコレに迫ってきていたのである。その全て、一つとして例外なく。まるで、それがランコレを敵視しているかのように見えて、晄は言葉を失った。


「ちょっと、武器!」

「えっ、ああ!ありがとう。」


突然声をかけられ、晄は驚いたが、その正体は、晄に両剣を差し出すヴァノだと分かり、安心した様子でそれを受け取った。彼に礼を告げる晄だったが、彼は返事をするでもなく、ただ、独り言でも呟くかのように言った。


「多分、そろそろあれは止むよ。」

「え……どうして?」

「……時間稼ぎだから。」

「時間稼ぎ……?」


時間稼ぎ、とは一体どういうことだろうか……?晄はわけもわからず問い返すものの、彼はただ何も言わずたたんでいた扇子を広げているのみで、答えることは無かった。答えようとしない彼から目を逸らし、髪と服を絞りながらランコレの方を見ると、彼の言った通り、あの流星は少しずつまた数を減らしていた。そして、晄がそれを確認してから何十秒と経たず、流星は姿を消してしまった。


「くっそぉ!!」


ランコレは、腹立たしい様子でそう叫んだ。その姿を見ると、流星が現れる前よりも怪我が増えており、所々、あの流星が通り抜けたのだろうか、穴が空いている箇所も散見された。彼は、それでもまだ戦えるほどの体力が残っているらしい。水槽の上から、晄達がいる方に向かって動きだした。


「くらえっ!」


ヴァノは、ランコレに向かって力いっぱい扇子を動かし、できる限り多くの鎌鼬を発生させた。ランコレは、それを全て避けようと体を動かすものの、あまりにも多くやってくる攻撃に加え、流星のせいで大分体力が削られてしまったらしい。彼は結局、半数以上の鎌鼬を本体に受けた。触手も何本か切り落とされ、彼の身体を黒い液体が次々に埋めていった。


「はぁあ!!」


ランコレは、反撃とばかりにヴァノに向かって襲いかかった。しかし、彼は蓄積されたダメージがあまりにも大きかったらしい。初めに二人を襲った時よりも、その動きは鈍くなっていた。

ヴァノは、初めに襲われた時と同様にそれを飛び上がって避けたが、今度は、ランコレを飛び越える瞬間、その真上で扇子を上にあげ、こう唱えた。


「『ダウンバースト!!』」


ヴァノが地面に足をつけると、ランコレの真上から、四方八方に強く吹き抜けるほどの強風が巻き起こった。立っているのもやっとな程のそれを真下で受けて、ランコレは思い切り地面に叩きつけられた。


「ヴァノ、それって……」

「オレの浄化呪文だよ。あいつもう、そんなに元気ないだろ?これでトドメでいいんじゃない?」

「……わかった、やってみよう。」


強風は、未だに止む気配がない。しかし晄は、ランコレに追い打ちをかけるかのように、両剣を上にあげ、こう唱えた。


「『サンダーフォルテシモ!!』」


すると、強風が吹き付けるランコレに向かって、さらに一筋の雷が降り注いだ。ランコレは、強風のせいで動くとこもできず、全身でその攻撃を受けた。

『ダウンバースト』も『サンダーフォルテシモ』も、本来ならばバケモンを浄化する……すなわち、バケモンを感情にもどし、感情の持ち主の元に送り届ける役割を持っている。しかし、ランコレは感情の持ち主がいないバケモンであり、浄化はすることが出来ない。それでも、浄化呪文による攻撃は、バケモンを元の感情に戻してしまうほどの、強い力を持っているのである。それを、いっぺんに二度もくらってしまえば、到底、戦えるような状態ではなくなってしまうだろう。

風が吹き荒れ、雷が轟く中、二人はその風を全身で受けながら、薄目でランコレの方を見つめていた。


「あぁ……こりゃぁ…たま…な……なぁ…」


風と雷の音の中で、ランコレは口を開いた。途切れ途切れのその声に、二人は耳をそばだてる。彼の姿を見ると、その体の半分が地面に沈みこんでいた。


「まあい……ぁ……れも適合者……れるまでの辛抱だからねぇ……」


風と雷が止むと、ランコレはすぐに地面の中に溶けていった。彼が消えた廃れた浄水場は、先程までの騒音がまるで嘘のように、音一つとしてここには無かった。先程の余韻のようなそよ風を感じながら、二人はただ一点……ランコレが消えた地面を見つめていた。

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