第三十二魂

手がかりを求めて


銀色の戦士、ヴァノ・エースと出会ったことで、完全に自分がどんな状況下で外出したのかを忘れてしまったらしい。ひかりは、エレッタの店には死角となる場所かどうかなどは気にすることも無く、ただ家の玄関に向かうと、物音をたてないようになど勿論せず、思い切り玄関の扉を開けた。


「ただいまー!」

「……よく平然と帰ってきたものだな。」


ただいまの時刻は午後三時半。昼時のピークも収まり、幾分か店が空き始める時間帯である。その時間帯は比較的客足が減り、店長であるエレッタが休息をとることができる唯一の時間帯と言える。

玄関を開けて直ぐに目に飛び込んできた彼の姿に、晄は怯んだ。あからさまに恐ろしい表情でもない、むしろただこちらを見下ろしているだけだというのに、まるで大蛇を前にしているかのような恐ろしさを感じたのである。その時、やっと自分がどんな状況下で外出したのかを思い出した。今彼女は、休養のために休日の店の手伝いを休みにしてもらっており、家で休んでいなければならない状況だったのにも関わらず、こっそりと家を抜け出していたのである。それを思い出した瞬間、彼女の血の気はサッと引いた。


「あっ……えっと、これは……」

「……明日は覚悟しておくんだな。」


彼は怒鳴りつける訳でもなく、表情変えずただそれだけを口にすると、店の方へ繋がる道を歩き出した。その場に取り残された晄は、普段彼に叱られる時とは比較にならないほどの強い恐怖を感じ、その日外出したことを後悔したのだった。




「ひ、晄ちゃん、大丈夫?代わろうか……?」

「大丈夫です!あたし元気なので!!」


翌日。晄はエレッタの店のシンクで、懸命に食器を洗い続けていた。今日の気温が七月にしては寒いからか、流れてくる水は妙に冷たく、彼女の手は赤く冷えきっていた。見かねた桜子さくらこが声をかけたものの、あくまで彼女は続ける気らしい。なんでもないように明るく声を上げた。


「桜子さんは料理続けててください!あたしはただの食器洗い機だと思って!!」

「……やっぱり、後で手伝うね。」


桜子がふと店のホールを見ると、日曜日の昼時なだけあり、相当な人数が入店しているのが見えた。エレッタとリナルドが忙しそうに料理運びや注文取りをしているのを目でとらえると、桜子はまた、手元で作っているパスタに目をやった。


「あの、桜子さん、ちょっとお喋りしてもいいですか?」

「え?いいけど……どうかしたの?」


突然、食器を洗う手を休めると、晄は桜子にそう問いかけてきた。桜子は、パスタの盛りつけをしながらも、晄の話を聞こうと考えたらしい。晄にちらりと視線を送り、その意志を伝えた。


「あの……こんな人、見たことありませんか?」


突然、服のポケットからスマートフォンを取り出すと、晄は一枚の写真の画像を表示させながら言った。少し背丈のある、紫色の長髪の男……それだけならば、この世界ではさほど珍しくは無いのだが、よく見てみると、その服は所々解れていたり汚れていたり、また顔の目元には深い隈が刻まれており、大変不健康そうに見えた。


「その……見たことないと思うけど……この人、誰?」

「えっ……と……」


ただ桜子は、この人物、もしくは同じような洋装の人物を探しているらしい晄の目的が気になって仕方がなかった。まだ中学生である晄と、明らかにまともな生活を送れているとは思えない男に、一体どんな繋がりがあるというのだろうか……?もしや、晄は、この男に利用されているのではないか、もしくは、この男から逃げていたりでもするのだろうか……?

考えれば考えるほど悪い考えが浮かび上がる。一体どんな関係性かを問いかけてみても、彼女は言葉を渋っている様子である。これは、彼女の保護者であるエレッタにも報告した方がいいのでは無いか……?そうとまで思っていた時、ホールの方から自分を呼ぶ声がして、桜子は現実に引き戻された。


「桜子さん、そろそろ出来そうですか?」

「あ、リナルドくん、あとちょっとだから待ってて!」


盛り付け途中だったパスタを三人前全て盛り付けると、桜子はそれをリナルドに差し出した。


「はい。」

「では、行って参ります。」

「慌てずにね?」

「承りました!」


リナルドは、そう告げるとまたテーブル席の方に向かって行った。一旦、今いる客の注文は全て届け終えたはずである。桜子は一息つくと、また晄の方に向き直った。


「晄ちゃん。」

「は、はい?」

「もしかして、その人に変なことされた……?」

「……え?あ……」

「やっぱりそうなのね……!?」

「ち、違うんです!いや、違わなくもないけどまず人じゃないって言うか……」


桜子が何か勘違いを起こしている。晄は今になってやっと、その事に今気がついた。晄が見せた写真の人物は、彼女が数日前にヴァノと共に戦った、あのクラゲのバケモン、ランコレが人に化けた時の姿である。その前提を伝えていなかった晄は、変な迷惑をかけてしまった桜子に申し訳なさを感じた。


「え、人じゃない……?」

「はい。あの、バケモンが人に化けた時の姿で……」

「え!?あれって人になれるの!?」


そもそも桜子は、リナルドが戦士になった時に巻き込まれ、戦士やらバケモンやら水晶やら、という話を小耳に挟んだだけであり、その詳細はまだ知らないのである。

バケモンは、基本的にはバケモンになった時の姿にしかなることは出来ない。しかしながら、感情の持ち主を亡くしてしまったり、それと長期間の間完全に分離してしまうなどした場合、既にこの世に存在しない人間の姿に変わることが出来るのである。エレッタも、そうして人間の姿を手に入れているのだ。

しかし、晄にはそんな説明など不可能である。理由は述べず、桜子の誤解を解くことに努めた。


「はい!でも、よくいるバケモンはそんなこと出来ないので大丈夫ですよ!」

「え、そうなの?」

「はい。珍しいから探してるんです。」

「そ、そうなのね……」


桜子は納得したらしい。先程の、晄を心配するような様子は抜け、またいつものような状態に戻ったらしかった。


「でも、本当にその人は見たことないの……助けになれなくてごめんね。」

「いえ!大丈夫です!でも、もし見かけたら気をつけてください。あ、あとあたしに教えてください!ぶっ飛ばしに行きますから!」

「うん、わかった。」


桜子はそう告げると、また調理に戻ったらしい。注文された物の確認をすると、また料理道具と向き合った。




あれから約四日が経過した。その日、学校が終わると、晄は誰よりも先に学校を飛び出していた。普段共に下校している木葉このはには個人的な用事で一人で帰るということを伝えてはあったものの、あまりに急いでいた様子の彼女を大変驚いた様子で見ているのが見えた。

彼女は、急ぎ足で道を歩くと、迷うことなく自宅の自室に向かった。自室にたどり着いた彼女は、背負っていた通学用の鞄を下ろし、その中から携帯電話を取り出すと、普段使っているボディバッグに押し込んだ。それが済むと、今度は制服から、多少汚れてもいいような服装に着替え、先程のボディバッグを背負った。最後に、ボディバッグにICカード乗車券が入っているのかだけを確認すると、彼女は慌ただしい様子で、また家を飛び出した。


「正直、この辺りにいてもおかしくはないよね……」


玄関を出てすぐの場所で、晄は一人そうぼやいていた。彼女の手には、ランコレの姿が映し出されたスマートフォンが握られている。その画面と道行く人々を見比べながら、晄は歩き出した。

晄が住んでいる場所には、エレッタの経営する店を初めとして様々な店が建ち並んでいる。飲食店や雑貨屋、服屋など、大半はエレッタの店同様に個人経営のものが多いが、そこそこ人通りは多く、繁盛している。晄がこれから向かおうとしているのは、それより少し奥にある、チェーン店も多く並ぶ大きな繁華街であった。彼女が探している人物は“人の感情”を必要とする性質上、人通りの全くない場所に現れることは大変考えずらく、むしろ、人通りの多い場所に現れる可能性が圧倒的に高いだろう。

そう踏んだ晄だったが、目的の繁華街よりも人通りは少ないはずの通りすら、彼女からしたら大人数である。そんな中、更に人通りのある場所に、わざわざ向かわねばならない、ということが億劫になったのだろう。彼女は、辺りをうろちょろと歩き始めた。


「うーん……」


(やっぱり、それっぽい人はいないよなぁ……)

自宅周辺に目的の人物がいるわけなどない。晄は、よほど探しに行くのが面倒らしい。家の周辺をふと見渡しただけで、簡単に諦めたような表情に切り替わった。一体、下校時の慌てようはなんだったのだろうか……?ただ、そうしているのもすぐにやめたらしい。彼女は、家の扉に背をもたれると、一人考え出した。

(心当たりがない繁華街に行くより、もしかしたら、奈波ななみちゃんが前襲われた場所に行った方がいるんじゃない……?)

それにしても、彼女は余程繁華街に行きたくはないようである。ただ、彼女のその考えもけして間違っているとは言えないだろう。確かに、確実にいるとも言いきれない繁華街で虱潰しに探し出すより、そちらよりは人通りのない、かつ一度その人物が現れた通学路の一角で待ち構える方が正しいのかもしれない。

晄は、そうしようと決めたら完全に繁華街に向かう気は失せてしまったらしい。そちらとは反対側である、学校への道を歩き始めた。


「……あれ、偶然だね。」


しかしその瞬間、彼女は突然、その肩を掴まれる感覚がした。驚いた晄は、咄嗟にその腕を肩から引き剥がすと、その手を掴んだまま、相手の手とは反対側へ体ごと振り返った。


「いって!」

「ご、ごめん!ヴァノだったのか!」


そんなことをしたら、腕は思い切り引っ張られてしまう。肩を掴んだ犯人……ヴァノは、突然の痛みについ叫び声を上げた。この声と表情で、犯人が彼だと気づいた晄は、想定外の人物の登場に驚いていた。


「オレだよ!全く……」

「え、でも、ヴァノって御魂みたま地区の人じゃなかった?ここからだいぶ離れてるのに、なんでいるの?」

「ああ。さっきまでここに住んでる女の子と一緒だったんだよ。」

「あ、そうなんだ。」

「ま、今日はオレの学校早かったから。それよりも、なんで休みの店の方からキミが出て来たかの方が気になるよオレは。」

「え……?ああ!あたし、この店に住んでるんだよ!」

「えっ?なんで?住み込みバイト?」

「えっと、この店の……オーナー……?が、あたしの叔父さん的な人で……」

「はぁ、へぇ……あのバケモンってオーナーなのか。」

「え!?エレッタの事知ってるの!?」

「あ……ま、まあね。」


ヴァノはそっぽを向いてそう告げると、頭をポリポリとかいてみせた。晄は、明らかにおかしな様子の彼を不思議そうに見ていたが、また彼がすぐにこちらを向いたのを見て彼を怪しむのを一度やめた。


「ところで、晄はこれから何か用事でもあるの?バケモンの返り血着いた服で。」

「あ、バレたか……いや、汚れてもいい服ってこれしかなかったから……黄緑だし、みんな模様としか思わないかなって思って……」

「汚れてもいい服……?何、汚れ仕事でもするの?」


彼は少し、言葉の使い方を誤っているような気がするが、晄はそれに気が付かなかったのか、そのままの意味でも正しいと解釈したのか、特に何も追求することはなく、言葉を続けた。


「ランコレ探しに行くの。」

「えっ……マジ?」


ヴァノにとって、彼女の言葉は予想外だったらしい。そもそも、彼女がそんなことをしている原因は、彼がランコレを共に倒すことを彼女に依頼したからであったのだが……それにも関わらず、彼は唖然とした様子で固まっていた。


「いや、わざわざ探しに行かなくても良くない?だって、あっちが勝手に動くのを待った方が早いだろ?」

「でもそんなことしてたら、また誰かがあいつに襲われるかもしれないじゃん!」


そう訴える晄だったが、一方のヴァノは、それを聞いても呆れた様子で答えるだけだった。


「いや襲われるって……別にその前にオレらが助ければいいじゃん。アイツ、妙にじっくり時間かけるだろ?有無を言わさず水晶玉見せりゃいいのにさ。」

「もしそれが出来ても、襲われた人はそれがトラウマになっちゃうかもしれないじゃん。」

「あー……ま、そうっちゃそうか?」


ヴァノは、やはり完全に説得された様子はないようである。晄の言葉には、あくまでもこれ以上言い合いが続かないように、というとりあえずの返答しかしなかった。それでも、晄はその彼の発言にはなにも気がかりな点がなかったようで、今度は、彼に協力を仰ぐような言葉を、頭の中で組み始めた。

と、その時だった。突然、二人の間に簡素な電子音が駆け巡ったのである。晄は更に、その背中から振動を感じ、ボディバッグからスマートフォンを取り出した。どうやら、スマートフォンの着信音であったらしい。その画面には、『小森こもり桜子』の文字が書かれていた。


「キミのか、ビビった……」

「ごめん、電話出ていい?」

「んー、ま、いいよ。」


ヴァノは、特に気にする様子もなくそう言ってのけた。晄はそれを確認すると、安心した様子で電話に出た。


「もしもし!あたしです!」

『あ!晄ちゃん!良かった、出てくれて……』


電話に出た淑やかなその声は、間違いなく桜子のものであった。ただその声はいつもよりも慌てた様子で、晄は少しだけ心配になった。


「どうかしました?」

『えっと……この前晄ちゃん、私に写真見せてくれたでしょ?この人見たことあるかって聞いて。』

「はい。」

『実はその時の人、ワタシ……見つけちゃったかもしれなくて……』

「……え!?」


まさか、探していた人物の居所が、こんなに早く見つかるとは思わなかった晄は、想定外の展開に、口から場にそぐわぬ大声が飛び出していくのを聞いた。

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