第二十九魂

二言の便箋


ひかりがふと目を覚ますと、まだ陽の光で明るかったはずの部屋は、ほとんど光が差さないほどの暗さに変わっていた。随分と長い間眠っていたのだろう。熱のせいか、ガンガンと痛む頭を動かすのは、少しばかり辛いものがあった。しかし、彼女がふとベッドのそばにあるテーブルを見ると、そこには数枚の紙が積み重ねられて置かれているのが見えた。たしか、彼女が眠る前には、そんなものはなかったはずである。


「なんだろう、これ……」


鉛のように重い体を持ち上げ、晄はその紙を手に取った。見てみると、全て同じ種類の便箋のようで、晄の手よりも一回り小さい程度の大きさであった。全てで五枚。それぞれ別の人間が書いたようで、筆跡は異なっていた。


「……てがみ?」


重ねられた五枚のうち一番上にあったものを見てみると、晄はその紙の正体に気がついた。どうやら、これらは全て、晄を見舞いに来ていた木葉このは達の手紙であるらしかった。紙の枚数も、ちょうど見舞いに来ていた人数と一致する。晄はまず、一番上にあったものから目を通した。


それぞれ、素直な心配の言葉や激励の言葉、つたない日本語混じりのものや、多少刺のある言葉など、全て異なったものが書かれていたが、総じて晄への心配が感じられた内容だった。晄がこの街に来てからまだ二ヶ月と数日であるが、もう自分を心配してくれるような、そして大切に感じてくれているような知り合いがこんなにもできたのだと思うと、晄は柄でもなく、感慨深い気持ちになった。

しかしながら、一つ気になるものがあった。実はまだ、これまで読んできた手紙は四つである。つまりまだ一枚、残された手紙があるのだ。既に読んだ手紙の送り主四人は、全て晄と同じ戦士であり、晄自身も何となく手紙を書かれた理由の一つとしてその繋がりが挙げられるのだろうと考えてはいたのだが、残りの一枚を書いた人物……奈波ななみには、正直その心当たりが全くなかったのである。


「奈波ちゃん……?」


首を傾げる晄であったが、理由が分からないが故にその内容にも想像がつかず、晄はまず、その手紙に目を通してみることにしたのだった。


『昨日私を助けてくれたのでお礼を言います。ありがとうございました。』


少し小さい文字で書かれていたその手紙からは、どことなく自信のないような雰囲気があった。しかし、それを読んで納得がいった。奈波はどうやら、昨日の出来事を気にしていたらしかった。確かに、自分を襲っていたバケモンから引き剥がし、それと戦ってくれていた晄を置いて逃げた次の日、彼女が体調を崩したとなれば心配になるものだろう。

ただ、それは一般的な話だ。奈波の場合、かなり重度の対人恐怖症である。普段なら誰かを心配しても、わざわざそちらに出向くことは無い。しかしながら、あまり深い関係ではないような晄の元に礼を言うためだけに出向いたのである。彼女の対人恐怖を知っていた晄は、それを意外に思ったようだった。と、その時であった。


「うわっ!」


突然だった。急に部屋中が白い光で満たされたのは。光が現れた方を振り向くと、その正体は、晄の勉強机の上にある、一つの箱だった。


「えっ……え?まさか……」


あの箱の中には確か、未だ戦士のいない水晶達が眠っているはずである。そのうちの一つには、その光の正体であろう白色の水晶も存在する。晄は、何故それが光ったのか、彼女なりに原因を探ってみた。恐らくあれは、自分に相応しい戦士を見つけ出して光ったのだろう。つまりは何か、誰かを戦士にしたいと思うきっかけが、光るまでの間にあったのだろう……そう思うと彼女の視線は、自然と手元の手紙に移った。




翌日。何とか熱が下がった晄は、マスクを装備しつつ学校にやって来ていた。制服のポケットには、無造作に白色の水晶が押し込められている。そもそも、晄が今日休まずに学校に来たのは、そのポケットにある水晶が原因だった。そして現在、彼女はその事について、ある人物に相談している真っ最中である。


「はぁ、奈波がねぇ……」

「そうゲボォッ!」

「おいおい大丈夫か!?」

「はい゙っ。」

「ホントか?なんか顔赤くね?」

「大丈夫……」

「……まあ、無理すんなよ?」


篤志あつしは、廊下中に響かんほどの咳をしながら目の前で風邪と戦う晄を心配しながらも、晄に言われた事の内容を振り返っていた。

『奈波ちゃん、戦士に選ばれちゃったかもしれないんですが……』と、不安げに告げてきた晄の言葉が始まりである。その根拠として、例の奈波からの手紙を挙げると、戦士というものを大分理解していたからだろうか、篤志は簡単に納得してくれたらしかった。


「しかし、何で奈波なんだろうな。もっと戦士っぽいやつなんか五万といんだろ?」

「水晶の考えはよくわかんないんですよね……ん゙んっ、奈波ちゃん、バケモンに襲われかけたのに、戦えるのか心配なんです。」

「あぁ……」


篤志は考え込んだ。今現在、“奈波が戦士になる”という、非現実的な内容であるこの話の判断ができるのは、恐らく彼くらいであろう。戦士の事が分かっても、晄達には奈波のことが分からないうえ、奈波を知る他の人間には、戦士の話など出来はしないのだから。

そうなった時、篤志はどう判断すべきか迷った。奈波は確かに対人恐怖症であるが、怖がりかと言われると少し違う。だから、簡単に『あいつには無理だ』と言いきれるかと言われればそれは違う。それに、水晶が選んだ人物は、これまで誰一人としてへこたれることなく戦士として活動できているのだ。水晶の判断は、かなり信用できるものであった。

しかしそれでも、篤志はその言葉に賛成しかねた。


「結構、水晶の判断って間違ってねぇ気がすんだよな。なんだったか……茨野いばらのだっけ?あいつも嫌がってたけど、なんだかんだ戦士やってんだろ?だから、それだけで言えば、奈波も戦士やれる気はすんだよ……

でもなぁ……あいつこの前、バケモンに襲われてたんだよな……?」

「はい……それなんですよね……」

「はぁ……」


懸念点はそこであった。奈波はけして怖がりでは無いものの、実際にバケモンに襲われたことがある、という経験があるため、バケモンを恐れていないとは言えない。むしろ、恐れていると言われた方がよほど自然である。そうなると、いざ戦士となったとしても、まずバケモンと同じ空間にいることに耐えられるのかどうか、という所が怪しく思えたのだ。


「そうだ。白の戦士って、どんな戦い方なんだ?」

「え?」

「いや、赤は魔法みたいなやつだったんだろ?それに、俺みたいな遠距離から戦うやつなら、まあ大丈夫だろうと思ったんだが……」

「ああ……ゲホッ……確か、近距離……ですね。」

「マジか……」


さらに懸念点は増えてしまった。晄や、何故か木葉もだが、平然と近距離攻撃をこなしているが、初心者にいきなりあの通りにしろというのは、なかなかに厳しいものがある。それに、篤志が知る奈波は、あまり運動が得意とも言えない存在である。それ故に、彼女を戦士にすることを拒否すべきなのではないかと、彼は思ってしまったのだった。


「……いや、ちょっと待て……」


しかし、彼は自分が初めて戦士になった時のことを思い出した。あの時彼は、晄達の援護があったものの、これまで全く使ったことなど無かった銃という武器を使って、無事勝利を納めたのだ。それも、狙った的から外すことも無く、である。

戦士となる時、その身体能力に多少の補正がかかる。もしその出来事がこれに影響されたものだとしたならば……そう考えると、彼の中の天秤が、ゆっくりと動き出した。


「……まあ、最悪俺やお前らがいるから、奈波が一方的にやられることはねぇだろうし……

……まあ俺は、奈波が戦士になってもいいとは思うぜ。」


篤志は、その胸の内を全て晄に話した。もちろん、彼の中にも不安は残っていた。それでも、奈波が戦士となることに問題が無いと、彼は判断したのだ。ああ晄に告げた篤志の表情は、かなりスッキリしたものだった。


「そうですか!!あっ……でも奈波ちゃん、嫌がったりしますかね……?」

「ん?まあ、そりゃわかんねぇけど……ま、あいつの事だ。俺もやってるって言ったら、多分着いてくんじゃねぇか?」

「えぇ……」


想定外に軽い篤志の返答に、晄は困惑した。しかし、冗談めいた言い方であるが、彼自身、本気でそう考えているのかもしれない。少なくとも、晄はそう考えた。


「ま、俺に任せとけよ!あ、そうだ。俺がいた方が話も進むだろうし、アイツに話すのは明日でもいいか?明日なら部活休みだから。」

「はい、じゃあ明日、よろしくお願いします!」

「おう!また明日な!それまでに風邪治しとけよ?」

「えっ!それは無理デックシュっ!!」

「じゃあ、授業頑張れよ!」


そう告げると、篤志は足取り軽く自分の教室に向かって走っていった。と、その瞬間、授業前を告げる鐘が、廊下中に響き渡った。


「うわっ!大変!!」


授業に遅れては一大事である。晄は、急ぎ足で教室に向かって行った。




「……じゃあ、奈波ちゃんも誘ってみることにしたんだ?」

「ゴフッ……ちょっと不安だけどね。」

「でも、篤志先輩が言うんだから、多分大丈夫なんじゃないかな?」

「そうだといいなぁ……せめて、華恋かれんちゃんの時よりは!!」

「あはは……やっぱりそれで心配だったんだね……」


その日の放課後の下校中、晄は、昼休みの篤志との会話を簡単に説明していた。奈波が戦士になってくれるかどうかという不安は、あの時よりも減っている。しかしながらまだ不安があるということを、晄は木葉に打ち明けていたのだ。


「ん゙んっ……流石に、何日も断られ続けたら……」

「でもほら、あの時だって、上手くいったんでしょ?」

「まーね!……リナルドさんのおかげで。」

「まあまあ……」

「えふっ……でも、人に頼るのは一番いいやり方だよね!今回も、篤志先輩に頼ろう!次も誰かの知り合いがいいなぁ……」

「いや、それはちょっと開き直りすぎじゃないかな……」

「だ、大丈夫、冗談だよ!」


そうして、二人が会話を続けていたその時だった。二人の首元の水晶が同時に、勢いよく輝き出したのだ。驚いた晄が、制服のポケットからそっと白色の水晶を取り出すと、それも光り輝いているのが見えた。


「これって……」

「きっとバケモンだよ。急ごう!」


三つ全てが輝き出したということは、バケモンが現れた証拠である。二人は、その光を頼りに、バケモンを目指して走り出した。



二人がバケモンの元にたどり着くのにはそう何十分もかからなかった。何故ならば、バケモンから逃げて来たであろう人の波が簡単に見つかったからである。現在二人がいるのは、学校からはそこまで離れていない、川のそばにある広い公園の中だ。普段ならば多くの人が集まっているような場所であるが、現在は、みな等しく悲鳴を上げながら逃げる残された被害者達の姿、そして、この阿鼻叫喚状況を生み出したのであろう、一体のバケモンの姿しかなかった。


「いやあああああ!!!」

「くるな!くるなぁぁああ!!」


このバケモンは、大変足が速い。それは、その姿と同じ外見の生き物も等しく、足が速いからであろう……日光を反射して黒く輝きながら、かさりかさりと音を立て人々を追い回すその恐ろしい姿に、それを公園の木の影に隠れて覗いていた木葉は震え上がった。


「ゲフッゲフッ……」

「……ね、ねぇ、晄……」

「あ゙ぁ……えっと、どうかした?」

「あの……いや、その……僕、ゴキブリだけはどうしても……」

「え、ゴキブリ?」


そう。今現在、公園で暴れ回るバケモンの姿は、誰がどう見ても、ゴキブリであった。現在の公園の姿を見る限り、バケモンはあまり周囲に危害を加えている様子は見られない。これといって破壊されているものもなければ、攻撃を受けた者も居ないように見受けられる。ただ近くにいる人間を追いかけ回し、しばらくしたら他の人物に標的を変え、というのを永遠繰り返しているだけのようだった。ただ、人を追いかけ回していることから察するに、こちらに敵意がないという訳はなさそうである。

つまりは、戦いは避けて通れないだろう、ということだ。もし、木葉がここで戦わないとしても、普段の晄ならば、何とかあのバケモンを倒せただろう。晄の住む東北の田舎町には、ゴキブリは滅多に見られない生き物であり、彼女自身あまり抵抗が無いため、尚更である。しかし現在、そんな晄の体調は優れない。先程から、咳をしては咳払いをする、ということを繰り返している。


「本当にごめん!後で何でも言うこと聞くから……!!」

「ゴホッゴフッ…ん゙んっ……足の速い相手だから、二人でやりたいんだけどな……」

「……そうだよね……ごめん。」

「……あ、あの……」


そんな会話の最中、後ろの方から小さい声だがこちらへ声をかけてきたのが聞こえてきた。二人がふとそちらを見ると、二人が知っている、想定外の人物がいた。


「えっ!な、奈波ちゃん!?」

「……あの、でっかいゴキブリ退治の話…ですよね……?」

「ちょっ!?聞いてたの!?」

「は、はい……わたしも、ここにいたので。」


そう言うと、奈波はゆっくりと歩きだし、二人のすぐ近くまでやって来た。


「……その……あのゴキブリも、あの時の…クラゲみたいなやつなんですか……?」

「そ、そうだね。」

「でも、あれより……その、何倍も雑魚っぽいですよね……」

「……え?」


二人の足元を見ながらそう話す奈波を、二人は呆然と眺めていた。その次の瞬間、奈波は下げ気味だった目を上げて、二人の首元を見ながら告げた。


「……あれ……わたし……潰したいんですけど……」

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