第二十八魂

懐かしの高熱


「久しぶりだね、黄色。」


そう笑って口にすると、銀色の戦士は、川原にいるひかりのすぐそばまでやってきた。想定外な人物の登場に、晄は驚きとも喜びとも言えない表情で立ち尽くした。


「銀色!?どうしてここに!?」

「いやぁ、水晶が教えてくれたんだよ。ここにあのクラゲがいるってさ。」


彼はそう言って、川の上に浮き上がっているあのクラゲのバケモンを指さした。どうやら彼も晄同様、あのクラゲのバケモンを倒すためにここに来たらしい。長期戦を強いられ、体力も大分奪われていた晄にとって、彼の登場は、大変ありがたいものであった。


「くっそぉ……仲間を呼ぶなんて……二対一は卑怯じゃなぁい?」


クラゲのバケモンも、晄と同じくらいに体力を消耗している様子である。そんな状況で、また一人敵が増えてしまっては、大変不都合である。しかし、それでも彼が逃げ出す気配は無く、まだ戦う意思がはっきりとそこに存在していた。それを汲み取った二人は、それぞれの武器を構えてバケモンに向かい合った。


「いいじゃん。オレの事を雑魚呼ばわりするお前には、こんぐらいした方がちょうどいいだろ?」

「チッ……わかったわかった!まぁ、いくら戦士っつっても、相手は子供だもんなぁ!戦いがどういうものか、思い知らせてやるよ!」


バケモンはそう告げると、二人に向かって急速に向かってきた。銀色の戦士がそれを避けた一方、晄がそれに向かって走り出すと、バケモンは、晄を標的に変えたらしい。彼女に向かって、その触手を一心に伸ばした。しかしその瞬間、鎌鼬のような衝撃が、バケモンに襲いかかった。


「うぐっ……!」

「おーい!オレのこともう忘れたのか!」


その衝撃の正体は、銀色の戦士の攻撃であった。彼は両手に二つの扇子を持っているが、それが、銀色の戦士の武器である。彼がそれを使い、一つ風を起こせば、その風は、バケモンに大して脅威となる鎌鼬に変わるのだ。

衝撃に狼狽えるバケモンに対し、銀色の戦士は、まるで煽るようにそう言ってのけた。


「クソォ!」


バケモンは、その言葉に腹を立てたらしい。晄に向けていた視線を銀色の戦士に向けて、多くある触手のうちの数本をそちらに伸ばした。しかし、その動きは既に予測されてしまっていたらしい。銀色の戦士は、それを上に跳んで避けると、また二枚の扇子で風を起こし、反撃した。


「うらぁ!」

「ぐあっ!!」


諸に攻撃を受けてしまったバケモンは、その体の至る所に切り傷を負った。傷からは黒い液体が滴り、その紫色の体を染め上げた。


「オレが来た時から思ってたけど、お前、もうだいぶボロボロなんじゃない?どうする?続ける?」

「キッ……」


バケモンは、悔しそうにそう口にすると、突然、自ら川の中に飛び込んでしまった。あまりにも唐突であったからだろう。晄は、状況について行くことが出来ず、バケモンが飛び込んだその川の方に向かうと、その中を覗き込んだ。しかし、そこにあるのは濁った水だけだ。中の様子なんて、分かるようには思えなかった。


「ど、どこ行ったんだ!?」

「え、逃げたんでしょ?」

「ん?……え!?逃げちゃったの!?てか、逃がしちゃったの!?」


晄は、やっと今の状況を理解したらしい。目を丸くしてそう告げた晄は、信じられないという感情をぶつけるように、銀色の戦士に詰め寄ってそう告げた。彼女の濡れた手が彼のマントにシミを作るのを、まるで構いもせず、彼は言った。


「うん。そうだけど……?だって問題なくない?あれどう考えてもオレたちが勝ってたじゃん。」

「いやいや!もっとコテンパンにしなきゃ、あいつまた出てきちゃうよ!?」

「ああいうのはどれだけコテンパンにしたってまた来ちゃうもんだって……それより、君どうするの?びしょびしょで真っ黒な制服でそのまま帰るの?」

「え?服?」


晄は、そう彼に言われた時、自分の姿を見つめ直した。川に突き落とされたせいで、服は水浸しであり、所々、バケモンの返り血らしき、黒い染みが複数出来ている……まだ夏の、それなりに日の高い今、その姿はよく見えた。


「……え、と……とりあえず……」


晄は、冷や汗をかきながら、戦士の姿から元の姿に戻る。すると、濡れていたマントとスカーフ、両剣は消え、その変わり、教科書の入った乾いたリュックが現れた。……制服に変化はなかった。


「治るのは傷だけだろ?」

「うぅ、せめて今日体育があったら……あ!そうだ!」

「……えっ。」


彼女は、その小さな頭で何か思いついたらしい。その目の中には、二つの扇子が映っていた……

数分後、バケモンがいたはずのその場所に引き返しに来た木葉このはが見たものは、冷めた目で晄を見つめながら、二つの扇子で彼女を仰ぐ、銀色の戦士の姿であったという……




ところで皆さん、『バカは風邪をひかない』という話を聞いたことは無いだろうか?どうやらその言い分では、バカというものは既に人間からは逸脱しており、風邪の菌に似た性質を持つため風邪をひくことがない、のだそうだ。

……しかしながら、これは真っ赤な嘘である。


「ゲホッゲホッ!!」


その証拠に、バケモンが現れた翌日、あのバ雷娘は、あろう事か風邪をひき、結果高熱を出していた。それはそうである。いくら夏と言えど、全身に水を被った上に、その後すぐに風呂に入るでもなく、無理やり風で乾かしたのだから……水が蒸発する時、熱を吸収するのは有名な話だ。そうして体を冷やされてもまだ、ビル風でさらに冷やされてしまえば、風邪もひくだろう。しかし、そのおかげで、ゆっくり制服を洗うことができるようになった。墨汁ほどしつこくはない染みならば、なんとか目立たなくなるくらいには落ちるだろう。


「バカでも風邪はひけるのだな……」

「ゲホッゲホッ!!……の、のど……」

「……花梨の蜂蜜漬けだ。食えるか?」

「ゴホッゴホッ!!ゲホッゲホッ!!……食べる……」

「その前に、起き上がることすら困難のようだが……」


一方で、他に誰もいないせいで、晄の看病を強いられたエレッタは、急遽店を休みにし、彼女の枕元に椅子を運んで座っていた。普段は晄に酷な事を言い放つことが多いエレッタだが、やはり彼女の保護者であるらしい。不安そうに彼女を見つめながら、風邪に効くありとあらゆる品々を与えようと躍起していた。


「そ、それより、宿題……ゲホッゲホッ!!」

「今日は休め!三十九度の熱で何が出来る!!」

「ゴホッゴホッ!!……猫が……」

「…………?」

「……ゲホッゲホッ!生えて……」

「……げ、幻覚でも見ているのか……?」


あまりにも高熱だったため、三十分ほど前に、午前中に診てもらった病院で渡された抗生剤を晄に飲ませたのだが、もしかしたら、そのせいで幻覚でも見ているかもしれない。もしくは、あまりの高熱に、今ここが何処なのかすらわからなくなり始めているのかもしれない……エレッタは恐ろしくなりながらも、何故か起き上がろうとする晄を押さえつけて、額からずり落ちた氷枕を乗せた。


「……いいから、今日明日は眠っていろ。」

「ゴホッゴホッ!!ゲホッゲホッ!!

ゴボッ……!ブルファ!!ゔっ……!」

「……お、おい、今のは普通ではなかっただろう!大丈夫か!?」

「ガボッ!!じぬ、ゲホッゲホッ!!」


隙間なく咳を続け、眉間に皺を寄せる晄を、エレッタはただ見つめていた。


「……とりあえず、これでも巻いて安静にしていろ。」


エレッタはそう言うと、ベッドのすぐ横にあるテーブルの上に置かれていた、ぶつ切りにしたネギを包んだタオルを晄の首に巻いた。そうした後、彼女の肩をポンポンと叩きながら、彼女に眠りを促した。しばらくそうしていると、彼女は眠りについたらしい。咳まじりの寝息が聞こえてきたのを確認すると、エレッタは一度立ち上がり、晄の部屋を後にした。

一階へ続く階段を下りると、彼は風呂場に向かった。どうやら、洗濯機に用事があるらしい。風呂場に入ると、すぐ傍にあった洗濯機に手を伸ばした。その手に掴んだものを見るに、どうやら、あの汚れた制服を洗っていたらしかった。


「はぁ……全く、無理しおって……」


初めほど目立たなくなった染みだったが、僅かに残っていたらしい。それを視界に入れ、エレッタは一つため息をついた。

バケモンは、その感情の持ち主の健康状態によって血の色が異なっている、という話を覚えているだろうか。健康であればあるほど赤に近づき、逆に、不健康であればあるほど紫に近づく。そして、感情の持ち主が既にこの世を去っているバケモン……すなわち、ソウルブレイカーの幹部の血の色は、まるで墨のように黒い。

昨日帰宅した晄を見て、エレッタは、晄がソウルブレイカーの幹部と一戦を交えたことを察していた。エレッタが知る、感情の持ち主が既に死んでいるバケモンは、エレッタを除いて彼らだけである。ソウルブレイカーの幹部となれば、通常のバケモンと比べ物にならないほどの力を持つ。エレッタは、上で熱を上げる晄を思いながら、制服の白いセーラー服とスカートを持って、物干し竿の方に向かって歩き出した。

と、その時だった。家中に、インターフォンの音が響いてきたのは。


「誰だ……」


夏は、じとじとと湿った嫌な季節だ。早く洗濯物をかわかさなければ、せっかくの洗剤の香りが雑巾の臭いに変わり果ててしまうものである。エレッタは、少し溜息をつき、リビングの扇風機の前に一度制服を置くと、すぐに玄関に向かった。


チェーンのかかっていた玄関の扉を開けると、そこには、エレッタのよく知る顔と知らぬ顔が、何人か揃っていた。しかし、彼らには共通点があった。


「……晄の見舞いか?」


エレッタは少し疲れているらしかった。見知らぬ人物がいるにも関わらず、よそ行きのものではなく、いつもの口調でそう告げると、彼の見知らぬ人物が、肩をビクリとふるわせた。


「はい。あの……上がっても構いませんか?」

「あぁ……晄は今眠っているが、折角だ、もてなそう。上がれ。」


彼の見知った人物……木葉は、エレッタの答えを聞いて一つ頭を下げると、玄関に上がった。彼のその行動を見て、他の人物達も後に続いていく。エレッタがその隙に、晄の制服を物干し竿に干しに向かっているのが見える。木葉はこのまま廊下にいるのもどうかと思ったのだろう。遠慮がちに、家のリビングに足を進めた。


「お邪魔します……」


彼が彼女の家を訪れたのは、これで三回目だっただろうか。エレッタが綺麗好きなのか、相変わらずリビングは整っている。家の日当たりの影響で、エアコンなどはついていないにも関わらず、涼しく感じられた。


「大人数で押しかけて良かったのか?晄の親父さん忙しそうだったが……」

「……確かに、五人は多すぎるかも知れませんね。」

「め、迷惑かもしれない……帰ろう篤志くん。」

「んだよ、お前が来たいって言ったから着いてやってんのに、諦めるの早すぎねぇか?もっと図々しくなれ。」


続いてリビングに現れたのは、困った表情の篤志あつしと、その背中にビクビク震えながら張り付いている奈波ななみだった。


「で、でもさっきのおじさん、人の生き血啜ってそうだったし……」

「どんな例えだ!啜らねぇよんなもん……啜らねぇよな……?」

「え、なんで不安そうなんですか……?」

「安心しろ。店長は良い人だ。」

「ひっ!」


またリビングに現れた新たな人物……リナルドと華恋かれんに、二人と面識のない奈波は悲鳴を上げ、篤志を壁にして隠れた。その様子に、特にリナルドは気を落としたらしい。しょぼんとした表情が浮かんでいた。


「ごめんな、リナルドさん。こいつ人見知りするからよ。」

「ヒトミシリ……?とは何だ?」

「えっと……奈波ちゃん、だったかしら……彼女はシャイなんですよ。」

「ああ!なるほどな!それは仕方ない。いずれ仲良くなりたい。」

「ありがとなリナルドさん……おい奈波、ずっとここに隠れてないで出てこい!」

「う、うぅ……」


奈波は、肩を叩かれながら篤志に言われて、ゆっくりとリナルドと華恋の前に顔を出したものの、五秒と経たずに元の場所に戻ってしまった。呆れた顔で一つため息をこぼす篤志だったが、すぐ二人に頭を下げた。しかし二人は、奈波のその姿に不快感を得なかったらしい。気にするなという旨の言葉を彼になげかけた。


「客人を待たせてしまって申し訳なかった。好きに座ってくれ。」


しばらくして、エレッタがリビングに現れた。彼はそう告げると、リビング内にあるキッチンに向かった。一方の五人は、目の前にある四つの椅子だけが並んだテーブルを睨みつけているだけで、そこに誰も座ろうとしなかった。


「急に、大人数で押しかけてしまって……申し訳ありません。」

「何、気にするな。五人も見舞いに来たと言えば、彼奴も喜ぶだろう。こちらとしても、感謝せねばなるまい。」

「元々は俺とこいつと木葉だけで来るつもりだったんすけど、あの二人も見舞いに行くところだったから合流してたら、なんか人数が倍になってたんすよね……」

「ふっ……なるほど、合点がいった。」


なかなか珍しい構成で現れた五人を初めに見た時、エレッタはそれを不思議に思ったが、篤志の発言で納得いったらしい。合流した時の彼らの姿を想像して、彼はふっと、少し笑った。


「ところでエレッタさん……晄の体調はどうですか……?昨日の帰りの時、ずっと寒い寒いって言い続けていたので、心配なんです。」

「あぁ……心配をかけさせて悪かった。彼奴も、五年ぶりの高熱についていけていないようでな……流石に移すわけにも行かぬ。会うことは諦めてくれ。」

「そうですか……」

「だが、何か伝えたいことがあるなら、紙にでも書いてくれればそれを渡すことならできるが、どうする?」


エレッタは、キッチンから現れて、紅茶の入ったマグカップを五つお盆に乗せて現れた。そしてそれを、あの四つの椅子だけが並んだテーブルの上に置きながら、先程の提案をした。見舞いに来たということはつまり、病人である相手に会って、何かを伝えたい、という部分が多少なりともあるものだろう。そう考えた彼なりの提案を受けて、五人は皆同様に、筆を執ったのだった。

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