第二十七魂

緑と白、黄色と銀色。


こちらに近づいてきた雷は、奈波ななみのすぐ横を通り抜け、あの巨大なクラゲに直撃すると、驚くことに、その姿がかわり、目の前には、奈波にも見覚えのある少女が現れた。


「おい、お前何してたんだ……!」

「ふふっ、何ってぇ!別にバケモン作ろうとしただけだろっ!」


少女……ひかりが、怒りながらバケモンに両剣を突きつける。すると、バケモンは楽しげに笑いながら、ああ答えた。バケモンは一旦奈波から離れ、標的を邪魔者である晄に変える。ふわりと高く浮き上がりながら、晄と間合いをとると、急に彼女の元に近づいた。


「おらっ!」


晄は、それを両剣で切りつけようとしたものの、それはギリギリのところで避けられてしまった。バケモンがそこから右に移動すると、晄は反対に左に移動する。


「……まずい、こいつ幹部だっ!」


離れた場所にいた木葉このはに聞こえるよう、大きな声でそう告げる晄。それを、あのクラゲは愉快そうに眺めていた。


「なんだよ、まずいなんて大袈裟だなぁ……!お前、確か雷電らいでん晄だろ?鳥頭を倒したっていう。」

「鳥頭……?ジョイアのこと?」

「ああ、そうそう。」


かつて田舎町で晄と戦い、晄に負けてしまった、ソウルブレイカーの幹部がいた。彼の名はジョイア。鳥型のバケモンである。彼は、力こそあるものの、晄以上に頭の回転が悪かった。そのせいで、他の幹部からは、その見た目などを理由に、“鳥頭”と呼ばれていたのである。晄は、トリスとの会話の時も出てきたその名前を思い出した。


「でも、お前トリスにボコボコにされたんだったっけぇ!?それなら……ヒヒッ!俺にビビってても仕方ないのかな!?」

「……くっ。」


晄は、トリスの時のように、バケモンの煽りに乗らないよう深呼吸をした。と、その時、その視界の端に木葉が見えた。晄にようやく追いついたようである。晄はその瞬間、彼に向かってこう告げた。


「奈波ちゃん連れて逃げて!」

「えっ!晄は!?」

「大丈夫。……でもできれば、奈波ちゃんを安全な場所に連れてったら、引き返してきて欲しい。」


さらにやって来た攻撃を両剣で受け止めている彼女の表情は、とてもじゃないが、この場を一人で任せられるような、余裕のあるものとは言い難い。彼女の発言からも、自信の無い様子を見て取れる。そのため、木葉にとって、ここから逃げることは、晄を危険に晒すことと等しいように思えてならなかった。


「……っ早く!あの子が危ないからっ!」

「わ、わかった!」


木葉は、晄が何のためにあんな要求をして来ているのか理解した。それは、何を隠そう奈波のためである。木葉には、目の前のバケモンに気を取られ、奈波の事が視界に入っていなかったが、一般人である彼女がここに居続けるのは、誰が考えても危険であることは分かるだろう。それに、今の奈波は、晄とバケモンの姿に怯えたように座り込んで縮こまっている。木葉は、そんな奈波の元に向かい、彼女の目線に合わせるようにしゃがむと、普段よりさらに優しい声色で口にした。


「大丈夫。君を危険な目には合わせないから。まず、この場を離れよう……立てる?」


奈波は、木葉から目を逸らしたまま、ゆっくりと縦に首を振った。そして、彼女がゆっくりと手を着いて立ちがると、木葉は彼女に手を差し伸べた。


「逃げるよ。」

「……」

「よし。」


奈波が彼の手を握ったのを確認すると、木葉は、晄とバケモンのすぐ横を潜り抜けて、奈波と共に駆け出した。しかしその直後、そんな二人に立ち塞がるかのように、複数本の触手が襲いかかってきた。


「逃がしてやるかよ!」

「……はあっ!」


木葉は、剣でその触手を切ると、無理矢理押し進む。それを更に追いかけようとするバケモンだったが、その瞬間、背から斬られる感覚がして、後ろを振り返った。


「お前の相手はあたしだっ!」


バケモンを睨みつけてそう告げる晄。そのマントや服には、黒い液体が飛び散っていた。





「……そろそろ大丈夫かな……?」


しばらく走り続けた木葉達は、現在住宅街の中に居た。現在は人通りがないが、比較的安全な場所であると言えよう。振り返っても、そこには誰もいない。ふと奈波の方を見ると、彼女はかなり息を切らしていた。


「あっ……!ごめん、走りすぎちゃって……大丈夫?」

「……は……は、い……」


申し訳なさそうに言った木葉に、奈波はぎこちなく返事をした。木葉は、一度戦士の姿から元の姿に戻ると、彼女の背を軽く摩った。


「……気持ち悪さとかは無い?」

「……さ、さすられてるのが不快…です……」

「あっ……ごめんね。」


ついさっきまで、あまりこちらと会話をしてくれるような気配がなかったというのに、急に正直な意見を言われ、木葉は驚いたのと同時に、申し訳なさそうに、摩っていた手を離した。

(よく知らない男に背中触られるの、嫌だよね……)

冷静になった木葉は、何か、彼女を休ませる術はないかと周りを見渡した。すると、彼の目に、彼女を座らせるのに最適なベンチがある公園の姿が飛び込んできた。


「あの公園まで歩ける?」

「……はい……」

「よかった……そこでちょっと休もうか。」


晄のことも心配だが、彼女をこのまま置き去りにするのも良くないだろう。木葉は、奈波に歩幅を合わせながら、ゆっくりと公園の方に歩き出した。


「えっと……奈波ちゃん、だよね?」

「……はっはい……」

「ちょっと公園で休んだら、僕はまたあっちに戻らなきゃいけないんだけど……その……家までの道は分かる?」


無我夢中で、真っ直ぐに走り続け、なんとか逃げ切ったものの、正直、ここがどこなのか、よく分かっていない。今向かっている公園の入口には、『みなほし公園』と書かれているが、正直、木葉には全く聞き覚えがなかった。そのため、もしかしたら奈波も知らないかもしれない。そう心配して言ったのだが、奈波にはそう伝わっていないようであった。


「……わたし、そこまで……方向音痴じゃない、です……」

「そ、そういう事が言いたいんじゃなかったんだけど……でも、そっか、分かるんだね。なら良かった。」


そうこうしているうちに、木葉達は公園の中にやって来ていた。二人は、そこにある緑色のベンチに向かって歩く。目の前にたどり着いたところで、二人は足を止めた。


「僕、あの自販機で水買ってくるよ。ちょっと待ってて。」

「えっ、あっ……」


そう言うと、木葉は公園内の自動販売機に、小走りで向かって行った。奈波は、そんな彼に何か言おうとしたが、その前に去ってしまい、手持ち無沙汰になってしまった。とりあえず、背負っていた鞄を一度下ろして、彼女の隣に置く。することも無い奈波は、意味もなく空を見上げていた。

(どうしよう、お金無いのに……)

心配の方向性が少々おかしいような気がするが、奈波は、現在、そればかり考えていた。というのも現在、木葉が、恐らくは自分のために、わざわざ自動販売機に水を買いに行っているのである。もしかしたら、そんな彼に、水の代金を迫られるかもしれない、という心配をしていたのである。奈波は、すぐに自分が被害を受けてしまうのではないか、と考えてしまうところがある。この発想は、そのうちの一つだった。

彼女がそんなことを考えているうちに、自動販売機に向かっていた木葉が、こちらに向かって帰ってきたのが見えた。彼は、これまた小走りで奈波の元に向かい、彼女に、水の入ったペットボトルを差し出した。


「はい、飲んで。」


優しい笑みでそう告げる木葉だったが、奈波は、あの発想が原因なのか、受け取るのを躊躇ってしまった。なかなか水を受け取ろうとしない奈波を、木葉は不思議そうに眺めている。


「もしかして、今はまだ水いらなかった?」


『僕の買った水が飲めないって言うのか?』


奈波の中で、誰かの声がした。あくまでそれは、彼女だけの話だ。目の前で、優しい声色、表情で問いかける木葉を、奈波はそう映し出してしまったのだろう。奈波は恐ろしくなって、一度顔を伏せた後、木葉の手から水を受け取った。


「……あ、あの……」


奈波は、そう勇気を出して口を開いた。その声は、僅かに震えている。木葉は、これまで彼女から声をかけられたことがなかったからか、少し驚いたものの、相変わらず、柔らかな声色で返した。


「ん、どうかした?」

「……わ、わたしあの、その……お金無いから……えっと……」

「え、お金?」


木葉は、彼の予想していなかった言葉の出現に困惑した。


「なので、その、お水は……」

「……もしかして、水の分のお金、払わなきゃダメだって思ったの?」

「えっ、ち、違うん、ですか?」

「そんなことしないって!」


木葉はここでやっとわかった。奈波が何故、買ってきた水を拒んだのか。


「百円くらい、奢るのうちに入らないって。遠慮しないで飲んで?」


そう告げた木葉の優しい表情は、つい先程まで、奈波を襲っていた恐怖感を、一瞬にして吹き飛ばしてしまった。


「……あ、ありがとう、ございます……」


奈波は、木葉に目を合わせずとも、そう感謝すると、そのペットボトルの蓋を、ゆっくりと開け、中身を喉に流し込んだ。それは、彼女の喉の渇きと緊張を、あっという間に流し去っていくのであった。





「うわあっ!!」


二人が立ち去った後、晄はまだ、あのクラゲのバケモンとの戦いを続けていた。バケモンの攻撃によって押され、晄は川原の方に転がり落ちていく。川に落ちてしまうすんでのところで踏みとどまると、起き上がり、バケモンと向かい合った。


「うーん、まあ頑張ってる方だよねぇ……?ザコはザコだけどさぁ!!」


ケラケラと笑いながら、バケモンは晄と距離を詰めていく。腕の擦りむいてしまった箇所を軽く擦ってから、晄は両剣を、二本の薙刀の形に変形させた。


「あららぁ?結構頑張るねぇ!」

「『フルミネ!!』」


晄がそう唱えると同時に、彼女は雷の姿となって空間を駆け抜けた。それが、バケモンの体にぶつかると、それは一瞬、苦しげな表情を浮かべた。晄は、空中で元の姿に戻ると、バケモンの体を蹴って飛び上がり、その両剣で切りつけた。その傷からは、黒い液体が伝っていた。あまり深くは傷つけられなかったのだろう。


「あ゙ぁ……ちょっと油断しちゃった……」


晄が川原に着地すると同時に、バケモンはふらっとよろめいた体を震わせる。その直後、バケモンはこれまでの何倍もの速さで、晄の前に現れた。


「死ねぇっ!!」


そう叫び声をあげたかと思うと、バケモンは晄に思い切りのしかかってきた。急な出来事に対応出来ず、晄はのしかかってくる力に対抗できずに、後ろ……川の中に倒れ込んだ。

川の冷たく薄汚れた水が、一気に彼女を引き込んでいく。空気を吸おうともがこうにも、目の前のバケモンは、苦しそうな素振り一つも見せることなく、奥へ奥へと晄を押し込んでゆく。

しかし、そのバケモンの体に向かって、両剣の片方を突き刺すと、それは苦しそうにもがきながら、水の上に上がっていった。晄はその隙に、川の端に向かって体を動かし、水から顔を上げた。


「はぁ…!はぁ…!」


外の、ありったけの空気を吸いこみながら、水からゆっくりと上がる。水を吸った制服やマントが重い。しかし、すぐそばに居るバケモンを見ると、水を絞る暇さえないようだった。

(どうしよう……)

このまま、この川原で戦い続けると、またいつ川の中に押し込められてしまうかわからない。このままここで戦うのが良くないことは、十分理解していた。しかし、川原から高いところにある歩道に戻るためには、成功率がまだ五分五分の『フルミネ』を使うか、確実に登るかしかない。前者が成功すれば話は早いのだが、失敗してしまった場合、彼女は無防備になってしまう。かといって、後者はもっと危険だ。登っている最中は、敵に背を向ける事になる。そうなると、もはや選択肢は一つしかなかった……


「フルミ……」

「うらあ!!」


はずだったが、それは、突然晄とバケモンを襲った強風が、全て変えてしまった。先程までは、風一つ吹いていなかったというのに、なぜ急にそんな風が吹いてきたのだろうか……?


「ウグッ……!」


晄が頭を捻らせていたその時だった。突然、バケモンがいた川の方から、あのバケモンのものらしきうめき声が聞こえてきた。驚いてそちらを見ると、やはり、バケモンは苦しそうに体を押さえていた。

(どういうこと!?)

予想だにしなかった展開に、晄は目を疑った。彼女は全く行動を起こしていないというのに、一体何が起こったのだろうか……?唖然とその光景を眺めていたその時、歩道の方から、こちらに近づいてくる足音に気づいた。


「……!君は……!!」

「久しぶりだね、黄色。」


晄が足音の方を振り返ると、そこには一人の少年がいた。銀髪に赤い目。それに、銀色のマントとスカーフ、それぞれの手に持った、二つの扇子……その姿は紛れもなく、過去に会った、あの銀色の戦士の姿であった。

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