第二十五魂

色白の少女


時が経つのは早いもので、篤志あつしの挑む地区大会の日は訪れていた。現在、会場である西御霊にしみたま体育場の観客席で、たくさんの試合を眺めているひかり木葉このはは、テニスのルールをよく知らないとは思えないほどに盛り上がっていた。


「うわあ!やっぱよくわかんないけど、先輩凄い!!木霊中こだまちゅうがテニス強いってホントだったんだ!」

「僕もよくわかってないけど、これって凄いことだよね?篤志先輩、決勝に出られるってことだよね……!」


実は、晄が言っているように、彼らの通う、市立木霊中学校しりつこだまちゅうがっこうはテニス部が強い学校として有名な学校である。現にこの大会でも、部活のエースである篤志が、決勝に進出することが決まった。この状況が二人の、篤志への期待を高めていた。



そして、ついに決勝戦。篤志の出番となった。緑のテニスコートに目立つ赤髪が映える。青と緑のユニフォームに身を包んでいるその姿は、一見格好良くも見えるが、よく見ると、相変わらず寝癖も治さずのそままのようである。彼らしいと言えば彼らしいかもしれない。


「木葉木葉!」

「うん、緊張するね……」


晄が、興奮した様子で木葉の右肩を軽く叩くと、木葉は、興奮と緊張が入り交じった表情でそう返した。篤志と同じコートに立つのは、黒と黄色のユニフォームを着た、水色の髪の男子生徒である。恐らくは、先日篤志が言っていた、水瀬みなせ怜斗れいとという男なのだろう。彼の登場に、二人は息を飲んだ。


「怜斗くん頑張って〜!!」

「キャーッ!!水瀬様かっこいいわ!!」

「こっち向いて〜!!」

「こ、こちらに手をふり返しましたわ!」

「キャーッ!!キャーッ!!」


しかし、そんな二人とは違う、水瀬怜斗を応援しに来たのであろう、月乃宮つきのみやの制服を身につけた女子生徒達の歓喜の言葉が耳に入ると、木葉はその表情を変え、苦笑いを浮かべた。


「す、凄いなぁ、相手の人……応援の規模が違う……」

「……これは負けらんないね!!

篤志せんぱーい!!!ファイトおお!!!」

「ちょっ、負けられないってそういう!?とっとりあえず座って!」


急に立ち上がり、あの女子生徒達に負けぬほどの大声で、晄はああ叫んだ。晄の破天荒な行動に驚き、木葉はとりあえず晄に座るように促す。テニスコートの方を見ると、篤志がこちらを見ているのが見えた。ハッキリとは見えないが、その表情はどことなく嬉しそうに見えた。


「あはは、ごめん、なんか興奮しちゃって……」

「まあ、篤志先輩が嬉しそうだからいっか……でも、試合中立つのはやめて。後ろの人が迷惑するからね。」

「うん、気をつけるよ。」


大会の会場は、見下ろす形の観客席が用意されており、晄達は、早めに会場に来たため、かなり前の列に座ることが出来た。そのため、彼らの後ろには沢山の観客が座っていることになる。晄は、木葉の言葉でそれを思い出し、立ち上がったことを反省した。


「そろそろ試合始まるみたいだね……」

「うん……ん?」


試合がはじまる直前。突然、観客席の向こう側から、深くキャスケット帽を被った色白の少女が歩いてきているのが見えた。見たところ、小学校高学年くらいの歳に見える。彼女は、キョロキョロと何かを探しているようだった。晄は、座席を探しているのかと思い、その少女に声をかけることにした。


「ねぇ君!」

「ひっ……!」

「こっちの方座席空いて……って、あれ!?」


しかし、晄がそう声をかけた途端、彼女はびくりと肩を震わせたと思うと、晄の言葉も聞かずにどこかに走り去ってしまった。


「晄、どうかした?」

「えっと……まあ、いいや……」


晄は、どうやらあの少女の反応にショックを受けてしまったらしい。悲しそうな表情を浮かべている。一方の木葉は、あの少女の存在には気づかなかったようで、突如として落ち込んだ様子の晄を、不思議そうな表情をして見た。


「ん?そうなの?ほら、もう始まってるよ。」

「え?あっ!ホントだ凄い打ち合いしてる!サーブ見逃したぁ!」


しかし、篤志達の試合を見て、一気に興奮状態に戻されたようである。互いに一歩も譲ろうとしない戦いに、晄は目が釘付けになってしまったのだった。




あれから四十五分ほど経過した。ルールは六ゲームマッチ方式。さらに、ノーアドバンテージスコアリング方式が採用されている。そして現在、互いに一歩も譲らなかった結果、ゲームカウントが六対六となり、タイブレークに突入した。

初めは、対戦相手の方が優勢だったものの、徐々に篤志が取り返していき、現在、篤志のポイント数は六、対戦相手は五となっている。つまり、次に篤志が一ポイントを決めた時点で、篤志が勝利する、という状況なのである。


「これって、篤志先輩いけそうってことだよね?」

「うん。多分今勝ってるのは篤志先輩。」

「水瀬様!!負けないで!!」

「水瀬様なら大丈夫ですわー!!」

「頑張って……!」


劣勢となってしまった水瀬怜斗の応援部隊は、出せる精一杯の声で応援をしている。そのせいで、その中で唯一落ち着いた様子で、静かに両手を組んで祈るようにしている桃色の髪の女子生徒が、逆に目立っているように思えるほどであった。


「あっ!」


そうこうしているうちに、ボールはサービスエリアに入った。試合開始の合図である。しばらくラリーが続いていく。観客達は、その様子に目が離せないでいた。どちらがどう動くか、予想が出来ない状況。二人の表情も、ピリピリとしたものだった。そんな中、篤志は勝負に出た。


「おらぁあ!!」


スパァァンッ!!強く地面を打つ音がした。みな、一瞬、何が起こったのか分からなかったようで、硬直していた。


「ゲームセット アンド マッチ ウォン バイ 火焰かえん!」


しかし、審判のそのコールに、徐々に観客達は状況を理解し始めた。


「……うぉん?」

「クスッ。Wonは、Winの過去形だよ。」

「え、じゃあ、さっきの勝ったのって……!」

「よっしゃあああああ!!!!」


二人は、互いの目を見ると、どちらも嬉しそうな表情が浮かんでいたのがわかった。テニスコートの方でも、篤志がガッツポーズをしているのが見える。それと同時に、彼の心からの喜びの声が、会場に響き渡った。





「あっ!篤志せんぱーい!!!」


試合終了後。閉会式も終わった夕方頃に、晄は篤志を見つけるや否や、猛スピードで彼の元に向かった。篤志は、急にやって来た晄に少し驚いた様子だったが、それよりも、喜びが勝っているようだった。


「おっ!晄!今日は応援ありがとな。」

「いえいえ!先輩超かっこよかったです!優勝おめでとうございます!」

「へへっ、なんか照れくさいな……実は、いっつもあのボンボン、すげぇ応援部隊引き連れてくっから、その段階で負けた気がしてたんだけどよ、今回は試合開始前のお前の叫びのおかげで頑張れた気がするぜ!

……ただ、木葉は置いてってやるな?」

「……あっ!」


晄は、バカやらアホやらと言う前に、自分の考えたことをすぐ実行してしまうタイプである。特に、篤志の勝利で興奮状態だった彼女は、余計冷静に考えることが出来なかったのだろう。彼女が振り返ると、小走りでこちらに走ってくる木葉が見えた。


「ごめん木葉!興奮してて……」

「大丈夫!無理やり引きずられた時よりマシだから。」

「あ、あのことは深く反省してます……」

「ん?……マリゴールドの時のやつか?」

「はい……」


晄が反省しているというのは、第十三魂にて、マリーゴールドの成長過程を確認しに行く際、いち早く確認したいと思った晄が、木葉の腕を引っ張って、凄まじい速さで走った時のことである。あれ以降晄は、確かに無理やり人を引っ張ることはしなくなったのだが、それ以前に人に合わせることを学んでもらいたいところである。


「ああ!あの時の木葉ホント死にそうだったからな!」

「ホントごめん……」

「大丈夫だよ、過ぎたことに今更とやかく言うつもりないから!

それより、すっかり言い忘れてました。先輩、優勝おめでとうございます!ルールがわからない僕らでも、とても楽しめる試合でした!」

「……クソう!あーもーお前ら可愛い奴らだなぁ!」

「わっ!」


篤志は、突然そう口にすると、自分の近くにいた二人の頭を、わしゃわしゃと激しく撫で始めた。予想外のことに驚く二人だったが、どちらも満更では無さそうである。


「体育会系の奴らって、なんか居酒屋にいるおっちゃんみたいな近寄り方してくるから、部内に可愛げのあるやついねぇんだよ!ああ!帰宅部最高!」

「帰宅部最高って……テニスで優勝した人のセリフじゃないような……」

「まあまあ!良いじゃねえか!へへっ!」


今の篤志の表情を例えるならば、父の日に、子供たちが自分の似顔絵を描いてくれた時の父親の表情と比較的近い。とにかく、とても嬉しそうにしていたのは伝わっただろう。しばらく撫でたあと、篤志は二人を解放した。晄の髪は、所々から結っていた髪が飛び出してしまっていたり、木葉に関しては、もはやブロッコリーのようにボサボサになってしまっていた。


「わ、わり、やりすぎた。」

「気にしないでください!あと帰るだけだから問題ないです!」

「先輩が満足して下さったのなら、僕達としても本望なので。」

「お前らほんと良い奴だなぁ!!これやると大半のやつは怒り狂うんだが……

あっ……そういや……」


篤志は、何かを思い出したらしい。先程までの、嬉しそうな表情から一変、青ざめた様な表情に切り替わった。


「なぁ、試合中、白っぽくてちっちぇえ、帽子かぶったやつ見てねえか!?」

「えっ?」

「小学生くらいの女子なんだが……」

「ごめんなさい、僕は見てないです……」

「そうか、だよなぁ……」

「……あっ!」


白っぽい、小柄で帽子を被った小学生くらいの女子……試合開始直前に現れた、キョロキョロと、何かを探している様子だった彼女に、特徴が極めて似ていた。晄は彼女のことを思い出すと、思わず声を上げてしまった。


「晄、まさか見かけたか!?」

「はい。なんか、席探してたっぽかったので声かけたんですけど、その瞬間どっか行っちゃって……」

「あぁ……アイツホント……はぁ……」


晄の話を聞いた瞬間、篤志は、やっぱりか、というような表情を浮かべ、ため息をついた。

(あたし、まずいことしちゃったんじゃ…!?)

篤志のその行動の原因が自分にあると思った晄は、不安そうに篤志に尋ねた。


「も、もしかして、あたしいけないことしちゃいましたか……?」

「ん?いや、お前はむしろ親切にしてくれたんだろ?問題はアイツだよ……」

「あの、その子って、先輩のお知り合いなんですか?」


木葉がそう尋ねると、篤志は、少し面倒臭そうな顔をうかべ、語り始めた。


「……ああ。二個下の幼馴染みだ。お前らの一個下だから、正確に言えば中学生だが……背は小せぇし、コミュ障だから、小学生にしか見えん奴なんだ。

なんか知らねぇけど昔から俺に懐いてて、小学生の時からいつも、大会がある度に俺の試合を見に来てるみたいだが……はぁ……

……いつもコミュ障こじらせて、どっかに迷子になるんだよ。」


彼が面倒臭そうに話し始めた理由は、恐らくこれであろう。晄と木葉は、その話を聞き、まだよく知らない少女のことが心配になった。


「えっ!?じゃあ、今ももしかしたら……」

「コミュ障っつーか対人恐怖症か?そのせいでアイツ、親切に話しかけてくれるやつだろうが怖がって、人がいないところに逃げようとすんだ……

それで……悪いんだが、探すの手伝ってくれねぇか?大体の心当たりはあるんだが……そこに俺が行けないっていうか……」

「え?ど、どういうことですか……?」

「晄……!!頼む手伝ってくれ!今お前にしか頼めないんだ!!」

「えっ!あたし!?」

「大丈夫だ、俺の知り合いだと分かったら、大丈夫なはずだから……頼む!!この通りだ!!」


そう言って、篤志は深々と頭を下げてきた。晄は、全く訳が分からず、混乱してしまったのだった。




「な、なるほどなぁ……」


しかし、事情を聞き終えた晄は、納得した様子で、すぐさまその少女を探しに向かった。篤志は、その少女の名前は白雪しらゆき奈波ななみである、と教えてくれた。しかし、それと同時に、『名前を呼ぶのは最終手段だ。初めから呼ぶと怯えるから。』と、心配そうに話していたのを、晄は覚えている。

さらに、彼女は疑り深いらしく、『篤志の知り合いだ』と言っても、その証拠がない限り信用しないらしい。そう言われた晄は、篤志から、その証拠になるものとして、彼が試合中に身につけていたリストバンドを、右手首に付けている。篤志曰く、これで大抵の場合は信用してくれるらしい。

会場内を歩き、晄は目的の場所にたどり着いた。


「女子トイレは、先輩じゃ入れないよね……」


心当たりがあるが、そこに自分が向かえない。その理由はとても単純だった。心当たりとは、女子トイレのことであり、篤志は男であるため、立ち入ることが出来なかったのである。そして、それは木葉も同様である。

これまでは、テニス部の女子マネージャーに頼んでいたらしいが、優勝した喜びで、迷子になる幼馴染みのことをすっかり忘れ、気がついた頃にはミーティングも終わり解散してしまっていたため、晄に頼んだ、ということらしかった。


「お、お邪魔します……」


晄は、そう話しながら、静かにトイレの中に入った。個室は合計八つあり、うち一つは、掃除道具が入っているもののようだった。扉は、全て閉まっている。鍵のところを見なければ、人がいるかどうか、分からないタイプのものらしかった。

晄は、一つずつ扉に近づき、ノックをしていくことにした。鍵を閉めずに閉じこもっていた場合の配慮である。そうして、彼女が、右側の個室を全て調べ終えた時だった。晄のすぐ後ろの個室から、二度、ノックの音が聞こえてきたのである。晄が驚いて振り返ると、その瞬間、ガチャリと音を立てて、鍵が空いた。


「……え、えっと……扉、開けてもいいかな?」


晄が、そう、子供に語りかけるようにして問いかけると、その扉は、向こう側から開いた。その姿は、間違いなく、試合開始直前に見たあの少女の姿であった。色白の肌、深く被ったキャスケット帽、水色のシャツに白いスカートを履いた、大人しそうな少女だった。ただ、ひとつ気になる所をあげるとするならば……

(この子、白い髪だ……珍しい……)

その髪を三つ編みにして下ろして、俯いている。晄は、それが少し気になったが、その少女がそれを気にしているかもしれないと思い、気にしないように努めた。


「あの、篤志先輩の知り合いの子……だよね?」

「…………そ、それ……」

「え?あ!リストバンド?はい。」


その少女は、晄が身につけていたリストバンドを指さし、ああ、小さな声で言った。晄は、それが気になるのだろうと思い、外して、彼女に手渡した。彼女は、すこし躊躇い気味に受け取ると、なんと、それを鼻に近づけた。


「臭っ!……はい。」

「……え?あ、うん。あ、篤志先輩の所行こうか。」


臭いを嗅いだ瞬間、彼女はああ口にして、晄にそれを返した。晄は、複雑な表情でそれを手また身につけて、彼女と共に、篤志達のいる場所まで歩き出したのだった。

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