第二十一魂

華恋の決意


「あのさ、ひかりちゃん。もしかして、悩みとかある?」

「……え?」


シエルの急なその言葉に、晄は驚いた様子で彼女を見つめ返した。というのも晄には、悩みというのに、一つ心当たりがあったからだ。それは、赤い水晶と華恋かれんの一件である。戦士になって欲しいと言っても、何度も断られてきていた晄は、早くどちらかに諦めてもらいたいと、そう思っていたのだった。

何故わかったのか、と言いたげに見つめてくる晄に、シエルは、クスリと笑ってから答えた。


「大した理由はないんだけど、ワタシ、昔からそういう勘は冴え渡ってるのよ。」

「凄い…かっこいい……!」

「ふふっ、ありがと!それでね、もしワタシでよければ、相談に乗ろっか?」


シエルは、そうにこやかに告げる。それと同時に、信号は青に切り替わった。横断歩道を渡る最中、晄は考えていた。

(戦士のことを伏せて言わなきゃいけないよね。じゃあ、どう言えばいいんだろ……?)

晄の乏しい語彙では、程よくオブラートに包むのが難しいらしい。ただ、しばらく考えて、やっと結論を出せたらしい。晄は、シエルの方を見上げた。


「実は、あたしの知り合いが、他のあたしの知り合いにどうしてもやって欲しいことがあるらしくて、あたしに何度もお願いしてくるようにって言ってくるんです。でも、もう一人の方はどうしても嫌みたいで……」

「……なるほどね。」


シエルは、納得した様子で晄の方から目を逸らした。ちょうどあった曲がり角を曲がり、彼女はまた晄を見た。


「晄ちゃんは、お願いしてくる方と、お願いされてる方、どっちの味方になるのがいいと思う?」

「えっと……」


突然シエルに問われ、晄は考え込んでしまった。普段の彼女の考え方なら、華恋の味方になり、赤色の水晶に諦めてもらうように仕向けるだろう。しかし実際、赤色の水晶が簡単に諦めるとも思えない。何を言っても無駄だろう。そう思うと、晄の口から思わずため息が漏れた。


「はぁ……」

「うーん……そうだよね、それが難しいから晄ちゃんは悩んでるのよね……」

「あはは……でも、強いて言うなら……あっ!」


晄は焦った様子で、傘の中の歩道側から車道側へと移った。瞬間、晄達が向かっていた方角から来た車が、二人の横を通り抜けた。車は、激しくバシャンと泥水を飛ばしながら通り抜けて行った。


「シエルさん大丈夫!?」

「……ありがとう、おかげで助かったわ。」

「よかったぁ……シエルさんの服白っぽいし、汚れたらどうしようかと思ったよ!」

「でも……」


晄はそう言って、少し泥の着いた顔をシエルに向けた。彼女の服は、茶色の半ズボンとオレンジ色のTシャツという、シエルと比べると幾分か泥が目立ちにくい服だったため、あまり支障はなさそうだが、やはり、一部汚れてはいた。しかし、最も恐ろしいのは、彼女の手にある紙袋だった。シエルは、でも、と言いながらその紙袋を指さす。晄は、示されたところを見て、顔を青くした。


「あっ……」

「中身大丈夫……?」

「……!か、かろうじて無事!!」

「本当!?よかった……」


汚れた紙袋の中身は、更に袋に入れられていた小麦粉だった。どうやら、水を弾く素材の袋を使用していたらしく、彼女の言う通り、辛うじて無事であった。それを確認した二人は、胸をなでおろした。


「ところで、強いて言うならどっちなの?」

「え?……ああ!……できるなら、お願いされてる方の味方になりたいです。」

「“できるなら”…って?」


シエルは、少し不思議そうな表情で、晄の言葉を聞き返す。晄は、つい口にしたその言葉を、どう説明すればいいのかわからず、探り探り答えた。


「あの…お願いして来る方って、結構……なんだろう……我儘っていうのも違うけど、なんだ?図太い…?違うな。えっと……」

「ちょっと我が強い子なのね?」

「はい!そんな感じです!だから、話を聞いてくれるかどうか……」


晄がそう告げると、シエルは少し考えるように、うんと唸った。しかし、しばらくして、シエルは結論を出せたらしい。一度立ちどまり、晄の目を見て答えた。


「晄ちゃんって凄くいい子だから、我が強いその子が傷ついちゃうんじゃないかって思って、その子に、もう一人の子が嫌がってること、言えなかったんじゃない?」

「え、そうかな……?」

「うん。少なくともワタシから見たら、晄ちゃんはいい子よ?だって晄ちゃん、さっきワタシのこと、泥から守ってくれたじゃない。

でもね、そのままじゃ、どっちの子にも悪いことしてるみたいになっちゃうと思うの。お願いされてる方の子は、いつまでも嫌なお願い言われたら鬱陶しく感じちゃうと思うし、もしお願いされてる方の子が、嫌になってそれを受け入れちゃったとしても、それは心からやってる事じゃないわけだから、我が強い方の子も、申し訳ない気持ちになったりするんじゃないかな?」

「……」


晄はこれまで、華恋が戦士になるかならないか、という結果だけを見て考えていた。しかしシエルの言葉を聞いて、“体を張ってバケモンから人々を守る”という、簡単に受け入れられないような話を、無理に押し付けようとしていた自分の愚かさを、身をもって感じた。


「そうですね。無理にやらせたって、どっちもいい気分になるわけないですもん!話聞いてくれてありがとうございます!シエルさん!」

「うふっ、役に立てたみたいで良かったわ!」


スッキリした表情をした晄に、そう返すシエルは、とても満足気であった。


「……らなくても……」

「え?」

「ああっ!ごめん独り言だから!ところで、晄ちゃんの家は、どっちの道だっけ?」

「あ、この道は左です!」


雨の音のせいで、彼女の言葉はよく耳には入らなかった。何故だろうか、ああ口にした時の彼女の表情は、愛想笑いのようにも見える。晄は、少し不思議に思いながらも、それを無視して、雨の道をまた進むのだった。




所変わって、ここはエレッタの経営するイタリア料理店の休憩室。昼休憩を貰ったリナルドは、その日出勤した時、エレッタから頼まれた言葉を思い出していた。

(華恋も戦士に選ばれた……しかし、彼女がそれを受け入れるかどうか……)

もし華恋に会ったら、リナルドからも華恋に戦士になるように頼んでくれ、というのが、エレッタからの依頼であった。リナルドとしても、親しい間柄の人物が共に戦ってくれることには、ありがたい気持ちもある。しかし、茨野華恋という人間は、戦士というオカルトを信じるか否か、とても怪しい。何より、四日前に彼女がバケモンに襲われていたことを思うと、少し否定的な気持ちもあった。そう考えている時、休憩室の扉から、コンコンコン、というノックの音が聞こえてきた。


「リナルドくん、そろそろ休憩時間終わるから、準備して貰っていいかな?」

「…はい!承知しました!」


時計を見ると、現在時刻は午後三時半。休憩を初めてからかれこれ二時間経過していた。扉の向こうから聞こえてくる、桜子さくらこの声で、それにやっと気付かされた。リナルドは、着崩していた店の制服を着直してから、休憩室の扉から出た。その先にいた桜子は、これから休憩に入るようである。今からの時間は、正直ほとんど客は来ない。晄が未だに帰ってこない中、接客をしていた彼女の顔からは、少し疲れが滲み出ていた。


「これから休憩ですか。」

「うん。ホールよろしくね。」

「承りました。」


最近覚えたのであろう、多少不自然な日本語で返事をするリナルドを、桜子は微笑ましげに見てから、休憩室に入っていった。リナルドは、今は客がいない店内を、その扉の傍から眺めていた。しかし、窓ガラスの外から見えたその姿に、リナルドは身を構えた。

(……華恋だ。)

赤い傘を差して、こちらに向かう彼女は、間違いなく華恋の姿だった。ふと、エレッタから聞かされた話を思い出す。今は、他に客もいないため、彼女と話をする絶好のチャンスである。リナルドは、店の入口の鈴を鳴らしながら入店した彼女の姿を捉えた。


「いらっしゃいませ。一名様でよろしいでしょうか?」

「リナルド先輩!は、はい!」


決まりどおりの言葉を口にするリナルドは、華恋を二人がけの机に案内しながら、華恋へ話す内容を軽くまとめていた。ある程度のことは、休憩中に既に考え終えているのだが、いざ目の前にすると、簡単に口からは出てきてくれないようだった。


「華恋、少し話がしたいんだが、いいだろうか?」


緊張した面持ちでそう告げるリナルド。華恋は、そんな姿に驚き、思わず彼を二度見した。


「えっ!?」

「嫌ならいいんだが……」

「そ、そんなことありません!むしろ、う、嬉しいくらいで……」

「それは良かった。」


勇気をだして“むしろ嬉しいくらい”と、踏み込んだことを言った華恋だったが、今のリナルドには、そんなことを気にする余裕が無いらしい。少し間を置いて心を落ち着かせると、彼は早速本題を切り出した。


「……信じてくれるか分からないが、私は、戦士という者の一人だ。戦士というのは、前に貴方を襲ったもののようなモンスターと戦う存在。」

「……」


華恋は、想像の斜め上の話をされ、ポカンとした表情を浮かべている。しかし、リナルドはそれを気にせず、さらに続けた。


「ただ、それらは何人かの集団で、私はそのうちの一人だ。そして、その集団のメンバーは増えている。そして、華恋にはそのうちの一人になって欲しい。

……まだ日本語は勉強中で、正確に伝わっていないかもしれない。だが、既に晄があらかた貴方に話をしたと聞いている。彼女も、私と同じ戦士だ。」


晄、という名を聞いて、華恋は今聞いた話の意味を理解した。三日前、晄から聞いた内容と、今リナルドが話す内容は、極めて酷似している。つまり、二人とも、華恋に戦士となって欲しい、ということを言っているのだ、と、彼女は理解した。


「……一つ、聞いても構いませんか?」

「……ああ。」

「アタシより強い人は沢山います。でも、何故アタシなんですか?アタシは、前化け物に襲われた時、怖くて、襲われてた人たちを無視して逃げたんです。アタシより、その、戦士にふさわしい人はたくさんいるはずです。なのに、何故……アタシなんですか?」


最後の一言は、少し小さな声だった。彼女はふるふると震えながら、膝の上で握り拳を作った。華恋がこれまで晄からの頼みを断っていた理由。それは、自分には、たとえ戦士になったとしても、その役目をこなせる自信が無かったこと、そして、バケモンと戦うことで、命を落とすことが、恐ろしかったことだった。


「……華恋は弱くない。むしろ強い。モンスターに襲われた時も、華恋は、幼い女の子を庇っていた。」

「で、でも……」

「実は、私も華恋とモンスターを戦わせることにいい気はしない。だが、それは華恋が傷つくのが怖いからだ。だから、私は決めた。

もし、華恋が戦士になっても、貴方が危険にならないよう、私が守る。だから、どうか、戦士になってくれないだろうか!」


リナルドは、そう告げると深く頭を下げた。その様子に、思わず華恋は固まってしまった。と、そんな時、店の扉が勢いよく開いた。カランカランと、激しく鳴るベルの音に、二人とも驚いて振り向くと、そこに居たのは、紙袋を沢山手に抱える晄の姿だった。


「ただいま……って茨野いばらのさん!ちょうどいい所に!!」


先程までの、いい感じの雰囲気を知らない晄は、さっきのシエルとの相談の中での決意を胸に、彼らの傍に近寄った。


「あたし茨野さんのこと考えないで、戦士になってってしつこくそればっかり言ってて、本当にごめんなさい!バケモンと戦ってくれなんて言って茨野さんが嫌がるの当たり前だし、すんなりいいよって言ってくれる人なんてそうそういるわけないし、だから……」

「あの!」


謝り続ける晄にだったが、それは突然、華恋の発した声で遮られた。ふと彼女の方を向くと、晄の方を真っ直ぐに見つめていた。晄は一度、話すのを止めた。


「アタシずっと、その戦士になれっていうの、断ってきてたんだけど……リナルドさんに説得されて……その……」

「……も、もしかして、なってくれるの……!?」

「……別に、あんたに押し負けたとかじゃなくて、自分で決めたの!!勘違いしないでよ!?」


華恋の返事を聞いて、彼女が戦士になることを完全に諦めていた晄は、とても嬉しそうに笑った。その様子を見て、リナルドも釣られて笑う。華恋は、晄に向けていたしかめっ面を少し和らげると、彼女に言った。


「前あんた、戦士って水晶が必要、みたいなこと言ってなかったっけ?」

「ああ!ちょっと待って!」


晄は、手に持っていた紙袋を幾つかリナルドに預け、空いた手で鞄から赤色の水晶を取り出すと、華恋に手渡した。


「これです!これで、戦士になれるし、バケモンの場所も分かります!だから、いつも持ってて!」

「……綺麗ね……きゃっ!」


華恋が手渡された水晶を眺めていると、その水晶が急に光出した。それを見て、晄も自分の水晶を見ると、それも光り輝いていたのに気がついた。


「これ、どういうこと!?」

「バケモンが現れたんだ!悪いんだけど、一緒に来てくれる!?」

「えっ!?お店は!?」


急な出来事に慌てる華恋に対し、晄は、キッチンの方に向かって元気よく叫んでいた。


「エレッタ!!お仕事行ってくるからお店お願い!」

「……わかった。ただ、荷物を先に持って来てくれ。」

「了解!!」


店の奥から、エレッタの返事が聞こえてくる。晄はその指示通り、リナルドに預けていた紙袋も取り返して、全て持ってキッチンに向かった。


「二人は先にバケモン探しに行ってて!追いかけるから!」

「わかった。行こう、華恋。」

「は、はい!」


窓の外は、気がつくと小雨に変わっていた。二人は、その中を、水晶の光を頼りに走り出していった。

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