第二十魂
水晶の意思
「……また来たの?」
「まだ三回目だから!」
「だから、何回言われても、そんなわけわかんないことはお断りよ!」
「そこをなんとか!!」
「嫌よ!!」
豪邸のようにも見える
金曜日。赤い水晶が光り輝いたあの日から三日が経過した。赤い水晶が選んだ人物を探し出した結果、その人物とは華恋であることがわかったのは、水曜日のことである。その日から、華恋が通う月乃宮付属中学校の前で彼女を待ち構え、戦士になって欲しい、と依頼し続けているのだが、結果、上手くいくどころか、どんどんと断り方が厳しくなっていき、むしろ悪化していた。互いに名を名乗り、歳も、互いにおなじ中学校二年生だと知った現在、晄は華恋からは“あんた”と呼ばれ、目が合うと睨まれるまでに嫌われていた。
「……ねえ、諦めてくれないかな……?」
晄はため息をつくと、身につけていたボディバッグからあの赤い水晶を取り出して右手で握ると、それに向かって小声でああ言った。とたん、赤い水晶は、諦めるものか、と言わんばかりに、握っていたその手から少し漏れ出すほどの光を放って答えた。
「だ、だよね……もうちょっと頑張ってみるよ。」
晄は、またそう小声で言うと、ボディバッグに水晶をしまい、家への道を歩き出した。
自宅にたどり着いた晄は、普段ならば誰もいなくとも言うはずの、ただいまの挨拶すら言わずに家に入った。しつこく色々と言われるのは、誰だって嫌なものである。それをわかっていながらも、何度もしつこく頼み込むのは、頼み込む方も疲れるらしい。それに加え、初めて華恋と会った時と比べると、どう考えても嫌われているとしか思えないような、冷たい対応をされていたことを彼女も感じていたようである。晄は、脱いだ靴を手で持ちながら廊下を歩き、縁側のところで足を止めた。そして、そこから身を乗り出して裏庭に靴を置くと、それを履いて、平安時代を彷彿とさせる広々とした裏庭を見渡すように歩いた。そして、雑草が沢山生えているところを見つけると、そちらにしゃがみこんで、そのうちの一つにゆっくりと手を近づけた。そして、ゆっくりと息を吸い込んで、差し込んでくる夕日から顔を伏せた。
「はあ……おららららららららららら!!!」
一瞬の出来事だった。晄が急にああ叫び出すと、しゃがみこんでいたあたり一帯の雑草を全て刈り取ってしまったでは無いか!緑で生い茂っていた中庭の一帯は、見る見るうちに土が露出していく。晄の後ろには、刈り取られたであろう雑草達が、山のように積み上がっていくのが見えた。そして、最後の一束であろう草がその山の頂に積み上がると、晄は満足そうに立ち上がり、夕日を見上げた。まるで、大仕事を終えた後のような、満足気な表情である。と、その時であった。急に、首を締められるような感覚が走り、晄は、思わず呻き声を上げた。
「うぐおっ!!」
「我が家に芝刈り機が要らぬことはよくわかった……ところで貴様、近所迷惑という言葉を知っているか?」
晄の目には、彼女が着ていたパーカーのフードを、ちぎれんばかりの勢いで引っ張る大柄な男の姿が目に入った。その目は、いつも以上に不機嫌そうである。
「えれっだ!!じんじゃゔ!!ぐび!!」
「丁寧に手入れをした庭を荒らすな!愚か者め!」
「ぐるじい!!じぬ!!めざれる!!」
晄の訴えが届いたのか、エレッタは彼女のパーカーのフードから手を離した。やっと苦しさから開放された晄は、酸素を吸おうと大きく口を開けようとした。しかし、その瞬間、エレッタが彼女の正面に現れ、彼女に対して、美しい大外刈りからの袈裟固めを決めた。晄は、息苦しさに加え、背中に感じた急激な痛みに、じたばたと暴れだした。
「はぁ…はぁ……なんで!」
「芝生を荒らすな!!」
「え!?雑草抜かないの!?」
「そういうものなのだ!!抜くな!!手入れするのは我なのだぞ!!」
固め技の体制のままなので、彼の、小学校中学年くらいの子ども程度であれば余裕で泣かせられるほどの睨み顔が、その目と鼻の先にある。晄は恐ろしくてそこから目を逸らした。
「ごめん!だから離して!!」
「次またやらかした時は、貴様のゲーム機をへし折るからな。」
「わかった!もうしないから!」
晄の必死の訴えが、今度こそ彼の耳に入ったらしい。エレッタは袈裟固めを解くと、体の汚れを手で払い落とした。晄は、その場に寝そべったまま息を整えた。
「……そんな所で寝る気か?」
「いや…違うよ……」
「さっさと家に入れ。風邪でもひかれたら面倒だ。」
そう言うと、エレッタは縁側で靴を脱ぎ、家に入って行った。それを見て、晄も後に続いた。
「また駄目だったのか。」
「うん……むしろ悪化してるっていうか、どんどん刺々しくなってて……まさに、
「……茨野とは、小娘の名か?」
「あ、うん。」
事の経緯を話すと、晄はエレッタが作ったスパゲティを頬張った。今日は、とある雑誌の取材で、一日中店を閉じていたのだ。そのため、雑誌の取材が終わったばかりの先程、自室でくつろごうとしていた最中、晄が草をむしるあの大声を聞きつけて殴り込みに来たらしい。比較的疲れなかった今日は、機嫌よくくつろごうとしていたというのに、晄の行動のせいで、結局いつも通りである。それでも、晄に夕食を作ってやるほどの心の広さを持っているだけ、彼はいいバケモンである。
「ちっとも話聞いてくれないし、目が合ったら睨んでくるし、やっぱり諦めた方がいいと思うんだよね。」
「貴様の態度も悪いんじゃないか?いつも貴様は、大して親密でもない相手をいきなり下の名で呼ぶだろう。」
「あたし、茨野さんのこと茨野さんって呼んでるよ!」
「……初めからか?」
「……本人に嫌がられて直しました。」
やはりな、と言いながら、エレッタは呆れた表情で、自分で入れた紅茶を啜った。晄は、小さくため息をつくと、またスパゲティを頬張った。
「茨野さん説得するより、赤い水晶説得する方がいいんじゃない?」
「いや、それは無理だろう。」
「なんで!」
「彼らは、彼らの振るいに掛けて、戦士となる人間を選ぶのだ。貴様の場合も、貴様より賢く、かつては身体能力までも優れていた兄よりも、貴様の方が黄色の水晶に選ばれただろう?」
「…
晄には、双子の兄がいる。彼の名を
「ま!あたしの方が表情豊かだからね!」
「貴様は何を言っているんだ。」
「だって、感情で作られたバケモンと戦うんだから、表情豊かな方選ぶでしょ!」
「……貴様、まさか本気でそれだけ思っていたのか…?
……いや、こんなことはどうでも良いのだ。とにかく、これまで選んできた戦士の傾向や、小娘自身の行動を見て選んだのだろう?水晶達の意思はかなり固い。そちらが折れるより、彼女が折れる方が可能性が高いと思うが。」
「……わかった。」
正直なところ、晄はあまり乗り気では無かった。人から嫌われるのは、あまりいい気がしないものである。それに、これ以上華恋に嫌われてしまっては、ただの会話すらままならなくなるかもしれない。
「はぁ……やだなぁ……」
「……確か、あの小娘はリナルドの知り合いだったな。」
「え?うん。そうだけど……」
「明日、リナルドに相談してみるか。嫌いな人間からより、仲の良い人間から言われた方が、良い答えを期待出来るだろうからな。」
「き、嫌いな…人間……」
いざ言葉にされると、心に来るものがある。晄は、まだ半分しか手をつけていなかったスパゲティの皿を、エレッタに押し付けた。
「おのれ梅雨!!」
そして翌日。開店時間になっているにも関わらず、晄は、ショッピングモールの屋根の下で、灰色の空と水溜まりに向かってそう叫んでいた。かれこれ二、三時間ほど前。仕込みの時間帯に、小麦粉の残りが少なくなっていることに気付いたエレッタに、晄は買い出しを押し付けられたのである。しかし、エレッタのこだわりから、少し遠くにある、彼のお気に入りの店で買わなければならなくなってしまったのだった。ただ、それだけならばまだいい。問題は、ついでにあれも、これも、と次々に買わなければならないものがメールで送られてきた結果、想像以上の荷物になり、さらに、想像以上に時間がかかったせいで、店を出た時には雨が降る気配すらしなかったというのに、気がつけば外は大雨になっていたのである。
「せめて折りたたみだけでも持ってきてれば……」
大量の荷物を両手に、晄はため息をついた。実を言うと、晄はまだ店の制服すら着ていない。仕込みの途中で抜けてきてお使いを頼まれたのだから仕方ないのだが、恐らく今日は、晄の代わりに桜子が接客をし、晄が皿洗いをすることになるだろう。
(……あれ、じゃああたしびしょ濡れで帰ってきても問題ないよね!)
少しでも濡れたら困る、という物もあまり無いし、紙袋は、自分の背中を犠牲にすれば守れる。晄は、単純な脳みそでそう思うやいなや、ショッピングモールの屋根から、雨の中へ走り……
「あれっ!晄ちゃん!?何してるの!?」
……出そうとした瞬間、後ろから声をかけられ、その足を止めた。いったい誰なんだろうか。晄はゆっくりと振り返った。
「えっ!?シエルさん!!」
「この雨の中走ったら風邪ひいちゃうよ!」
ハイヒールをカツカツと鳴らしながら晄の側までやって来たのは、数週間前に、迷子になった晄を保護してくれたシエルだった。彼女は、ショッピングモールの中で買ったものであろう袋と、彼女らしいお洒落な傘を肘にかけたまま、晄をしばらく見下ろした。ただ、何故晄があんな行動に走ったのか、意図を推測すると、彼女に話しかけた。
「もしかして、傘、忘れちゃった?」
「あはは……外出た時は晴れてたからつい……」
「だからって、そのまま雨の中を走るなんて、流石に無茶だと思うよ?……あっ!そうだ!」
シエルは何か思いついたらしい。そう言うと、肘にかけていた傘を開き、晄の方に笑顔を向けてきた。
「折角だし!入ってく?」
「え!いいんですか!?」
「うん!だって、びちゃびちゃで帰ったら、叔父さんに怒られちゃうんじゃない?」
「あっ……」
晄は冷静になった。もしも晄が濡れて帰ってきたら、『服をこんなに汚しおって!!しばらくはゲーム禁止だ!』などと怒鳴られそうなものだ。そんな展開を想像して、晄は思わず震え上がった。
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
「どうぞどうぞ!ってか、荷物多いね、ちょっと持ったげようか?」
「いや、結構重いので大丈夫ですよ!」
「遠慮しないで!ワタシ、こう見えても力持ちだから!」
ガッツポーズをとってそう言うと、シエルは、晄の持っていた荷物の中から、茶色の紙袋を三つ取った。
「えっ!ありがとうございます!」
「うふっ、好きでやってるだけだから。それより、これってコーヒー豆?」
紙袋から漂うコーヒーの香ばしい香りに、シエルは思わず目を閉じて、匂いを嗅いだ。彼女の言う通り、その紙袋の中身はコーヒー豆である。これも、エレッタのこだわりの店のものであり、店までの道のりがとても長い。しかしその分、味は大変優れているのである。
「はい!実は家がお店やってて、そのお使いの帰りなんですよ!」
「お店?どんなお店なの?」
「イタリア料理のお店です。」
「へぇ!いつか行ってみたいな!」
「はい!いつでも待ってます!」
晄は、シエルに笑顔でそう言った。シエルの方も、そんな彼女を微笑ましげに見つめ、傘をさして、雨の中を歩き始めた。
「そういえば、晄ちゃんっていつからこの街に来たの?」
「えっと、ゴールデンウィークのちょっと前くらいです!」
「そっか、じゃあ、今はここに来てから一ヶ月ちょっとしか経ってないんだ。」
「そうなりますね。」
「どう?この街には慣れてきた?」
「えっと……デパートとスーパーの違いがまだ曖昧ですけど、だいぶ……」
「ふふっ、そっか!」
雨のジトジトとした空気が、人を寄せ付けないのだろうか。辺りには、ほとんど人はおらず、強いていえば、車が何台か通っているだけである。そんな通りの中で、二人の会話だけが響いていた。
しばらく歩いた先、赤信号に遮られて、二人は足を止めた。シエルは、手に持つ紙袋を持ち直して、晄の方を見下ろした。
「あのさ、晄ちゃん。もしかして、悩みとかある?」
「……え?」
突然に彼女が口にしたその言葉に、晄は驚いた様子で彼女を見つめ返した。
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