第十八魂
恋する乙女とバカ娘
日曜日は、多くの人がエレッタの店に訪れる。しかし、もう以前ほど沢山の人々を待たせることは無い。リナルドと
「いらっしゃいませ!一名様ですか?」
「は、はい。」
扉の先からは、彼女と同じ歳くらいに見える少女が笑顔で出迎えてきた。あまりに元気が良いので、それに少し圧倒されたようだったが、おずおずと返事をする。少女は周りを見渡して空いている席を探すと、彼女を二人がけのテーブルに案内した。
「ご注文がお決まりになりましたら、あたし達にお声をかけてください!」
そう言うと、少女は彼女のもとから離れ、他の客から声を掛けられた方向に向かって行った。それを目で追うと、彼女……
(噂を聞いてつい来ちゃったけど、不気味がられたりしないかしら……)
華恋は今、恋をしている。その相手というのが、この前新しく仲間になったリナルドなのである。実は彼女は、彼と同じく
「す、すみません……!」
ずっとメニューとにらめっこをしていた華恋は、何を頼むのか決まったらしい。皿を回収していた、先程の少女……
「ご注文がお決まりでしょうか!」
「えっと、Aランチセットをお願いします。」
「Aランチセットですね?かしこまりました!」
晄がキッチンの方にメニューを伝えに戻ると、華恋は店内を少し見渡した。彼女の目的は、リナルドと会うことである。そのためには、噂通り彼が本当にここで働いているのかを確かめる必要があった。
(……あ!あれって先輩よね!?)
そんな中、背の高い青髪の人物が目に入り、華恋は嬉しそうに目を輝かせた。店の制服を着こなし、テキパキと仕事をこなすその姿は、彼に恋をする彼女にとっては、魅力的に見えたらしい。後ろからのその姿を、彼女はしばらく見つめていたが、彼がテーブルを拭き終え、後ろ……つまりは華恋のいる方向を向いた時、華恋は思わず顔を伏せた。
(ず、ずっと見てたなんて知られたら……!は、恥ずかしい……!)
ただ彼女の髪型は、二つのお団子から肩までの長さの髪が垂れているという、かなり特徴的な髪型をしているので、それで誤魔化せるのかはよく分からないが……ただ、リナルドは華恋に気づかなかったようで、華恋は安堵のため息をついた。
デザートまで食べ切った華恋の現在の気持ちは、正直かなり落ち込んでいた。それは、注文した品を運んで来たのが晄だけであり、リナルドとの接触が無かったことである。少しくらい会話をしたかったのだが、それも叶わなかった。しかし、姿を見るだけでも出来たのなら十分だろう。彼女が店にやって来た時にいた客達も、既に店を出てしまっていたのを察し、華恋は会計を済ませることにして、レジの方に向かった。
「ん?……華恋じゃないか!」
と、その時、向かおうとしていた方向から声をかけられた。驚いてそちらを向くと、その先にいたのは、彼女の念願のあの人であった。
「り、リナルド先輩!」
「華恋、来ていたんだな!」
そう言って嬉しそうな笑顔を向けてくるリナルドに、華恋は恥ずかしくなって一瞬目を背けたが、それでは無愛想だと思われるかもしれないと感じた華恋は、勇気をだしてまた彼と目を合わせた。
「会計か?」
「え、は、はい!」
「なら私が引き受けよう。」
「えっ!」
華恋は、まさか最後になって彼と会話出来るとは思わなかったらしい。それに加え、会計までしてくれるなんて、彼女にとっては喜びを通り越して空まで飛べそうなほど嬉しいことだった。
「晄、代わりに二番テーブル拭いておいてくれ。」
「はーい!」
通りがかった晄に仕事を代わってもらうと、リナルドはレジの方に向かって行った。彼の後を追う華恋の後ろ姿には、心做しか花が咲いているように見えた。
「前から思ってたけど、晄、部活には入らないの?」
「え?なんで?」
「だって、さっきの持久走凄かったから。」
次の日。完全に夏服に移行したこともあり、放課後、グラウンドで晄だけの体力測定を行った。というのも、晄が転校する前の学校と、現在通う木霊中学の体力測定の項目のうちの一つに、違いがあったからである。それが、シャトルランと持久走であった。どちらも持久力を計測するための競技であるため、学校ごとにどちらかを選択することになるのだが、それが、転校する前の学校はシャトルランであったため、持久走のデータが存在せず、急遽測り直すことになったのだそうだ。
「え!そっかな!」
「うん、あれは凄かった。三分切るのって相当すごいことだって、先生も言ってたし。」
ちなみに、晄と同じ中学二年生の女子の持久走の平均記録は、四分三十八秒である。一方、晄の記録は二分五十二秒である。水晶が光る度にバケモンを探して走り回り続けた結果かもしれない。褒められ慣れていない晄は、
「へへ、なんか褒められると照れくさいなぁ……でも、これってあたしがただのバカってわけじゃないって証明になったよね!!」
「えっ…あはは……」
(そうだねって言うのもなぁ……)
いつもエレッタに馬鹿だ馬鹿だと言われ続けた晄のドヤ顔に、木葉は苦笑いで返した。実は、晄が持久走を走り終えた時に、その傍でウォームアップをしながら彼女を見ていた運動部員達が、部活に勧誘するためか一斉に晄を囲んだのだが、その時も、『これがモテ期ってやつだよね!!』などと、本当の意味を理解しているのかさえわからないような発言を木葉にしていた。その時も、彼は苦笑いで返したので、苦笑いばかりしてしまっていることに、彼はすこし申し訳なさのようなものを感じていた。
「あ、あの、すみません……!」
と、後ろから声が聞こえてきた。木葉達はその声に振り返ると、そこには、赤い髪の少女……華恋が立っていた。月乃宮の制服を身につけているのを見て、彼女と初めて会った木葉は、失礼のないようにしようと、思わず身を強ばらせた。その隣で、晄はいつもの調子で彼女に返事をした。
「あたし達ですか?」
「はい。あの、貴方は、あのお店のウェイターの方でしたよね?」
「え?はい。」
晄の方を見て言う華恋に、木葉は、少し緊張を解いた。
(晄に用事があったのか、びっくりした……)
木葉は、綺麗な女性に話しかけられると緊張するタイプらしい。少し敷居の高い印象のある月乃宮の制服の影響で、余計にお淑やかで綺麗な雰囲気を漂わせる華恋の姿は、木葉にとっては緊張する人物に相当するものだったのだろう。
(お客さんだったんだろうな。晄は忘れてるみたいだけど……)
なんであたしに声をかけてきたんだろうと、晄の顔にわかりやすく書いてあった。木葉はそれを読み取ったが、華恋の方はそんなことは気にしていないようだった。
「あの、大して話したこともないのに、こんなことを聞くのはおかしいかもしれませんが……リナルド先輩のバイトのシフト、教えていただけませんか……?」
「え??……あ!そっか!リナルドさんの知り合いの人か!!」
リナルドという言葉をきっかけに、晄は、一体目の前の彼女が誰だったのか、というのを思い出した。昨日、エレッタの店を訪れた客の一人だったのは、晄も覚えていたが、それだけではなかったはずだ、という記憶が原因で、モヤモヤとした気持ちが広がっていたのだが、それがやっとの事で解決した。晄は、思わず嬉しそうにそう言ったが、華恋は、急に大声を出した晄を見て、驚きからビクリと肩を震わせた。
「は、はい。それで、その、教えていただきたいんです。」
「リナルドさんのシフトは、確か、火曜日の四時から六時と、あとは土日だったかな?」
「え、そういうの言っちゃって良いものなの!?」
晄は、さも当たり前かのように華恋にそう告げたが、それはプライバシー的にどうなんだ。木葉はそう思うと、ついそう口に出していた。晄は、こう言ってしまうのは悪いかもしれないが、かなり平和ボケしていて危機感がなく、破天荒だしかなりのバカだ。そして木葉も、大体彼女に対してはそんなイメージを持っている。それ故に、彼女の行動にブレーキをかけたり、フォローを入れたりしているのだが、今回はそれが間に合わなかった。顔を少し青くした木葉に対し、晄は平然としていた。
「大丈夫だって!だって、リナルドさんこの人がまたお店に来てくれたらって言ってたし、シフト教えた方がまたお店で会えるじゃん!」
「え!?り、りりリナルド先輩がそんなことを!?」
「うん!そうだよ!」
(え!うそ!リナルド先輩がアタシにそんな事を!?)
華恋は、嬉しさや恋心からか、信じられず晄に聞き返すと、その返事を聞いて顔を赤く染めた。まさに、恋する乙女らしい反応である。そんな彼女の反応を見て、木葉も、彼女が恋をしているのに気がついたようだ。と、いうより、あの反応を見てそれに気づかないのは、どっかの雷バカ娘だけである。
「はぁあ……!」
「だから、今日月曜日だし、リナルドさんは居ないはず……」
「あっ!……そ、そうよね、月曜日はシフト入ってないんだから、当たり前ですよね……」
浮かれていた華恋だったが、晄に現実を突きつけられ、さっきまでとは打って変わって、暗い表情を見せた。実を言うと、月乃宮付属から彼女の家までの道と、月乃宮付属からエレッタの店までの道の方角は、ほとんど反対方向なのである。わざわざそんな道を歩いてきたというのに、リナルドに会うことが出来ないことを知り、目に見えるほど落ち込んでいた。
「……失礼、しました……」
「あれ、なんで落ち込んでるの?」
「……晄、そっとしてあげて。」
立ち去っていく華恋の背中を、キョトンとした表情で見つめる晄に、木葉は小声で言った。これも、彼なりのフォローであった。
次の日の放課後。華恋はトイレの鏡の前で、軽く身だしなみを整えてから学校を出た。実際、そこで身だしなみを整えたところで、店にたどり着く頃には意味が無くなっているはずなのだが、そうすることで少し自分が綺麗になれるような気がするのだった。
普段通る道とは反対の道を通り、彼女は目的地まで急いだ。一歩足を進めるごとに、目的地まで確実に近づいていると思うと、彼女の心は震えた。
「お、落ち着け、アタシ……」
緊張からか、先程から凄い手汗である。華恋は、自分に言い聞かせるようにそう小声で呟くと、足をとめて、軽く深呼吸をした。市民病院が見えてくると、目的地であるエレッタの店が、あとほんの少しだと感じられる。
(大丈夫。リナルド先輩には悪い印象は持たれてないはずだし、怖がることなんてないわよ!)
覚悟を決めた彼女は、止めていた足を踏み出した。と、その時だった。彼女の目の前が、急に歪んだ。それも、うっすらと、水色のフィルターがかかったように……
「え!?」
ふと周りを見渡すと、そう見えるのは正面だけらしい。それに、周りもそうなのか、驚いた様子で固まっている。どういうことなのだろうか……?彼女は、まさか、と思い、ゆっくりと上を見上げた。
「ハッハッハ!!くたばっちまえ!!」
華恋の目に、ゼリー状のバケモンが映し出される。そして、その声は、明らかにそのバケモンから発せられていたのだった。
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