Song.52 切り替え点

「俺さ、今審査員してんの。だからさ、個別にあれこれ言うのは駄目だって言われてるんだよねー」

「? そうなんっすね」

「そう! だからこれは、俺の独り言ー。大きな声の独り言」


 金井は大輝の背後に立ち、鏡越しに大輝と目を合わせる。


「プロも間違えるんだよね。俺もライブで間違ったことしょっちゅうあるし。でも、それもライブのいいところでさ。ライブだからこそ、聞ける音なんだよね。生だからこその音になる」


 なにを言っているのかよくわからなかった大輝だったが、そのまま目を合わせながら耳を傾け続けた。


「大事なのはさ、それをどう受け止めて、今後どうするかでしょ。その点においては、Walkerはばっちりだったね。ベースの子が唄って、ギターが少年をフォローしてたからね。高ポイントだよ」


 二度の同じ失敗を起こさないようにと、恭弥たちが考えた方法で、何とか今回は乗り切った。だが、それはあくまでも保険。最初からミスしたくなかったから、大輝は今ここで落ち込んでいる。

 それをわかっていて金井は言っているのだった。


 しょんぼりする大輝の肩に、金井はボンッと両手を置く。


「失敗は成功の基! 最初から君のフルスロットルの声を聞くのが楽しみだよ。少年の声は、何だか背中を押してくれるようなきがするからさ! そうだな、次は春かな? 待ってるよ、広いステージで唄う君を!」

「ぬぬ……」


 そう言うと、金井は人差し指で無理やり大輝の口角を上げる。


「ライブは楽しいところなんだ。そういう顔はNGだよ。少なくとも、心を動かされた俺の前では駄目な顔さ! 笑え! 笑う門には福来る、ってね!」


 それで満足したのか、金井はニコッと笑うと、強く大輝の背中を叩いた。そして、トイレを使用するわけでもなく出て行ってしまう。

 最後まで行動が理解できなかった大輝は、再び訪れた静寂に考えを巡らせる。


 恭弥や悠真のように、音楽に詳しいわけではない。

 もともと頭がよくないのだから、難しいことはわからない。

 今の自分にできるのは、みんなで作る曲を唄うこと。


 今回のライブをもとに、どうするか。

 自分では納得のいかないライブになってしまったが、他のみんなはどう思ったのか。

 結果はわからない。ここで落ちてしまうこともあるかもしれない。

 それでも、恭弥はきっとバンドを続ける。

 居場所をくれた恭弥に、一緒にやってくれるみんなと、自分も続けよう。


 それならこれから何をするのか。

 もっとうまくなるためにできることは、きっと無限にある。


 再び蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗う。


「っし!」


 バンッと両頬を叩く。

 それで気持ちを切り替え、濡れた顔を袖でぬぐってそこから飛び出した。




 ☆



「キョウちゃーん! ユーマーッ!」

「あ、噂をすればなんとやら」

「あ?」


 ロビーで一通り話終えたとき、薄暗い通路から聞きなれた声が近づいてきた。

 こんな声を出すのは一人しかいない。


「二人そろって何してんのー?」


 俺たちの心配はもういらないらしい。大輝の顔はもう明るい。


「なぁーんにも。悠真と作戦会議してた。な?」

「まあね。そんなところ。でも、その作戦はもう必要なくなったかな」

「えー、俺も参加したかったなー」


 空いていた俺の隣にぼすっと大輝は座る。

 さっきまでの暗い顔はどっかにいって、すっかりいつも通りになっている。


「って……お前、なんでそんな顔がびちゃびちゃなんだよ! うわっ、濡れた手で触るんじゃねぇ!」

「洗ってきたってばー。それに俺、タオルとか持ってないしー」

「俺もねえよ! トイレんとこに、拭くやつとか、乾かすやつあっただろ!」


 びしょびしょの顔と手で俺に近づいてくるもんだから、ソファーの端に逃げる。ただでさえ寒くなってきた時期に、そんな濡れた手で触れられたくない。


「ほら、大輝。ハンカチ。貸すから洗って返して」

「サンキュー、ユーマ!」


 流石悠真。ポケットからハンカチを出して、大輝に渡すと、大輝は躊躇することなく手、顔、髪を拭く。

 悠真も私物をそう使われて、嫌な顔をしなかった。

 そう言えば、悠真が廊下で倒れたときもハンカチ持ってたな。仏頂面で回収されたけど。あの時の悠真からしたら、今の悠真はかなり雰囲気が柔らかくなったな。


「何その顔、気持ち悪い」

「うっせぇよ」


 今度はメガネ拭きを取り出して、眼鏡の掃除を始める悠真。

 眼鏡を外せば、あんまり見えないからか眉間にしわを寄せて俺を見る。

 普段あんまり見ない顔だから、ちょっと俺の顔が緩んだ。


「僕を見て笑わないでくれる」

「わりわり」

「なんでキョウちゃん笑ってんのー? なんで?」

「なんでも」


 今日はもう、何も考えなくてもいいか。

 さて、次のバンドで最後のステージになるし、最後ぐらい見ておくかな。


「ん、キョウちゃん見に行くの? んじゃ俺も行くー」

「ああ、次で最後なんだ。なら、僕も見よう」


 立ち上がれば次々に立ってフロアに向かう。

 もうそろそろ次のバンド――確か、ガールズバンド――が始まる。


「あ、おかえりなさい。もうすぐ始まりますよ」

「どこ行ってんだよ。なげぇトイレだな」


 瑞樹、鋼太郎が中でずっと他のライブを見ていた。

 鋼太郎の目が、俺の後ろにいる大輝に向けられると一瞬だけハッとしたような顔をする。そして俺にコソコソと耳打ちしてきた。


「あいつ、大丈夫なのかよ」

「バッチリ。何があったから知らねぇけど、トイレ行って戻ってきたら大丈夫そうだった」

「……大丈夫か、それ」

「大丈夫だって。見ろよ、いつも通りだろ?」


 ほら、と大輝を指し示すと率先してフロア前方、込み合った中に姿を消していった。

 そしてフロアの照明が消えて、ステージが明るくなる。


「あー、うん。大丈夫そうだわ」

「だろ?」


 俺たちは最後のバンドの演奏を、各々好きな形で楽しむことにした。

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