Song.44 ライブハウス
あまりにも学力のない俺を、鋼太郎が根気強く教えてくれたおかげで、何とか赤点は回避した。
俺の点数よりも、大輝の方が上だったのは癪だが、もう終わったことはどうでもいい。やらねばならないのは、ひたすら練習だけだ。
学校が使えるうちは学校での練習。年末年始はしぶしぶ休むが、個人練習はやめない。よりよいものにするための努力は惜しまない。
そうしているうちにあっという間に年が明けて三学期が始まって一週間。
俺たちは東京に来ていた。
「人多すぎて吐きそう……」
電車を乗り継ぎ、移動すること二時間以上。
都心に近づくにつれてどんどん増えた人影に悠真が口元を抑える。
いつも女子に囲まれているくせに、東京の空気を嫌っているらしい。
「すっげー! めちゃくちゃ人がいる! あれすげえ!」
「違いますよ、そっちじゃないですってば」
悠真がダウンしている間、見慣れない高い建物に目移りし、すぐに迷子になりそうな大輝の世話は瑞樹任せになる。
大輝のリュックを引っ張る姿は、犬の散歩のようだ。
「会場はあちらです。少し急ぎ足になりますので、迷わないようについてきてくださいね」
小学生の遠足かと思うような先生の引率で、会場へと急ぐ。
土曜の朝だというのに、すれ違う人の数はやたらと多かった。
駅を出て十分もしないうちに、目的地へたどり着いた。
事前に調べた情報によれば、三次選考の会場は東京のライブハウス。キャパは七百人ほど。親父がいつもやっていた会場に比べれば全然小さいし、体育館よりも小さい。でも、設備はそれなりにいい。
狭いながらも同年代の音楽好きが選考員として集まった中、曲を披露する。特別審査員として、有名人もくると書いてあった。
誰が審査しようが、関係ない。
最高のライブにするだけである。
「おはようございます。えっと……羽宮高校の方ですね。お待ちしておりました」
会場入り口に立っていたスーツ姿の男が、手元の資料を見ながら先生に話しかける。
ベースとかの機材を持った学生集団。それが近づいてきたのだから、容易にわかったらしい。
「他の方たちはすでに集まっていますので、すぐに説明を始めます」
厚みのある防音の扉を通っていけば、真っ黒の壁に囲まれたライブハウス内に、同じように楽器を持った男女がうじゃうじゃと立っている。
バッと向けられた視線で、一瞬遅刻したかと思ったが、指定された時間には余裕で間に合っている。一番最後に来たせいで、注目されてしまっただけらしい。
ヒーローは遅れてくるもんだ、と自分に言い聞かせ、他の人達と同じように並ぶ。
「はっ? ちょ、なんでまた……」
少ない女子からあがるきゃあきゃあした声の中に、何か悠真がざわついている声が聞こえた。
何があったのか振り返ってみようとしたとき、変な視線を感じた。
「田舎民が」
「は?」
隣に立つ制服を着た男にそう言われた、気がする。
田舎民なのは間違っていない。だが、初対面の相手にそんなこと言われる筋合いはない。
思わずじろっとにらみつける。
俺より小さく、長い前髪で目元は隠れているそいつは、まるで何事もなかったかのように澄ました顔で正面を見ていた。
「何にらみつけてるの。キョウちゃん! ちゃんと前みて」
「ちっ……」
瑞樹に促されて正面を向く。
この隣の男は気にくわない。すぐにわかった。
「……これで全員揃いましたので、説明を始めます。私は
先ほど入口にいた男性もとい、菊井さんはざわついているのを無視してつらつらと説明し始める。すると、全員が口を閉じす。しんとした空気を気にすることもなく、抑揚の少ない声で話し続ける。
「事前にお送りした資料の通り、ここの東京会場第三グループでは五組が演奏します。それを三百人の音楽好きの学生さんたちと我々が審査し、上位一組が最終選考へ進むことになります。基本的には点数で順位をつけますが、同率の場合は……こちらが再度精査します」
審査をするのは、会場のキャパよりも明らかに少ない人数。文化祭のときよりも圧倒的に少ない。
フロアの後ろで、大人たちが審査するスペースを確保するためかもしれない。
ここにいる五組のバンド。ざっと見て、男の割合が高い。
「演奏順は事前にお伝えした通り。各バンド一曲のみ。リハはその逆の順番で行います」
俺たちの出番は二番目。ということはリハは四番目だ。
早くやりたいという気持ちが先行し、体がうずうずする。
「そして最後。この会場の特別審査員ですが……」
菊井さんがちらっと薄暗い会場の隅を見る。
その視線に気づいて、しぶしぶ一歩だけ前にでた男。その顔は多くの人が知るものだった。
「……どうも。エソラゴトのギター、
目元を隠すほど長い真っ黒な髪。そして真っ黒なニット。
全身真っ黒。表情が全く読み取れないこの人は、見た目とは裏腹に弾みのある曲を作る人気アーティストだ。
俺だって、色々なバンドの曲を聞いてきている。もちろんこの人が属しているエソラゴトも例外ではない。
確かエソラゴトもこのバンフェスで優勝し、メジャーデビューをしたバンドだ。最近は映画の主題歌としてテレビでしょっちゅう流れている。
「ちゃんと時間になればメンバーみんなくるけど、リハは俺だけ。事前にどんな曲なのか聞いてないから、本番で聞けるのを楽しみにしてます」
何やらカンペらしきメモを見ながら、樋口さんは棒読みでコメントした。
言うことはもうないようで、スッと口を閉ざして黙り込む。その様子から菊井さんはコメントは終わったことを察したらしい。
「……はい。樋口さん、ありがとうございます。何かありましたら、この腕章をつけている人に聞いてください。それでは、さっそくですがリハを始めますので、ステージに集合してください」
少しあきれた顔をした菊井さんは腕につけた青い生地に白い文字で『STAFF』と書かれた腕章をさし示す。
それは樋口さんも身につけている。つけていないのは、各校の顧問と学生たちだけだろう。
腕章をつけたスタッフ一同、小さく頭を下げるとリハーサルを始めるために各々行動し始める。
リハーサルのトップバッターとなったバンドも準備を始めると、一気に騒がしくなった。
「特別審査員って、Mapじゃないんだね」
「こんなところにMapが出てくるわけねえだろ。ずっと何もしてねえんだから」
悠真が俺だけに聞こえる音量でつぶやいた。
確かに少しだけ、特別審査員枠に期待していた。
もしかしたら、Mapが出てくるんじゃないかと。
そりゃエソラゴトも人気だし、ここで見て、聞いてもらえるのは嬉しい。他の出場者だって、樋口さんを見てはしゃいでいる。
「……何もしてないってことはないんじゃない? ファンクラブは何も動きがないけど、一部で噂されてるよ」
「何を?」
「何って……今回の大会、Mapが絡んでるって――」
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