Song.26 その後の特別棟

「野崎くん、大丈夫? 怪我してない?」


 武市たけいちは、山城の隣を通り過ぎて俺の前に来た。

 頭から足先まで見て、どこも怪我をしてないことを確認すると、安堵したような顔を浮かべる。

 胸をなでおろした直後、武市はサッと目をそらした。


「あ、あのっ……わ、私っ!」


 うつむきながらモジモジする武市からは、その後に続く言葉が何も出てこない。

 心配にたいしてお礼を言った方がいいのかもしれないが、言葉にすることはなかった。互いに無言の時間が過ぎていく。


「あー……悪いんだけど、武市。誰か先生連れてきてくれね?」


 この空気に耐えきれなくなったのは鋼太郎だった。

 頭をかきながら困った顔をしている。


「はっ、はひっ! 呼んできます!」


 突然名前を呼ばれてびっくりしたのか、ひっくり返った声で返事をした武市は、急いで走って行ってしまった。おそらく、職員室にでも行ったのだろう。棟も階も違うし、来るまで時間がかかるかもしれない。

 それでもあの空気を断ち切られてよかった。


「なんか……悪い」

「なにが?」


 ヤンキー座りが様になっている鋼太郎が視線を逸らす。言葉の意味がわからず聞き返せば、また困ったような顔をして何か考え始めたようだ。


 俺も鋼太郎と同じ座り方をして、退屈しのぎに転がる山城を観察する。

 制服のベルトの上からたるんだぜい肉がはみ出ていて、こんな体にはなりたくない、そう思った。


「だってほら、武市。絶対お前のこと好きだろ、あれ」

「は? そんなことあるかよ。昨日初めて話したのに」

「あるだろうよ。女子があんなに真っ赤になりなるなんて、そうそう見ないぞ」

「なんだそりゃ。それよりお前、恋愛マスターかよ」

「う、うるせぇ! 妹の漫画のせいだよ!」


 ふざけながら先生を待とうとしていた。

 だが。


「遥ちゃんが、お前のこと好きなわけないだろう……だって、遥ちゃんは俺のことがっ……」

「なっ!」


 転がっていた山城が、俺の足首を掴んだ。こいつはゾンビか。


「おい。てめえ。その手を離しやがれ」


 再び怒りのこもった低音ボイス。

 座り方といい、鋼太郎がやばい人に見えてきた。


「うっ……」


 山城はビビッて、手を離す。


「きゃー、かっこいいー。俺、惚れちゃうわ」

「声低いし、うさんくさくて気持ち悪いわ」


 今度こそ、山城からは距離をとった。

 すると、ドタバタといくつもの足音が聞こえてきた。


「野崎くん! 片淵くん! 連れてきたよっ」


 武市が呼んできたのは、立花先生と担任だった。

 今日も白い白衣がまぶしい先生。いつもと違うのは、焦った表情だろうか。


「武市さんから話は聞きました。二人は物理室で、私が話を聞きます。山城くんは、先生。お願いします」


 先生は役割を分担した。

 せっかくの文化祭。武市にとって、祭りにならなくなってしまった。


「武市。悪かったな」


 肩で息をする武市へ言葉をかけたら、顔が真っ赤になっていた。


「見ただろ、あれ。絶対そうだから」

「んなこと、知らねえよ」


 先生に従い、移動しようとした。

 しばらくしゃがんでいたからか立ち上がった瞬間、世界がぐるりと回転する。

 最近夜中までベースを弾いていて、寝不足だったからかもしれない。

 大食いでもないし、生活は不規則。体力もないとわかっていたが、色々重なって疲れた。


「肩なら貸すぜ?」


 おぼつかない足どりに、鋼太郎が提案する。


「お前の身長だと、肩まで手がまわんねえよ」

「ならおぶってやろうか? それともお姫様抱っこでも?」

「そんな恥ずかしいことされてたまるか」


 壁に手を当てて、立ちくらみが落ち着くまで待つ。

 ぞろぞろ野次馬にきた生徒が増えてくる。

 どの人も床でグスグスと泣く山城と、フラフラの俺を交互に見て状況を把握しようと必死だ。


「何事かね? ……はあ、またお前らか。今度は何をやらかしたんだ? 二人がかりで一人をいじめて……」

「は? 被害者はこっちだってーの」


 野次馬の間をゆっくりと歩いてきた教頭が、嫌味を含めて言う。

 俺のことが嫌いなのだろう。もしかしたら鋼太郎のことも嫌いなのかもしれない。そりゃ俺たちは部活を作りたいと騒いだ男と、器物破損で謹慎を受けた男。問題児なのは間違いない。それでも、この場所で俺らが悪いという証拠は何一つない。むしろ刃物を振り回した山城を鎮静化させたことをほめてほしいくらいだ。


「どう見ればそう捉えられるというんだ? この現場を見れば、誰でも悪いのはお前た――」

「先生! 私、見ました! カッターを振り回していたのは、床で泣いているあの人です! 軽音楽部の二人は、あの人にカッターを向けられていただけです!」


 大きな声で教頭の言葉を遮ったのは、さっきの先生を呼びに行ってくれた武市だった。

 俺に向けられていた疑念の目は、武市のおかげで、山城へと向けられる。

 山城はずっと泣くばかりで、起き上がらせようとする先生の声にも何も反応しない。


「し、しかし、そんなこと……」


 しどろもどろになった教頭は、何が何でも俺が悪いようにしたいらしい。でも、そうすれば問題生徒ではない武市の証言を信じないこととなる。


「俺、一通り見てたんで、説明しますよ」

「……謹慎受けたような生徒に何を言われてもねぇ」

「それなら私も少し見たんで! 私も見た事言います!」

「うっ……」


 武市が、自分から説明すると言う。

 自ら手を挙げた姿に、教頭は少し引き下がった。その様子から見て、武市は教師たちからの信頼が厚いのだろう。


「い、いいでしょう。先生方、生徒から話を聞いたら後で報告するように」

「かしこまりました」


 落ち着いた先生と一緒に、野次馬の生徒たちの間を切るようにして、物理室へ向かっていると、ざわつきの中にバタバタと走る音が聞こえた。

 そこまで急いで近寄って来る人物に心当たりがある。


「「キョウちゃん!」」


 男の声が二つ重なる。この呼び方をするのはあの二人しかいない。

 その声の方へ顔を向けると、やはり予想通りの二人だった。


「キョウちゃん! 山城にボコられたって聞いたけど、ピンピンしてんじゃん!」


 どこからどうこじれて、そういう話になったのかわからない。人の噂話なんてその程度のものなのだろう。

 間に人が入ることで、どんどん話がこじれていく。


「よかった……キョウちゃんがひどい目に遭ったら、僕、どうしようかって……うわーん!」

「いや、俺より瑞樹の方が重症だろ……お前が事故ったって聞いたときはさすがに、なあ」


 頭に包帯を巻いている瑞樹が、泣きながら抱き付いてきた。昔はよく、瑞樹に泣きつかれていたっけ、なんてなつかしさに浸りながら、その頭をなでる。上から見てもわかる包帯が痛々しい。

 抱き付いてきた瑞樹をなでていると、ものすごく熱い視線を感じた。


「キョウちゃーん。俺も、俺もー」


 どさくさに紛れて大輝も抱き付いてきた。


「くんな」

「キョウちゃんひどーい」


 瑞樹なら昔からの仲だし、兄弟みたいなものだ。だからくっついたままでもいい。でも、大輝はなんとなくうるさいからお断りだ。

 大輝の頬をつねって引きはがせば、頬を膨らませてあっさり離れた。そして標的を変え、今度は鋼太郎へと飛びつく。


「いっけーコウちゃんロボ! はっしーん!」

「おっもっ! くっついてくんな! あちい!」

「コウちゃんまで俺をのけ者にするの? 俺、泣いちゃうよ?」

「別にそんなつもりじゃ……」

「じゃあ、はっしーん!」


 俺の腰には瑞樹、鋼太郎の背中には大輝がくっついた状態。静かだったはずの特別棟にうるさい声が響く。

 ごちゃごちゃしながら、廊下で止まっていると、今度は別の人物がやってきた。


「なんかこう見ると……幼稚園児、いや動物園みたいだよね」


 両手でカメラフレームを作って、片目で覗く悠真だった。

 それに気づいた大輝の表情が一段と明るくなり鋼太郎から飛び降りると、悠真へ向かって飛んでいく。


「ほら、悠真も心配して来てくれたんだよな! んで混ざりたいってさ!」

「はあ? 僕はそんなこと一言もっ……」

「いいからいいから!」


 そう言って悠真の手を引いて、再び鋼太郎に飛びつきにかかる大輝。

 さっきまでの重みにさらにプラスされた重みに耐えきれなくなった鋼太郎のバランスが崩れた。

 鋼太郎がなぜか俺の手首を掴んだせいで全員を巻き込んで、バタバタと倒れた。


「ふふふ。みなさん、仲がよくて何よりですね」


 後ろから全部を見ていた先生が、どこから取り出したのかわからない小さいカメラを向けてそう言った。



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