Song.13 憧れ


 無言のまま悠真と一緒に、自転車を押して歩くこと五分ちょっと。見えてきた俺の家の前に、人影があった。

 インターホンを押しては、首をかしげる姿。どんどん近づくことによって、その人が誰なのかはっきりとわかった。


「くそっ。なんであんたがいるんだよっ……!?」


 立っていたのは、嫌いな男。正確には昔は好きだったけど、今は好きじゃない男。


「ああ。やあ、恭弥くん。久しぶりだね……ベースを持ってるってことは、今日は練習していたのかい? お疲れさま。ところで家におじいさんかおばあさんはいるかな?」

「うるせえ。先に質問してんのはこっちだ! 答えろ! あんたはこんなとこに来てる場合じゃねえだろ!」

「……そうか。いないのか。じゃあ、日を改めるよ」


 腹立たしい。

 俺の質問に一切答えず、そのまま立ち去ろうとするから余計に腹が立つ。


「二人によろしく伝えておいてね」


 どこかに車を止めているのか、横を通り過ぎる。その直後、ずっと黙っていた悠真が、切り出した。


「あの! Mapの司馬しばさん、ですよね?」


 悠真は本当にMapのファンのようだ。

 悠真の言うことは合ってる。この男は、こいつはMapのキーボード担当の司馬しば亮吾りょうごだ。バンドを休止した二年前からは、一切メディアに顔を出してはいない。今まで何をしていたのか俺は知らない。


「僕がピアノを始めたのは司馬さんに憧れたからなんです。これからも応援してします」


 確かに、キーボードをやっているときはかっこいいと思う。

 昔はよく一緒に遊んでくれていたし、料理ができない親父に代わってよくご飯を作ってくれた。演奏しているときはかっこいいが、何も行動を起こしていない最近のこの男はかっこよくない。だから嫌いだ。


「……ありがとう。君もバンドをやるのかい? 頑張ってね」


 少し間をおいて、あいつはそう言うと歩いて行ってしまった。

 その後ろ姿が見えなくなるまで、悠真はその方向を見ていた。


「ねえ、君は何者なの? 司馬さんとあんな会話をするなんて、普通の人ではないよ? まさか……」


 言っている途中で気づいたのだろう。

 俺が何で有名アーティストと当たり前に話しているのか、その人が家に来たのか。

 瑞樹にしか言ってない秘密を。


「中。入ればわかる」


 いつもの場所に自転車を止め、家の鍵を開ける。

 中へ入るように悠真を誘導し、そのまま毎朝恒例の仏壇へ向かった。


「信じられない……いや、それが現実か。確かにそう、だよな……」


 仏壇に飾ってある写真と、位牌に刻まれた名前。

 それが全てを語っている。


「君、ベースの野崎のざき恵太けいたさんの子供だったんだね。Mapのメンバー全員の出身地がここだっていうのは知っていたけど、まさか血縁者が同級生にいるなんてね」


 今までのツンとした表情から、眉を下げて悲しそうな顔をしたまま仏壇を見つめていた。


「ねえ、僕も手を合わせてもいい?」

「どうぞ」


 悠真は線香とともに、リンを鳴らし、手を合わせた。

 だんだんとリンの音が小さくなり、完全に音が消えると小さく仏壇に頭を下げてからこちらを向く。

 何か言おうと思ったが、とくに言えるようなことはなかった。


「僕は」


 沈黙を破り、悠真が立ち上がりながら発する。


「音楽はもう、やらない」


 そこに親父はいない。それはわかっているけど、仏壇の前でそんな話をされるのは嫌だった。


「とりあえず、それは別の部屋で。ここじゃなんだし」


 悠真にも意図がわかったらしく、俺の後に続き、リビングへ移動した。


「僕は君たちと一緒になんてやらないよ」


 リビングで向かい合い、改めて話をする。

 悠真は確かに音楽が好きなはずだ。Mapに憧れを持って始めた音楽をなんでやめようと思えるのか。憧れの人に直接会ったのなら、なおさら頑張ろうと思うんじゃないのか。


「なんで? 音楽好きなくせに?」

「なんでも、だ。受験もあるし」


 そう言って、俺から逃げるように目をそらした。


「それ。逃げてるだけじゃねえの? 受験を言い訳にして。俺らまだ二年だぞ? そりゃ先生も受験うんぬん言うけど、それを理由に何かをやめる必要はないだろ?」

「それは君が受験をしなくていいからでしょ。僕はいい大学に入って、いい職に就かなくちゃいけない。だから……」


 言葉が詰まった。

 いい大学は、偏差値が高い大学とでもいうのだろうか。給料の高い職に就けばいいのか。それが自分のためだとでもいうのか。そうやって生きていて楽しいのか。

 ただ疑問だけが浮かぶ。


「それは、自分のためなのか? 親に言われたからじゃないのか?」

「え?」

「いやさ、俺の両親はもういないけど、もしいたとして、大学に行くように言われても行かねえよ。俺の人生は俺が決める。なりたいものになるために、俺は自分で決めたことをやる。いい学校行ったから、いい職に就けるってわけでもねえし。将来を考えてとか言われるけど、やりたいことをやるべきなんじゃね?」


 俺みたいな馬鹿が何言っても変わらないか、と付け足した。


「野球が好きで、プロ野球選手になるっていう人もいれば、音楽が好きでそれを極めたいって思うやつだっているだろ。俺は親父みたいに音楽で、人を変えるようなバンドをやりたい。バンドを組んで、大会で優勝して、プロになる。そうすれば、俺の音楽があの人にも届くはずだから」

「あの人って誰?」

「……Mapのボーカルだ」

柊木ひいらぎさん? 本気?」

「もちろん」


 悠真は信じられないといったような表情をしていた。


 ボーカルの柊木ひいらぎ隼人はやとは、親父が死んだときに一緒にその場にいた。

 親父が運転する車の助手席に座って、二人でライブ会場まで向かっていたという。その際に事故に遭って親父は死んだが、柊木さんは大怪我で済んだ。親父の葬式の時も入院していたから、しばらく姿を見ていない。


 Mapが活動再開できない理由の一つが親父の死だと噂されている。作詞作曲編曲まで親父がやっていたのだから、新曲を出そうにも出せないのはわかる。でも、過去の曲を演奏したり、親父のパートをキーボードで穴埋めすることだってできなくはない。親父がいなくても、活動再開は可能なはずだ。


 だがもう一つの理由がボーカルの復帰が困難であることだという。

 そりゃバンドメンバーが死んだことがショックなのはわかるけど、その現実に向き合おうともしないで、ひたすらファンを待たせ続けているのがむかつく。

 再開できないのなら、いっそのこと解散宣言をすればいいものをあえて「活動休止」としている。ファンに希望を持たせておきながら、二年も放置プレイだ。


 なら、ボーカルが現実を見られたら、Mapはまた、活動再開できるはず。

 ボーカルだけじゃない。今何をしているのかわからない他のMapの他のメンバーが何かしらアクションをおこせば。


 Mapのいちファンとして、活動再開を待つ俺でもできることは何かと考えて、たどり着いたのがやっぱり音楽だった。

 親父が生きてるころから、プロになりたいと思っていた。その準備段階として作曲をした。でも、いくら曲を作ってネットに出しても、Mapに響くことはないし、活動を再開させる気配もない。

 直接メンバーにメールで曲を送ったこともあったけど、返信も感想もなかった。


 だったら。

 Mapがかつて優勝し、デビューするきっかけとなった「バンフェス」で優勝すれば少しはMapの耳に入るかもしれない。

 音楽で人を変えられるんだから、一度でも聞いてもらえれば。

 もしかしたら。


 淡い希望を胸に抱いて、今がある。

 ただプロになりたいだけじゃない。音楽で人を変えて、みんなを笑顔にしたい。

 音楽が好きだからそうしたいし、そうなりたい。

 それだけの思いで、やってきた。


「僕にはとうてい理解できないよ。たとえ君の音楽が大絶賛されるものだとしても、そんなことできっこない」

「いや、できる。はなからやれないって決めつけてるんじゃ、できないだろうけど、できる。音楽は人を変える」


 やる前からできないと決めつける。やってもいないのにできないと言うことの方が、理解ができない。

 やらずに後悔するより、やってから後悔したい。


「そのために。俺はお前を必要としてるんだよ」

「は? 何言ってるの、馬鹿なの? 今までの話聞いてた? ニワトリなの? 歩くと忘れるの?」

「どれだけディスすんだよ。まあ、確かに俺は馬鹿だけど。キーボード、やってほしいんだよ。これ、見てくれ。今日の練習だけど、お前ならわかるだろ?」


 スマホを操作し、今日スタジオで練習したときの動画を見せた。

 鏡張りになっているスタジオ内での撮影。自分のスマホを全員が映る位置に置いて撮影したものだ。

 マナーモードを解除し、再生ボタンを押す。


 ワタワタしたのちに始まる曲。

 作詞作曲全て俺。何とかそれっぽい形に仕上がりつつあるが、まだ物足りない。

 でも何が足らないのかピンとこないからこそ、撮影して後で見返そうとしていた。本当ならば、もっと完成系に近づいたところで見せるつもりだった。今日のフライングは後で伝えておこう。黙っていたら、瑞樹にまた言われる。


「……ふーん、これが君たちの曲ね。それっぽいんじゃない」


 悠真の言葉に、俺の顔はニヤついていたと思う。


「でも」


 俺はその言葉の続きを待った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る