Song.12 変化点
二人の間を気まずい空気が流れる。
逃げ出そうとする女の人。逃がすまいとその手を離さない鋼太郎。
何かを言った方がいいのだろうか。言わない方がいいのだろうか。そもそも外野が口をはさんでいいのか。でも、何も言わなければどんどん空気が悪くなりそうだ。
「学校にも来ねえし、家に行っても出てこねえ。かと思ったら、こんなとこにいて、何してんだよ」
怒鳴るような声ではなく、低く落ち着いた鋼太郎の声。
「学校なんて行かない! もう、うちにも来ないで!」
「行かねえって……お前んちの母ちゃんがどれだけ心配してると思って――」
「お母さんなんて知らない! 大っ嫌いよ!」
女の子の悲痛な声が、重い空気を切り裂く。
そして強引に握られた手を振りほどいて、逃げるように去っていく。
今度は鋼太郎も、追いかけようとはせずに、ただただ立ち尽くしていた。けれどもその手は血管が浮き出て、固く握りしめられている。
どんな気持ちでいるのか、何を考えているのか。それはわからないけれど、きっと暗い感情が渦巻いているのだろう。
「急に走って悪かったな。あいつを見たのが珍しくてな」
斜め下に視線を向け、悔しそうな顔で鋼太郎は言った。
「あいつが、謹慎の理由になったって人か?」
「おま……そこまで知ってんのかよ。まあ、その通りなんだけど……」
一瞬驚いた表情をしたが、また暗い顔になってしまった。
鋼太郎が謹慎になったのは、新年度始まってすぐ。じいちゃんの話によれば、学校のものを壊したということだ。具体的には、鍵のかかった屋上の扉を壊したとかなんとか。その現行犯で、一週間の謹慎になったらしい。
ところが、その話の裏にはもう一つの話がある。
そもそも、なぜ屋上に行ったのかということだ。それはついさっき走って行った人――同じ学校、そして同じ学年の
優しいと言えばそうだが、言い方を変えれば甘い。
事実を隠すことが、本人にとって幸せだという保証はない。
上井は鋼太郎の行動をどう受け止めたのか。
上井の家族は感謝したかもしれないが、上井本人は恨んだのかもしれない。
「最初にも言ったけど、お前が変えたい人って、上井だろ?」
否定をしない、それが答えだった。
「変えられる。絶対に。どんなひっきーな奴でも、外に引きずり出してやるよ」
我ながら、表現がオーバーであるが、それを嘘になんてさせない。
興味を持って、もっと聞きたくなるような、やみつきになるような音楽を聞かせてやろう。生演奏を聞きたいと思わせるような音楽を。
「はっ、野崎はとんでもねえ言い方するな」
まだ苦笑いしているけど、固かった鋼太郎の表情が和らいだ。前を向くことができたならそれでいい。
後ろばかりみていては、何もできないし、心が病む。ちゃんと前を向いていれば、やることもわかるし、前に進める。
俺はそう過去に学んだ。
「そうだな。俺はそういう人間だからな」
俺が変えたいあの人に。
鋼太郎が変えたい上井に。
ただただ、目の前のことをやり続けていけば、きっと変えられると思っていた。
☆
時間が過ぎるのはあっという間で、桜は散って、早くも新緑芽吹く五月の中旬に差し掛かっていた。
週に一回のペースで、スタジオ練習を行う。何度も練習を続けるうちに、簡単な曲は演奏できるようになった。
同時に俺も、何とか一曲作った。その譜面を各自に渡してある。
急いで作り、決して納得のいく出来栄えではない曲。どこがダメというのではなく、なんとなく曲全体に違和感があり、納得できない。でも、これが今の俺の限界だった。
「瑞樹。そこはこう……ぎゅいんってなって、ぐっ! って感じだ」
「こう?」
「違うな。もっとぐっとさせて。んじゃ、もう一回、最初からいくぞ」
ドラムのカウントに合わせて、はじめから弾く。
まだ粗削りではあるが、それとなく一つの曲の形ができかけてきていた。
放課後、スタジオに来てからすぐは個人での練習、その後全員で合わせるというスタイルにしている。
メンバーそれぞれの進捗を確認して、イメージと違ったときはあれこれ口をはさむ。もちろん、メンバーから曲について「ここはこうした方がいい」という声を聞いた時には、その意見を取り入れて書き換えようとしているが、まだその領域には達していない。全員、渡した譜面とにらめっこ状態である。
AiSなら、AIが歌うから息継ぎについて考えもしてこなかった。生身の人間が歌うときには、どこで息継ぎができるようにするかも考えなければいけない。大輝の息がどこまで続くかわからない分、練習しつつ曲を改編している。
一人でも音がずれれば、みっともない形になってしまう。せめて、ズレをなくし、まとまった形にしたい。
でもそれは難しかった。
ピタッと止まるところで、止まれない。
誰が悪いとかではなくて、全員がお互いを気にしすぎて起きるズレ。何度やっても同じところでズレが発生する。
ひたすらそこを練習するのもいいが、書き換えるというのも一つの方法だ。でも変えてしまったら、曲調が変わる。イメージから離れてしまう。
「あああああ! もう一回!」
何度も繰り返しているのに、大輝の声は枯れなかった。
それどころか、だんだん声がよく出るようになってきている気がする。
瑞樹と同じで、スロースターターなのかもしれない。
長時間演奏する機会は、練習ぐらいしかない。大会だってぶっつけ本番だし、最初から調子がいい方が望ましい。本番で最高の声が出るように、うまく調整していかなければならない。
練習の合間。水分補給をしていると、ガチャっという音とともに、スタジオの扉が開かれた。
「お邪魔しますよー」
やってきたのは、オーナーの三上さん。
いつもの服装、いつもの調子で顔をのぞかせる。
「わかってると思うけど、もうそろそろ電車がなくなっちゃうわよーっていうお知らせ。ほら、大輝くんだけは、電車でしょう? 上りの電車、あと十五分ぐらいで最終が来るわよ」
時刻を確認すれば、21時50分を示していた。
田舎なここは、終電が早い。下り電車ならまだまだあるが、上りの電車は22時8分発が最終になる。
これを逃せば、帰る手段がなくなってしまう。
「マジじゃん! やべえ! わり、俺帰る! 金は明日払うから!」
機材の片づけをしてからだと、電車に間に合わなくなる可能性がある。
大輝は慌ててマイクを置き、荷物を持って走って行く。まるで嵐のような行動に、その背中を見送ることしかできない。
「あなたたちも、家が近いからって残るんじゃなくて、早く片づけて帰りなさいよ」
三上さんの言う通りだ。
未成年がフラフラして、補導されるなんて御免だ。まあ、こんな田舎、よっぽどのことがなければ警察に遭遇することはない。でも家族が心配するだろう。
使った機材を元通りに戻して、帰路につく。
帰りがけに駅の近くを通ったら、最終の上り電車が発車した直後だった。
俺と瑞樹の家は隣というわけではない。
田舎特有の絶妙な距離がある。
瑞樹とは途中で別れ、一人で昔よく遊んだなじみのある公園の傍を通ったときだった。
さびれた遊具で遊ぶより、小学校で遊ぶ方が多い地元の子供たちは、この公園で遊ぶことはほとんどない。たまに老人がベンチで会話に花を咲かせるぐらいの小さな公園だ。夜になれば、人っ子一人いないのがいつものことだった。
なのに今日は人影が一つ。数少ない明かりの元にあるベンチに座る人がいる。
しかも、その人は学生服を着ている。このあたりの学校といえば、市立小学校と中学校、それに
あまりにも気になって、公園の中に自転車を押して入る。
するとその人はイヤホンを外し、ゆっくりと顔を上げた。
「……何?」
不機嫌そうな顔でこちらを見たのは、悠真だった。
高校からは離れているこの公園に、しかもこんな時間にここにいることが不思議で、俺はじっとその顔を見つめた。悠真もそのまま見返してくる。
「じろじろ見ないでくれる? 気持ち悪いんだけど」
そこまで長い時間見ていたわけでもないが、そう言われて目をそらした。
沈黙の中、わずかに聞こえたのは聞き覚えのある曲。さっきまで悠真がつけていたイヤホンから聞こえた。
「お前! Map好きなのか?」
聞き間違えることはない。何度も聞いたMapの曲だ。
同じ年代の人でMapを聞いているなんて珍しい。俺の声は弾んでいた。
「だから何?」
悠真は興味なさそうな声を出した。
だけど俺はMapを聞いているというだけで嬉しくて、どんどん言葉が続いてしまう。
「いいよな、Map! 俺、めちゃくちゃ好きなんだよ。その曲は、ギターソロのとこ、すげえかっけぇ。あんなん、なかなか弾けねえよ。ライブの時もすげぇ弾んでんの。マジでやばくね?」
言ってから気づく。俺の語彙力が大輝レベルだということに。
さらにもう一つ気づいた。
「てか、おまえん家、大輝んちの方だろ? もう電車ねえぞ?」
大輝から聞いた話を思い出した。幼いころに一緒に遊んでいたというのだから、家が近いはず。だったら、ここから上り方面に住んでいるはずだ。ともなれば、電車で帰るすべはもうない。
「っ! ……はぁ」
パッとスマホで時間を確認した悠真は、すぐに深いため息をついた。
電車がないのなら、家族に連絡して迎えに来てもらうしかないだろう。だが、スマホで連絡しようとする悠真の手はわずかに震えていた。
「連絡しねえの?」
そう言ってはみるが、悠真はそのままスマホを横に置いて、震えを抑えるように自分の手を握った。
「帰りたくなければ、うちに泊まるか? 部屋もあるぞ」
突拍子もない俺の提案。我ながら突然すぎる。
だが悠真の肩がぴくっと動いた。
今日は、じいちゃんたちは老人会の旅行でいない。昔はよく泊まりにくる人もいたから、部屋も布団も余ってる。
よく知らない人の家に泊まるのは、嫌がるかもしれないと思ったが、親睦を深めるのにちょうどいい。それに、Mapが好きなやつに悪い人はいないと思ったのは、俺がお人よしか、それともただの馬鹿だからなのかもしれない。
「……お願いする」
本当に帰りたくないらしい。
悠真は小さく頭を下げた。
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