Song.8 焦りは禁物
大輝の後を追うようにして廊下に出る。
そこにいたのは、大輝と、大輝に支えられている男だった。
細い黒フレームのメガネをかけた男は、頭を押さえながら床に座り込んでいる。長い前髪から覗く顔が青白い。どうやら体調がよくないらしい。
よく顔を見れば、この男に見覚えがある。同じ学年の優等生――
部活が始まっている放課後の時間。
教室にいるのは俺たちだけ。廊下だって滅多に人は通らない。
じゃあ、なんで男がここにいるのか。
「ユーマ! おい、ユーマってば!」
俺が考えている間も、悠真を大輝が揺さぶる。大輝は焦っているようだ。
だけど、顔色は悪そうでも、目は開いてるし、意識もある。そこまで問題にするような状態ではないだろう。むしろ揺さぶる方が体に悪そうである。
「そんな大声出さなくても聞こえてるって……いちいちうるさい」
悠真は大輝の手を振り払い、頭を押さえながらゆっくり立ち上がった。だが、まだふらつくようで、悠真は壁に体を預ける。
「鋼太郎。お前、よく廊下に人がいるってわかったな」
「なんとなく気配がしたんだよ」
「こわっ。野生の勘かよ……」
俺は人がいるなんてわからなかった。いや、俺だけじゃなくて、瑞樹も大輝も。鋼太郎以外わかっていなかった。
野生動物みたいな感覚を持ってるとは。まあ、そんな感覚持っていても、使うところはなさそうだが。
「
「あっちじゃない? 行ってみよ!」
下の階から、高い女子の声が響いて聞こえた。その女子の足音がだんだん近づいてきている。
「ちっ……」
俺には真面目な優等生という印象しかない悠真が、そのイメージには不釣り合いな舌打ちをした。そして壁を伝いながらフラフラした足取りで逃げるように進む。
「ユーマ、こっちだ」
悠真の手を引き、大輝は教室内に連れ込んだ。そして窓側へ連れていき、床に座らせる。
「みんなもこっち来て、ユーマを隠してくんね?」
みんなというのは俺達のことだろう。
黙って見ていたが、大輝に言われるがまま悠真が廊下側から見えないように、近くの席に座る。
そして間もなく女子がやってきた。
「ここの教室は……あ、スガじゃん」
「よう、どした? 何してんだ?」
女子に対して、何事もなかったように大輝はふるまう。さっきまであんなに焦っていたくせに、意外と演技派なんだなという感想は黙っておく。
いつもの大輝を装っているし、焦っている様子なんてちっとも見えない。
「私たち、御堂くんを探してるんだけど、ここに来なかった?」
教室の扉のところから中をきょろきょろ見る。だが、その位置からは悠真は見えないだろう。
見えるのは、俺たち四人だけ。
「そ、そっかー。じゃあ、こっちじゃないのかも。スガ、ありがとね!」
俺と鋼太郎を見るなり、女子はそそくさと去っていく。そりゃあ、ただでさえ謹慎していて見た目が怖い鋼太郎と、下級生の瑞樹を従えていて頭がおかしいと思われてる俺。いくら大輝がいても、それ以上に問題児な俺たち二人と関わろうとは思わないだろう。人を寄せ付けない俺たちが、こんなところで役に立った。
悠真を探す女子の足音はだんだん遠くへ、そして小さくなり、聞こえなくなった。
大輝が廊下まで様子を見に行き、完全にいなくなったことを確認する。
「よし、どっか行ったみたいだぞ。ユーマ、大丈夫か?」
大輝に言われ、悠真は顔を上げた。その顔色は先ほどより良くなっているように見える。そしてメガネの位置を直し、口を開いた。
「ふん……僕は頼んでいないから、お礼なんて言わないよ。まったく……あいつらベタベタしてきたから逃げてきたのに、君たちの秘密を聞くことになるなんてね。ほんと、僕はついてないみたいだ」
言い方は癪だけど、さっきまでしていたNoKの話を聞いていたらしい。わざわざ自白してくるとは、何を考えているのかわからない。
悠真は言いたい事だけ言って、立ち上がる。休んだらすっかり体調がよくなったようで、ふらつきもなくなっている。
「あの、忘れ物です」
瑞樹が床に落ちてたハンカチを手渡す。小さく「どうも」と言いながら受け取ると、悠真は静かに教室から出て行った。
「なんだったんだ、あいつ」
ボソッとつぶやいた俺の言葉に答えるよう、大輝がつぶやく。
「あいつ……小中同じ学校だった、
居なくなった悠真を見送る大輝の目は、寂しそうに見える。
「あ、そういえば。ユーマ、ピアノ弾けるんだぜ? 合唱コンクールとかいっつも伴奏やってたし! どう、新しい部員に!」
急に振り返り、とんでもないことを提案してきた。
「どうって言われてもなあ……ピアノ弾けるなら、音感もあるだろうし、キーボードはやりやすい。キーボードはほしいけど、あんまり俺たちの関わりたくなさそうだっただろ? あいつ」
さっきの悠真のそっけない反応。差し伸べた大輝の手を振り払った。それに、俺達が女子からかくまったのに、お礼もなし。
そんな態度から、なんとなく関わりたくない雰囲気を感じた。
「まあ、そうかもしれないけど……俺、明日声かけてみるよ。もしかしたらやってくれるかもしれないし。いいよな!?」
「それは構わねぇけど」
「うっし! 任せろ! んで、今日はこれからどうすんだ?」
暗かった反応から一転、大輝は振り返り、次の話題へと話を変えた。
コロコロと変わる大輝に、鋼太郎が戸惑ってるように見える。
「そうだな……さっきのやつが部活に入ってくれると仮定するなら、あとは顧問を探したいところだ。だけど、俺は鋼太郎と一緒にまたスタジオでドラムやってくるから、瑞樹と大輝で顧問になりそうな人を探してくれ」
部員の他に必要なのは顧問。部活を管理する責任者として欠かせない。
顧問の掛け持ちはできないだろうから、フリーの教師を探す必要がある。俺は誰がどの部活の顧問をしているのか知らないし、あれこれ頭ごなしに決めつけてくる教師が嫌いだ。
何でかというと、前に軽音楽部を作ってくれと訴えに行ったとき、教師たちに白い目で見られた。「またあの問題児か」なんて言われたときには、腹が立ったし、教師が更に嫌いになった。
嫌いなことを瑞樹に押し付けてる形になっているのは申し訳ない。後で何かおごろう。
「また大輝先輩と一緒……先輩、今度は先走らないで――」
「おっしゃ、行くぞーみっちゃん! 早く来いって!」
瑞樹が注意するように言っているのに、大輝はすでに教室を出て行こうとしていた。
いつもならニコニコしている瑞樹も、ひきつった顔をしている。自由奔放に動く大輝に振り回されて哀れに見えてきた。俺もはたから見たらこんな感じなのかもしれない。他人のふり見て我がふり直せとは、こういうことだろう。まあ、俺は直らないけどな。大輝も直らないと思う。
「悪いな、瑞樹。あの馬鹿の世話を頼んじゃって」
「ううん。いいよ。前までは一人ぼっちだったけど、大輝先輩がいるとちょっとは楽しいよ。騒がしいけどね。ちゃんと先輩をセーブするよ」
「あまりにもうざくなったら言えよ。お前にぶっ倒れられたら、たまったもんじゃねえし。今日は適当に切り上げてくれていいからな。ま、何かあったら連絡してくれ」
「ありがと。キョウちゃんも、鋼太郎先輩も練習頑張ってくださいね」
瑞樹は大輝の後を追った。
よかった。大輝と二人でも瑞樹は大丈夫そうだ。
一人は辛いのはわかる。俺だって、瑞樹がいなかったら大輝と組むこともなかっただろう。だって、一人でできることは限られてくるのだから。
でも、二人なら。
俺と瑞樹みたいに二人なら、可能性は広がる。組む相手が変われば、それだけまた可能性が広がっていく。
瑞樹と大輝の社交性で、顧問になってくれる教師を見つけることも可能だと思っている。
「顧問探しは二人に任せて。俺達はドラム練習しにいくぞ」
会話に入れないまま黙っていた鋼太郎に声をかける。
「おう」
短い返事をした鋼太郎とともに、スタジオへ行く。
この時間からスタジオに入れば、2時間は練習できる。初心者だから、最初は8ビートあたりから始めるか。
そんなことを考えつつ、移動した。
☆
「――こうして、こう。そう、そのまま続けて」
昨日と同じ小さいスタジオでドラムの練習を始めた。
鋼太郎はちゃんとスティックを持ってきていたから、すんなり始められた。
簡単なものであれば、一度手本を見せると、鋼太郎はそのまま同じように叩くことができる。呑み込みがかなり早い。これなら練習すればするほど、すごいうまくなってくはずだ。
今日持ってきた教本の内容も、ほとんどできてる。
できてないのは、楽しそうな顔だ。間違えないように、正確に。次はどこを叩くのか、足はどうするか。そんなことを考えながら叩くのだから、顔は必死だ。直すならそこだろうか。
「うまいじゃねえか。正直びっくりだわ。こんなに早くできるようになるなんて」
「や、まだまだだろ。これができても曲になるわけじゃねえだろうし。早くお前たちみたいにできるようにならなきゃいけないんだろ? だったらもっとやらないと」
思ったより、鋼太郎はストイックかもしれない。もうぶっ通しで練習してるし、頭も体も使って疲れているはずなのに、スティックを握り、まだまだやろうとしている。
「俺達だって、すぐ弾けるようになった訳じゃねえの。何年もベースとかギターの練習してるんだから。年単位の練習の差がすぐには埋まらねえよ」
「だったらなおさら休んでるわけにもいかねえだろ」
俺にできる精一杯の説得のつもりだったが、それが鋼太郎には余計にプレッシャーになってしまったようだ。
気合いを入れるためか、ジャンっと鋼太郎がクラッシュシンバルを叩いたときだった。
「「あ」」
シンバルを叩いた衝撃で、スティックが折れたのだ。
もともと俺が使い古したスティック。傷だらけで、ボロボロだった。今まで折れなかった方が不思議なほどだ。
「こりゃ……練習は続けられないな」
予備のスティックは持ってきていない。昨日今日で鋼太郎もスティックは買っていない。続行不可能な状況。練習はここで終わるしかない。
「くそっ」
鋼太郎がイラついている。練習したくてもできない状況。イラつくのもわかる。
「週末あたり、スティックを買いに行くか?」
「どこだよ、それは」
「電車で四駅上ったとこの店。俺がよく行くとこ」
都会の四駅と田舎の四駅は全然違う。
都会も人が運動のために一駅歩くようにしているなんて言うが、田舎でそんなことをやったら死ぬ。そのくらい駅と駅の間が離れてる。
スティックとひとくくりにしても、種類がある。今から行くより、週末にゆっくり行った方が鋼太郎に合うやつを探せる。
「言っとくけど、一人で行こうとするなよ? どれがいいとか悪いとか、むちゃくちゃ種類あるし、あそこの店主は癖があるから大変だぞ」
「うっ……」
図星だったらしい。
鋼太郎の顔がひきつっている。
「練習できなきゃ、俺は何をすればいいんだよ?」
「んーそうだな……走り込みとか筋トレ? 練習してわかるだろうけど、結構全身使って疲れるんだよ。その分の体力づくり的な? やってない俺が言うのもなんだけど」
やってないこと言うなって感じだけど、ドラムやるには体力が必要だと思うのは事実。俺の知ってるドラマーは、ゴリラみたいな体してるし、昔、ドラムが上達するにはどうしたらいいかを聞いた時には、「走れ」、「筋肉があればうまくなる」なんて言ってた。馬鹿らしいけど、当たってると思う。
「筋トレだって、一日だけやってもダメだろ? 音楽も同じ。毎日続けてこそうまくなる。だから焦るなよ」
伝わっただろうか。俺の語彙力じゃ、これが限界だ。
「今日は。もう終わりにして帰ろうぜ……と言いたいところだけど、鋼太郎んち、行っていい?」
折れたスティックや、開いていた教本を鋼太郎は自分のバッグの中に入れているときに、聞いてみた。
「? いいけど? なんだよ」
「どら焼き。ばあちゃんたちに買ってこうと思って」
「残ってるかわかんないけどな」
「嘘だろ? 急がないとじゃん! 鋼太郎! 早く!」
俺達は急いでスタジオを飛び出した。
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