Song.7 シークレット


 いつものスクールバッグに教科書とドラム教本を詰め込んだ。

 朝はまだ少し寒い。白いワイシャツの上に学校指定のセーターを着てから学ランを羽織る。そしてバッグを持ち、一階のリビングへ向かった。


「恭也、おはよう。ご飯とお弁当、できてるわよ」


 優しい声をかけたのは、伊智子いちこばあちゃん。

 食卓では、もうまもるじいちゃんが朝ごはんを食べている。

 俺も荷物を床に置いて、じいちゃんの向かいの席に座る。


「なぁ、じいちゃん」

「うん? なんだ?」


 言いたいことがあって、声をかけると、じいちゃんは皺だらけの手を止めてジッと俺の顔を見た。


「俺さ、じいちゃんが前に言ってた、和菓子屋の子。あいつとバンドやることにしたんよ」

「和菓子屋……? ああ、片淵かたぶちさんの孫か。なかなかいいんでねえか? あそこんちの爺さんも安心すんじゃろ。病院入ってもずっと孫の心配してたもんな。頑張れよ」

「うん」


 田舎の情報網は驚くほど広く、そして早い。ささいなことでさえ、すぐに広まる。

 うちのじいちゃんは鋼太郎のじいちゃんと昔ながらの知り合いで、そこを通じて色々と情報を手に入れた。前にじいちゃんは、和菓子屋の孫が女の子を助けて停学になったと言っていた。


 和菓子屋の孫、つまり鋼太郎がなぜ停学になったのか、学校ではおおやけになっていないが、家族には隠せなかったらしく、鋼太郎のじいちゃんがうっかりうちのじいちゃんに話したそうだ。そんなじいちゃんどうしの交友を通じて、俺は鋼太郎のことを大方知っている。


 鋼太郎とバンドをやることを伝えたのは、祖父母は恭弥のやりたい事に対して、理解を示してくれていることが理由の一つだった。

 勉強がおろそかになっていても、怒られたことがない。好きな事なら本気でやりなさいと背中を押してくれる。弁当を毎日作ってもらったりと甘えているが、お金が足らないなら出すとまで言った時は、さすがにそこまで支援してもらうのは悪いと思ったので断った。


 じいちゃんはおしゃべりな人ではない。会話は短かく続かない。

 伝えることだけ伝えて、あとは無言のまま、朝食を食べ続ける。俺が食べきるまで、そう時間はかからなかった。


「ご馳走様でした」


 お皿を片付け、歯を磨く。学校に行く準備は整った。いざ学校へ、と荷物に手をかけたとき、


「待って、恭也。お弁当と、仏壇。忘れてない?」

「あ、忘れてた」


 ばあちゃんに言われて思い出す。

 荷物はそのまま置き、バタバタと移動して、仏壇の前に座った。

 仏壇にはいつも色鮮やかな花が左右の花瓶に飾られている。そしてその中には二枚の写真。そこに笑顔で写っているのは俺の両親だ。物心つく前に死んだから、母さんの記憶はあんまりない。だけど少し前に死んだ親父のことはよく覚えている。

 行ってきますの意を込め、リンを鳴らし、手を合わせる。これが毎日の日課になったのは三年前からだ。どんなに忙しくても、必ずやりなさいとばあちゃんに言われている。


 ――母さん、親父。俺、軽音楽部作るよ。頑張るから。じゃあ、行ってきます。


 簡単ではあるが、昨日の報告をして立ち上がる。

 そしてばあちゃんが作った弁当をバッグに入れた。

 今度こそ忘れたことはもうない。


「んじゃ、行ってきまーす」


 落ち着いた家に低い声が響いた。

 玄関を出て左側にある車庫から自転車を出して学校へむかう。自転車で進むと、ひんやりとした風のせいもあって肌寒さを感じた。

 中にセーターを着てきてよかったと思いながら、自転車をこぐ。



 教室には、先に鋼太郎が来ていた。寒くないのか、学ランもセーターも着ていない。熱心に渡した教本を読んでいるので、邪魔をしないように自分の席に座った。


 休み時間。

 停学処分を受けていた、見た目が怖い。そんなイメージがあって、誰も鋼太郎に話しかけようとする人はいなかった。それはそれでちょうどいい。休み時間ごとに鋼太郎に声をかける。

 俺が昨日渡したのと、今日持ってきたドラム教本を見ながら、ドラムについて話した。学校で浮いた二人が一緒に話しているなんて、珍しい組み合わせだと視線を集めたが、誰かが話に加わることはなかった。


 放課後になれば、大輝も瑞樹もやって来る。そして残りの軽音楽部のメンバー集めについて話し合う。


「あと一人でしょー? ナントカってやつを知らない人、いなくね? 俺だけ知らなかったってヤバくない?」

「ナントカじゃなくてNoKな」

「そうそう、それそれ」


 進まないメンバー探し。大輝は大輝なりに声をかけたらしいが、皆、NoKを知っていたらしい。


「え、何。NoK知らないやつが条件だったんか? 俺、かろうじて知ってるんだけど……」


 そう声をあげたのは鋼太郎だった。


「あ。そうか、聞くの忘れてた」

「確かに聞いてなかったですね」


 鋼太郎に聞いたのは、部活に入っているか、そして本気でプロを目指せるかだけ。

 NoKについては一度も会話に出さなかった。あれだけ瑞樹に何度も部員の条件を忘れていないか確認したくせに、自分が忘れるとは。情けない気持ちになる。


「ま、少しなら知っててもいいや」

「ええ? そんな適当な。僕の今までの苦労は一体……」


 肩を落とす瑞樹には申し訳ないが、今更NoKを知ってたから、鋼太郎はメンバーに入れませんなんて言えるわけがない。


「ちなみにどこまで知ってんの? NoKの曲、知ってるか?」

「いや。俺が知ってるのはAI使って歌わせてるってぐらいか? 曲は知らねえ」

「それはNoKを知ってる内に入らないな。うん、問題ねえ」

「確かにそれは知ってるというより、名前を耳にしたことがあるっていうレベルですね」


 残念がってた瑞樹も、納得したようだ。シュンとしていた顔が、いつもの顔に戻っている。


「なーなー。何でキョウちゃんは、そのノック? にこだわってんの?」


 そういえば大輝にも言ってなかった。何でNoKにこだわっているのか。

 ほとんどNoKについて知らない二人なら、知ったところで騒がないだろう。同じバンドメンバーに秘密を作っていたら、後に何で言わなかったのかと問題になるかもしれない。


「黙っててくれるなら、言うけど……なんかお前は喋りそうだな」

「言っとくけど、俺、知りたがりのくせに、口は硬いよ?」


 いつもヘラヘラしている大輝の顔が、スッと真面目な顔になった。それだけで雰囲気ががらりと変わる。ヘラヘラしたまま言われたら嘘だろうと思うが、真面目な顔で言われると、信憑性がある。


「ふーん。なら、その言葉を信じておくけど。……俺がNoKにこだわる理由は、NoKが俺だからだ」

「ん?」

「へ?」


 頬杖をつきながらサラッと言う真実に、大輝と鋼太郎から驚きの声が出た。そして目を見開いたまま、動きが止まった。


「NoKの曲を知ってたら、歌い方とか雰囲気をそれに近づけようとする。そうしたらただのカラオケだ。俺がやりたいのは、そういうのじゃない。NoKとはまた違うものを作りたいんだよ」

「んんん? 難しいこと言われても、俺にはわかんねえよー」

「知らないなら知らないでいいってことだ。ほれ、NoKのアカウントはこれだ」


 自分のスマートフォンを操作し、動画を出しているアイチューブのアプリを開く。そして、NoKのアカウントにログインし、アップした動画一覧画面を見せた。

 NoKとして出した曲はここ五年ほどで十二曲。画面をスクロールすれば全ての曲が画面に表示される。


「これ全部野崎が作ってんの?」

「まあ、そんな感じ」

「へぇー……後で見とくわ」


 名前ぐらいは知っている鋼太郎は、うんうんとうなずいた。


「よくわかんねえけど、キョウちゃん、すげーことしてんだなー」


 ここ数日間で何度も聞いた大輝の「すごい」と同じぐらい、アイチューブでもコメントにもそうやって書かれた。「すごい」、「いい曲」、「神」。顔も名前も年齢すらわからない人が書き込むコメントで、どれだけすごいと言われようが、舞い上がってなんかいられない。

 NoKとしての評価は確かに高いだろう。色々な人が弾いてみた、歌ってみたの動画をあげている。いくつか出した曲の中でも一番人気があった曲は、総再生回数五百万を超えた。コメント欄には「よかった」、「かっこよかった」、「感動した」の言葉が並んでいる。だが、どれだけ不特定多数の人が聞いても、俺が聞かせたい、響かせたい人にはまだ届いていない。まだ未熟な自分の技量を向上させるために、今のまま満足してはいけない。


「まだまだだ。ネットの世界でやるNoKじゃ足りない。リアルでやらないとあいつには届かない」

「俺も頑張るぜ。歌うの好きだし」


 すっかりいつもの雰囲気になった大輝がそう言って笑う。


「頑張ってもらわなきゃダメなんだよ。部員探しから練習までな」

「うーい」


 へらへらしているが、大輝は本当にわかっているのだろうか。

 鋼太郎はどうかと言うと、廊下を見つめていた。


「鋼太郎先輩、どうかしましたか?」


 鋼太郎の視線を追うように、廊下を見るが誰もいない。


「お前、何見てんの?」


 誰もいないのにずっと廊下を見ている鋼太郎が不気味だ。


「いや、誰かいた気がしたんだけど……気のせいか?」


 もう一度廊下を見るが、やっぱり誰もいないし、音もしない。

 いたとしたら、俺がNoKであるっていう話を聞かれていたかもしれない。別にそこまで隠さなきゃいけないことでもないけど、あれこれ聞かれたりするのは面倒だ。口封じするわけではないが、誰が聞いていたのかは気になる。


「誰かいるのか、俺見てくるっ!」


 俺が様子を見ようとする前に、大輝がガタンと音を立てて立ち上がり、どこかワクワクした表情で教室を飛び出した。


「あっ! ユーマ! 大丈夫か!?」


 そしてすぐに聞こえたのは、大輝の切羽詰まった声だった。

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