第8話 Flower

来宮きのみや、一緒に帰ろうぜ」

 帰りのホームルームが終わり、麻巳子まみこが鞄に手を掛けた時にはもう花島はなじまは傍らに立っていた。


「花島君……どうしたの? 何か急用?」

 麻巳子は首を傾げた。一昨日も誘われたことを思い出す。二学期に席が近くなってから多少話す機会が増えはしたものの、逆に言えば二人の接点はそれだけだ。これといって思い当たるような節はない。


「お前と二人になりたいんだよ。駄目か?」

「だ、駄目ではないけど。どうしてあたしと?」

 花島は大真面目な表情をしている。麻巳子としては戸惑うばかりだ。つい視線をさまよわせると、貴世たかよとがっちり目が合った。あっと思う。


 もしかして。いやまさか。

 貴世はにやりと怪しく笑い、「あとはよろしく!」というふうに親指を立てる。

 麻巳子は脱力しそうになった。やはりそういうことなのか。大胆にもほどがあるだろう。クラスメートをお客にしようだなんて。


「えっと、とにかく出ようか」

 とても教室で済ませられる話ではない。

「おう、行こうぜ」

 麻巳子があたふたと促すと、花島は気合十分といった風情で頷いた。



 会話は全く弾まなかった。

 花島は幾度か口を開きかけたが、言葉の形にまでは成らず、麻巳子は心を落ち着けようとするのでいっぱいいっぱいだった。


 それでも何事もなく「じゃあまた明日」というわけにはいかない。

 それについては思いが一致したらしく、二人は申し合わせたように小さな児童公園に足を向けた。ブランコとジャングルジムと滑り台が退屈そうに佇んでいる。遊んでいる子供の姿はない。

 麻巳子は空っぽのジャングルジムに背中をもたせ、うつむき加減に確かめた。


「……花島君、貴世ちゃんから聞いたんだよね」

「一応、な」

 半歩の距離を置いて、花島が決まり悪そうに身動ぎした。麻巳子は困り笑いを浮かべてしまう。


 どうしてあたしなんかを買おうと思ったんだろう。

 らしくない、とは言わない。麻巳子は花島のことを大して知っているわけではない。

 そして花島も麻巳子のことなど知らないはずだ。だから。

 自分よりずいぶん高い位置にある、日焼けしたクラスメートの顔を見上げる。

「あたしね、もう決めたの。そういうことはしないって」

 できる限り頑張って、今の気持ちを伝えようと思う。


「やっぱり悪いことなんだよね。法律とかでも禁止されてるんだから。でもそんなのはどうでもよくて、あたし自身が思ったの。もっと自分に素直になろうって。好きなことといやなこと、嬉しいことと辛いことを、自分の心で確かめようって。花島君のことは嫌いじゃないよ。だけどやっぱり、できない。あたしがもうしたくないから。お金はちゃんとあたしから返します。ごめんなさい」

 麻巳子は頭を下げた。急速に空気が重くなっていくのを感じる。びっくりするほど大きいスニーカーが、地面を踏みつけるようにして歩み寄る。


「……何言ってんだ、お前」

 ひどく硬い声だった。

「どういう意味だよ。金ってなんだ。俺、変な誤解してるかもしれないから。ちゃんと説明してくれよ」

「え、だって花島君、貴世ちゃんから聞いたって……」


西桜にしざくらに聞いたのは、来宮に今つき合ってる奴がいるのかってことで……なあ、冗談だろ? お前が援交とかよ。それで、俺も金払ってお前とやりたがってるって思ったってのか?」

「……うん」

「ざっけんな!」

 ごつい足がジャングルジムを力まかせに蹴りつけた。ちゃちな鐘みたいな音が狭い公園に響き渡り、麻巳子は身を竦ませた。


「なんでだよ。なんでそんなこと」

 花島は本気で怒っていた。なのに不思議と泣いているみたいに見えた。だとしたらそれは麻巳子のせいだ。


「どうしてかな。ほんとに、自分でもよく分らないの。誘われて、ただなんとなく、あたしにもそんなことできるのかなって思って。だけど、もうしないよ」

「どうしてだ。それもただなんとなくか?」

「お花が、きれいだったから」


 花島は黙り込んだ。馬鹿にしていると思われたかもしれない。だが麻巳子にとってはありのままの真実だった。あの時一緒にいた隣人ならば、きっと分ってくれるはずだ。

 花島はゆっくりと手を伸ばし、麻巳子の顔のすぐ脇でジャングルジムの棒を掴んだ。


「来宮」

「な、なに?」

 距離が近い。まさか殴られるとは思わないものの、体の大きな男子に詰め寄られて胸が苦しくなる。


「俺はお前のことが全然分んねえよ」

「そう、だよね。分んないよね。ごめんね」

「だから俺とつき合え」

「そう……え?」

 瞬間、麻巳子は頭の中が真っ白になった。突風に吹かれたように後退りしかけ、だが背中のジャングルジムが邪魔をする。


「正直、俺今めちゃくちゃ混乱してる。お前の言ったことが本当なのかとか、もし本当だとしてどうすればいいのかとか、きのう学校休んだのと何か関係があるのかとか、色んなことが全部ぐっちゃぐちゃで、お前の気持ちも、自分の気持ちも分んねえから、とにかく一番言いたかったことを言うぞ。来宮、お前が好きだ。俺とつき合ってくれ」


 いつかきっと、花は咲く。


(了)

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