第3話 つまらない人間
貴世のことで文句の一つも言われるのかもしれないと、麻巳子は軽く身構えた。花島とは去年から同じクラスだが、話をしたのは数えるほどだ。押しは強いが裏表のない性格で、クラスの中心的存在になっているが、麻巳子は少し苦手だった。
「
「別に、色々だけど。どうして?」
「お前らわりとよく一緒にいるだろ。けど共通点が思い浮かばないんだよな。西桜はあんなだけど」
貴世は既に他の女子達と盛大にお喋りを始めている。クラスで一番賑やかな場所を探せば、貴世はたいていその中に混じっている。
「おまえは大人しい系って感じだし、あんまり気が合わなそうっていうか。性格が反対だとかえって仲がいいみたいなノリか?」
「……どうだろ。花島君の言う通り、あたしはつまんない人間だから。どうして貴世ちゃんが誘ってくれるのかは分らないよ」
「いや、俺はお前がつまんない奴だなんて言ってないぞ。ただ西桜とはタイプが違うってだけで」
「でも男子だって、ああいう可愛くて話しやすい女の子の方が好きでしょ?」
「それはそうだろうけど。あいつ、結構遊んでるみたいだからな。大丈夫なのかって思わなくもない」
「そっか。貴世ちゃんのことが気になるんだね」
「……違ぇーよ」
花島はそれきり前に向き直った。ワイシャツの背中が白くて広い。ちょっと絵でも描いてみたくなる。だが何もいい図柄は思いつかなかった。
#
暗い部屋の天井にはディスプレイの光が映り込み、かびの生えた空みたいに汚らしい。きっと自己憐憫と責任転嫁と現実逃避に首まで浸かり、ひたすら毒を垂れ流すだけの無能者達の怨念が、電子の向こうから染み入ってくるせいだろう。
もう死にたい生きていくのが嫌になったどうせ僕なんか生きてたって仕方ない誰も彼も嫌いだみんな死んじゃえ一緒に死にませんか。
よくもこんな薄っぺらい言葉を全世界に晒す気になるものだ。この連中には人としての誇りがないのだろうか。自ら努力することをせず、本気で誰かに助けを求めることすらしないで、ただ胎児のように体を丸めて暗がりに閉じこもっているばかり。軽蔑するのにさえ値しない。せいぜい呆れた半笑いを向けられるのが関の山だ。これじゃまるで――。
俺だ。
大学にはもう一年以上行っていない。バイトなどもちろんしていない。外に出るのはコンビニに食料を調達にいく時だけで、それだって数日に一度ぐらいのものだ。
正真正銘、どこからどう見ても立派なヒキコモリである。
だが幸いなことにあれこれ干渉してくるような友人も恋人もなく(親は海外在住)、誰にも邪魔されずに一日中ネットのネガティブサイトなどを眺めながら流れる時間の底に沈んでいられる。
無意味な言葉。
無意味な現実。
無意味な自分。
全部消えてしまえばいい。
ベッドに横たわったままぐだぐださまよっていた
うるさいなんだよこんな夜中にと苛立たしく時計を見て、今は昼だと気付いた。いつの間にか夜が明けていた、どころではない。既に午後も半ばを過ぎている。そういえばずいぶん腹が減っていた。昨晩チョコレートバーの最後の一本をかじったきりで、部屋に食料は残っていない。
だがそれがどうした。食べるものがないならこのまま餓死すればいいだけだ。
頭では思っても、空腹を押し殺せるほど直光の精神は強くなかった。あるいは、精神に比べれば肉体はまだしも前向きにできていた。
転がり落ちるようにしてベッドを下りて、床の上の財布を拾い上げる。スウェットのポケットに突っ込んで玄関へ。ドアノブを掴む。
チャイムの音。
びくりと身を竦ませる。
だが今度も隣の部屋だ。自分は相手をしないでいい。己の気配を殺して、他者の気配を探る。再び扉が開け閉めされる。直光はふぅっと息を吐き出した。これで外には誰もいなくなった。
ドアに耳を当て、物音がしないことを確かめてから、やっと靴に足を押し込む。
別に直光は犯罪を犯して隠れているのではない。借金取りに追われているわけでもない。誰かに顔を見られて困る理由は一つもない。マンションで行き会う相手は全て他人だ。無視して通り過ぎればそれで済む。もし愛想良く挨拶などしようものなら、その方がよほど胡散臭く思われるに違いない。
それでも人と会わずに済むならその方がいい。
温もりも触れ合いもうっとうしいだけだ。直光が他人に望むのは、ただ放っておいてくれること。
どうか誰にも邪魔されませんように。
永遠に一人のままいられますように。
直光は暫し目を閉じて願った。
いったい何に対して願っているのかは、自分でさっぱり分らなかった。
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