序章-sideS

儀式当日。

昨日家を飛び出した兄は、ついぞ帰って来なかった。

「兄さん、どこいったんだろうなぁ……」

「あの子は昔からふらっと居なくなってはまた帰ってきていたからねぇ……どこかに居るんじゃない?」

母親の楽観的な意見に溜息をつきつつ、兄さんが置いていった首飾りを手に取る。四角い飾りの四隅に小さな石、中央には大きな石がひとつはめ込まれている。

「こんなもの付けるような人じゃなかったんだけどなぁ……まぁいいや、持っていっちゃえ」

おもむろにそれを首にかけると、儀式用の衣装をさっさと纏って首飾りを隠した。着付けは勿論させなかった。隠し持つナイフや首飾りに気が付かれたくなかったからだ。見つかれば、当然全部没収される。

村の民に連れられて、洞窟の前へと向かう。

「ここから先は1人でだ。きちんと完遂するんだよ」

「……はい」

村人からトーチを手渡される。持ち手を握り締め、ゆっくりと、覚悟を決める。

何があってもやり遂げなければならない。

黙って、その暗がりへ。それでも、決して絶望を抱かぬように歩き始めた。


暗い道を歩きながら、10年前に亡くなった長老の言葉を思い出す。

『あの儀式は本当は男女1組によるものだった。片方が水を飲み、もう片方が相手の化けた身体を引き裂いて神の力を借り、その力をもって村の辺りを守っておった。大きな争いで男が召集されてからは、今のような方式になったのじゃ』

あの時貰った飾りのついたナイフと、指輪……は兄さんにあげたんだったか。

ともかく、それだけは持ってくる必要があった。バレずに立ち入ることが出来て良かった。

確か湖は冷たい風が指し示す方向にある……だったかな。

洞窟らしからぬ乾燥具合のおかげで、どちらに行けば良いかはすぐに分かった。冷たい空気の吹き抜ける方向へ、意を決す。懐からナイフを抜き、構えて歩を進めた。

前に進むこと以外考えずに歩き続けると、やや広い空間に出た。

足元に光を反射するものがある。……恐らくは、これの事だ。だけどこれに用はない。

「兄さん、居るんでしょ?ねぇ」

暗がりに呼びかける。でも、声に対する反応は無い。

どうしたものかと目を伏せると、胸元がやや青白く光っていることに気がついた。

そっと手を伸ばし、ぐいと引っ張ると、首飾りが青白い輝きを放っていた。……やっぱりただの首飾りじゃなかったみたいだ。

どこか安心するようなその光は、湖の左側を指し示した。……行ってみようか。

湖の淵をどうにか渡り、松明で先を照らしてみる。

……そこには、黒光りする岩があった。いや、岩ではない。一つ一つが反り立つ……鱗だ。

「兄さん……?」

小さく呼びかけてみる……でも、動かない。……いや違う。小さく震えている。何かを抑える様に。

「……ごめん、兄さん」

長老から貰ったナイフを振り上げ、思い切り突き刺す。

その時初めて、目の前の生き物の声を聞くことになった。

「グガァァァァア゙ア゙ァァァ゙ア!!!!!」

その鳴き声にある圧は凄まじい物だった。キイィ、と耳鳴りがする。ダメだ。これは……鼓膜が持っていかれた。いやでも、この状況では有難い。

遠慮なくやらせてもらおう。

ナイフを抉るように捻り、引き抜く。そして、暴れる化け物を押さえ付けながらそのまま傷口に手を突っ込んだ。

…水。中身が全て水のようだ。でも……何かある。いや、居る。

その物体に指を触れさせ、覚えのある形を捉える。……手だ!

そう認識した瞬間、ソレを思い切り掴み、強く引き上げる。

見覚えのある手に光る指輪。細長い指……が、3本。手の左半分が崩れている。……にしても、成人男性の体には似つかわしくないほど、とんでもなく軽い。思う節もあり、ちゃんと残りも引きずり出してみるが、やはり所々崩れ落ちているようだ。顔も右半分がすっかり崩れてしまっている。が、半分しかなくともわかる。見慣れた兄の顔だ。

「兄さん!ちょっと、起きなさいよ!」

全く熱を持たない身体を揺さぶると、目の前の不安定な存在は薄らと目を開けた。

「……ぅ……な、に……?」

「兄さん。私よ、オリヴィアよ。起きなさい。ボロボロじゃないのよ」

「あ、あぁ……オリ……オリヴィア……!僕は一体、どうなって」

「変なのに閉じ込められてたの。そうやってすぐ先走って……」

と言った所で、ふと気がつく。声も聞こえないほどの耳鳴りもしているはずなのに、兄特有の凛とした声は真っ直ぐ通ってくる。

「…私、耳が聞こえないはずなんだけど。何で聞こえるのかしらね」

「何でまた耳が聞こえなく……それはいいけど……というか、喉の渇きとかは感じないのかい?」

渇き?そういや、そんな話あったな。動物に入った瞬間水分を奪われるっていう。

「いいや、全然?」

「……成程、そっか」

ブツブツと何かを言い出した兄は、何かを納得したかのような顔をして私に微笑みかけた。

「……?」

「ちょっと待っていてね、オリヴィア。やることがある」

崩れ去った頬を撫でながら、兄は決意したように背後の生き物の残骸に向き合う。

「我ら遣うは水の力。我ら纏うは水の檻。其は欲の権化、其は守護の使命。我ら身を捧げしは、なべて御身の為なれば…」

兄が口上を述べる度、目の前の身体から滴る液体が兄を包み込んでいく。

「ちょ……何してるの」

「我は力を行使せし。以て汝を如何せん……!」

兄の体を包む液体が弾ける。兄の姿はそこにあったが、とてもじゃないが見てくれが全く違う。

崩れ去った身体の部位を補完するように、黒い液体が代わりの身体を歪ながら形作っている。それに加え、目の前の化け物と似たような羽根と角を纏っていた。

「兄さん?」

「……僕も長老から話を聞いていなかった訳では無いよ。これは力を身に纏う為の文言だ。本来は僕の立場の人は意識が無い、要するに力の受け皿になっているんだ。そこにもう1人がこの文言を読み、力を纏った存在を吸収することでここに住む神から力を借りる事が出来る」

「つまり……?」

「今その力を僕が借りたってわけだ。それに伴って身体も変化したみたいだね。さっきまで輪郭すら朧気だったのに、今は僕自身の存在がハッキリしているのを感じる」

「そっか……」

そう呟いてぼんやりとしていると、彼は一言、真剣な顔をして私に尋ねた。

「オリヴィア。僕を遣う覚悟はあるかい」

覚悟。あぁ、そっか。儀式じゃ、水を飲まない方はその力を行使して、村を……

「……良いよ。やってやろうじゃないの」

それを聞いて、軽く微笑んだ兄は私の肩をそっと叩き、私が掛けてきた首飾りに手を伸ばす。そしてそれを持ち上げ、軽くキスをした。

その瞬間、彼の指輪と首飾りがいっそう眩く輝いた。

「うわ、わ……何したの」

「契約の誓いだ。こうすることで、僕はオリヴィアだけのものになる。君の目となり、耳となり腕となる……長くなるから、帰って話そうか」

「兄さん……分かった、帰ろ」

そう言うと、彼はまだ原型を留めている方の手を私に差し出した。

私はそれを掴む。やっぱり冷たいし形も少しおかしいけど、それでもやっぱりこれは兄の手だ。

……昔はいつもこうやって、手を繋いでいたっけな。

「行こうか」

「うん」

黙って、来た道を戻る。

あんなに長い道のりだった洞窟は、抜ける時は一瞬だった。

明るい光に照らされながら外に出る。

待ち構えていた村人は皆一斉に驚き、「何故生きている」「放棄したのか?」などと口走っている。そりゃそうか。

「……みんな。待って。オリヴィアは逃げたりなんてしなかった。僕を助けてくれた」

兄は私を庇うように、前に立つ。

「ダニエル、その姿どうしたのよ!」

「おお、なんと……最早人間ではなくなってしまったか」

「力は手に入れた。護るべきものくらい護れるさ」

「……お前……ダニーか!よくも余計なことを!」

村人のひとりが強く咎めるが、彼はそれを飄々とした態度で流す。

「村人の目もある。今日は甘んじて見逃そう。せいぜい本部に逃げ帰って報告でもするといい」

「兄さん?」

「っ、くそ!」

兄を強く咎めた村人が遠くへと逃げ去ってしまうと、兄はそっと屈んで、私に耳打ちをする。

「これも後で話すつもりだった。この世界には教団のようなものがある。その実、とても厄介だけど。彼はその教団の信徒なんだよ」

「そうなんだ」

「それも含めて、帰って話そうか。……とはいえ、本来成すべき事は成された。僕はこのままこの子について行くだけ。これからは主が決めることだ」

「……どうなのオリヴィア?」

急に話を振られてしまう。そんなの、何も考えていないよ。

「そんなの……決まってるわけないじゃんさ」

そう言って目を逸らす。決意したとしても、覚悟を決めたとしても……やっぱりいざ直面してみれば、分からないことだらけだ。

「でも、時間を頂戴。やることちゃんと考えるから」

「そう……それなら良いわ」

そうだ、良い事だと村人は皆相槌を打つ。本当は彼らもこの儀式を疑問に思っていたのかもしれない……

「とにかく。さ、行こうオリヴィア」

異形の姿である彼が歩くと、自然に村人の壁が裂ける。邪魔される事無くすんなり家路につけた。


自室の扉を閉じ、すかさずベッドに倒れ込むと、普段よりも特段の眠気が襲ってくる。

なんか、色々あって疲れちゃった気がする。

「ゆっくりおやすみ、オリヴィア」

「……ん、また明日」

兄が傍にいてくれる。それだけでも、今夜はぐっすり眠れそうだ……


「いや、物理的に側にいていいなんて一言も言ってないでしょ。兄さんはさっさと自分の部屋に帰って頂戴」

「妹が相変わらずの辛辣さでいっそ安心したよ……」

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