第2話 ヒロイン登場

 しかし相手は歩たちの、わずか五十センチ手前で船体を切り返した。FJの船体半分だけ先行している。

「坊やたち、チンタラ走ってんじゃないわよ!」

 470から地元の女子大生、黒木 あきらが罵声を浴びせる。百六十五センチの長身に、バランスのとれた肢体を持つ大美人は、この界隈の有名人だった。残念ながら気性の荒さも天下一品であったが。

 晶のクルーもショートカットのおっとり系美人で、吉野里美という。こちらは若干小柄だが、その大きな瞳で見つめられると、大概の男は落ち着きを失くす。

 二人は二年前から同じコンビを組んでいるが、大学生や社会人の男性チームでさえ、そうは勝てない。

「今んは進路妨害じゃないっちゃが?」

「何言ってるの。ぶつかってないでしょうが。文句を言いたければ、私たちより先に上マークを回って見なさい!」


 ヨットレースは三角形を描くコースを、規定通りの順序で走り順位を争う。風上にあるブイを上マーク、中間にあるブイを第二マーク、風下を下マークと呼ぶ。

 晶の挑発に、豪紀は耳まで赤くして怒鳴り返した。

「何ゅ! ! ウチらがラインぎりぎりで走っているっちゃが。そんラインの内側にいて、しかも風を半分とられて、先に回れる訳ねえわあ!」

 晶は軽くウィンクすると、前方を指差した。いつの間にか上マークが十メートルに迫っている。470はブイに船体を擦るようにして、マークを通過していった。しかもメインセールが返った瞬間に、里美が魔法のように3枚目の帆スピンを出した。

「ジャイブ(*1)用意!」

 歩の大声に、豪紀は我を取り戻した。あわててジブシート(ジブセールを操るロープ)を緩める。だが、体重移動が早すぎた。


 ゴウン!


 ゾッとするような音を立てて、メインセールが返る。その瞬間、FJは船腹へまともに追い風を受け、呆気なく横転した。

しんきなぁーくそー! てげ速いっちゃがなんて速いんだ!」

 海に投げ出された豪紀は、罵声宮崎弁と海水を同時に吐き出した。歩はひっくり返った船体にしがみついている。

「・・・早くバウを風上に向けよう」

 ヨットが沈没したら、どんな時でもやることは決まっている。まず船首を風上に向けるのだ。そうでなければ、どんなに足掻いてもヨットは立ち直らない。上手く起き上がっても、反対側に倒れてしまうだけだ。

 歩たちの部活では、波の穏やかな湾内で、ひたすらヨットを起こす練習をさせられる。まともに船を起こせるようになったコンビから、海に出ることが許されるのだ。


 この練習レースで歩たちは、三十隻中二十位という結果に終わった。いつもなら五位以内に入っているのだから、惨敗と言えた。



*1 ついにルビだけでは、説明不能になってしまいました。用語を知らなくても、ふんわりお話が理解できるように努力しますが、気になるようでしたら、以下もお読み下さい。 →ジャイブ:風上から風下へ進行方向を変えるために、メインセールを返す行為。強風をモロに受けるため船が非常に不安定になる。船員にとって恐怖の瞬間。

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