桃華の覚醒

 苦しげに体をよじっている大地を無表情に見つめながら、鬼の蒼真は短剣を見た。そして短剣を床に捨てると、今度は鞘から剣を取り出し、切っ先を彼に向ける。


「……随分と俺を疑っていたようだが。お前の勘は、当たらずと雖も遠からずといったところだった」


 嘲笑しながら大地を見下ろす蒼真。それを聞いて、大地は脂汗をにじませながら、それでも不敵な笑みを浮かべる。


「……まぁ……、結局は、そっちの手にかかって、死ぬんですけどねぇ。しかし、毒とは、なかなか、粋なことするじゃねぇか」


 大地のとぎれとぎれの言葉に、蒼真は言った。


「毒で苦しんで死ぬより、一思いに殺してほしいだろ。望みをかなえてやる」


 桃華は二人の会話を聞きながら自分を守るために大地が彼女を放り投げたことに気付く。大地がとっさに自分をかばってくれなかったら。あの短剣に刺されたのは、自分だったかもしれない。大地は自分をかばったせいで、刺された。その大地が今、鬼となった蒼真に止めをさされようとしている。


 彼を死なせてはだめだ。そう、彼女の心の声が叫ぶ。彼は自分を二度も助けてくれた。その彼をここで死なせるわけにはいかない。なんとしてでも止めなければ。


 でも、どうやって。桃華には武術の心得はないし、武器を持ってもいない。どうやっても鬼の蒼真に勝てる見込みはない。彼女はぎゅっと強く両こぶしを握る。


 結局、自分は何もできないのか。ここでも自分の居場所を見つけられないのか。蒼真の笑みが、虚空の高笑いが現代の日本での桃華の上司たちの自分をバカにした笑いと重なる。彼女は強く、唇をかむ。


 違う。私は、あの時の、事故に遭う前の自分とは違う。弱くて、自分と向き合えない自分とは違う。あの時の流されるがままだった自分とは変わった。変わりたい、そう強く願う自分がいる。弱い私を受け入れて、きっと現代の日本でやりたいことをやれよと応援してくれた大地を何がなんでも助けるんだ。


 そう心に決めたときには、彼女は走り出していた。鬼の蒼真は今にも切っ先を大地に振り下ろさんとしている。その動きがスローモーションのように彼女には見えている。そんな走っている彼女の手に、何かずっしりした重みが広がる。


 淡い光に包まれたその何かの内容を調べるよりも先に、桃華はそれを強く握りしめ、鬼の蒼真に向かって突進する。それに気づいた蒼真が、切っ先を慌ててこちらに向ける。


 強い衝撃。桃華は後ろに跳躍した。そして桃華は大地を守れる位置に移動する。そして蒼真と対峙した。桃華は光が収まった手元を見る。そこには日本一と書かれた旗が握られていた。


 蒼真は、鼻で笑った。


「そんな旗で今の俺に勝てると思ってるのか」

「蒼真さんこそ、忘れてない? この旗のこと」


 桃華はそう言うと、旗を振った。すると、そこから美しい刀が現れる。刀身は、薄く桃色に発光していた。


「この刀……」


 大地が桃華の持つ刀を眩しそうに見つめた。そして桃華に言う。


「安心しろ。お前は、正真正銘、桃太郎で間違いない」


 桃華はその言葉に押されるようにして、刀を構え直す。蒼真は、刀身を見てじりじりと後退する。


「その刀……、まさか……」


 その時、虚空の声が響き渡った。


「打ち出の小づちに命じる。俺の仲間たちを鬼ヶ島へ転送せよっ」


 その言葉を聞いて、蒼真は桃華をにらむと言った。


「次に会った時は容赦しない。その刀も返してもらう。……きっとな」


 そう言い残すと、蒼真は姿を消した。それに続くように、他の鬼たちも消えていく。後には、桃之介とその部下、放心状態の紅太、直季、萌木、怪我をした大地と桃華だけが残された。


 桃華は、大きく息をはきだすと、日本一の旗に刀をしまう。そして、大地に駆け寄る。


「大地さん、大丈夫ですかっ」

「……心配、すんな。大したこと、ないから……」


 そう返答するものの、大地の苦しげな息遣いに、桃華は胸をしめつけられる。


「ごめんなさい、私のせいで……」

「気に、すんな。性別のことは、もっと早く、教えてほしかった、けどな」


 大地が小さく笑う。桃華が俯くと、彼は冗談めかして言った。


「そしたら、さっさと、口説き、おとしてたのによ」


 大地はそれだけ言うと、目を閉じる。桃華が大地の体をゆする。

「大地さんっ!? 大地さんっ」

「大丈夫さぁ。アンタならこの子を救えるよぉ」


 そっと彼女の脇に腰をおろした人物がいた。その人物を見て、桃華はびっくりした顔をする。そこにいたのは、桃華がこの世界に来た時初めて出会ったこの世界の住人、葵だったのだ。


 葵は、桃華を見ると、にっこり笑った。


「アンタ、よく頑張ったねぇ。さあ、もうひと踏ん張りだぁ。前に渡した桃はまだ持ってるかい? アレをこの子の口に入れておやりな。それで解決するよぉ」


 桃華は、慌てて懐を探り、葵からもらった袋を取り出す。中の瓶に入っている桃の欠片を一つ、大地の口に入れる。そして、大地に向かって言う。


「大地さん、聞こえますか。それを飲み込んでください。絶対、私があなたのことを助けます」


 桃華の言葉に応えるように、大地の喉が鳴る。すると、しばらくして大地の荒かった呼吸が、徐々におだやかなものに変化する。


 桃華が葵を見ると、葵はにっと笑った。


「もう大丈夫だぁ、この子も、アンタも」


 桃華はそれを聞いて、安堵して崩れ落ちる。その体を支えながら、葵は言った。


「とにかく、場所を変えよう」


 葵は、一緒に来ていた福吉に声をかける。


「じいさん、この子らみんな、家へ連れて帰るよぉ。話はそれからだぁ」

「そうじゃな」


 福吉は葵の言葉に頷くと、その場にいた全員に言った。


「鬼ヶ島に向かおうと思わん者は、すぐに神殿を出てくれ。神殿に残っている者すべてを、わしの家へ転送する」


 みな福吉の言葉に不思議そうな顔をしたが、誰も神殿から出ようとはしなかった。福吉は頷くと、杖をどんと床に一度打ち付けた。


「それじゃあ、この場にいる者全員をわしの家へ転送するのじゃ」


 そう福吉が言ったとたん、辺りはまばゆい光に包まれた。光がなくなったときには、その場にいたすべての人間が姿を消していた。


 

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