小さな決意

 桃華は、現代の日本での最後の記憶を思い出していた。あの時。意識がなくなり始めたとき、彼女の心にあふれていたのは、数えきれないくらいのやり残したこと、そして後悔だった。


 老人は優しく諭す。


「ここには、以前までのお前さんを知る人はいない。新たな生活を手に入れられる」

「……それでも」


 桃華は、ぐっと顔を上げると老人を見据える。


「それでも私は、元の世界に戻りたいと思います。あの時、やり残したこと、後悔がたくさん浮かびました。今度は思った通りにやってみたいと思うんです」


 それを聞いて、老人は一瞬呆気にとられた顔をした。しかしすぐに、派手に笑うと一言。


「よかろう、それがお前さんの選択ならわしに止める権利はない」


 その時、桃華の握りしめていた拳の中に、ずっしりとした重みが広がった。桃華がびっくりした顔をすると、老人はにこやかに笑う。


「どうやら、進むべき道が決まったようじゃな。お前さんが手に入れたそれが、今後の指針となるじゃろう。後悔なきよう、やってみるがよい」


 老人が言葉を言い終わるか終わらないかのところで、彼の姿は露と消えた。そこへ、葵と福吉が戻ってきた。


「ずいぶんと長いこと話してるじゃないか。……って、お客人はどうしたのさぁ?」

「帰られたんだと思います」


 桃華はそう言って、拳の中を開いてみる。そこには、光り輝く玉が一つあった。よく見ようとしていたとき、乱暴に家のドアが開けられた。


「失礼する。鬼塚家の使いの者じゃ。桃から生まれた男がおると聞いて参った」


 葵が、あわてて玄関口に向かう。そして偉そうな顔をした男を連れて戻ってきた。男は、桃華を見るとあごをつきだして言う。


「桃から生まれた男は、鬼塚家に仕える者となることが決まっておる。すぐに向かうぞ」

「ちょっと待ってください。私、まだ行くと返事をしてません」


 桃華がむっとして言うと、男は不機嫌になる。


「何を言うておる。鬼塚家に仕えることこそ、何にも勝る名誉なこと。贅沢な暮らしと名誉が約束されておるからな。他に選択肢などあるはずがない」


「鬼塚家はねぇ、この辺一帯を治める領主様なんだよぉ。確かにアンタが鬼塚家に仕えてくれるのなら、アタシたちの将来は安泰だねぇ」


 葵が福吉の方を見ながら言う。福吉は首を横に振る。


「わしらのことは気にしなくていい。お前さんがどうしたいか。それが大事じゃ」


 福吉の言葉に、桃華は小さく頷く。このまま鬼塚家に向かえば二度と元の世界に戻ることができないような気がした。元の世界に戻ることができなければ、現代でやり残したことをしたり、後悔したことを挽回することはできない。


 桃華は、葵と福吉に向かって頭を下げる。


「短い間でしたが、お世話になりました。そしてお役に立てず、ごめんなさい。自分の思うようにやってみたいと思います」


 そしてそのまま家を走り出る。その前に二人を見ると、彼らはどこか満足げに微笑んでいたように思えた。


 外には、男の家来と思われる男たちがいた。それらをくぐり抜け、桃華は走り出す。彼女の視線の先には、大きな森が広がっていた。道は行く筋にも分かれていたが、なぜか彼女はそちらへ逃げることを選んだ。何かに呼ばれているような、そんな感覚があったのだ。




 



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