桃華の知らない世界
今、桃華の目の前には白い湯気を立てている茶碗一杯のごはんがあった。しかし、彼女は手をつけられずにいる。昔、どこかの本で読んだことを思い出したのだ。
『異世界の食べ物を食べたものは、何らかの罰を受ける』
しかし、と彼女は同時に考える。あくまで異世界の食べ物を食べてはいけないのは、自分が別の世界の住人であるときだけだ、と。彼女は以前の世界、現代の日本では死んだはずだ。そして、この世界へやってきた。それであれば自分はもう、この世界の住人なのではないか。
桃華は勢いをつけて、えいっとごはんを口に入れた。ほんのり甘い感覚が口の中に広がる。かんで飲み込んでも、何も起きなかった。
桃華はごはんをゆっくりと味わいながら食べ始めた。その様子を、福吉はうれしそうに眺めている。
「桃華さんは……、本当に桃から生まれたのかい?」
桃華は、少し考え込んだ後小さく頷く。
「おそらく、そうだと思います。桃の中にいた記憶は、ありませんが」
「そうかい」
「あの。……私に救い主になれとおっしゃいましたが、この村にはよそ者が村を救うなどの何か言い伝えなどがあるのでしょうか」
桃華は読書が好きだった。彼女が本を読んで得た知識がある。そのうちの一つは、知らない世界ではまず情報を集めるのが重要だということだ。
(まずはこの二人からできるだけたくさんの情報を集めないと)
「そう。この村には古い言い伝えがあるのさぁ」
葵は桃華の方へ体を乗り出す。
「大きな桃から生まれし男、悪しきものより村を救うとねぇ」
それを聞いて、桃華は考える。
(言い伝えでは、鬼と言っているわけじゃなくて、悪しきもの……)
彼女の頭の中で、それはどこか不自然なように思えた。もちろん古くからの言い伝えなのであれば、鬼という明確な敵を言い表せなかっただけかもしれない。ただ、なんとなく彼女には、その文言が引っかかった。
しかしそれを口には出さずに桃華は、もう一つの疑問を口にする。
「葵さんは、どうしてそんなに村を救ってほしいのですか」
「それは……」
自分の住む村が襲われているのだ、理由なんてそれだけで十分かもしれない。しかし、どうも桃華にはもっと他の原因があるように思えてならなかったのだ。
葵は、うつむく。そして今までにないか細い声で言った。
「この村ではアタシたちは、お荷物、必要ないもの同然なのさぁ」
「どうして……」
桃華の言葉に、葵の代わりに福吉が言葉をついだ。
「この村ではな、桃から生まれる男を授かった家だけが優遇される。それ以外の人間は無視されるのじゃ」
(そんなの、タチの悪いいじめじゃない……)
そう思った桃華は、もう一つの事実に気づいて固まった。そしてゆっくりと聞く。
「も、もしかして……。桃から人が生まれるのは……」
「この村ではごく普通のことさぁ」
葵の言葉に、桃華はひっくり返りそうになる。そしてここが、ただの自分が知っている『桃太郎』の世界ではない可能性に気づく。
「ただ、桃から生まれても男でなければ意味はない。桃華はおなごだからな、それが心残りじゃ」
福吉の言葉に、桃華は考え込む。桃から人が生まれることが当たり前のようにある世界。それは桃華の知っている『桃太郎』の世界とは異なる。彼女の知っている『桃太郎』であれば、桃から生まれた子どもは、桃太郎一人だと思われる。あのおじいさんとおばあさんの驚きようから、桃から子どもが生まれることは当たり前ではなかったはずだ。
次々と自分の知っている物語と違う設定が出てきて、桃華は頭は混乱しそうだった。しかし、少なくとも当分はこの世界で生きていくしかない。いかにうまく立ち回り、情報を集めるかが重要だ。桃華は冷静であろうとする。
「他の村に移住したいけどさ、そんな余裕はないのさぁ。だから、どんなに他の村の人に白い目で見られようと、がまんしてきた。でも、もう限界だよぉ」
葵は、目をうるませている。
「お前たちは、ちっとも村の役に立たない。いてもいなくても同じ。桃の一つも拾えない恥さらしだって。そんなの、アタシらのせいじゃない」
それを聞いて、桃華は過去の自分と葵を重ねた。過去、自分が勤めていた会社で、上司に言われたことと、葵の告げた言葉は似ている。
お前は、役に立たない。人員不足じゃなかったら雇ってない。人件費の無駄。
次々と上司に投げられた言葉がよみがえる。桃華は顔をしかめた。そして目の前にいる葵と福吉に少しだけ親近感がわく。
(まだこの人たちのこと、よく知らない。だけど、手を貸してあげたい)
そう思ったとき、彼女の中で一つの名案が浮かんだ。ここは、私の知っている『桃太郎』の世界とは違う。それは、あの『桃太郎』の物語が長い歴史の中で変化したからかもしれない。そうじゃないかもしれない。
どちらにせよ、知っている物語と違う部分があっていい。それはただ、削られただけの可能性もある。そもそもこの世界が自分の知っている『桃太郎』がすべてではないと分かったのだから。それなら、こちらから変えてやる。そう、彼女は決心した。
「拾った桃から女が生まれたと、どなたかに言いましたか?」
「いや、誰にも」
「それなら、いい考えがあります。私の作戦を聞いて頂けますか?」
桃華は姿勢を正した。それを見て、二人は顔を見合わせる。彼女はゆっくりと作戦を話し始めた。二人は最初は訝し気な顔で彼女の作戦を聞き始める。しかし、次第に彼らの表情は生き生きとし始めた。
桃華の作戦を聞き終わったあと、葵は勢い込んで言った。
「うん、やってみる価値はあるかもしれないねぇ」
福吉も頷く。
「このままいたって、何も変わらない。それなら、やってみた方がましじゃ」
二人の答えを聞いて、桃華は満足げに頷いた。そして二人に頭を下げる。
「この作戦には、お二人の協力が不可欠です。よろしくお願いします」
「もちろんだよ。アタシが知っていることはいくらでも教えるし協力するよぉ」
「わしもじゃ。きっと、成功させよう」
こうして、三人は出会って数分で共同戦線を張ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます