世界を知る

福吉と葵

 桃華は一瞬、部屋の明るさで目がくらむ。見ると話し声の主であろう男女が、こちらをびっくりした表情で見つめていた。


「あ、助けて頂きありがとうございました」


 とりあえず、桃華は二人に頭を下げる。あっけにとられていた男女の、女の人の方が先に正気を取り戻した。彼女ににこやかな笑みを浮かべて立ち上がる。


「まぁまぁ、もう元気になったのかい。それはよかった」


 心配したんだよ、と女の人。男の人の方はまだ驚いた顔を浮かべたままだ。


「それでそれで。……アンタ、この村の救い主になってくれるんだよねぇ」


 女性の目つきが急に鋭くなる。桃華は思わずあとずさりした。


「救い主って……」

「この村は、桃から生まれた男が、鬼から村を救うっていう言い伝えがあるのさ。アンタがこの村を救ってくれるのなら、ずっとここに住んでくれて構わないよ」


「急にそんなことを言われたって困るよなぁ、お前さんも」


 どうやら我に返ったらしい男の人が女の人と桃華の間に割って入ってくれる。


「あの、私……。ここのこと、よく知りませんし、鬼についても詳しくありません」

「詳しくなるさ。アタシらが説明してあげるさぁ」


 男の人も女の人も、どちらも綺麗な銀髪をしていた。肌がぴちぴちしていて、若々しい感じがする。


「鬼はねぇ、この村を時々襲うのさぁ。そして食料やお金を盗んでいくのさぁ」

「ど、どんな姿をしているんですか……?」


 桃華はどきどきしながら尋ねる。頭の中では、桃から生まれた男の子が出てくる物語のことを、必死に思い出そうとしていた。


 たしか、物語の名前は『桃太郎』。桃から生まれた桃太郎は、鬼退治へ行って鬼を退治した後、宝物をもって育ての親のおじいさんとおばあさんの家へ帰るという話だったはず。そう、彼女は記憶していた。


 そんな彼女の思う鬼というのは赤色や青色や、黄色やら色んな色をしていて、虎柄のパンツをはいているイメージがある。モジャモジャの髪の毛から角が生えていて、口からは牙。鉄の棍棒をふりまわす、大きな怪物だ。


「そりゃあ、恐ろしい姿に決まっているよ。言葉では言い表せないくらいにねぇ」


 そう言われて、桃華は震えあがる。


(こんな、右も左も分からない場所でいきなり鬼を倒せと言われても困るよ……)


 現代の日本なら、スマートフォンで『鬼退治 やりかた』などと調べていたかもしれない。しかし、ここにはそんな便利なものはどう見てもなさそうに彼女には思えた。そもそも、スマートフォンで調べられたところで、ゲームの敵キャラクターの倒し方が載っている程度に決まっている。


 それに、と桃華は心の中で顔をしかめる。この人たちを信頼できない、と。特に女の人。初対面の人間にいきなり村を救えといい、救えば居候させてやるという。


(この人たちが、『桃太郎』に出てくるおじいさんとおばあさん? でも、二人ともそんな年齢が高いように見えない……)


 そう思いながらも、日本で得た知識がふと浮かぶ。


(でも、昔はそんなに平均寿命が長くなかったから……。いやでも、この二人、私の上司だった人とそんなに変わらない年頃に見えるけどなぁ)


 桃華から見た二人の男女は、まだ三十代に見えた。これをおじいさんとおばあさんと表記するのは無理がある。


「そもそも、村を救ってくれなくても、わしらは素敵な贈り物をもらったじゃないか、お前」

「それは、そうだけども……」


 男の人の言葉に、女の人が口ごもる。その間に男の人は桃華に向き直った。


「すまないね。女房は、口が悪いんだ。……わしは福吉ふくきちという」


 男の人……――、福吉は小さく笑う。桃華も福吉に会釈して言う。


「私は、桃華と言います」


 それを聞いて、女の人の表情が輝く。


「ほら、名前に、ももがついてるじゃないか。もう、決まりだねぇ!」


 そう言うと、女の人は桃華の手を握って言った。


「アタシはあおいというんだ。よろしくねぇ。さっそくだけど、鬼退治に……」

「だから、その話は一旦おいておきなさい」


 言いかけた葵の言葉をさえぎって、福吉はぴしゃりと言った。それから桃華に優しく言う。


「お腹はすいてるかい? とりあえず、何か食べながら話そう」


 そう言って、ご飯の支度を始めようとする。桃華は福吉を手伝おうと彼のあとについていく。ついて歩きながら彼女は、先ほどの福吉の言葉が引っかかっていた。


(素敵な贈り物って……、私が一体この人たちに何をあげたっていうんだろう……)

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