EX2……というにはお粗末なパンク風付け合わせ

パンク風なので不良ぶってるということですたぶん。


本当は本題に入れたかったけどそこに組み込めなかったよ、な話としていわゆる物語世界への「警察」行為問題がある。

なお、今回は言葉遣いとかそう言った点は置いておく。どちらかというと、事象・知識・物質といった方面のことだからだ。ジャガタラ芋とか。


普通一般に過ごす以上、我々は基本的に科学という世界観テンプレートを現実として生きているというのは前置きの通り。

同時に近世以前にあった神秘に対して、つまびらかに暴き、公平に再現する科学は、ハッサムに対してかえんほうしゃみたいなもんである。4倍。こうか は ばつぐん だ。

異界の概念は、元来神秘の側であり、今なお密やかに科学の定義範囲外でくすぶっているようなものであり、またそれらの分析と再構築の延長線上に位置する物語も異界の側である。


つまり、力関係的には「科学=現実≫神秘=異界≒物語」というのが現代の世界観テンプレート。

そして、ここでいう世界観テンプレートとは、ニアリーイコールで信仰・宗教でもあり、我々自身が「世界」を受け入れるための拠り所=世界を解釈するための規範である。


端的に言えば、ジャガタラ芋とか中世とか、そうした「警察」行為の発生する基盤の一部として、この力関係の影響範囲の過大解釈があると考えられる。

誇張気味なのは承知の上で言うと、「現実がこうなのだから、それを踏まえたはずのフィクションもこうあるべき」という論調とも言える。


これについては一理ある場合もあるので、「警察」行為すべてがすべてまるきり悪いとは一概に言い切れない場合もある。

主に、現実に則した世界であると明言されている場合や、現実世界と同じ知識をフィクション上で現実世界の知識として扱う場合、つまり「その知識が正しくなければ正当性が生まれない場合」においての「警察」行為は一理ある。

逆に言えば、「現実世界に則してなければ正当性が生まれないとは言えない場合」における「警察」行為はナンセンスなものとなる。


他に考慮されるべきは、作者が意図したのか、意図しなかったのかというラインである。

「その知識が正しくなければ正当性が生まれない場合」でありかつ、知っていて意図したのであれば、やっぱりそれに対する「警察」行為はナンセンスとなる。

それが伏線って場合もあるけど、基本的にはジョージ・ルーカスの名言「俺の宇宙では音が鳴るんだよ」に通ずるし、銃や刀を構えてチャキッって音がする(現実的にはするはずがない)のと同じ場合もある。つまり、演出。


そもそも、作者の構築した世界観が確実に現実世界と同じ世界観であるか、というのは読者には知り得ない部分である。

いくら作者が情報開示しようと、それを元に読者が想起するのは情報を元に再構築した世界である。

要はプラモみたいなもんなので、情報(パーツ)やその順序がわかりやすく高解像度であればあるほど、作者の脳内に近づくが、再構築なのでそれそのものではあり得ない。

また、文字情報を中心に据える小説ではこのうまい情報の開示の仕方というのが、それなりの技量を必要とする。テンプレ・お決まりを使うと、その分削減することもできるので、この辺りは組み合わせとか配分とかの問題になる。し、その是非はとりあえずその辺に放っとく。

ただ、その点に明言が一つもなければ、本当にそのテンプレ・お決まりを使用しているか、読者には観測ができない。


で、先立っての帰結から、物語は異界、つまりは神秘の側の延長線上にある。

「警察」行為はそこに主に科学的な現実をぶつけるので、「こうか は ばつぐん だ」が発生する。

本人的にはいいのかもしらんが、巻き込まれた側はひとたまりもない。寝てるところで他人のかけたアラームが鳴り出して目が醒めるようなもんである。下手すると当人は寝たままである。

大体、この「警察」行為というのは、当人達は自身が正しいという意識があるせいか、上からになりがちである。

その正しいという意識は当然現実的な科学の規範上でのことなので、「科学=現実≫神秘=異界≒物語」という図式が根底にあることはうかがえる。


加えてぶっちゃけた話すると、「ラノベ・漫画に警察するなら、某文豪のアレも警察すべきなんだよなあ、うっかり人体に害があるかもしらんし、文学ジャンル差別良くない」というのが私の脳内にある。

いや、絵面として美しいのはわかるけど、毒のある鈴蘭の入った鉢の水を飲ませるんじゃありません。

※石にくちすすいで、ジャムを一瓶空にする某文豪の『それから』のこと


なお、私は『空想科学読本』は「警察」行為ではないと認識している。

なぜならあのシリーズは、あくまで「現実の科学の規範に当てはめて考える、こうである」という前提のもとに繰り広げられる、そのナンセンスさを承知の上での無駄に詳しい検証だからだ。「ナンセンスとわかりながら、そんな大層な論理つけるの」というのを笑うためのシリーズと承知しているのである。実際、言い回しが大真面目にユーモラスなのはそういうことが前提で笑かしにきてるからだし、対象となるものはそんなこと知らんがなレベルの一定の人気がある作品が中心(特に初期)だし、完全に知識によるお遊びである。

逆に考えれば、警察行為も笑われる可能性があるということでもある。

……まあ、笑いの種はギャップであるというのは茶番の歴史や初期俳諧はいかいの見立ての技法からすれば、それはそう。西鶴の「伏せたすり鉢を富士山かしらと眺める良家から嫁に来た娘」とか


とりあえずはつまるところ、「軽々な警察行為はほか読者も巻き込んで興醒きょうざめを呼び起こすから、よくよく考えた上でどうしてもってところでマウント取るつもりがないことをアピールしながらやるべきだよね。丸い卵も切りようで四角だぞ」という話である。

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