4 転生における死生の価値

※メモに残ってなかったので、日本霊異記や本朝法華験記の各話名は後々埋める、かもしれない。さすがに日本思想大系は所持していない。

※2023/3/21 本朝法華験記の入った日本思想大系を手に入れたのでメモ部分加筆修正。

※2023/12/17 日本霊異記チェックしたから日本霊異記分加筆


転生譚、というのは実のところなかなか難しいところがある。


出だしで真っ向から足をくじいてるんだが、まあ、キリスト教主流の世界観だと転生は許されないから、異端になってくるのよね、仕方ないネ。


一応、ヨーロッパの方だとケルト系には考え方自体はあると聞くけど、具体例を寡聞かぶんにして知らない。手持ちの文献さらっても明確なその記述が出てこない。


北欧神話系では手持ちの事典総ざらいしてもへルギとシグルーンぐらい……ヘルギとシグルーンは死んでも生まれ変わって3回添い遂げたという英雄とヴァルキュリヤなので、ロマンチックではあるわよね、うん。


インドではヒンドゥー教が転生と密接にかかわりを持っているため、ここから派生した仏教でも転生というのが重要な役割を果たしている。六道輪廻ろくどうりんねと、そこから抜ける解脱げだつという価値観だ。

……まー、まー、ヒンドゥー教における転生は仏教の転生ほど平等ではないようだけど、うん、面倒くさい問題に足を突っ込みそうなので、そこには触れないでおこう。

ただまあ、『ラーマーヤナ』のラーマは化身アヴァターラと言うべきなのか、生まれ変わりと言うべきなのか、それとも両方を同時に両立させるのかとかは、うーん、ちょっとわからん。同じ系統で行くと中央アジア辺りの叙事詩『ケサル王物語』もわからんやね……。とりあえず、厳密に転生とは言えないと思う。


昔話・伝承の系統でいくなら、動植物の前生譚だが、これは転生ではなく動植物の起源こそが本題であり、対象となる動植物の特性(特に鳴き声やその見た目)の理由として、前生となった人物の所業や性格が紐付いている。今何万羽も生息してる鳥が全部その生まれ変わりとか言われると、それは転生ではないと思う。

そういう意味ではその起源が転生に囚われる必要はなく、それこそギリシャ神話のアドーニスやヒュアキントスみたいに、その流れた血から咲いた花とかでも構わない。


……さっきからわかんねとか否定ばっかじゃね? と言われたら言い訳できない。

そもそもの私の専門は日本の中世説話なのでだね……類例のかき集めがだね……


……というわけで、私の専門その付近を中心にしてみてみたい。

なんの因果か卒論で転生の説話ばっか集めようとして、地獄を見たし、その結果の資料もある。


で、まあ、日本の中世(+中古)説話における転生はどうあがいても仏教上の教訓めいた内容となるわけだ。

卒論当時のメモには

三宝絵詞さんぽうえことば

上・7 魚1万匹→流水長者が法を説いた→1万の天人

8 堅誓獅子けんせいじし→僧形の者を殺さないと誓い、それを逆手にとった猟師に殺される→釈迦(宝物集)」

とか

今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう

天竺 1・26 妃→自らの美貌を愛し過ぎた→自らの死体を太虫となって守る 人→人で前世に犯した罪に対して、自分が答えた罰を受ける×2 前世に生きたものの骨の山

34 ?→牛 『先ノ世ニほどこしノ心キニよりなり。』 『此ノ牛、此ノ功徳くどくもっテ天ニ可生うまるるべシ』

<中略>

14・2 ?→蛇→仇敵きゅうてきを追う→信濃守しなののかみの写経→忉利天とうりてん ?→鼠→信濃守しなののかみの写経→忉利天とうりてん 法華験記下125

14・3  道成寺どうじょうじ 法華験記下129

14・4 1度天皇に仕えた女性→金千両を墓に埋めた→蛇身→真備まきびに写経→兜率天とそつてん ※狐と猿の前話

<後略>」

とかある(ルビ以外原文ママ)。書いた本人だけどこれはひどい。

……この例だけでも多少はわかりやすいかとは思うのだけど、単に「人→人」の転生というのは、「まったくないわけではないけれど、人から別のものに、あるいは別のものから人以上に生まれ変わる話」の方が圧倒的に多い。

日本の中世説話における仏教上の転生は通常、因果応報によって成り立つ。

しかし、この因果応報というのも仏教上のポイントになっており、善の因果の多くは「経」と紐づく。いや天竺てんじく舞台だと釈迦の前世のお話ってとこもあるけど、日本舞台の場合は経が重要。

まあ、善による転生のよくあるパターンは以下の通り。


 ① 前世で他者の読経を聞いたなどして今生こんじょうで人に生まれる

  →大体夢で発覚。場合によっては何かしら因縁いんねんのある一部分(前世で聞かなかった、前世が紙魚しみで食べちゃった)を今生こんじょうで覚えられなかったり、読めなかったり、あるいは不具を抱えていたりする。

 『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう

  一四・一四「僧行範持法花経知前世報語僧行範、法花経を持して前世の報いを知ること

  一四・一八「僧明蓮持法花知前世語僧明蓮、法花を持して前世を知ること

  (今昔のこの巻一四にはなぜか大量にこういう話が集まっている)

 ②他者に写経をしてもらう

  →大体夢で依頼して、後日夢で報告におとずれてくれる。圧倒的に忉利天とうりてん等へ天人として生まれ変わる率が高い。夢で依頼する前の前世の悪因の転生から始まることも多い。

 『本朝法華験記ほんちょうほけげんき

  下・一二六 越後国えちごのくに乙寺きのとでらの猿

  下・一二七 朱雀大路の野干やかん

 『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう

  一三・四二「六波羅僧講仙聞説法花得益語六波羅の僧講仙、法花を説くを聞き益を得ること

 ③前世で経を運んだために今生こんじょうで人に生まれる。

  →前世は馬か牛(ほぼ断定)。荷物を運ぶ動物なんて限られているんで。

 『本朝法華験記ほんちょうほけげんき

  上・二四 頼真法師 

  上・三六 叡山の朝禅法師

 『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう

  一四・二三「近江國僧頼真誦法花知前生語近江國の僧頼真、法花を誦して前生を知ること

  一四・二四「比睿山東塔僧朝禅誦法花知前世語比睿山東塔の僧朝禅、法花を誦して前世を知ること


はい。このお経の効能よ……。

古今著聞集ここんちょもんじゅう』と共通(同話)だったり、『本朝法華験記ほんちょうほけげんき』と『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう』で共通(同話)なやつもあるんだけど、さすがにそれまで記載するのはなかなか……。

で、善があるということは当然悪もある。さっきあげた②のパターンなんて、この悪による転生からの「頼むから供養してくれ!(泣)」という夢枕パターンは多い。


 ①嫉妬や執着を抱いたまま死んだため、蛇になる。

 →金だったり、たちばなだったり……なお『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう』三一・一〇には「嫉妬しっと罪深つみぶか事也ことなりかならへびなりニケムトゾひとヒケルナム」との記述も。

 『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう

  一三・四三「女子死受蛇身聞説法花得脱語女子死にて蛇身を受け、法花を説くを聞きて脱るるを得ること

  一四・一「為救无空律師枇杷大臣写法花語无空律師を救わんが為に枇杷の大臣法花を写すこと

  一四・四「女依法花力転蛇身生天語女、法花の力に依りて蛇身より転じ天に生まるること」等


 ②他人の物を不当に使用し、返さなかったために動物(特に牛)になる。

 →大体牛というのがお決まり。荷運びさせられる。

 『日本霊異記にほんりょういき

  上・一〇「子の物を偸用ぬすみもちいて牛とりてつかはれあやしきしるしあらわことのもと

  上・二〇「ほうし湯をかすわけたきぎちてひとに与へて牛とつかはれあやしきしるしあらわことのもと

  中・九「おのれ寺を作り其の寺の物をもちいて牛とつかはるることのもと

  中・一五「法華経ほけきょうを写したてまつり供養するにりて母の女牛めうしりしたねあらわことのもと

  中・三二「寺の息利いらしものの酒を貸用かりもちいつくのはずして死にて牛とつかはれもののかいつくのことのもと

  下・二六「ひてみちにあらずしてもののかいはたりて多くして取りてうつつに悪しき死のむくいを得ることのもと

 『古事談こじだん

  三・六「実忠、牛の語るを知る事」等


 ③何等かの罪により動物(特に蛇)になる。

 →困ったら蛇にしとけ感がある程度には蛇のパターンが多い。『日本霊異記にほんりょういき』中巻・第四十一とかは本人が死に際に「たぶん私は蛇に生まれ変わるでしょう」って言い残してるだけだけど、もう「ご先祖様始まってる」感やばい(教科書に載せられないタイプの古文)

 『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう

  一二・三六「天王寺別当道命阿闍梨語天王寺の別当、道命阿闍梨のこと

  一三・四四「定法寺別当聞説法花得益語定法寺の別当、法花を説くを聞きて益を得ること

  一九・七「丹後守保昌朝臣郎等射母成鹿出家語丹後守保昌朝臣の郎等、鹿と成りし母を射て出家すること」等


蛇が多すぎなんだよ。一応他の動物(鹿、なまず、馬、蝶等)もあるけど。

まあ、珍しいところなら『沙石集しゃせきしゅう』七・一〇の子供を思うあまり母親が馬に転生した話(「人の親の子を思ふ痴愛ちあい因縁いんねんによりて多く悪道あくどうちて苦を受くる=親が子を愛しすぎる因縁のせいで、六道ろくどうの中でも悪いとこに転生して苦しみがち」との記述有)とか、『古今著聞集ここんちょもんじゅう魚虫禽獣ぎょちゅうきんじゅう・六八九の忠誠心ゆえに死後犬に転生して仕える平泰忠たいらのやすただや、同七一九の智願上人ちがんしょうにんに奉仕するために上人しょうにんの乗る馬に転生し続ける乳母めのととか、現代人の感覚としては「え、それ罪扱いなん?」というのもなくはない。

なくはないけど珍しい部類。

……余談としては仏教上、「愛」は「執着」と「≒」なので蛇になっても仕方ない。


とりあえず、説話でのテンプレ提示はこの辺りにして。


昨今流行りの異世界転生モノ(※タイムリープ的なのは除く)を、説話でのテンプレと比較するなら、転生理由がポイントになるだろう。

というか、それ以外がレベル違いすぎて、それぐらいしかまず比較できないし。


異世界転生モノの転生理由。

この辺りは、

 ① 神様のせい

 ② 世界というシステムのせい

 ③ 不明

ぐらいに分けられるんじゃなかろうか。

①と②は「≒」の関係だと思うが、人格があったら前者判定とする。

要は「人格があるものが世界を動かすシステムとしてオペレーションしている」のか「世界のシステム自体が全自動で動いている」のかという話。


さて、そもそも異世界転生モノでは現実から持ち込んだ意識が、「権威あるもの」としてふるまわれる以上、「現実→異世界」という世界の移動こそが最大の権威であって、転生はその一手段である。

それなら転移でもいいじゃんと言われると弱いのだが、ここはあくまで転生を基準に見たいので押し通す。

転生である以上、主人公は必ず死ぬ。

そして、それを何者かが「現実→異世界」という移動を伴って転生させる。

この時点で、その何者か=①~③のどれかという、二つの異なる内、現世と異世界を俯瞰する者という、非常にわかりやすい現世からも異世界からも「外=異界」の存在となる。


そうなってくると、この①~③で何が変わるかという話になる。

「① 神様のせい」は先述の通り、人格がある。

「② 世界というシステムのせい」は、システマティックということになると、機械的に仕分けられたということになる。

「③ 不明」は不明。

……というこの流れであると、少しでも神様に好印象を与えておかないといけない①の方が、主人公の善性か、神様からの好感度が読者に向けてアピールされるということになる。個別対応ってことはその分手間がかかるし。

ということで、①の方が主人公の持つ権威は若干程度、補強されると考えられる。


次いで、転生である以上、主人公は必ず死ぬので、その死因。

これは大体以下の三つのパターンじゃないかな、と思っている。

 ① 事故・急病による突然死

 ② 長年の闘病の末の死

 ③ 不明瞭

極端に言えば、点的に不運(①)なのか、線的に不運(②)なのか、それを明確にしない(③)かである。

と考えれば、転生させるのが神様だろうが、システムだろうが、なんだろうが、不運に対する埋め合わせを行っていることに変わりはない。

その上で、数多の人間の中から、特別にその一個人に対して行われるのであれば、それは「神(=異界)の寵愛ちょうあい」と言い換えられるのではなかろうか。


古来、「神(=異界)の寵愛ちょうあい」は数多の英雄を生み出してきた。神はので当然、外=異界である。

つまりは「神(=異界)の寵愛ちょうあい」は異界にる一つの権威として機能してきた。

そういう意味では、理由の部分は古来からの型にはまっている。

ただ、その結果として転生がもたらされるというのは、現代特有のものだ。


一方で、物語における「神(=異界)の寵愛ちょうあい」は、「英雄に試練を与え、最終的には死へと至らしめる運命」とも言える。

ギリシャ神話では神々の対立に応じて、それぞれの神の寵愛を受けた英雄同士が対立して殺し合う(トロイア戦争)し、北欧神話においてはヴァルキュリヤが戦場で気に入った勇士を戦死させ、その魂を持ち帰る。

ラテン語には「神々の愛する者は夭逝するQuem di diligunt adulescens moritur.」との言がある。「di(神のdeusの複数形主格)」なので、キリスト教の神(この場合英語と同等の扱いになり必ず最初大文字の単数Deus)ではなく、ローマ神話上の神々を指す。

似たような話としては『捜神記』の巻五の二「蒋侯神のお召し」、三「蒋侯廟の神像」はどちらも神に気に入られた男が死ぬ話である。


しかし、異世界転生モノでは以降に試練こそあれ、その先に神の手による死は与えられない。


むしろ既に=事前に(下手すると神自身の管理不足とかで)死んでいる。

そういう意味では、「転生のための死」は単に同情されるほどの悲劇の象徴としての死だけではなく、英雄神話・伝説の文脈における「英雄の死」の前払いの側面があるようにも思える。


「特別な人間(英雄)だから(悲劇的に)死ぬ」から「異世界で特別な人間(英雄)になる普通の人間だから(現実世界で残念に)死ぬ」、という形への変化というわけである。


現世からも異世界からも「外=異界」の存在である「神/システム/何か」に支払われる「神(=異界)の寵愛ちょうあい」への対価となっているということだ。

そういう意味では「現世における死」、それ自体は「英雄の死」の前払いの意味を持っていると思われる。


そういう形になった一つの原因として、先述の「異界」の衰退、正確に言うなら「冥界」、死後の世界という機構の衰退があるように思う。

現状、何かしらの宗教を信じていない限り、死後の世界である「冥界」に対して現実的な意識を持っている人はそうそういないだろう。

しかし、現実的な科学の世界観テンプレートでは死後の世界はつまびらかにされていない未知の範囲。いまだオカルトの範囲である。

結果として、我々自身が我々自身であることが科学的に保証されるのは、我々の生命が存続する限りであって、故に生に対して重きが置かれる。


一方、科学の世界観テンプレート=現代の現実としては不確定である死後の世界が、信仰・宗教の世界観テンプレートでは明示されている。

信仰・宗教の世界観テンプレートの多くでは、その明示された死後の世界を充実したものにするためにも、現世を、つまり現世で死ぬことまで込みで生きることを肯定していた。

通常、それがどんなに苦難で辛くとも、その文化圏で善として死んだなら、それは死後の世界で報われる。逆に悪として死ねば、報いを受ける。

単純な二元論なら、天国paradiso地獄inferno、ヴァルハラとヘルヘイム、仏教説話における天(人)と蛇/地獄と言ったところか。


まあ、異世界転生モノ神様の私情パターン(最悪なネーミング)も、この因果応報の意識自体はある。

ただ、面白いのはというところである。

うん、だと思うのよ。

でも、異世界転生では、死後に生者として目覚めた先は、「どこかでこの世界と紐付いた死後の世界、冥界」ではなく、「この世界と切り離された異世界である」とする。

やはりこれは、我々が無意識のうちに、「現在の世界観で保証されない死後」ではなく、「現在の世界観で保証された自我の存続をともなう生」こそ価値があるとしているのではなかろうか。


まとめると、


① 異世界転生モノにおける転生は日本の中世説話に存在する仏教的な善悪の因果応報の考えからは外れている一方、仏教的善悪ではない、運や損得における因果応報の考えは多少の影響を成してはいる。


② 転生した主人公の持つ権威の中核となるのは現実世界から転生世界へ意識が移動したという点である。


③ 主人公を異世界へ転生させるのが何であれ、それは現実世界に対しても異世界に対しても、異界=外としての権威を持つ存在である。


④ 転生が主人公に起きる不運の埋め合わせであり、転生先の異世界で英雄的振る舞い(文化英雄含む)をするのであれば、各種英雄伝説の文脈からして、主人公の死は「神の寵愛ちょうあい=英雄としての能力を備えた人間であること」への前払いと受け取ることができる。


⑤ 主人公が現実世界に転生したり、死者として冥界に至るのではなく、異世界に転生させられるというのは、前置きで異界を定義した通り、現代において冥界という異界は現実と切り離されたが故に、自我の存続をともなう生に重きを置いているためと考えられる。


……なんか、想定外に高尚なとこに着地してない?

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