3 現代における「異界」の衰退と現況

「異界」を作り出していた鍵は先述した通り、主に「宗教・信仰」を基軸にした世界観共有テンプレートによるものである。

勿論、現代でもなお「宗教・信仰」による世界観の共有がなくなったわけではない。が、弱まっているだろうことは簡単に推測できる。


通信技術と輸送手段、情報伝達網の発達により、かつては定住する以上、知識も文化も土地に縛られざるをえなかったが、それ相応のコストがかかるとしても、別の土地のものを比較的容易たやすく手にでき、また逆に世界へと発信することも可能になった。

そして何より、それらを支える科学という規範が現代における世界観共有のテンプレートとして最上の地位を占めていると言ってよいと、そう私は考えている。


宗教・信仰、そしてその世界観共有テンプレートに基づいて信じられ、時として実行される魔術・呪術という神秘は、どう足掻いてもいわゆるオカルトに片足を突っ込んでいる。

そうしたオカルトが「隠される」を意味するラテン語の過去分詞occultusから来ているのに対し、科学は「世界の物質・事象の構成要素を解き明かし、知識として定義づけ、体系づける営み」であると考えられる。

……まあ、かっこよく言ってみたところで、「なぜ」に対する答えの出し方が変わるだけの話。

宗教・信仰による世界観共有テンプレートにおいては、理屈がわからなければ最悪「神のおぼし召し」の一言でカタがつく。

では、科学はというと、明確に未知と既知を分け、仮定とそれを裏付ける根拠を元にした原因と結果の積み重ねから成り立つ再現性のある論理となる。

同時に、科学を基軸にしたテンプレートを受け入れることによって得られるメリットが凄まじい。

空を自由に飛べちゃうどころか、宇宙にも行けちゃうし、簡単に山を切り開けるし、海の中も探れる。そりゃ、神秘の異界に対して暴露の科学というような具合にもなるわいな。


まあ別に、科学や宗教がそういうものであると述べたいだけで、その功罪や是非を問いたいわけではない上に、そもそもの環境問題とかは話が違うので今ここで気にかける必要もなし(後は個人的に単なるロマンの程度の問題になるだけ)なので、それはそれとして。


各国各地で宗教・信仰が異なる以上、離れた土地の者同士が世界を語る時に、宗教・信仰のテンプレートでは大きな齟齬が生じやすい。

……歴史上ならその地のテンプレートがすり替わる事象はあるけどね、キリスト教の布教とか仏教伝来とか。

ただし、その場合、世界観テンプレートの再構築が必要となる。異教神を聖人として、あるいは妖精・精霊を天使として取り込むとか、本地ほんじ反本地はんほんじ違いはあれど垂迹すいじゃくを前提に発展した神仏習合とか。

でも、この手は既に再構築された世界観テンプレートが広まり、かっちりきっちり固まってしまった場合には使えない。固まってないからこその搦手からめてで、固まってしまったら、特にその固まった内容をこそ当たり前、正義として生活していたら、押し付けるしかなくなってくるのである(cf.宣教師と大航海時代)

であれば、科学という技術による世界観テンプレートを前提として話す方が効率が良い。

まして、日本という土壌においては様々な要因から「宗教・信仰」というテンプレートを持ち出す事を忌避する傾向が高い。……いや、欧州についてもゲルマン系とかの掘り下げでオカルト方向は忌避されるんだけど、うん、理由は、うん、あのヒゲ、うん……お察しください。

そういう状況を踏まえると、尚更、科学という世界観がより基準になりやすい。

そして、「宗教・信仰」の「神秘」に反して、「科学」は「解析して暴く」ので、あらゆる「異界」は「科学」の前にただの単なる山や森や海となる。


とまあ、現代において「宗教・信仰」という世界観に「科学」という世界観をぶつけると、より多くの者と簡単に共有ができる上に「解析して暴き、定義づけ、体系づける」性質の「科学」の方が勝っちゃうのである。何より解析結果の状況を整えれば再現できちゃうのが科学。

しかしながら、現代において完全に異界が滅びたかというとそういうわけではないし、なんなら新たに創出された異界も存在する。


その新たに創出された異界は二つ。


一つ目は、「通信網の向こう側」つまるところ、「電話の向こう」、「FAXの向こう」、そして「ネットの向こう」である。

怪異だけならメリーさん、呪いのFAXやらチェーンメールやら、あと「この画像を見たら〜」系の書き込みetc...

更に、ネットだけの間柄など、実体なしに名前のみで認識するところから始まる上に、その名前もHN、つまりは本当の名前ではない。

匿名性は「日常の自分」という実体を離れたもの、つまり本来ハレの場が持つものでもある。

亡者踊もうじゃおどりと呼ばれる秋田は西馬音内にしもないの盆踊りとか、ヴェネツィアの謝肉祭カーニバルとか。


二つ目は、「心理世界」、「深層心理」である。

クオリア、主観的な認識は数値で表すことも、他者がそれを言語以外で認識することも難しい。

同じ事象に遭遇した時の主観的認識は、個人の認知特性、報酬系の発達度、それまでの環境要因や経験に基づいてさまざまに変わり、精神分析学が一つの説に収束していない以上、明確に解析されたとは言えない。

まして、それが本人も気づかぬ無意識の領域「深層心理」であればなおさらである。

……そういうところもあるから、ユングの心理学は時折オカルトとか言われたりするんだろうな。


こうしてみると、本当、もう非日常のハレと日常のケの二項対立で簡単に語れる状況ではないんよね、現代(遠い目)

まあ、それでも、感覚的には残ってる部分もあるし、そうした通信網の向こう側とのやり取りで発生した事件などから、新たな異界が創出されたと考えられるし、この新しい異界もその内消えてしまうのかもしれない。

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