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3 物語を納得せしめるもの」への応援コメント

  • ただちょっと、蟹満寺の蟹報恩は
    人間が身勝手過ぎて蟹も蛇も可哀想な犠牲なんですよね……。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    確かに現代人である我々の視点だと蛇も蟹も人にぶん回されてる状態なのですよね。

    ただ、蟹満寺縁起型、現在広く知られるもののベースは「今昔物語集」、「古今著聞集」と同じ流れのもので、これ、おそらく「本朝法華験記」なる法華経の功徳エピソードを集めたマイナー仏教説話集が(成立年代的に)オリジナルと考えられます(余りにも流れが同じすぎる)
    この「本朝法華験記」、「日本文学大系」や「新日本文学大系」を発刊してる岩波書店さんですら、「日本思想大系」というくくりで出してるものなので、平安期の仏教色がやたら強かったりします……なので、放生というものの重大性や経による功徳に対して、現代の我々の認識とは齟齬が生まれる点がそうした理不尽感に繋がるのかなあ、と思います。

    また、蟹満寺型でも水乞いではなく蛙を助けるパターン(上記オリジナルにより近い)の場合、「蛙は何してんだ」が一発目に出てくる感想かと思います。私も思いました(し、だから蛙報恩型が生まれたのかなとも)
    しかしながら、この点については、さらに蟹満寺型の原型の「日本霊異記」に収録された蟹報恩の話で、「嘘をついて救うのは戒律を破るので救ったことにならない」的な行基さんのお説教があるので、どうもこのお説教が暗黙の了解下に沈んでしまったようなのですよね〜。

    ……と、まあ、卒論の一端で調べた内容だったので(文字数)な内容を書いてしまいましたが、意外と昔の仏教の世界観って現代の我々の認識からすると違うことが多々あるので、その辺りを調べて深みに行くと、こうして沼にハマるわけです。