3 物語を納得せしめるもの
来訪者の報恩/報仇。
何故我々はこの型式の話に納得するのか。
そう、そもそも、このパターンの話を受けて、ある程度納得するからこそ、話の中の主客やディテールを変えて世界的に広まっていると考えられる。
ここで少し枠を広げよう。
「2 来訪者の報恩・報仇」で「『
そもそも説話・伝承の大枠での区分けの中に「動物報恩」なんてあるのだから、報恩/報仇は勧善懲悪の傾向のある説話・伝承において、来訪者でなくても普遍的なお決まりである。
「
・
→蛇の嫁にされるところだった娘が、蛇を退治した事で助かった蛙が娘に礼として宝物を渡し、これによって娘は長者の嫁となる。
・
→娘に養われていた蟹が、娘が蛇の嫁にされそうになった時に命と引き換えに蛇を殺して礼を返す。
・グリム童話の「ふたり兄弟」において命を助ける代わりに従者となった動物の子供たち
→後に殺された主人を生き返らせたり、お姫さまと主人公の間でおつかいをこなす。
・
→
・「笠地蔵」で地蔵
→いわずもがな笠のお礼。
・グリム童話の「ホレおばさん」
→井戸の底の世界に棲むホレおばさんの元で真面目に働いた継子には金を、怠惰な実子には瀝青の雨を降らせる。
・グリム童話の「森の中の三人のこびと」の三人の小人
→紙のドレスで冬の森に苺を探しに来た継子が礼を尽くし、持たされた硬いパンを分け与えたため、祝福を与えるが、毛皮のコートでやってきた実子は無礼に振る舞い、バター付きパンも分けなかったため、呪いを与えられる。
この例の中でさえも類似が存在している程度に、来訪者/動物/人ならざる者の報恩/報仇はパターン化されているのである。
でもまあ、結局は「これらの話に何故我々は納得できるのか」となる。
結論から言えば、まず「報い」としてそれらが発生するのは、文化人類学における互酬性・互恵性による考え方によるところがある。
そして、その返す恩/仇が超常的であり、かつ幸福を手にする手段として有効であるのは、神話から現代にまで繋がるあらゆる話に存在する「外の権威」によるものと考えられる。
互酬性・互恵性については調べれば、すぐでてくるのだけど、急に「外の権威」って何言い出してんだよってなるよね、普通ね、うん。
ただ、この「外の権威」は神話、説話を見る上で重要なファクターである。
なんの説明もなしに出したから、「何言ってんだよ」はごもっともなんだけど、うん。
というわけで、「外の権威」についてをまとめていこう。
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