まとめ

1 西行と比較した空海の立ち位置

この前項でまとめた通り、空海の伝承においては、空海自体が超越的存在=神と互換可能である。

……神仏習合なので(本地垂迹ほんじすいじゃく反本地垂迹はんほんじすいじゃくはあるけど)何の問題もないよ?


西行の伝承においては、西行が戻るきっかけとなる歌を詠む存在が神と互換可能であるとは以前の西行の章で話したところ。

と、ここで西行の伝承と空海の伝承、それぞれにおける両者の立ち位置を示したところで。


両者の扱いの違いについては、時代とそれぞれの地位の差がその大きな原因と考えられる。


西行は平安末期の人で、武士であり歌人でもあった、立ち位置からするとヒエラルキー的には中の下、下の上辺りの階級になるだろう人物である。

まあ崇徳院との交流とか考えるとかなり上の方の中での、中の下、下の上だと思うけど。

出家こそしているものの、後世に出来た彼のエピソードは必ずしも仏教と紐づくわけではなく、歌人であることが押し出された話が多い。


一方、空海は平安初期、唐で仏教を学び真言宗の開祖となった、つまりざっくり言えば徳のたかーいmost famous(最上級)な僧である。

庶民が学べる綜藝種智院しゅげいしゅちいんの創設を訴えたり、庶民への慈善活動も行った、その事実だけ踏まえれば、ヒエラルキー上層部のみならず下層部においても徳が高いと認識されうる僧である。


つまるところ、空海さんは「高野山金剛峯寺建てて真言宗開祖にもなったすごいお人」である空海さんだから、より神秘的で善良なエピソードが時間経過と共に集まるのである。

出る杭は打たれるではなく、より出て行って(あるいは出るようにされてしまった)パターンである。或いは(集まる話が)類友。

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